第5話
「失礼します」
ホームルームが終わり下校の時間になると、うちの教室に静さんが顔を出した。
「羽賀ちゃんごめんね、里崎さんはいらっしゃるかな?」
「ぴゃっ!!??!」
静さんが一番近くの席に座っている女子生徒ににこやかな表情で声をかけると、その女生徒は鳴き声のような悲鳴を押し殺して応じた。
「あ、あちらに……」
「ありがとう」
口にするのがやっとといった風で羽賀さんというらしい女子生徒が僕の方を指し示すと、静さんは羽賀さんに礼を言ってこちらに向かってくる。羽賀さんはそこで限界が来たようで席から崩れ落ちそうになったのを周囲のクラスメイト達が慌てて助け起こしていた。
「お待たせしました、義人さん」
背後で救護されている羽賀さんや、ほぼすべてのクラスメイト達に注目されている状況を気がついていないのか気にしていないのか、まったくいつも通りな様子の静さんに僕はつい苦笑してしまった。
「全然待ってないよ。静さんこそ早かったね」
「ええ、ホームルームが終わったらすぐにこちらに向かいましたので」
「そ、そう?ほら、新しいクラスメイトと親睦を深めたりとかさ」
「クラスメイトの大半は中学から同じ学年で過ごしてきましたから今さらですよ」
そうかなあ。
うちのクラスの人たちが同情するような表情を浮かべていたり天を仰いだりしているところを見ると、そんなことなさそうなんだけれども……。
「むしろ義人さんの方はよろしいのですか?もしこの後ご用事があるのでしたら、私は待機しておりますが」
用事はないし、あったとしてもわざわざ待っている必要はない。
僕がそう答えようとする前に、周囲から声が上がった。
「全然用事なんてないですよ!……あ、いや、特にクラス懇親会とかは開かないんで、そっちの心配はないです!」
「一ノ瀬先輩を待たせて駄弁るなんて失礼なことしないっすよ!僕達のことは気にしないでさっさと連れ出しちゃってください!」
「里崎君も放課後は特に予定ないって言ってたわよね!ねっ!?」
斜め前の席に座る女子生徒のてめえわかってんだろうなと言わんばかりの視線に、僕は顔を引きつらせてがくがくと首を縦に振った。
別に最初から静さんと一緒にさっさと帰るつもりだったので良いんだけれど、なんか納得のいかない流れである。皆が怖いからなにも言えないけれど。
そんな僕に隣に立っていた男子生徒が話かけてくる。
「せっかくだからどっか遊びにでもと思ったんだが、お迎えが来ちゃあ仕方ねえな。また今度遊ぼうぜ」
その眼鏡をかけた目つきの悪い男子生徒に、僕はぎこちなくも笑みを浮かべて応じた。
「う、うん。また今度ね、郡山君」
「おう、それじゃあな」
ひらひらと手を振りながら浮かべた郡山君の笑みには裏がありそうな雰囲気マシマシなのだが、僕は気がつかなかったことにして席を立った。
「クラスメイトの方々とは仲良くなれたみたいですね。安心しました」
静さんと連れだって廊下に出ると静さんが嬉しそうに話しかけてくるので、僕は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「まあ、なんとかね……」
本当は朝一から学園の敵とまで言われて仲良くするどころか身の危険すら感じるような状況だったのだが、とても静さんには言えなかった。廊下に出てくるまでの間もクラスメイト達の刺すような視線をざくざく背中に受けていたし。
まったく朝からとんでもない展開だったが、そんな危機的状況から逃れられたのも朝一番で僕を学園の敵認定してくれた男子生徒──郡山君のお陰かと思うとなんだか理不尽な感じがするのだけれども。
*
「ぼ、僕が静さんのご主人様だからってなんで……いや、そもそも別に僕は静さんの主人ってわけじゃ」
僕の抗弁に郡山君は肩を竦める。
「実際その通りなんだからしょうがないだろう?それに、この場合里崎の認識は関係ない。俺たち青嵐学園の生徒が勝手にそう思っているだけなんだからな。お前さんにとっちゃあお気の毒な話だが」
「だからなんでそんな風になるのさ!」
全然そんなことを思っちゃいなさそうな郡山君の口ぶりに、僕は思わず声を荒げてしまう。誰だって初対面の相手に敵扱いをされたらそうもなるだろう。
「聞きたいか?」
クラス中の視線に晒されて余裕のない僕に対して、郡山君は悠然としていて憎たらしいほどの余裕っぷりだ。
僕が必死に頷くと、彼はにやりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ま、こっちが一方的に敵呼ばわりするのもお前からすりゃあ理不尽だわな。いいぜ、この際だから説明してやるよ。一から丁寧にな」
いちいち言い方が上から目線なのが引っかかるが、現状を知る術が他にない僕は堪えて彼の話を聞くしかない。
「と言っても、そんなに難しい話でもねえんだけどな。端的に言っちまえば、一ノ瀬先輩はこの学園のアイドルなのさ」
「……アイドル?」
予想外の言葉に思わず聞き返してしまった。
というか一からの丁寧な説明はどこに……?
「その辺は人によって諸説あるけどな。学園の有名人程度に認識してるやつもいれば憧れの先輩だと思っているやつもいるし、優秀な後輩だと考え信頼している先輩方だっているだろう。ヤバいやつになると神の如く崇拝しているんだぜ。おっと、今のは失言だったな。悪い悪い」
一部のクラスメイトが血相を変えたのを見て詫びてみせる郡山君だが、ちっとも悪びれているようには見えない。
そしてそんなクラスメイト達のやり取りを見せられた僕は、郡山君の言葉を大袈裟だと切り捨てることができな……いやいや、やっぱりおかしいだろう!
「た、確かに静さんは勉強も運動もできるけれど……」
「おまけにとびっきりの美人で誰にでも慕われるぐらいに人望があってとんでもなく有能だ」
郡山君は僕の言葉に被せるようにして静さんのことを持ち上げてみせる。いや、普段の様子や小学校時代の静さんのことを思い返せば否定する要素はないんだけれども!
「なにしろ学力試験は全国トップクラスだし、特定の部活にゃあ入っていないが助っ人に入ればエース級の活躍をしてみせる。中学で生徒会長だったときなんて教師やPTAを相手取ってガチガチだった服装規定の緩和を勝ち取っているんだからそりゃあ崇拝するやつも出てくるってもんだ」
なにそれ知らない。というか、誰だその超人は!
僕の知る家での静さんとのギャップが激しすぎて流石にそれは吹かしがすぎるだろうと思った僕であるが、クラスメイトの誰も郡山君の言葉を冗談だと笑う者はいなかった。
むしろ「一ノ瀬先輩が出るか出ないかで試合の結果も観戦者数も変わるからなあ」とか、「先生の授業より一ノ瀬先輩に教えてもらう方が成績が上がるって噂もあるしな」とか、「PTAにも一ノ瀬先輩のシンパがいて先輩の活動の後ろ盾をしていたって本当かしら?」とかいかにもな話を語り合っている。なにそれ怖い。
しかし、クラスメイト皆で僕のことをからかっているんじゃないかと思うぐらいにとんでもな静さんの武勇伝であるが、まさか僕とすれ違った青嵐学園の全生徒を巻き込んでまでやるような冗談でもないだろうというのもまた事実である。
つまり今まで聞いた静さんの評判や実績はすべて本当のことだと言うことだ。
「知らなかった……」
僕が思わずつぶやくと、郡山君が呆れたような顔をする。
「あの人のこと、なんにも知らないんだな。ご主人様なら従者の素行ぐらい把握しとくもんだろう」
「だ、だから静さんは従者じゃないんだって……」
僕は郡山君に反論したが、その言葉は自覚できるぐらいには弱々しかった。
従者云々なんて話はどうでも良いことであるが、静さんのことを知らないという言葉は否定できなかったからだ。受験に失敗した青嵐学園の話を聞きたくないという僕のわがままのために、静さんが学園でどんなことをしてきたかなんてほとんど聞いてこなかった。
静さんからすれば僕に配慮してくれたのだろうが、僕からすれば静さんに甘えて静さんから目を背けているとも言えるのでないか。
むろん僕と静さんの間には恋愛関係も正式な上下関係もないのでそんなことを憂慮する必要はない。
それでも、郡山君の言葉になんとなしに後ろめたさを感じてしまうのはいったい何故だろうか。
「ま、とにかくだ。そんな一ノ瀬先輩だから、あの人を慕って告白するものは男女問わず湧いてくるし、将来自分が会社を継いだときに傍に置いておきたいと考えるやつだっている。崇め奉っているやつらもな。そんなやつらのモーションをあの人は全部袖にしているんだぜ?仕えるべき主はもう決まっているって言ってな」
ネガティブな思考に陥った僕を、郡山君の言葉が現実に引き戻す。
仕えるべき主……という言い方には異論があるが、日頃の静さんの言動からして
のことだろう。
まったく進路なんてゆっくり考えればいいだろうにと内心でため息を吐く僕を他所に郡山君は続ける。
「本人がそう言うならまあ仕方ねえ、おとなしく引き下がる……とはいかないのがうちの学園の生徒でね。手に入らないとなったら尚更欲しくなるのさ。なにしろ今まで家柄やら実力やらでなんでも手に入れてきたようなやつらがわんさかいる」
「そんな理不尽な……」
思わずつぶやく僕に郡山君はさも愉快だと言わんばかりに肩を竦めながらおいうちをかけてくる。
「そんな理不尽なやつらに目の敵にされてるんだよ、お前さんは。運良く一ノ瀬静音の近くにいただけのやつが、彼女のそばにいるのはおかしいってな」
「ええ……?」
それは理不尽どころかほとんど言いがかりで、僕は呆然としてしまったが慌てて抗議混じりの反論をする。
「そ、そんなこと言ったら家柄だとか産まれなんてのも運が良いだけじゃないか。僕の家なんかより百倍すごい家に産まれた人たちにそんな恨まれかたをされる筋合いは……」
「そんなご立派な家に産まれたやつがそんな常識的な言葉通りに考えるものかよ」
「……」
ぐうの音も出ないほどの理不尽に僕は言葉も出なかった。
静さんは青嵐の生徒はみんな優しいなんて言っていたけれど、暴君みたいなやつらばかりじゃないか!
「実際俺も一ノ瀬先輩を狙っている口でね。言わずもがな、俺もお前の敵のひとりってことだな」
「……そりゃあそうだろうね」
真っ先に僕を学園の敵認定してきたやつが他のなんだというのか。
うめくように同意する僕のことなど気にも留めずに郡山君は話を続ける。
「将来俺がうちの会社のトップに立ったとき、あの人の実務能力は是非ともほしいのさ。あの人が生徒会で打ち立ててきた実績を考えればな」
「……それなら本人に直接言えばいいじゃないか。将来うちの会社で働きませんかって」
「バカ言え。うちよりデカくて将来性のある会社の跡取りが熱烈に勧誘して袖にされてるのに、無策でモーションをかけられるかよ」
「じゃあ僕のことなんて構わずにどうやって静さんを口説き落とすかを考えなよ。静さんの性格からしたらそっちの方が絶対良い結果になる」
なんとかして敵あつかいから逃れたい僕は希望を込めてそう言ってみるが、言った瞬間に周囲から寒気にも似た強い圧を感じて思わず身体を震わせた。
周囲に視線を向けると、僕と郡山君に注目しているクラスメイトたちの一部が怒りに満ちた視線を寄越してきていた。
わけもわからず混乱する僕に、郡山君が呆れたような声音で話しかけてくる。
「おいおい。自分を慕ってくれている相手を売るなんて、それでも会社の跡取りかよ」
郡山君の言葉に頬がかあっと熱くなる。
静さんは誰がどのような巧言を弄してもなびかないだろうという信頼ともし静さんの心が動くほどの相手がいたのならば応援したいという思いから出た言葉であったのだが、そんなことは関係ない。
僕は静さんを守ろうとしなかったことを恥じたのではなく、静さんに理不尽を押しつけようとした自分を恥じたのだ。
「ま、お前がどんなやつだろうと俺には関係ない。俺は俺の目的のために動くだけだからな」
「……目的?」
マイペースに話を進める郡山君に反応すると、彼はにやりと笑って頷いた。
「おうとも。俺は一ノ瀬先輩を口説き落とすために、お前と友達になりにきたのさ」
「はあ?」
お前の敵だなんだと散々言い続けてきた彼の言う目的に、僕の口からは思わずなに言ってんだこいつという気持ちマシマシの言葉が漏れた。
「別に不思議な話じゃないだろう?一ノ瀬先輩にとってただの後輩のひとりでしかない俺があの人に近づくにはこれが一番手っ取り早い」
将を射んとする者はなんとやらってやつだな、と訳知り顔で語る郡山君に、僕だけでなくクラスメイトの面々も困惑している様子を見せていた。
「最終的にはお前さんを蹴落とすことになるんだが、露骨にそれをやるのは上手くない。なにしろ当の一ノ瀬先輩に嫌われるのが目に見えてるからな」
郡山君の言葉に周囲からうめき声が漏れ聞こえてくる。僕のことを敵視することで一ノ瀬先輩から悪感情を向けられる愚を悟ったのだろう。
「それにお前さんの近くにいりゃあ一ノ瀬先輩と言葉を交わす機会もおのずと増えるってもんだ。あの人の意思を翻させるチャンスもそのうち巡ってくるだろうよ」
どうだと言わんばかりに得意げな郡山君に、僕は反発した。
「友達になるっていうけれど、僕の気持ちはどうなのさ。こんな状況を作られて、あまつさえ僕のことを敵だなんて言うやつと友達になれるとは思えないよ」
抗議の意も含んだ僕のお気持ちに、しかし郡山君は余裕の笑みを浮かべている。
「別に仲良くおしゃべりしたりだとか、そんな子供じみた関係を築こうとは言わねえよ。お互い利益のある関係を築こうって話さ」
「……そんな
「強いて言えば、今の状況かな」
僕の指摘に、郡山君は周囲のクラスメイトたちを指し示した。
今の状況?
今の状況からして僕は大変なことになっていて、とてもじゃないが利益になる要素なんて欠片も見当たらないのだけれど。
不審な目を向ける僕にたいし、郡山君はやれやれと言わんばかりに首を振り肩を竦めた。
「察しが悪いな。俺が皆にわかりやすく説明してやっただろう?お前さんと仲良くしておく利益ってやつをさ」
「……あ」
「いくらお前を憎く思うやつらだって、一ノ瀬先輩に嫌われるリスクを背負ってまでお前を敵視したり害を及ぼそうとまでは考えないだろうよ。あの人に睨まれちまったら、この先学園内でどんな扱いをされるかわかったもんじゃないしな」
静さんが自分が嫌いだからなんて理由でそんなことをするとは思えないと言いかけて、己の間違いに気がつく。
つまりそれは、静さんの不興を買うことで今の僕みたいに学園の生徒たちから睨まれることになるという意味だろう。
その解釈が正しい答えであるということは、郡山君の言葉に顔を青ざめさせる一部クラスメイトの表情が如実にあらわしていた。
「もちろん中にはどうしてもお前さんに嫌がらせをしたい奇特なやつがいるかもしれないが、それも任せてもらっていいぜ。全力で特定して一ノ瀬先輩に告げ口してやるよ。その方が俺の点数稼ぎにもなる」
まさに至れり尽くせりの待遇だ。この状況を作り出したのが郡山君自身でなければ僕は泣いて喜んでいただろう。
「な、これでわかっただろう?お友達料としては十分な額じゃないか?」
にやりと笑う郡山君に、僕はせめてもの抵抗を試みた。
「嫌だと言ったら?今なら君の話に乗らなくても十分効力が出ていると思うけれど」
「おっとそう来たか。まあ今からお前さんにクラスメイトをけしかけるのは難しいだろうし、わざわざそんなこともしねえよ。ただし、このクラスの外のやつらはどうだろうな?」
「ぐっ……」
「俺なら学園中に今の話を流して浸透させることもわけないぜ?」
そう言って郡山君は僕に右手を差し出してきた。僕が断ることなどあり得ないと言わんばかりの表情である。
学園での身の安全を図るために断ることなどあり得ない状況となってしまった僕には、その手を取ることしかできなかったのである。
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