【八】生み出された心(其の一)
宇宙空間でも事態は変化していた。宇宙艦隊と交戦していたラグランジュ5の自衛衛星群が沈黙し、閉鎖されていた各所の港が開放され始めたのだ。旗艦の艦橋に同乗していた提督は攻撃停止を命令した。花火のような閃光が収まり、辺りは静寂に包まれる。
罠か? 提督は注意深くラグランジュ5を観測していたが、周辺宙域の通信が復旧し先行上陸部隊から報告が入ると、すぐさま次の指示を出した。周囲を取り囲む三十隻の艦艇から、上陸艇が進発する。先行部隊に続いて大規模な上陸部隊によってラグランジュ5を物理的に占拠する作戦だった。
—— ※ —— ※ ——
ラグランジュ5の直径は約百キロ。表面から中枢部までは単純計算でその半分の五十キロ。到底人力で遊泳して辿り着ける距離では無い。ラグランジュ5の内部に張り巡らされた通路には輸送用ユニットが用意されている。床の溝に沿って移動するリニアモーターカーである。
ルクスたちの前に回送されてきたユニットは、天井の無い車が三両連結された様な形状をしていた。前の車両に隊長以下兵士たちが乗り込み、二両目にルクスたちが座っている。時速は五十キロぐらいか。ざっと、中枢部までは一時間かかる計算だ。走行音は静かで、生暖かい風が耳を叩く音の方が大きいぐらいだ。
「……」
ルクスは緊張していた。こめかみに汗が垂れる。汗を掻くほど暑くはないが、ルクスの心情を察して汗はだらりと流れる。
ルクスの右隣にはアトリアが座っている。左隣にはニハル。そして眼前にはアビーが仁王立ちしている。そしていずれも距離が近い。とても近い。密着しているといっていい。何事か。前の車両の兵士がちらりと視線を送ってくるが、さすがは精鋭部隊。何かを察して、まじまじと見るという愚策はせずに前に向き直った。
「時間が、あるわね」
ニハルが目を伏せたまま告げる。アトリアが「そうですね」と頷く。その二者を交互に眺め、そして最後にルクスをその視線で貫いてアビーが嗤う。
「ははっ。なんだお前、二股かけていたのか?」
「いや、そうでは……」
「そうなるわね」
「そうですねー」
ルクスの弁解はあっと言う間に却下された。
「まあこんな男に騙される方が悪いな。下心が見え見えだろ、こいつ」
「貴方、何様ですか?」
ちょっとイラッとしたニハルが視線をアビーに向ける。しかしアビーは平然と言葉を続ける。
「まあこいつの最初の恋人といったところかな? 忌々しいことに」
「は?」
「は!?」
やめてくれ! これ以上話をややこしくするのはやめてくれ。ルクスは顔を伏せた。見えないが両側から視線が突き刺さるのを感じる。なぜ、オレはこんな目に遭っているのだ……ルクスは記憶喪失の彼方に失踪中の昔の自分に怨嗟した。
「まあいいわ。問題は過去では無く、これからのことね」
アビーとバチバチの視線のやり取りをしていたニハルが溜息をつく。こっそりとルクスの腕を掴んでいたアトリアの手を取っ払う。むくれるアトリア。
「こ、これからのこと?」
震えるルクスの声。まさか今ココで、二股の精算をしろとでも言うのか。いやマジちょっと、どちらか一人を選ぶとか出来ないし、二股婚を提案出来る空気でも無い。
ぐいっと、ニハルの両手がルクスの頬を掴んで横へと曲げる。すぐ傍にニハルの、少し憂いを浮かべた顔がある。吐息が鼻に掛かる。
「まさか、このまま消えるつもりじゃないわよね?」
「え、消える……?」
何を言われたのか、ルクスには理解出来なかった。消える? 消えるって逃げ出すってことか。いや、さすがにそんな無責任な真似は……と思ったところで、ようやく理解が追いついた。ルクスの口元が歪む。ああ、そうか。そういうことか。
「そういえば、そうだな」
ぽつりと独り言の様に呟く。ルクスはようやく自分の立場を理解した。通信管理局の諜報員、スパイ。名前はコードネーム。経歴は全て偽装。任務を達成すれば、また別のコードネームと新しい人生を背負って、どこかへと消えていく身なのだろう。
思わず乾いた笑いがでる。責任を取るとか、そんなのは嘘っぱちじゃないか。そもそもそんなことが出来る身分じゃあない。アビーの言っていたことは、いちいちごもっともだ。人の心を弄んでるだけの、酷い男なんだな。ルクバートというヤツは。
——ああ、でも。ちょっとだけ、少しだけ昔の自分が何をしたかったのかは理解出来る。
相手のことを好きだといった台詞が、相手に寄り添ったその仕草が。例えそれがすぐに消えてしまうものだとしても、せめてその僅かな時間だけでも相手を喜ばせてあげたいと思ったからだ。馬鹿だよな。すぐに消えてしまえば、余計相手は傷ついてしまうかも知れないのに。
それでも。それが普通よりとても短いものだからといって、その愛情は果たして無価値なものなのだろうか。そうじゃない、そこにも愛はあるはずだと、昔の自分は言いたかったのだ。
だって現実に、彼女たちが埋まって欲しいと願っていた隣の席は、その時空いていたのだ。そこに座れるのはルクスしかいなかったのだ。だから座ったのだ。例えそれで恨まれようとも、座らないよりマシだと思えたのだ。
「先輩はずっと、そんな生活をするつもりですか?」
今度はアトリアがルクスの顔を掴む。至極真剣な眼差しでルクスを見つめる。
「いやお前だってスパイだろうが」
「あたし、この件が終わったら退職します。そして普通の人間に戻ります」
「アイドルか、お前は」
思わず突っ込む。いやそんな簡単な話じゃないだろう、多分。スパイなんていう暗部に属した人間が、そう容易く普通の生活に戻れるとは思えない。今まで自分がどれだけ阿漕なことをしてきたのか、それすらも分からないのに。
でも、そんな二人のやり取りを見て、ルクスはいつの間にか微笑んでいた。多分、昔の自分がにょっきりと顔を出したんだと思う、そんな微笑みだった。
それらのやり取りをじっと見つめていたアビーは、むふーと鼻息を漏らす。
「お前たち、随分のコイツにご執心だな。まあ女誑しの術だけは一級品だからな」
「先輩はそんな酷い人じゃありません!」
「その言葉、よく憶えておくんだな。いずれ憎くて殺したくなるだろうから。愛が深い分、憎しみも深くなるんだぜ」
「……もしかしてこの人、天然……?」
「まあ、元はお嬢様だからな……」
そうしてユニットは終着点である「ラグランジュ5」中枢部へと到着した。
—— ※ —— ※ ——
ラグランジュ5の中枢部は直径一キロの球形をしている。扉が開くとむわりと熱気が漏れ出てくる。格納されているストレージユニットからの放熱だ。人間の大きさ程もある六角柱の形状をしていて、角からは翼のように放熱板が伸びている。熱気は放熱板から出ているものだ。中枢部にはそれらストレージユニットがぎっしりと詰まっている。このユニット内部に、ネットワーク上でやり取りされるほぼ全てのデータが格納されていることになる。
ルクスたちはメンテナンス用の手摺りを伝って、更に奥を目指す。手摺りには移動式のハンドルがついていて、掴めば自動的に運んでくれる。十分ほどして、ルクスは深奥に到達する。ストレージユニットの群れが大きく開ける。
中枢部の中心。そこには幾つものケーブルが巻き付いた球形の構造物が浮いている。記憶を失っているルクスだったが、その構造物がラグランジュ5のメインユニットだと察した。なぜならば、そのすぐそばに白髪の紳士を見つけたからだ。
「社長……ッ!」
「おお、ルクバート君か。まさかここまで来るとは、随分仕事熱心なことだ。記憶はもう戻ったのかね?」
シェアトは口元を綻ばせる。まるで十年来の旧友に偶然街角で出会った様な仕草である。
「いいえ、残念ながら」
「そうか、それは大変だね。君には随分と世話になった。何か協力出来ることがあればいいんだが……」
シェアトは眉をひそめ、思案顔で腕を組む。とても人の良い、好好爺だ。レーザー銃を構えた兵士たちに囲まれ、更に彼の横に一人の女性が浮かんでいなければの話だが。
その女性とは社長秘書のマイアだ。目を閉じ、ぶらりと四肢を伸ばした状態で浮いている。頭髪は無く、その綺麗に反られた頭蓋はメインユニットから伸びる幾つものケーブルが接続されている。そしてその首には黒いARSリング——オラクルがあった。
異様な光景だった。アトリアが険しい表情で飛び込もうとするのを、ルクスは制する。
「社長、いやシェアト。一体何をしているんだ?」
「ん? ああ、これかい? 何大丈夫だよ。マイア君の思考の雛形を転送しているだけなんだ。あの綺麗な髪を剃るのは、ちょっと残念だったがね」
「思考の雛形?」
「そう。プロメティアの初期製造の過程と、ほぼ一緒だよ。思考の雛形を転送し、それを情報とミックスさせることで「心」を生み出す。もっとも人間と「ラグランジュ5」の記憶野は構造が違うからね。適合プログラムの作成に随分苦労したよ」
「心を……? このラグランジュ5に?」
ニハルの顔が少し青ざめている。
「そうなんだ! 人工「無能」の様な中途半端なものでは無い。本物の知性がこのラグランジュ5上に生まれるのさ。生まれるのは神かな? それとも悪魔かな?」
「そんなこと……正気じゃないわ。どんな「心」が生まれるかも分からないのに」
「だから面白いんじゃないか。今から私はわくわくしているよ」
そういってシェアトが懐から小型端末を取り出して、何か操作しようとする。それをレーザー銃を構えた隊長が制する。着弾点を示すガイドレーザーがシェアトの額中央に赤い点を作る。
「触るな! その端末を手放して、こっちに流すんだ」
「これをかい? ……まあいいが」
シェアトは目を丸くして一瞬躊躇ったが、隊長の鋭い視線にため息をついて小型端末を手放した。流れてきたそれを隊長が掴む。ほっと息を吐くルクス。だが。
「それは空調装置のスイッチだよ」
くすくすと嗤うシェアト。かしゅと音がして、マイアの頭蓋に貼り付いていたケーブル類が外れた。意識を失ったままのマイアの身体が、ケーブルが外れた反動でルクスたちの方へと流れてくる。
「もう作業は終了済みさ。あとは「目覚め」るだけ」
そしてシェアトの背後で、メインユニットが鈍い光を放ち始める。スリット状の光が周囲を照らし出す。白……いや黒か。思わず目が眩む。ルクスの意識は、その黒い光に押し潰される様に途絶した。
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