【七】上陸作戦(其の一)
——人間の「心」とは、どうやって生まれるのだろうか?
プロメティアが画期的だったのは、少なくとも現行の科学では判別がつかないほど人間と同等の「心」を持っている点と、それが人工的に生成出来るという点だ。知識と人造の人生を付与されることにより、プロメティアは「心」を得る。
これが結構面白い。物理学の叡智とアインシュタインの人生を付与しても、有能な物理学者が生まれるとは限らない。相思相愛の失われた恋人を精密に再現したはずなのに、実際出来上がったプロメティアとはお互い毛嫌いするぐらい相性が合わないなんて、ありふれた話だ。
こんな実験もしたことがある。二人のプロメティアに、全く同じ知識と人生を付与したのだ。どうなるのか? 稼働開始直後は確かに瓜二つだったのかも知れない。しかし数日も経てば性格的な違いが見られる様になった。一ヶ月もすれば、ほぼ別人と言って良かった。この実験はなかなか興味深かった。現実世界においては、同じ状態を維持し続けることは難しいという示唆でもある。
話が逸れた。私が特に興味を持ったのは、人間の脳容量以上の情報を蓄えた存在にもし「心」が現れるとしたら、それはどんな者になるのだろうか? ということだった。人間の脳にどれだけの情報が書き込めるかについては未知の部分が多いが、物理的な上限は必ずある。
例えば、脳を二つ連結したプロメティアを製造したらどうか? これは、大して変わらなかった。多少記憶力が多いとは認められるが、人格に大きな影響は見られなかった。多少容量が増えたところで大きな変化はないだろうことは、ある程度予想していた。
——つまりだ。
それ以上の、それこそ人類が今まで蓄えたあらゆる情報を元にした人格を生成したら、それはどんな「心」を生み出すのだろうか。私は空を見上げながら、一つの案を思いついた。
あるじゃないか。人類史上、もっとも多くの情報を蓄えた存在。現代のアレキサンドリア大図書館。人類社会ネットワークの交錯点に建造された巨大演算衛星「ラグランジュ5」。そこに「マザー」や「ドラゴン君」といった中途半端な人工知能では無い、真の「心」を付与するのだ。
その結果は、まるで予想出来ない。だから良い。私はそうして、夢中になって計画を立て始めた。
—— ※ —— ※ ——
「シェアトの居場所が判明した」
中将が平坦な口調で語る。こじんまりとした待機室。ルクスたちは全員宇宙服に着替えている。民間用の宇宙服は厚手だが、宇宙軍仕様の物は随分と——身体のラインが出るぐらいには——薄手だ。格闘近接戦闘を考慮しているからだ。薄手ではあるが、強度は防弾性能があるぐらいには高い。
「どこですか?」
「ラグランジュ5だ。中枢区画に向けて移動中の様だ」
ルクスは静かに頷く。まあまあ予想通りといえる。シェアトがハッキングの張本人だとすれば、その完全掌握の為に現地に乗り込むことは自明と思えた。しかしシェアトの目的は何なんだ? アンチと繋がってはいた様だが、「ラグランジュ5」へのハッキングは連中のテロ計画書にはない行動だ。犯行声明もせず、シェアトは黙々と活動している。
ラグランジュ5へのハッキングが、現在進行形で世界中に大きな影響を与えていることは事実だ。身近な所で言えばドラゴン君は停止し、鉄道や自動車などの全自動交通システムは麻痺している。非時差通信も停止中で、火星や木星といった遠隔地とのリアルタイム通信は途絶している。買物も現金以外の決済が出来ないし、現金決済機能が無い自販機はただの冷蔵庫と化して腹の中の飲料を冷やすだけである。
そして今はまだ麻痺しているだけだから良い。例えば、もしこの上「ラグランジュ5」上の全データが削除されでもしたら、一体どれだけの混乱を引き起こすか。あまり想像したくない。
——しかし、シェアトの目的が想像出来ない。破滅主義者には見えなかったし、「アンチ」の様に現状に不満を持っている様にも見えなかった。人当たりが良く、有能で、優しい人だった。正直「なぜ?」という思いがルクスには強い。
どちらにせよラグランジュ5には行く準備は整えていたのだ。ある意味手間が省ける。シェアトの目的は、ヤツを捕らえてからじっくりと問い質すことにしよう。
待機室に、ずらずらと宇宙服を来た兵士たちが入室してくる。十二名。全員ナイフやレーザー小銃などで武装している。ルクスたち三人プラスこの十二名がラグランジュ5への先行突入部隊になる。
「現在、宇宙軍の第七艦隊がラグランジュ5の自衛衛星群と交戦中だ」
「てこずっているんですか?」
そう聞いたのはアトリアだった。ぎろりと中将が睨むので、彼女はつつつとルクスの後ろに隠れた。孫のように可愛い子でも今は臨戦態勢。容赦はしなかった。
「極力本体にダメージを与えないという条件下ではな」
それはそうだろう。破壊するだけで良ければ宇宙軍には巨大な質量体投射砲があるのだから、一瞬でケリがつく。
「君たちを乗せた宇宙往還機は打ち上げ後、戦闘宙域外縁で待機。自衛衛星群の排除が完了したのち上陸作戦を実施することになる。諸君らの健闘を祈る」
中将が敬礼をし、兵士たちがそれに返礼する。宇宙往還機の出発準備が整ったアナウンスが流れる。十五名の先行突入部隊は露天の移動車に乗り、滑走路上でエンジンを暖めている宇宙往還機へと向かった。
—— ※ —— ※ ——
宇宙歴時代の宇宙空間戦闘では、粒子砲が主兵装になっている。ミサイルや実弾——質量弾——もあるが、あまり使われない。西暦末期の宇宙乱開発によってスペースデブリが増大が、その後の宇宙開発を大きく停滞させた反省が大きい。
粒子砲は弾速が亜光速である。射撃時、射線上に対象があれば大体当たる。よって近距離戦闘においての砲撃戦は基本我慢比べである。特に巨大人工衛星と艦隊の戦いであれば、双方機動力を生かした位置取りも難しい。自然、ヘビー級ボクシングの試合顔負けの乱打戦となる。
羽衣を纏った球形の衛星ラグランジュ5と、その赤道面を周回する様に三十隻からなる円筒状の宇宙艦隊が円を描いている。青い粒子の線が双方の間を入り乱れ、時々閃光を瞬かせる。
ルクスは宇宙往還機のキャビンからその様子を見つめている。キャビンの後方には大型スクリーンが設置され、状況が投影されている。
「ここからアクセス出来るか?」
「ダメね。近距離の光信号での通信網も遮断されているわ。直接接続しないと……」
ルクスの隣で情報端末を叩いていたニハルが首を振る。そうだろうなとはルクスは思った。宇宙軍の艦隊だって電子戦は仕掛けているハズだ。それなのにどんぱちやっているということは、つまりそういうことだ。
ニハルの持っている情報端末。外見は一般的なノートパソコンだが、宇宙軍特製の電子戦用のものを借用している。処理能力が桁違いなのは勿論、例えば壁の中に埋設された情報回線へのアクセスも可能だ。体制側の勢力が本気になって作ったハッキングツールである。その性能、推して知るべし。
「逆に上陸さえ出来れば、なんとかなりそう?」
「そうね、社長の自宅に保存されていたハッキング系のツールは大体解析出来たわ。びっくり。まさかプログラマの素質もあったなんてね。すごく良く出来ているわ」
「つまり?」
「これでもオラクルの開発者よ。回線が取れれば十分で勝負つけてあげるわ」
情報端末のキーボードを高速で叩きながら、ニハルはニヤリと笑った。それをつまらなそうにみているアトリア。
「そういえばアトリア。貴方、ちょいちょい会社のデータ盗み見してたわよね?」
「うっ」
「悪いけどモロバレだったからね。足跡ぐらい消しなさいな」
「うへーい」
どうやら間諜としては落第だった様だ。まあルクスも人のことは言えないが……。
宇宙に上がってきてから一時間が経過した。戦闘はまだ続いている。忙しなく粒子砲の光が走っているが、双方とも相手に致命的な打撃は与えられていない。映し出されている映像も、ずっとループさせていると言われたら信じてしまいそうだ。
キャビン前方の扉が音も無く開く。キャビンの向こう側は操縦席である。出てきたのは突入部隊の隊長だった。
「ルクバート情報員」
「なんでしょう?」
「これを見てください」
スクリーンの一部が切り取られ、別の映像が映し出された。地球である。そこにコンピューター画像が上書きされる。どうやら地球から何かが打ち上がってきたらしい。それは一度静止軌道を一周した後、真っ直ぐにこちらへ——「ラグランジュ5」へと向かって来ている。
「これは……?」
「先程、地上班から連絡が入りました。未登録の宇宙往還機が新オキナワ島から発進しました。恐らくは……」
なるほどアンチか、とルクスは察した。未登録の宇宙往還機を運用出来る組織といえば、それぐらいしか考えられない。しかし、なぜ今頃になって……?
スクリーン上で、未登録の宇宙往還機わ示す点は「ラグランジュ5」の自転面を垂直に大きく周回した後、北極面へと降下していく。それに対し自衛衛星はまるで反応せず、宇宙往還機は無傷のままラグランジュ5の内部へと消えていった。
あんなところにも港が設置されているのか。いやそれよりも、今のはもしかして「抜け道」なのか? ルクスは少し思案した後、隊長に提案する。
「今の宇宙船と同じ軌道、取れますか?」
「可能ですが……」
「では我々も続きましょう」
隊長は少し目を細めた。今のが安全な抜け道なのか、それともたまたま抜けられただけなのか。それを判断する材料が乏しい。
「アンチに先を越されると、後々厄介ですよ」
ルクスがそう告げると、隊長は決断した。全員に再び着座する様に告げ、操縦室へと戻っていく。ややしてから宇宙往還機は斜め上方に加速を始め、ルクスは座席に押しつけられた。
ルクスたちを乗せた宇宙往還機は一旦ラグランジュ5を離れた後、軌道を極軌道に遷移させて近づいていく。自衛衛星群からの攻撃は無い。眼下で艦隊との戦闘が行われているのを見ながら羽衣を抜け、宇宙往還機はラグランジュ5の北極に設置された宇宙港へと着底した。
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