第1話 脱!ニート

 俺、庵野雲志童あんのうんしどうは、爺さんの代から続く飲食チェーン店を経営する家の次男として、それなりの人生を送ってきた。

 幼稚園でお受験をし、そのまま大学までエスカレーター式に進級。

小中高と一貫性の学校では、成績は上の中、スポーツは持ち前の運動神経で苦労することはなかった。そうやって俺は、学生としての青春はそれなりに楽しんだ・・・つもりだ。

 そんな俺のモットーは!!!

『人生そこそこであれば良し!』

 金にも困ることなく、比較的裕福に生きてきた俺の人生を、「どこが、そこそこだーっ」という奴もいるが、俺からしたらこれまで、十分そこそこに生きてきたつもりだ。

だからこれからも、こんな感じでそこそこで生きていければ良し!

「そこそこ」こそが大事なのだ!

 特に良いこともないが、その代わり悪いこともない。俺が最もベストとする環境だ。

 取り分けて世界の大富豪にもならないが、金に困ることもない。今日を平穏無事に生きて、明日もまた同じような1日を過ごす。

 素晴らしいじゃないか!

それなのに・・・・

 そんな俺の“そこそこライフ”は、無常なまでに突然に終わりを告げたのだ。

大学を卒業して、入社したIT会社では連日、残業の日々。

 毎日終電ギリギリに帰る生活。

 たまに仕事が早く終われば、上司や同僚に飲みに誘われ、半強制的に連行された挙句、飲みたくもない奴らと、安い酒を飲み、上司の顔色をうかがう。こんなに体力と気力を消耗しても、給料は安くて、有給休暇は形ばかりな上に、入社当初の最初の半年は無条件で有給申請却下ときた!

 こんな生活は俺が望んだ“そこそこライフ”とは、全くもって程遠い!

 そもそも、日本人は確実に働きすぎなのである。

 だから俺はそんな日々から脱した。

 そう、脱してやったのだ!

 同期の奴らが必死になって残業をこなし、上司のつまらない親父ジョークに声を上げて笑い、栄養ドリンクを飲みながら酒を飲むのを横目に、俺は残業を断り、毎日定時に帰った。

 酒の付き合いも全て断り、出世にも興味がないと堂々と宣言をしてやった。

 そう!俺はNO!と言える日本人なのだ!

 結果・・・・俺は、半年で会社を辞めることになった。

 それから、何度か転職するもどこの会社もそう変わらない。

 どうやら、日本の企業形態は、俺のライフスタイルには合わないようだ。

 俺にはさっぱり、理解ができない。

 だって、おかしいだろ? なぜ日本人は大型の台風が来るのがわかっているのに、なにがなんでも会社に行こうとするのか?

 午後から大雪で交通機関がストップするとわかっていて、なぜ仕事を切り上げて帰らない?

 このIT時代に、判子ひとつを貰うことにひたすら拘るのか?

 俺には全く、理解ができない。と、いうわけで、人生をそこそこに歩んできた俺は、22歳にしてニートになった。

「おい、人の話、聞いてるか? 志童」

 会員制のバーカウンターで、腐れ縁の甲斐かいみことは今日もまた小姑のように、俺の”そこそこの人生“について熱心に抗議の声をあげていた。

「あ~はいはい。聞いてますよ?」

 銀座の一等地にある会員制のこの店【SUGAR】は、尊の行きつけの店だ。

 店内の照明はやや暗めに落とされ、落ち着いた雰囲気で流れるジャズのピアノの生演奏が耳に心地よい大人の社交場というにふさわしい店である。

 確かに、居心地はいい!が、尊と一緒じゃなきゃまず来ない。と、いうより来れない。

「だからさぁ、志童。お前も人生そこそこなんて言ってねぇでさぁ、家業に入る覚悟したらどうだ?別に、拒否られてる訳じゃないんだろ?」

「まぁなぁ~。けど、俺があの兄貴や姉貴と一緒に仕事ができると思うか?」

「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ」

「どういう訳かうちの家族はみんな、立ち止まったら死ぬ勢いで仕事ばっかしてるだろぉ?ありゃマグロだね。マ・グ・ロ。そんな中に入ってみろ、俺のそこそこライフはどうなると思う」

「いや、今のお前、”そこそこ”どころか、どん底なんだけど」

「はっきり言うなよ~」

 俺はコロナビールを片手に、カウンターに突っ伏した。

「なぁ、ちゃんと考えてみろよ。家業に入ること」

「ないっ!絶対にない!みことぉ~お前だってわかるだろぉ?」

 突っ伏した顔を少し傾けゆっくりと隣に視線を向けると、苦笑いの尊がいる。

「あの真面目に手足を付けて動いているような兄貴と、異動式サンバカーニバル状態の騒がしい姉貴!あの二人と一緒に仕事なんてしてみろっ。俺なんか3日で死ぬ自信あるわぁ~。あぁぜってぇ、死ぬ、ってか殺されるぅ~」

 俺の兄貴と姉貴は、親父が社長をする大手飲食チェーンの専務と常務として日々忙しくしている。

 親父の口癖は、俺たちが子供の頃かずっと同じで「父さんの夢は、お前たちが三人で仲良く会社を引き継いでくれることだ!」であったが、俺はまっぴらごめんだ。

 そんな親父は今でも俺を見るたびに「お前も一緒に・・・」と誘ってくるもんだから、最近は実家にも顔さえをだしていない。

 尊は苦笑いを浮かべ、手にしたウイスキーに口をつけた。

 カランと中の氷が解けて転がる効果音が恨めしい程に、尊を自立した男に魅せる。

「尊、お前はさぁ、なんだかんだ昔から要領もよくてよぉ~。ちゃぁんと、親  父さんの会社の2世してんもんなぁ。でもなっ!俺には む ・ り ・ だっ !お前が簡単にできることを、世間の誰もができると思うなよ!」

「なんだよ、絡み酒かぁ~?」

 カウンターにだらしなく凭(もた)れる俺を、尊は頬杖をついて涼しい顔で笑ってみている。

「なぁ、志童」

 尊の声が心なしか低くなる。

「それならさ・・・・お前が社長になれば?」

「・・・・・・・は?」

 想定外すぎるの尊の言葉に、俺の思考も動作も、多分時間さえも全てが一瞬止まった。

「いや、尊・・・それ言う相手、間違えてね?」

「まぁ、聞けよ」

「聞く意味・・・・あるか?」

 目を眇めて不信感をあらわにした俺を見て、尊は口を閉じたまま口角を左右に伸ばしニタリと悪い笑みを見せた。

 ゾクりと、俺の背中に嫌な汗が流れる。

 俺は知っている・・・・。

 尊がこの顔をしたときは、絶対よからぬことを考えている時だ。子供の頃からそうだ。尊は俺たちのいわゆる策士だった。そうして尊の企てた計画は、悪戯にしろ、脱走にしろ、すべてがうまくいった。

 そんな時、尊は必ずこの悪い笑みを浮かべていたんだ。

 今まさに、俺の目の前で尊はその笑みを漏らしている。

「俺の叔父さんがこの近くに小さなビルを持ってるんだけど、どういうわけかそこに入ったテナントがことごとく、長続きしない」

「えっ、なんで?この近くなら銀座の一等地だろ?人通りがないってこともないだろ?」

 尊はゆっくり頷いて、手にしたウイスキーグラスを軽く回してから一口、口に含んだ。

 どうでもいいが、こうしたさりげない動作までもが様になっている。

 子供の頃から一緒にいるが、俺と尊は一体いつ、こんなにも大きく道を違えたのだろうか。正直腹が立つ。

 背後のボックス席では、女同士で来ている客がさっきから尊をチラ見しては何やら話している。

 大方、どうやってこの男に声をかけようかの算段だろう。まぁ、この男が、女にモテないわけがないんだけど。

「おい、聞いてるか?」

「えっ」

 気付けば、すぐ目の前に尊の顔が迫ってきている。

「うわっ、きっ、聞いてるよ。叔父さんのビルだろ?人が居つかないっていう。まぁ、家賃でも下げりゃぁ入るんんじゃねぇの?」

「ばぁか、そんなことはとっくの昔に試したよ」

「下げても、ダメなのか?」

「そうだ。入ったテナントは悉く3か月と持たずに出て行っちまうらしんだよ。それでだ、誰かそこに事務所でも構えて様子を見てほしいってことなんだよ。・・・・で、だ」

尊がにやりと笑う。

「お前とりあえず、なんか適当な会社立ち上げてそこのビルに入るってのはどうだ?」

「はぁ?なんで俺がぁ~」

「だって、お前、暇だろ?」

「うっ・・・・・ひっ暇じゃねぇよ・・・・」

「ちなみに・・・・家賃はいらねぇし、依頼料も払うってよ」

「え?」

 俺は、程よく酔った頭をフル回転させ、全力で整理して考える。

「尊・・・つまり・・・銀座の一等地で家賃もなしに住めるわけかっ?」

「いや、住むってお前・・・まぁ、住んでもいいけどさ。ちなみに、家賃がないんじゃなくて、いるだけで報酬が入る。ってことだ」

 尊はピシッと人差し指を立てて、言い切った。

 流石付き合いが長いだけあって、俺の心の隙間にスルリと入り込むのが上手い。

「なんだよ、それ。最高に美味しい話じゃねぇか~。俺ぁてっきりよ、またお前にはめられるのかと思ったぜ!やっぱり、持つべきものは友達だよなぁ~」

「いや、俺がいつお前をはめたよっ、人聞きの悪いこというなよ」

「まぁまぁ、とにかくだ。尊っ、お前ってやっぱいい奴だよなぁ」

 俺は尊の肩に腕を回し、一方的に尊の持っているウイスキーグラスにコロナの瓶を軽く当てて乾杯をした。中で揺れるライムさえもが俺を祝福しているように見える。

「ところでさ、志童。お前、大学の時、変な論文書いてたよな?たしか・・・時代の流れと妖怪の関係がどうとか・・・」

「え?あ~、そんなの書いたなぁ。んなこと、よく覚えてるなぁ。それがどうしたか?」

「それだよ」

「どれだよ?」

 尊の言わんとすることがわからず、俺はぽかんとして、尊を見た。

「お前が立ち上げる会社だけどさ、妖怪に関する相談ごとを受ける会社ってのは、どうだ?」

「・・・・・はぁ~?尊・・・お前、ダイジョブか?」

 尊の額に手を当てたが、それはすぐに振り払われた。

「俺は本気で言ってんだ!」

「ぁあ~そぉ~」

 俺の100倍現実を堅実に生きている尊から『妖怪』という言葉がでるはずがない。やっぱり俺をからかっていたのかもしれない。

「やめた。俺、やらねぇ」

 ぷいと、顔をそむけ尊に背中を向けると、尊は俺の椅子をくるりと回した。強制的に尊と向き合う形になる。

「なんでだよっ!こんな美味しい話そうそうないぞ?それともなに?お前、ずっとニートのままでいるつもりか?」

「そういうわけじゃないけどさぁ。だってさ尊、お前・・・絶対なんか企んでるんだろ。おかしいもんな。超現実的なお前の口から、妖怪とかさ。うん、有り得ねぇ。ぜってぇないわ」

「別に、なんも企んでなんかねぇよ。大体よく考えてもみろ?例えば、便利屋みたいことやって注文がどんどん来たらどぉすんだ?いいのか?志童、お前忙しくなるぞ?」

 俺は尊の言葉を頭の中でイメージしてみた。確かに尊の言うことも一理ある。いるだけで報酬が貰える環境がそこにあるのに、わざわざ客が押し寄せるような商売をする必要はないのだ。

「妖怪相談所なら、まず客なんてこないだろ?実質、お前はいるだけでいい。それだけで報酬が手に入るわけだ。な、やるだろ?」

「まぁ・・・確かに・・・・・」

「よし、じゃあやるな?」

「うーん・・・・いいけど・・・・」

「よし、決まりだ」

 こうして図らずも俺は、銀座の一等地に事務所を構え『妖怪相談所』を開くことになったのだ。

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