第2章
目的地は梅田駅の高層ビル群から少し外れた一角にあった。外観はガラス張りで綺麗だ。少し早く着いたため一階で時間を潰すと、学生らしき人物が数名出入りしていた。
「多分、グリーンエネルギー研究所の社員かバイトですね」
「社員にはみえないけど」
「学生ベンチャーだから社員と兼業していてもおかしくないですよ」
松原はいまだ知らない学生ベンチャー企業に戸惑いながら、どんな人物が代表を務めているのか興味を持たせるようにした。このビルに拠点を置くぐらいだから、相当のやり手かもしれない。
約束の時間まで三分残したところで、二人はエレベータへ向かった。
「ステラグロウトイズの方ですか? お待ちしておりました」
エレベータを降り、該当するフロアまで進んだところに男性が既に立っていた。値が張りそうなスーツに、スポーツ刈りの髪型。ホームページにも出ていた社長の平田だ。秘書などを従わせず、一人で待ち構えていたらしい。
二人はその場で軽く自己紹介をした後、会議室の一室へ通された。
「この度は東京からご足労していただきありがとうございます」
低く通る声で平田が切り出した。
「でも、ヘルプデスクと情シスが来るのは意外でした。アポの連絡がきたとき、なぜ管理部門がって思いましたよ」
「それには事情があってお伺いしました」
阿部も負けじと返答する。
「先月の二十五日にグリーンエネルギー研究所宛へハイスペックのノートパソコンが二台届いていると思いますが、その件についてちょっと」
「あぁ、あのパソコン、使い勝手がよくていい奴を貸してい頂いたと思いましたよ。ドロップボックスがダメと聞いたときは困ってしまったので」
「そのうちの一台がフリマサイトで売買されていたんです。何か思い当たる節はありませんか」
「なんとまあ、そんな事情で伺ったんですね。当然そんなことしませんよ」
「では本当に二台あるか、実際に見せていただけませんか?」
あれこれ質問を変えても、機密情報を盾に案内できないと一点張りだ。
阿部が困っているようなので、松原はプロジェクタを拝借して一枚のスライドを表示させた。
「九月二十四日に発送したパソコンが翌二十五日にはそちらへ到着しているのは確認済みです。そして、押収したパソコンとこちらのログ解析ソフトから、二十五日の深夜に初期化を実施しています。次に起動したのが二十七日に初期アカウントで、ってなると不自然だと思いませんか?」
阿部が気づいたように続けた。
「こちらへパソコンの到着と動作確認の連絡が入ったのは二十六日の午前。二十五日に届いた時間が夕方で多忙で遅くなったのならまだしも、初期化して
平田はそんなことはない、という表情を滲ませている。
「そんなの、勝手に誰かやったんじゃないですか」
「もし勝手にやったとしても、責任者が気づくはずですよ。IT責任者は誰です?」
松原の問いに対しては、平田は首を横に振るだけだった。
静まり返った会議室で諦めかけたその時、ドアをノックする音が響いた。平田は入室するように促すと、ドアの隙間から学生らしき男性が顔を出した。二人に気づくとその場で会釈し、平田のもとへ駆け込んだ。
……俺の、USBメモリ……
ひそひそ話程度だったが、阿部はすかさず聞き逃さなかった。男性が会議室を後にすると、阿部は松原と平田に微笑みかけながら訊ねた。
「ごめんなさい。お手洗いお借りしてもいいですか?」
「あ、部屋を出て突き当り右手側にあります」
「では、失礼」
そう言い残すと、阿部は会議室を出て同じ方面へ歩いて去った男性の行方を追うことにした。
お手洗いのある場所の手前を左へ曲がったところに作業フロアが広がっていた。手前側に先ほどの男性がいることを確認すると、声をかけて廊下へ呼び出した。
「ごめんなさい、仕事中に呼び出してしまって」
男性は何のことだかわからない様子だ。
「先ほど、平田社長にUSBメモリって話されていましたね? その件でお話ししたいんですが」
「あ、あれですね。実はUSBメモリを社長がなかなか返してもらえなくて、急ぎだったから会議中に伺ったんです」
「そうなんですね」
ふと、阿部は何かに気づいた。
「もしかして、
男性ははっとした様子になった。
「そのデータには、何が入っているかお答えしていただけませんか」
「普段はレポートや講義資料を入れてますが、さんさんくんのデータも入れています。間に合わない時は家で作業しているんです」
やはりそうか。阿部の勘は間違えていなかったようだ。その後、二三点ほど質問を行い、改めて男性を見つめると耳元で囁いた。
「ありがとう、このことはくれぐれも内密に」
男性は何が起きたかわからないまま、自信ありげに去っていく阿部の後姿をただ見送った。
阿部が会議室へ戻ると、手元のメモに先ほどのやりとりを簡単に記し、松原に見せた。松原は少し驚いた様子だったが、阿部に一任すると耳打ちした。
「先ほど、男子学生との会話で『USBメモリ』と聞こえましたが、業務で使っているのでしょうか」
平田は何のことかと驚いた顔になった。徐々にいらだちを募らせて言い放った。
「普通にデータ用として使っていますけど何か?」
「それが今回の件と関係があるのです」
「そんなの関係ないでしょうが」
「先ほどの男性、私物のUSBメモリを使っていると仰っていました。もしかして、
「そんなの当たり前でしょう。業務連絡を私物のスマホでラインするとかあるでしょう」
「確かに弊社でもラインで業務連絡はやります。しかし、先ほどの男子学生は、
今度は松原が驚いた。備品を買ってもらえないから、私物のデバイスを使う。私物のパソコンやスマホを備品代わりに使う、いわゆる
今度は松原が行動に打って出た。
「平田社長。今、お手元にUSBメモリかSDカード類ってありますか?」
平田は胸元のポケットからスマートフォンを取り出し、おもむろに中にあるmicroSDXCカードを抜きだした。これで宜しければと差し出すと、松原は自分のノートパソコンをみせびらかせた。
「私が今持っているパソコン、何の
二人に見せびらかした後、突然、平田のmicroSDXCカードを自らのノートパソコンに挿入した。阿部が驚くと同時にビープ音と画面に警告文が表示された。
「このように許可されていないデバイスを挿入すると、警告が出るんです。もちろん、デバイスは使えない。阿部さん、ちょっと資産管理ソフトを立ち上げてもらえないかな?」
阿部は促されるようにソフトの管理画面を立ち上げた。松原はちょっと拝借と言ってノートパソコンを自分の元へ寄せると、何やら操作した。
「実はこのパソコン、資産管理ソフトが入っていて、ログを常時取っているんです。管理画面から操作すると、どのパソコンにいつ未許可のデバイスを挿入したか全て見られるんです」
そう言うと、今度は阿部の画面をプロジェクタに表示させた。そこには一台のパソコンのログが表示されており、数分前に未許可の記録媒体が接続されていることが確認取れた。資産管理ソフトが、こういう場面で活かされているんだと改めて阿部は感心した。
「確かにUSBメモリを業務に使うこともありますよ。でも当社はセキュリティリスクの観点から許可しないと使えない。ドロップボックス申請を取り下げたのも、使用されているアカウントでは常時監視の非対象だったからです」
「そ、そんなことで……」
平田はあんぐりとしてしまった。
「それでも、ノートパソコンの紛失とは関係ないじゃないですか」
「それは関係あると思います」
阿部が助け舟を出した。
「もしなんかの費用として捻出するために一台を転売したとなれば、
「だから、私はなにもしてない、って言っていますよ」
「では、なぜ貸与したノートパソコンがうちにあるのですか。弊社が貸与したという証拠、マザーボード上に、リース会社のシールとこちらで記録していた資産番号が一致してたんですよ? そのノートパソコンは、おたくの会社へ貸与したのと一致しているんです」
「そ、そんな馬鹿な……ばれないと思ったのに……」
阿部と松原はお互い見つめあった。まさか、本当に私物化した上に転売したとは思ってもいなかったからだ。しかも今話題の学生ベンチャー企業で。
「具体的に事情をお聞かせ願いますか?」
阿部は興奮気味の平田を落ち着かせるよう、冷静さを保ったまま訊ねた。
「確かにあのパソコン、現金化したらどんなに高くつくのか思ってしまって……学生アルバイトへ指示してやって貰いました」
「でも弊社で貸与したパソコンはこちらの備品であり資産です。そのことはお分かりですよね?」
平田の弁明ではこうだ。中小企業だから一台がどうなっても構わない。代わりに安い同型のモデルを中古で購入し、キッティング後に現在使っている一台とともに返却する予定だった。売上金は自分のポケットマネーにする予定で、アルバイトには罪がない、とも。どうやら社内管理体制も創業当時のままで、IT責任者もたてていないようだ。
阿部と松原は聞いて呆れた顔になった。特に松原に至っては怒りもあらわにしている。
「中小企業であろうと、ステラグロウグループの子会社である以上、J-SOX法に基づきIT統制や監査が必ず立ち入ります。取引する際にもセキュリティシートを求められたら回答しなければならない。経営者ならそのこと、ご存じですよね?」
ログを保存したり、アクセス権限を細かく付与したりするのもJ-SOX法で定められているから。松原は阿部と平田に付け加えるように発言した。
平田はうなだれたままだ。阿部が続けた。
「あなたは犯罪に手を染めているんですよ?」
その後、届いたパソコンは買取品であること、各種ソフトウェアのライセンス料や違約金などを見積もっても結構な額になるはず、ということも付け加えた。細かく考えるのは面倒なので、計算は小田原や部長にお願いするとして、自分たちの用事は終わったと確信した。
ひと悶着を終えた後、二人はグリーンエネルギー研究所を後にした。
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