【四】オラクルの行方(其の三)

 平日だというのに、スタジアムには大勢の人が集まっていた。地球標準時八月一日。それは連合憲章の発布日、つまり太陽系連合の成立した日である。その記念式典の会場として選ばれたのが、新オキナワ市のスタジアムだった。連合大統領は勿論、各組織のお偉い方が続々とヘリやリムジンで乗り付けてくる。スタジアムの周囲は連合軍の兵士たちが護衛している。装甲車やMLGと呼ばれる多脚式戦闘兵器も配備されている。物々しい雰囲気だった。


 それでも観客は大勢集まっている。十万人収容のスタジアムはほぼ満席。スタジアム近隣の公園には大型モニタが設置され、スタジアムに入れなかった観客が集まってきている。百周年の記念なのだ。普段政治には無関心な人間でも、式典の放送チャンネルにダイヤルを回すぐらいには注目されている。


 スタジアムの近くに立つ展望タワーにも大勢の観客が集まっていた。最上階の展望室は環状になっていて、ちょうど北側がスタジアムに面している。もしかしたらスタジアムの中が覗けるのでは? と思った人間には残念だが、スタジアムの中身は丁度見えない高さになっている。ここには兵士の姿はない。ちょっと多めに警備員が配置されている程度だ。


 だからか。アビーはその銀髪を揺らしながら、平然と展望室を歩いていた。首に掛けた黒いARSリングのランプがちらちらと点滅している。周りの人間には見えないが、誰かと通話しているのだろう。よくある光景だ。気に留める者はいない。


「随分焦らせてくれるじゃないか。まだ何か要求があるのか? 開幕まであと一時間、そろそろ持ってきてもらいたいものだが……」


 不平を鳴らす言葉。しかしその表情には微笑みが浮かんでいる。この状況を楽しんでいる。彼女がアンチで無ければ、式典の熱気に当てられ昂揚している様にしか見えないだろう。ちらりちらりと覗く透明な歯も、今の場ではさして異物感を感じさせない。


 展望室の南側には軌道エレベータが良く見える。アビーの視線がワイヤーを登っていく縦に連結されたユニット群を見つめる。


「結局、見物にはこない気か? 百年に一度のパーティーだ。現地で観れば、あとあと話の種になるぞ」


 アビーは環状になっている展望室をゆっくりと周回する。歩く速度は変えずに、でも時折足の踏み出す方向を変えなければならない程度の混み具合。だから、そうやって展望室を周回している人間が他に七人居ても目立たない。若いカップル、黒いスーツで正装した壮年の男性、青く髪を染めた女性、周囲より頭一つ高いプロメティア、白髭を蓄えた老人、そして眼鏡をかけて頬のこけた男。その者たちは展望室を回遊魚の如く周回し、アビーと擦れ違う時だけ視線を交わす。彼らは時を待っていた。


 アビーはニヤリと笑った。透明な歯が剝き出しになる。


「——了解だ。まあ見ていろ。一時間後にはトップニュースを飾っているからな」




  —— ※ —— ※ ——




 「オラクル」が終了して、アトリアに愛想笑いを残してルクスはトイレへと駆け込んだ。今は洗面台の鏡に写る自分の顔を見ている。おいルクス、お前はなんてヒドいヤツなんだ。自分の顔がかつての婚約者に似ていることを利用して、アトリアを籠絡したんだな。随分と酷い手法だ。


 しかもプロメティアに対して結婚を出汁に使った。人間であるお前には分からんのだろうな。その意味が。重さが。はっきりいって虫唾が走る。しかも自分自身の所業だってことが輪に掛けて最悪だ。この六年間でルクスという人間は相当な悪人になってしまったらしい。とりあえず記憶を取り戻したら最初にやることは決まった。まず自分の顔面にパンチを入れてやることだ。決定だ。


 ルクスは頭を振りトイレを出た。エレベータは使わず、階段で上層階へと上がっていく。視界の隅にメッセージが届いていた。送信主はニハル。内容は短く「屋上」とだけ記されていた。





 屋上には貯水槽と空調の大型室外機が林立している。その間を大通り側に抜けると、ベンチとテーブルが置かれた休憩所になっていた。ニハルはこちらに背を向けて、何やら話している。恐らくARSリングの通話機能だ。誰と話しているのか? 聞き耳を立てる前に通話は終了してしまった。ルクスに気がついた彼女がゆっくりと振り返る。思わずルクスは足を止める。ニハルの視線は鋭く冷たいものだったからだ。


「あの銀髪の人、アンチなんですってね。まさか貴方がテロリストと繋がっていたなんて」

「待て待て、なんでそうなる?!」


 突然の展開にルクスは焦った。ニハルこそ協力者じゃないのか? ルクスが手を広げて一歩近づくと、ニハルは二歩下がった。


「あのテロリスト、オラクルを持っていたわ。貴方に貸したヤツでしょ?」

「違う。オレが借りたのは手元にある」

「無いじゃない」

「今はアトリアが持ってる」

「何で彼女が……ってまさか、アトリアと「オラクル」したの?! この女ったらし!」


 あああッ! 話が混線する。ルクスは頬をハタキにきたニハルの手を掴み、落ち着かせる様に顔を近づける。瞳と瞳が合わせ鏡になり、不意の接近にニハルは頬を赤らめる。


「落ち着け。まずオレは通信管理局の人間だ。アンチのテロ計画を追っている」

「私もそう思ったから協力してきたのに」

「アンチにオラクルを渡したのは、ニハルじゃないんだな?」

「は? テロリストに協力する訳ないでしょ。家族の敵なのよッ」

「そうだよな」


 ニハルの眉間に皺が寄る。彼女の怒りは本物だ。証拠はないが、ニハルがアンチと繋がっている線はこれで無くなった。じゃあ誰が試作品を横流ししたんだ……?


 考え込んだルクスの顔を、ニハルが覗き込む。眉をひそめ、でもちょっと期待を込めて。


「……もしかして、記憶取り戻したの?」

「いや、昨日「オラクル」した時に、その時のニハルの記憶が見えたんだよ」

「え、記憶が見えた? オラクルにそんな機能はないけど……」

「……へ? そ、そうなのか?」

「当たり前よ。記憶野にアクセスするなんて怖くて出来ないわ。ヘタしたら十五年前の事件の再来よ」


 ニハルが肩を竦める。いやしかし、実際アトリアとした時も記憶が流れてきたしな……不具合か何かか?


「貴方、本当に通信管理局の人間なの?」


 ルクスが掴んだ手首を、ニハルが握り返す。ぎゅっと綺麗に切り揃えられた爪先がルクスの肌に食い込む。少し不安げなニハルの視線。


「ああ、そうだ。証明するものは何もないが……協力して欲しい」


 ニハルはじっとルクスの瞳を見つめている。真実か嘘か、それを見極めようとしていた。しかし、しばらくして、諦めた。きっと何時間覗き込んでも、答えは変わらない。こういうことは、惚れてしまった方の負けなのだ。忌々しいことに。


 ゆっくりとニハルはルクスの手を払った。


「分かったわ。そこは信じてあげるわ」

「本当か?! 助かるよ」

「でも! アトリアとの件は別ですからね。この女ったらし。事が終わったら、どう落とし前つけてくれるのか、今から楽しみにしているから」

「お、おう」


 ニハルのにっこりとした笑顔を見て、ルクスは何故か身震いした。





「ちょっと、これってどういうこと?!」


 ニハルは驚きの声を上げた。屋上から開発部へと降りてきたニハルとルクスが見たものは、空になったケースだった。そこにはオラクルが七つ収納されているはずだった。それが無い。ニハルは室内をぐるりと見回すが、相変わらず開発部には誰もいない。各人のデスクの上で遠隔操作されるノートパソコンが動いているだけだ。


「ニハル、監視カメラの映像は?」

「ッ! そうね」


 ニハルはすぐさま近くのコンピュータのキーボードを叩き始める。すると直ぐに開発部の各所に設置された監視カメラからの映像が表示される。内一つにはルクスとニハルの姿が映っている。


「ドラゴン君、室内に誰か入ってきた時間まで巻き戻して」

『分かりましたー』


 映像の巻き戻しはすぐに終わった。ほんの五分前。そこに映っていたのは金髪の女性、アトリアだった。彼女は収納ケースからオラクルを全部取り出して黒いバックに収めて、開発部を出て行った。ルクスは唖然とした。まさか、彼女がアンチの協力者なのか?! プロメティアである彼女が?


「ドラゴン君、アトリア・エレクトラの現在地を教えて!」

『その情報は非開示設定になっています。保護者のみ閲覧可能ですー』

「だったらタクシーだ。五分前に、この建物の前から出発したタクシーはあるか?」

『一件、該当がありますー』

「行き先は?」

『シュリタワーですー』

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