第4話

「それでは私は先に出ますので。学園までの道順は覚えておいでですね?駅には他の学園生もいるでしょうから迷うことはないかと思いますが、不安なことがあれば私の携帯にご連絡ください。それと家を出るときは余裕を持って七時までに出ていただきますよう──」


「わかった、わかったから!」


 玄関の扉を開けた姿勢のまま僕に念を押し始めた静さんを送り出してから、静さんが用意してくれていた朝食にありつく。

 昨日のように何品も準備してあるようなこともなく、いつも通りトーストとサラダにカフェラテというメニューをテレビを見ながらもそもそと平らげていく。

 朝食を片付けたら出かける準備を始めて忘れ物がないか再確認まで終えると、良い感じの時間になったので家を出た。

 静さんはやたらと心配していたが、青嵐学園までは高校見学や試験で何度か足を運んでいたし文明の利器スマートフォンを頼れば初見の場所だって問題ないのである。

 脳裏にうっすらと静さんが僕のことを信用できていないからこその念押しなのではという説がよぎらなくもなかったけれども、そんな説は忘れたことにしてバスで駅に向かう。

 その後も遅延だとか変なトラブルに巻き込まれたりだとかそういうこともなく、無事に電車に乗って学園に向かうことができた。

 朝の時間帯ということもあってぼんやりとスマホを眺めながら移動していたのだが、最寄りの駅が近づくにつれて自分と同じ制服を着た生徒がちらほらと目につき始めると途端に緊張感が襲ってきて眠気の残り香も吹き飛んでしまった。

 最寄り駅である青嵐学園前駅に降りて改札を出る頃には周囲には青嵐の生徒が溢れかえっていた。青嵐学園は中学と高校が同じ敷地に存在しているので登校する生徒の数も非常に多い。

 僕は息苦しくて外していたネクタイを結びながら、青嵐の生徒達が歩く流れに乗って学園までの道を歩き始める。

 道行く彼ら彼女らの中には当然僕と同じ色のネクタイやリボンを付けた一年生も混じっているのだが、既に並んで歩く友人同士らしい姿が多い。予想していたとおり中学からの進学組でグループが固まっているのだろう。

 都合良く僕と同じ受験組で、かつ相性の良さそうな相手がクラスにいてくれればありがたいのだが……。

 ちょっぴり憂鬱な気分を味わいながら歩みを進めていると、住宅地のようだった道の先に木々に囲まれた敷地が見えてくる。塀の代わりであるかのように道沿いに立ち並ぶ木々の向こうには校舎が立ち並んでいて、校舎に塗られた白の塗装は塗り立てのように(おそらく実際その通りに)純白の姿で生徒達を出迎えていた。

 受験や見学で何度も見た光景ではあるのだが、これから三年間を過ごすことを考えるとなんとも感慨深く校舎に見蕩れるように視線を向けながら歩く。

 そんな調子でふらふらと進む僕を他所に、青嵐学園の生徒達は道沿いに立ち並ぶ木々の切れ目に吸い込まれていく。

 ようやく僕もその切れ目に到達して角を折れると、青嵐学園の正門が見えた。

 石柱が建っていたりしてやたらと厳めしい正門の横には青嵐の生徒達が立っていて登校してきた生徒達に大きな声で挨拶をしている。その生徒達の左腕には目立つ赤い腕章が付けられていて、あれが生徒会役員の証ということなのだろう。

 その生徒会役員の中に見知った顔を見つけて、僕は思わずほっと息を吐いた。

 見知った顔──静さんは他の生徒会役員と共に笑みを浮かべて挨拶をしている。青嵐学園の制服に身を包んだその姿は見慣れたものであったが、他の生徒達と並んでいる姿が新鮮で、僕はそれを眺めながらわざとゆっくりとした歩調で校門に近づいていく。

 登校する生徒達は生徒会役員達に挨拶を返してそのまま流れるように正門に吸い込まれていくが、静さんには時折立ち止まって話しかける生徒がいた。それは男子だったり女子だったりして、静さんはそんな生徒達に気さくに応じている。

 そんな中である男子生徒の一団が生徒会役員の前に差し掛かると、その中から抜け出た男子が静さんの前に立った。ネクタイの色から察するに僕と同じ新一年生だろう。


「おはよう、瀬田君」


 静さんもその生徒のことは見知っているらしく、名前を呼んで挨拶をする。瀬田君というらしいその男子生徒は顔を真っ赤にして静さんに応じた。


「お、おはようございます!一ノ瀬先輩!今日からまた同じ学校ですね!よろしくお願いします!」


「同じもなにも、私たちはずっと一緒の学校に通っているじゃない」


 くすくすと笑う静さんに瀬田君は赤い顔をさらに真っ赤にしてしどろもどろになって弁解する。


「い、いや!それはそうなんですけど!その……去年は別の校舎だったのが今年は一緒の校舎になったって意味で……!」


「ああ、確かに去年は瀬田君と廊下ですれ違うなんてこともなかったものね」


「そう!その通りです!だから、その……これからは一ノ瀬先輩と顔を合わせる機会も増え……っておい!」


「はい時間切れ~」


「邪魔になるからさっさと行こうぜ。あ、一ノ瀬先輩、今年からまたお願いしますね~」


 何やら語り出そうとしていた瀬田君は、友人らしい男子生徒達に拘束されて引きずられるようにして校門の中に入っていった。

 瀬田君はなにやら喚いているが、友人たちと騒ぐ様はいかにも青春らしく僕はなんとなくうらやましさを感じてしまった。

 そんな彼らを楽しそうに見送っていた静さんは、仕事に戻ろうと振り返ったところで僕のことを視認して満面の笑みを浮かべた。


「良かった。義人さん、ちゃんと登校できたんですね。私、うっかり二度寝でもしてるんじゃないかと心配で心配で……」


「いやいや静さん。小さな子供じゃないんだからそれぐらい普通にできるよ」


「いえいえ、今までの義人さんの行いを見ているとあながち否定はできません。それにほら!ネクタイが曲がってるじゃないですか!ほらこっちを向いてください!」


 何気に酷いことを言う静さんに苦笑していると、静さんは僕のネクタイの結び方がお気に召さなかったらしく僕を正面に立たせると手ずからネクタイを結び直し始めた。


「まったくもうっ!こんなだらしない恰好をしていたら恥ずかしいでしょう!」


「いや、こんな場所でネクタイ直されるのも恥ずかしいから自分でやりたいんだけれど……」


「私がやりたいからダメですっ!」


「なんでえ……?」


 ネクタイをきっちり結び直した静さんは僕の服装の乱れを丹念にチェックしてから僕を解放した。

 静さんはどこか満足げな様子であったが、生徒達の前でネクタイを直されるなんていう晒され方をした僕は穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。

 それでももしかしたらそんな恥ずかしがることもないのではないかと恐る恐る周囲を確認するも、案の定生徒会の皆さんにはガン見されていたし登校中の生徒達もこちらを見ていて中にはひそひそと話をする人や立ち止まる生徒まで出る始末だった。


「じゃ、じゃあ僕は教室に行くから!頑張ってね!」


 あまりのいたたまれなさに、僕は静さんにそれだけ言って逃げるようにその場から立ち去った。


「義人さん!帰りはご一緒できるかと思いますので、教室で待っていてくださいね!」


 背後からの静さんの呼びかけにかろうじて手を上げて答えた僕は、背中を丸めて視線から身を守るようにしながら足を動かすことしかできなかった。

 なんとかその場を離脱することはできたものの、クラス発表の掲示板を見ているときも校舎に入って教室に向かっている最中もなんとなく視線を向けられている気がしてひたすらに居心地が悪い。

 仮に僕が華々しい高校デビューを画策していたとしたら、大失敗も良いところだ。姉代わりの女子生徒に公衆の面前でネクタイを結んでもらっちゃったりするようなやつが良い意味で一目置かれるようなことはないだろう。

 頭を抱えたい気持ちをぐっと堪えて廊下を進む僕であるが、教室に近づくにつれて僕に向けられる視線が何故だか露骨になっていく。すれ違う人すれ違う人皆僕のことをじっと見てきて、だれもが僕の方を見ながら会話をしている。

 自意識過剰と言われても仕方のないことであるが、静さんに常日頃から鈍い、鈍感と評されている僕でもはっきりそうだとわかるぐらいなのでほぼ間違いないだろう。

 なんだよ。ちょっと正門で辱めを受けただけでこんなに噂をされなくちゃいけないのかよ。それとも僕が受験組でものめずらしいから余計に注目を浴びているのだろうか。

 あの受験組の子、初日からネクタイ直されちゃって恥ずかしいわあ。外の学校でいったいなにを学んできたのかしら、みたいな。

 僕はどちらかというと静かに過ごしていきたいというのに。人の噂も七十五日なんて言うけれど、二ヶ月ちょっとでなかったことにしてくれるのだろうか。

 うじうじと考えながらも教室を目指し、なんとか辿り着いた僕は逃げ込むようにして教室に入った。

 教室の中にいれば注目されることもないのではと考えたのだが、特にそのようなこともなく普通にクラスメイト達の視線がちらちらと向けられる。

 むしろ逃げ場のない教室の中の方が状況的にはつらいものがあった。

 黒板に書かれていた指定席に座り、ただひたすら顔を下に向けて視線とひそひそ声を受け流す。

 いっそのことトイレに逃げ込んでしまおうかと真面目に検討していると、僕の正面の机に誰かが座った。


「よう。お前、見ない顔だな」


 話しかけられたのだと気がついて顔を上げると、男子生徒が椅子に逆向きに座ってこちらを向いていた。

 特徴的な白いフレームの眼鏡の向こうの尖った目が射抜くように僕を見ていてつい萎縮してしまいそうになる。


「そうビビんなよ。なにもとって食おうなんて思っちゃいないさ。俺は郡山元哉こおりやまもとやだ。ま、一年間よろしく頼まあ」


「は、はあ……。里崎義人です。よろしく……」


 目つきの悪い男に、見ない顔だとかとって食うなんて漫画に出てくるヤンキーとか極道の人ぐらいしか言わなさそうな言葉で声をかけられて平然としている方がどうかと思うのだが、僕はそれを指摘しなかった。

 だって怖いし。


「ま、わざわざ確認しなくても、この時期に初顔のやつなんて外部入学組ぐらいしかいないだろうけどな」


 じゃあ聞くなよ。と心の中で反論する僕。


「そんなことはどうでも良いんだ。お前に声をかけたのは今朝の一件について聞きたいことがあるからなんだが……」


「け、今朝のって?」


「惚けるなよ。お前が一ノ瀬先輩と仲良くおしゃべりしていた件さ」


 咄嗟にしらばっくれようとしたが、そうは問屋が卸してくれないらしい。


「まどろっこしいのは嫌いだからはっきり聞くけどよ。お前、一ノ瀬先輩とどういう関係だ?」


 言葉通り遠慮の欠片もない直裁な問いを受けて、僕は思わず笑ってしまった。

 初対面の相手にこれだけ臆面もなく言ってのけるとはと感心すらしてしまうほどだった。

 しかし、てっきり生徒会役員に初日からだらしなさを指摘される外部生という扱いで揶揄われるものと思っていたので、郡山君の指摘は予想の外だった。

 そんなに言われるほど親しげに見えたのだろうか。瀬田君と話していた時とたいして対応は変わっていなかったと思うのだけれど。まあ確かに静さんだの義人さんだのと呼び合っていたので傍から見ていたら仲良さげだったかもしれない。実際その通りでもあるわけだし。

 なので僕は、彼の問いに素直に答えることにした。


「静さん……一ノ瀬さんはうちのお手伝いさんの娘さんなんだよ。強いて言えば……幼馴染みみたいなものかな」


 静さんで一ノ瀬さんでお手伝いさんの娘さんってすごい言い回しだな……。

 そんなしょうもないことを考えていた僕を他所に。

 唐突に教室の雰囲気が一変した。

 教室のあちこちからうめき声とも悲鳴ともつかぬ奇妙な声が上がり、明るい賑やかさに満ちていた教室に密やかなざわめきが広がっていく。

 驚いて周囲を見渡そうとすると、視線がかち合った。

 僕の斜め前に座っている女子生徒の、睨みつけるような目。彼女がなにを考えてそんな目を僕に向けるのかはさっぱり理解できないが、どちらにしろ好意的な感情でないのは明らかだ。

 そんな視線を向けられてたまらず目を逸らすと、すぐに別の目と視線が合う。黒板の前に立っている男子生徒の一団。その中でも僕のことを射殺さんばかりの視線で僕を睨めつけている彼は確か校門で静さんと話していた……そう、瀬田君だ。彼もクラスメイトだったのか。

 周囲の男子生徒の視線はそれほどではないのに、彼の視線だけが明確な敵意を示している。

 静さんと話していた時は気さくなお調子者といった風だったのに、今の彼にはその面影はない。

 僕は瀬田君の視線からも逃げて視線の置き所を探すが、向ける先向ける先で誰かの視線とぶつかってしまい視線を定めることができない。

 瀬田君のように露骨な視線を向ける者は他にいないが、誰もが僕に何らかの感情の乗った視線を向けている。


「なるほどなあ。そうかお前が……」


 教室の異様な雰囲気に困惑する僕の正面で、郡山君がつぶやいた。

 視線をそちらに戻すと、彼もまた興味深そうに僕のことを見ている。しかし、その表情はすぐにいやらしげな笑みに変わった。


「理解したよ。つまり、お前がこの学園の敵ってことか」

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