【四】オラクルの行方(其の二)
会社には遅刻した。だが咎める者は誰も居なかった。相変わらず営業部はルクスとアトリアの二人だけで、部長の姿は無かった。それが日常であるかの様にアトリアは淡々と仕事をしている。
ルクスは自分の席——アトリアとは対面の——に座り、ノートパソコンを操作する。電子メールが数通着信しているが無視する。目当ては社内ネットワーク。開発部のサーバにアクセスして、オラクルの情報を入手したい。
しかし。
「ぐぬぬ」
ルクスは眉間に皺を寄せた。開発部のサーバらしきものは発見したが、中に入れない。エラーメッセージが返ってくるだけだ。どうやらルクスにはハッキングの技術も才能も無いようだ。
「何しているんですか? 先輩」
ふわりと蜜柑の香りと共に、鈴のような声が耳元を叩いた。気がつけばアトリアが背後から覗き込んでいた。
「な、なんでも無いよ」
「嘘ですねー」
アトリアはルクスの頭を挟み込むように両手を伸ばし、パソコンのキーボードを叩いた。ものの数秒でぴろりと電子音と共に表示が一変する。開発部のサーバ内に入り込めたのだ。
「なんでもないのなら、これ閉じちゃいますけどー」
「ごめんなさい。めっちゃ入りたかったです」
「よろしい」
そのままの体勢で、ルクスはまず「オラクル」の保管状況の確認をする。オラクルは全部で十台製造されている。一台はルクスが持っている。 もう一台は、昨晩ニハルが持っていたやつだ。あとはアンチのアビーが持っていたやつ。残り七台どこだろうか。開発部で保管中か?
アトリアが背後でごそごそしているが、構わず作業を続ける。通常のARSリングであればシリアル番号が分かればGPSで追跡できるが、試作品はその機能が無い様だ。現物を確認するしかない。
それにしてもアビーはどこからオラクルを入手したのか。社内にアンチの協力者がいる可能性が高いが、まさかニハルなのか。確かに彼女の立場であれば試作品は持ち出せるし、実際ルクスもそれで入手している。
そして昨晩の垣間見た記憶。ニハルは連合政府を嫌っている。動機としてはあり得るのか? だが十五年前の事件は、そもそもはアンチの引き起こした事件だ。アンチこそを恨んでもおかしくはないが……。
「これがオラクルなんですねー」
「あ、お前ッ! 勝手に触るんじゃない」
何をしているかと思えば、アトリアはルクスの鞄の中から黒いARSリング——オラクルを取り出していた。アトリアはルクスを手を掻い潜り、自分のARSリングを黒い試作品に掛け替えた。「なるほどなるほど」と言いつつ何やら操作をしている。ぴろりと電子音がして、ルクスの視界にアクセス許可を求めるメッセージが表示された。オラクルからだ。
「先輩、オラクルしてくれるって言いましたよね?」
「え? まさかここでするのか?!」
「別にいいじゃないですかー。誰もいないですし、誰も来ませんよ」
ルクスの手から逃れていたアトリアが、今度はずいっと距離を縮めてくる。胸が接するぐらいまで近づいた彼女が、上目遣いでルクスを見る。
「今も協力してあげたじゃないですか。ご褒美ぐらいあってもいいと思うんですよ」
「いや、しかしだな……」
そんなことをしている場合では無い。今この瞬間も、アンチが着々とテロの準備をしているのだ。そんな……いや! けしてアトリアやニハルとの関係が些事だと言っている訳ではけしてない。
「いいなー、ニハルさんはしてもらったんですよね?」
少し潤んだ目でアトリアが囁いてくる。本人は脅迫のつもりなのかも知れないが、何かどこかのキャバクラでおねだりされている錯覚を覚える。だがむしろ、それが効く。
「ぐぬぬ」
「はー、やっぱりあたしのことなんて嫌いなんですね、先輩は……」
「ぐぬぬぬぬ」
ルクスは容易く折れた。この言葉を聞かされては、結局アクセス許可を了承するしかなかった。
「オラクル」が見せる空間では、アトリアは黄色い波だった。ルクスの青い波と重なり混じり、複雑な色を生成していく。リアルでは椅子に座っているはずのルクスだったが、その感覚は無い。時々無重力に落ちていく感覚が、彼の今は無いはずの吐息を荒くさせる。やばい、これはやばい。
「オラクル」は感情を伝える機能だという。だとすれば、これはきっとアトリアの、ルクスに対する好意なのだ。剝き出しの好意に当てられて、ルクスの感情も高揚している。時折感じる痛みすらも快楽に転じている。お互いの波間に、文字通り溺れていく。
——あ。
そしてまた。波が不意に人の形を取り戻し、ルクスはアトリアになった。これはきっと感情では無く、アトリアの記憶が流れて込んできているのだ。ルクスはそう直感した。
—— ※ —— ※ ——
アトリアがルクスと一緒に保護者に会いに行ったのは一ヶ月ほど前だった。プロメティアに付与された人権は限定的だ。選挙権が無い。不動産取得及び売買の制限。証券取引の制限。そして人間の「保護者」を必要とする。目元のバーコードという目印がなければ見分けられない人間とプロメティアの最大の差は、「生まれる」か「製造される」か。プロメティアは未だ「物」なのだ。
テニスコート二面分ぐらいの広い庭で、子供たちが遊んでいる。小学生ぐらいの比較的大きな子と幼稚園児ぐらいの子が混じってサッカーをしている。大きな子は少々大人げない。体格差を生かしてタックルをしてボールを奪い、喜びの歓声を上げて拙いドリブルしていく。倒された小さな子は泣くかと思ったら、ちょっとだけ悔しそうな表情を浮かべただけで大きな子を追い掛けていった。
孤児院だった。——プロメティア専用の——。アトリアはベンチに座り、女の子たちに囲まれて絵本を読んでいる。子供たちの目元にはアトリア同様、バーコードの模様が印刷されている。絵本の文字を読み上げつつ、ちょっと視線を上げると遠くにルクスと、そして一人の老人の姿が見える。名はタイゲタ・アラダ。アトリアと、そしてこの孤児院の子供たちの保護者だ。
奇特な老人だ。プロメティアの孤児院をやっているとは、よほど心根が優しいに違いない。老人は現役の頃は、生体部品開発の会社に勤めていた。定年退職後、孤児院を開いた。心根が優しすぎて、きっと壊れてしまったのだ。
プロメティアは成長しない。肉体年齢は製造された時のままで固定され、成長も老化もしないまま寿命で死を迎える。それを羨ましいと思う人間もいる。アトリアはルクスからの視線を感じる。妙齢で製造されれば、ずっと若い姿のままだ。嫉妬する輩もいれば、保護者になる、つまり結婚相手に選ぶ人間もいる。
プロメティアの大半は妙齢で製造される。元々は代替労働力として開発されたのだから当然といえる。稀に子供の姿で製造されることもある。理由は色々あるがもっとも多く、そしてもっとも悲劇的なのが、死んだ我が子の代替えとして製造されるケースだ。
製造され、引き渡され、そして捨てられるからだ。姿形は瓜二つのものが造れる。問題は「心」だ。子を失った親は必死で記憶や思い出を掻き集め、それを元にプロメティアの心を造る。だが、大体の場合は上手く行かない。当然だ。他人から見た人の形は、人形が地に落とす影法師だ。その影法師から、元の姿を再現することなど出来ない。
だがもっとも悲惨なのは、そこそこ上手く似てしまった場合だ。記憶も性格も瓜二つ。しかし時折見せる笑顔が我が子と違うと気がついた時、親が感じる恐怖とはどの様なものだろうか。そうして、故人の忘れ形見として製造されたプロメティアは捨てられていく。
成人で製造されたプロメティアは、まだ良い。言葉は悪いが利用価値があるからだ。利用価値があるイコール社会に居場所がある。働くことが出来る。子供のプロメティアはそれが難しい。そしてその「心」だけは成長し、大人になっていく。そういった者の居場所として、この孤児院はあった。
アトリアも、そういった経歴を持つプロメティアだ。製造したのは婚約者と、アトリアの元型となった娘の両親。引き渡し後一ヶ月で不法投棄された。三人はプロメティア保護法違反で逮捕され、二年ほど投獄された。出所後は、普通に暮らしている。
絵本を読み終わり、周囲の少女たちが散った後。アトリアはルクスと老人の方へと歩いていった。老人はいつもの優しい、そしてどこか影のある微笑みを浮かべてアトリアに告げた。
「おめでとう。役所への手続きはこちらでしておくよ」
「ありがとうおじいちゃん」
法律上、人間とプロメティアの婚姻制度は無い。だが夫として、又は妻として迎える者はいる。その場合は人間がプロメティアの「保護者」になるのが通例だ。
「あ、あの。本当に……いいんですか? 先輩」
アトリアはもじもじしながら、俯いたまま話す。ルクスと視線を合わせるのが——怖かった。今先輩はどんな目をしているのだろうか。喜んでいるのだろうか。恥ずかしがっているのだろうか。
アトリアはルクスの目に冷たいものを感じるのが怖かった。きっとあたしは利用されているのだ。——物——だから。人間に嘘をつくのを躊躇う人も、人形には平気で嘘をつくのだ。
それにスパイと結婚の約束をするなんて、あたしは何て馬鹿なんだろうって思う。でも、それでもアトリアはその誘惑に抗えなかった。
——ルクスの相貌は、婚約者のものと瓜二つだったのだ。
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