【二】アトリアという女(其の二)
プロメティア。西暦末期に開発された人造人間の総称である。古めかしくAI人間と呼ぶ者もいる。人体を模した生体部品で構成されて、見た目や腕力や脚力といった性能をあえて人間と同等にすることによって、人間の居住空間で共に活動できる様に設計されている。
実際、幾つかの点を除いて人間との差異は無い。食事は人間と同じものを摂取し、消化し、活動エネルギーを得る。そして何よりも人間と同じ感情「心」を持つ、とされている。
プロメティアの「心」は、「卵」と呼ばれる生成プログラムにある一定以上の情報を投入し演算することによって「生まれる」。投入された情報の量や質によって人格が形成され、個性となる。今のところ全く同じ人格「心」が生成された事例は無い。
この「心」が真に人間と同等のものなのか。という点については今でも研究や議論が続けられている。しかし、そもそも人間の心自体の定義がはっきりと定まっていない以上、答えは出ないだろうとも言われているが……。
事実として、プロメティアは人間と同じ様に感情を持ち、人間と同じ様に交流をし、そして死んでいく。太陽系連合はプロメティア憲章を定め、プロメティアに限定的ではあるが人権を付与した。おおよそ人間であると認めたのだ。以降、プロメティアの社会的進出は進んだ。もちろんその途上でいろいろな問題は発生したが、宇宙歴も二世紀目に入ろうとする現在では人間とプロメティアの婚姻もそう珍しいことでもない。
ルクスも、アトリアと付き合っているといわれて驚いたが、それはあくまで「付き合ったという記憶が無い」事に対してだ。恋愛対象としてはむしろオッケーである。明るく元気で、かわいい。そしてかわいい。常にお弁当を自炊している点も家庭的で高得点だ。こんな子と懇意になっておいて、なぜ自分は二股をかけていたのだろうか。ルクスは自分が分からない。
打ち合わせの後、ルクスとアトリアは別階の社食フロアへと来ていた。丁度お昼時。アディル社の社員は勿論来訪客も無料なので、ありがたく利用する。
社食フロアはどこぞのショッピングモールの様に、多種多様な料理店が並んでいる。有名メーカーのショップも入っている。ここは無料なのだから一つお高いフランス料理でも食べるかとルクスは思ったが、店構えの静謐さに尻込みして結局平凡な中華料理店へと入った。
店の作りは古風だが、やはりそこはアディル社のお膝元である。席に座るとARSリング越しにメニューが自動的に表示された。ルクスはラーメンと半チャーハン。アトリアはエビチャーシュー麺を注文する。メニューが閉じると、目立たない位置に料理提供までの時間がカウントダウンされ、更にテレビのニュース番組が表示される。ルクスはちらりとカウンターの向こうで中華鍋を振るっている店主の顔を見た。バーコードは見当たらない。人間の様だ。店内の客は、まあ半分がプロメティアだった。多い。アディル社は確かにプロメティアの活用に積極的な様だ。
アトリアの目元にあるバーコードの様なタトゥー。それは元々プロメティアの製造情報を示すデータコードだ。転じて、今や見分けが付かない人間とプロメティアの唯一の外見的な差ともなっている。
正直、実用的には不要なものだ。あくまで工場での製造過程上のものであり、社会に出てしまえば身分や身体情報などを保存する電子チップを体内に埋め込んでいる。そもそもバーコードで保存できる情報量などたかが知れている。それは人間でも同様だ。
あれは、人間がプロメティアという新しい人間に対する不信感や不安感の残滓なのだ。これほどまでに隣人となった今でも、バーコードの撤廃は論議されつつも残され続けている。
少し離席していたアトリアが戻ってくる。ルクスはどうしたとは聞かない。アトリアはトイレに行っていた。そう、プロメティアはトイレに行く。トイレには行かないと豪語するアイドルより、よほど人間的だ。
「なんか物騒ですね」
アトリアが麺を啜りながら話掛けてくる。ニュース番組から、空港で爆発物が発見されたとの一報が入ってくる。場所は新オキナワ空港だ。幸い偽物だった。悪戯かなのかテロなのか。
「テロといえばアンチだろ。お前も気をつけろよ」
「うえー。私、アンチ嫌いです」
チャーシューを囓りつつアトリアが眉をひそめる。そりゃそうだろうなとルクスは思う。アンチは反プロメティアだ。アンチに好意的なプロメティアはいないだろう。
「先輩もアンチ嫌いですよね」
「テロリストを好きなヤツは珍しいと思うけどな」
「んー。なんていうか、アンチの話題になると先輩すっごい機嫌悪くなるから、ちょっと意外だなーと思って」
「そうか?」
「そうですよ」
ルクスは平静を装いつつラーメンを片付け、半チャーハンにレンゲを通す。
反太陽系連合組織。通称「アンチ」。古くは世界統合に反対した諸国軍で結成された、由緒正しき組織である(無論皮肉だ)。反統合・反プロメティアを標榜し、テロ行為を繰り返している。ルクスがハイスクールを卒業した年にも、軌道エレベータ「シヴァ」でアースポート爆破事件を起こしている。
ルクスには連中の主張が全く理解出来ない。世界は統合されて、確かにゼロとは言わないが争いは減った。プロメティアだって、人間との差がどれだけあるというのか。目元のバーコードが無ければ、見分けられるヤツはいないと思う。マグロに例えれば、養殖か天然かの違いでしかない。
ルクスはちらりとアトリアを見る。幸せそうに食事をしている。まあ悪くない。アトリアが恋人だとしても、悪くは無い。二股という事実さえなければ。
—— ※ —— ※ ——
赤道直下の日射しは強い。アディル社の本社ビルと道路までの広い空間は公園の様に整備されている。青々とした木々とベンチ。ベンチの上にはガラス状の屋根がついていて、日射しの強さに応じて変色する。今はほぼ黒になっていて、発電と共に直下に日陰を提供している。
そのベンチに座っている人物は、中性的な顔立ちをしていた。ほっそりとした顎。すらりと伸びた足はぴっちりとしたウェアに包まれている。銀髪が肩まで伸びているので、ぱっと見は女性に見える。首には黒いARSリングが鈍く光っている。
——遠く。本社ビルの立派な入口から、アタッシュケースを下げた男女の二人組が出てきた。ルクスとアトリアだった。ベンチに座っている銀髪の君は横目で二人組を確認すると、とんとんと黒いARSリングを叩いた。
「ふぐっ?」
その動作と同時に、銀髪の君の前を歩いていた若い男性が奇妙な声を発した。目元にはバーコード。男性の首に掛けられた銀色のARSリングが不規則に点滅して、しかしそれは銀髪の君のと同期している。
だらりと男性の肩から力が抜けるのりを見届けると、銀髪の君はベンチから立ち上がった。往来の人波に混じってその姿が消えていく。ベンチにはぽつんとセラミックナイフが残されている。その柄を掴んだのは先程の男性だった。彼はナイフを握り締めたままぐるりと周りを見回し、そして怒気に満ちた歯軋りをすると急に駆け出していった。首から自分のARSリングを引き剥がし、男の足が踏み割る。
——女性の悲鳴が上がった。アトリアのものではない。たまたま近くに居た別の女性のものだった。彼女からは、走り込んできた男性がルクスを突き刺した様に見えたのだ。
「……せっ、先輩っ?!」
アトリアの驚く声と、地面にセラミックナイフの切っ先が落ちるのは同時だった。きん、と甲高い音。ルクスは冷静な目で、突き刺してきた男性を見ていた。ナイフは的確に胴体を狙ってきたが、ルクスは右足を上げて防御していた。刺されたズボンの生地が破け、中から金属色の光沢が鈍く光る。機械式の義足だった。
ルクスの動きは速かった。右足が男性の腹部に吸い込まれる。悲鳴を上げる間もなく、男性は地面を飛び転がっていく。十メートルは飛ばされただろうか。そのまま動かない男性の様子を確認してから、ルクスは溜息をついて足を降ろした。アトリアが駆け寄る。
「先輩、大丈夫ですか?!」
「ああ、機械部分で受けたからな」
「よかったー。先輩って格闘技やっていたんですか? すごい反応でしたよ!」
「ん、んー。まあちょっと囓った程度だよ」
誤魔化した。身体が勝手に動いただけで、全く身に覚えが無かった。スポーツぐらいは嗜みはあるが、過去に喧嘩をしたという記録すらおぼろげだ。
(……まったく無意識だったとは言えんな……)
しかしルクスは、今の動きに馴染みは感じていた。長い鍛錬を経て、無意識でも動くまでに身についた所作だった。やはり自身が只者ではないと、ルクスは再認識して一つため息を深くついた。
ルクスはアトリアの歓声に内心焦りながら、しかし状況に気がついた周囲が騒然とし始めて有耶無耶になった。遠くからサイレンの音が近づいてくる。誰かが警察に通報したらしい。救急車もやってきた。ルクスは自社に電話をし、帰社が遅くなることを告げた。
そうして警察署での取り調べが終わる頃には、とっぷりと日が暮れていた。潮の香りが吹き抜けていく。ルクスは背伸びを一回して、ゆっくりと階段を降りていく。やれやれ、とんだ目に合った。
犯人である若い男性はアディル社と契約している清掃会社の従業員だった。ルクスが記憶喪失なので捜査は若干手こずったが、ルクスと男性との間には接点は何も無いことは確認された。男性曰く、ルクスに対し発作的に殺意が湧いたという供述をしているらしい。接点も何も無い人間にどうして殺意を抱くのか。謎である。捜査は続いているが、とりあえず今日のところはルクスは放免となった。
ARSリングから流れるニュースでは、今回の事件の第一報が報じられていた。そして案の定プロメティア危険論が唱えられていた。とある統計によるとプロメティアの犯罪率は上昇傾向にある、工場で製造される彼らの「心」には重大な欠陥があるのではないか? といういつのも論調だ。
少々うんざりする。六年前と同じ事を言っている。とある統計というのなら詳細なデータを出して欲しいし、欠陥があるというのであれば発見して提示して欲しい。少なくとも六年は経っているのだから出来るでしょ。お気持ちはたくさんである。
「先輩ー、やっほー」
警察署の外ではアトリアが待っていた。にこにこと手を振っている。彼女への聴取はとっくに終わっている。彼女にはルクスの代わりに要望書を詰めたアタッシュケースを会社に届けてもらった。はて、ここにアトリアが戻ってくる必要はないはずだが。
「社長が、取り調べ終わったらそのまま直帰していい、だって。タクシー代も出すって」
「そりゃ楽でいいな」
アトリアがARSリングでぴっぴとタクシーを呼び出す。タクシーはすぐに到着した。先にアトリアが乗り込んで行き先を指示する。ルクスが乗り込むと自動ドアが閉じ、ゆっくりと発進する。あれ? なんでオレはアトリアと一緒のタクシーに乗っているんだろう? ちょっとだけそう疑問に思ったルクスだったが、あまりにもアトリアが自然体なのでその疑問を口に出すタイミングを逸してしまった。
タクシーは病院の前を通過しビル街を抜け、住宅地へと入っていった。道路は少しずつ細くなっていく。タクシーは平屋の一戸建てが建ち並ぶ区画に入っていき、その内の一軒の前で止まった。白くこじんまりとした住居。独身から子供の居ない夫婦向けに分譲された物件の様だ。え? ここで降りるの? ルクスはアトリアに急かされてタクシーを降りた。
「なんでここで降りたの?」
「はあ、まあそう言われると思いました。でもいいんです」
アトリアはルクスに電子錠を渡すように促した。ルクスが電子錠を渡すと、アトリアはその電子錠で住宅のドアに触れた。がちゃり。なぜか解錠される。え? なんで? どうしてオレの電子錠でこの家の鍵が開くの? そしてルクスは気がつく。この住宅の表札に「エレクトラ」と刻まれていることに。
アトリア・エレクトラ。エレクトラはアトリアの名字だ。
「これで信じてくれますか? 私が恋人だってこと」
うふふっと笑顔を浮かべるアトリア。ルクスの電子錠に、アトリアの家の鍵が登録されている。それが一体何を意味するのか。それが分からないほどルクスは初心ではない。ルクスは呪詛の言葉を心の中で吐いた。過去の自分に対して。こんな可愛くて良い子と、そんなことをしていたのか。その上で二股をしていたのか。分からない。ルクスには本当に自分が分からない。
——つまり、どうやらルクスはアトリアと同棲するほどの深い仲だったらしい。
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