【一】ルクスという男(其の二)


 ルクバート・フルド。愛称はルクス。人間、男性、二十四歳。血液型B型。両親とは死別。兄弟は無し。


 北アメリカ州ニューロスアンゼルス生まれ。十八歳で地元のハイスクールを卒業後、南アジア州でダイビングインストラクター、南ヨーロッパ州で登山ガイド、北アフリカ州で観光ガイドなど職を転々とする。


 昨年、新オキナワ市にて極星インダストリーの営業部に入社。社内での人物評価は、やればできる男、運動神経はいい、社交的、時々ふらっといなくなる、女好き、二股なんてヒドいです先輩、最低ね貴方、等。


 ルクスは溜息をついた。なるほどなるほど。ざっくり言うと、ハイスクールを卒業してからの記憶が無い。六年強、時代がすっ飛ばされた感覚だ。例えば、今ルクスが見ている「情報」。空中にづらづらと文字や映像が流れているが、実際に空中に投影されているものでは無い。ルクスだけに見えている。


 「Ring of Augmented Reality with Senses」略してARSリング。所謂「五感」を備えた拡張現実を提供するシステムである。首に装着されたリングが脊椎神経を経由して、ルクスの肉眼での視界に文字や映像を重ね合わせているのだ。


 ルクスがハイスクールを卒業した時は、個人向けの情報端末といえばスマートフォンがまだ主流だった。今はもう化石らしい。時代の流れは速い。思わず遠い目をしてしまう。


 それだけでも大変なのに、記憶喪失がセットになっていると来たもんだ。医師によれば、記憶障害は一時的なもので通常は時間と共に回復するが、必ず回復するとは限らないとの話だった。ですよねー。ドラマではよくある設定だが、まさか自分がなるとは思わなかった。


 目の前の鏡には若々しい男の顔が写っている。どこか違和感を感じる。オレってこんな顔していたか? いや今の記憶に残っているのは若々しいというより、生意気でまだ子供っぽい顔だ。歳を取れば、こうも変わってしまうのだろう。


 さてどうしたものか。ルクスは不安だったが、一つ良いこともあった。ルクスが現在勤めているという極星インダストリーの社長さんは、とても社員思いの聖人の様な方だということだ。事故に遭って以降、入院の手続きから身元の保証、治療費の支払いまでやってくれている。天涯孤独の身としては大変有り難い。顔は思い出せないけど。


 そして退院日である今日も、秘書を出迎えに寄越してくれた。少し赤みがかった茶髪のストレートが美しい、縁なしの丸眼鏡を掛けた女性。目元にはバーコード。名前をマイアといった。ルクスはちょっと緊張した。結構ストライクゾーンに近い。まさか三股ということはあるまいな? と疑うぐらいには自分に対する信頼を失っていた。


 だがマイアは淡々と事務的に「これから社に向かいます。よろしいですね?」とルクスに告げる。そこに異性としての視線は無い。良かった、さすがに三股という暴挙はしていなかった様だ。




  —— ※ —— ※ ——




 軌道エレベータ。宇宙エレベータと呼ぶ人もいる。惑星上から宇宙空間までを繋ぐ長い長いエレベータのことだ。エレベータというが、見た目は垂直に設置されたロープウェイといった方が近い。宇宙空間から地表まで降ろされたケーブルを伝って、縦に積まれたユニット群が往来する。


 ちなみに片道で一週間ほどかかる。ロケットでの打ち上げであれば数分で宇宙空間に到達するので、時間は随分とかかる。だが軌道エレベータには大量の物資を安定的に低コストで輸送できるという絶大なメリットがある。そういう意味では役割的には鉄道に近い。


 軌道エレベータのお陰で、人類の宇宙進出は格段に進んだ。宇宙歴は国際連合が統一政府として承認された年を記念して制定されたものであるが、同時に一基目の軌道エレベータが稼働したことを記念してのものでもあるのだ。



 ——宇宙歴百年七月二十九日。



 その記念すべき年に、ルクスはめでたく病院を退院した。照りつける太陽が地面を茹だらせる。見上げれば、キラキラと太陽光を反射させる複数のケーブルが見える。軌道エレベータはその特性上、赤道付近に設置される。この新オキナワ市も軌道エレベータ「アマテラス」の基部島として、赤道近くの太平洋上に建造された人工島である。


 マイアに先導され、ルクスは病院の外まで出た。ルクスの首にはARSリングが装着されている。外の景色に重なる様に、文字や画像が表示されている。日時や気温といった情報から、ふと近くの自販機に視線を走らせればドリンクのリストと購入の可否を求めるステータスが表示される。


「タクシーを呼びました。五分で到着します」


 マイアがそう告げる。彼女の首にもARSリングがある。恐らくはARSリングを操作してタクシーを呼んだのだろう。基本ARSリングの操作は視線だ。ルクスも試しに視線を動かす。


『何かご用ですか?』


 視界の隅に待機していたアバターが視界の中央にやってくる。世界最大のコンピュータ「ラグランジュ5」が提供する人工知能アバターだ。愛称はドラゴン君。なるほど、西洋と東洋の竜をごっちゃ混ぜにした様なデザインだ。


「涼しくしてくれ」

『かしこまりましたー』


 ドラゴン君が冷蔵庫を模したアプリを起動させる。するとすぐにすうっと涼しい感覚が全身を包み込む。ARSリングが五感にアクセスして、ルクスに冷気を感じさせたのだ。


「おおー」


 思わず声を出すルクス。こういった五感干渉機能を体験するのは初めてでは無い。ARS技術そのものは西暦末期から存在していた。だがルクスの記憶のある六年前でも、その機能を提供する機械は病院で体内をスキャンするMRI装置ぐらいの大きさがあった。これだけコンパクトなのは驚異的だ。


 そうやって束の間、仮想的な冷気で癒やされている間にタクシーがやってきた。マイアに続いてルクスは急いで中へと入り込む。車内は本物の冷気でよく冷えていた。タクシーに運転手は乗っていない。自動運転アプリが視界越しに行き先の指示を求めてきたので、マイアが会社の住所を指示した。モーター音が響き、ゆっくりとタクシーが動き出す。


 新オキナワ市は軌道エレベータを中心にして放射状に広がる人工島である。道路や鉄道といった交通網は中心から外へ、そして環状に設置されている。それに区切られる様に街の区画は扇状が基本である。タクシーは交差点を曲がり、片側三車線の大通りを軌道エレベータを背にして走っていく。病院のある区画には公園が併設されていて緑が多い。その区画を過ぎると建物の高さが高くなり、ビル街といった雰囲気になってくる。


 この辺りは新オキナワ市の建造初期に分譲された地区だ。同じ様なデザインのビルが同じ様な高さで続いているのは、その頃に建てられた名残である。時折、高さの違う全面ガラス張りのビルが見受けられるが、それは再開発された新築のビルだ。


 新オキナワ市の建築物は宇宙コロニーと同様のコンセプトで作られたので、内装だけをリプレースして外装に関しては二百年は保つ仕様が基本である。しかし、そうはいってもやはり新しいものが欲しくなるのが人の性なのであろうか。この辺りでも古いビルを取り壊している工事現場は増えている。景気の良いところはどんどんと新しいものへと変わっていくのだなあと、ルクスはぼんやりと眺めている。


 ルクスたちを乗せたタクシーが到着したのは、その中でも最も古そうなビルの前だった。風格があるという理由で看板が当時のまま。「極星インダストリー」。ここがルクスが今勤めている会社、らしい。


 ビルへと入る。受付は無く、エレベータと階段へと続く扉があるだけ。ルクスの視界の端で認証アプリが動作している。たぶんセキュリティで部外者にはエレベータも扉も使用出来ない仕組みになっているのだろう。認証アプリからOKサインが出ると、上層階にあったエレベータが一階へと動き始める。どうやらルクスは社員として認識された様だ。


 マイアと共にエレベータで最上階へと向かう。説明によると最上階の五階は社長室だ。時間は丁度十二時。まだ社長はいるだろうか?


「おお、ルクバートくん。怪我はもう大丈夫かね?」

「はい。いろいろとご迷惑をお掛けしました」


 ルクスが頭を下げると、白髪の男性がほっとした表情を浮かべた。綺麗に切り揃えられた髭と少し高めの背丈。灰色のスーツ、そして首にはARSリング。ダンディという単語がよく似合うその初老の男性が、極星インダストリーの社長であるシェアトであった。


 彼はルクスに近づくと、うんうんと頷きながらぽんと背中を叩いた。心なしか距離が近い。ちょっと距離を取りたいが、はてどうしたものか。


「ああ、すまない。記憶が無いんだったね。ちょっと馴れ馴れしかったかな?」

「いえ、大丈夫です。色々とご迷惑をおかけしました」


 ルクスの戸惑いを察したのか、シェアトは一歩距離を取った。なるほど、さすがに一国一城の主とあってその辺りの気遣いは手慣れたものだ。事故や入院に関してもシェラトには随分世話になっている。ルクスは感謝の言葉を改めて述べると、にっこりと笑顔を見せた。


「もうお昼か。折角だ、快気祝いにちょっと良い店に昼食を食べに行こうか」

「いいんですか? ありがとうございます」


 ルクスの声がちょっと高くなる。小規模ながらも社長の奢りである。「ちょっと」が「ちょっと」でないことに期待が高まる


「その前に、ちょっとだけ待ってくれるかな。——マイアくん」


 社長は机の上に置かれたタブレット端末を弄りながら、秘書の名を呼んだ。彼女はずっとルクスの後ろに控えていた。すっと前に歩み出る。


「お呼びでしょうか?」

「うむ、そろそろ食事へ行こう。……その前に聞きたいことがあるのだが」


 社長はタブレット端末に指を滑らせる。ぴぴっと電子音がした。タブレットからでは無い。マイアの首元、ARSリングからだ。リングの一部分が点滅し、細い肩が少し震える。


「昨日はどうしていたかね?」

「……はい? 社長と一緒にアラハビーチへ行きましたが、それが何か?」

「よろしい。……すまない待たせたね。ではいこうか、ルクバートくん」


 社長は満足げな笑みを浮かべてタブレット端末を机の上に置いた。ゆっくりとドアの方へと向かう。マイアが続く。そしてルクスは社長のご相伴にあずかり、回らない寿司を腹一杯食べたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る