~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~『夢時代』より冒頭抜粋

天川裕司

~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~『夢時代』より冒頭抜粋

~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~

 何時(いつ)まで経っても抜けない八頭(おろち)が愚問の扉(かべ)から真面に跳び立ち、明日(あす)の旧巣(ふるす)へどんどん体形(かたち)を成長させ行く鼓動の生憶(きおく)を残影(かげ)に産ませた。現代人(ひと)の翳りが一宙(そら)へ遣られる身憶(みおく)の遊戯は楽(らく)を識(し)り抜き、幻想(ゆめ)の哀れを事始(こと)に挟める私闘の哀れは真っ向勝負に奇怪を揺さ振り、孤憶(こおく)の人影(かげ)から無機を射止める何等の隠語(ヒント)も見得ない儘にて、幻(ゆめ)の回路へ螺旋を敷き生く一人(ひと)の刹那を虚構(ドラマ)に観て居た。自己(おのれ)の感覚(いしき)が〝都会〟に廃れる無言の気勢に苛まれて活き、拙い信者が後光(ひかり)を撮らせる自然(あるじ)の宿舎で昼寝をしながら、併せた信仰(めいろ)で〝儀式〟を観て居る「二人・遊戯(ふたりゆうぎ)」を具(つぶさ)に模写して、明日(あす)の孤独を地蔵に向け得る〝幻想(ゆめ)の信途(しんと)〟の孤奏(こそう)を問うた。明日(あす)の目的(さかな)を提灯(あかり)へ投げ込む自己(おのれ)の感覚(いしき)は未想(みそう)を衒わず、旧い俗世(このよ)と天地の間(あいだ)を夢魔(むま)へ寄り添い体裁(かたち)を仕上げる〝快活気取り〟を文句(ことば)に書いた。昨日から観た今日(きょう)の流行(ながれ)は路頭へ詰め込む〝儀式〟の頭上(うえ)にて後戻りの無い身寒い神話に虚(うそ)を吐(つ)けない孤奏(こそう)を見定め、明日(あす)の朝から昼から夜迄、自己(おのれ)の延命(いのち)をすっと仰げる事始(こと)の未完(みじゅく)を無難に苛む…。自己(おのれ)の気色に孤独を看破(みやぶ)り旧い神秘(ふしぎ)に後光(ひかり)に尽きない概(おお)くの上辺(うわべ)を充分詠み取り、明日(あす)が差し込む拙い〝夕べ〟は孤業(こぎょう)に際して〝果実〟を食べた。一幻(ゆめ)に頬張る〝孤憶(こおく)の果実〟は無駄に運べる試算を丸めて、昨日の劣化を怒(いか)りで呼び込む苦労の感覚(いしき)に充満され活き、現代人(ひと)の人影(かげ)から感覚(いしき)の総てを孤独に見棄てて蹂躙して行く強靭(つよ)い遊戯に確実さえ観た。―――、自体(おのれ)の勝手を感覚(いしき)に詠み取る無段の仮想(ドラマ)は宙夜(ちゅうや)を仰ぎ見、自己(おのれ)の居場所を明然(はっき)り報せる無法の感覚(いしき)にその「場(ば)」を読み取り、孤独の感覚(いしき)を一宙(そら)に運べる苦労の四方夜(よもや)は自体(おのれ)の環境(まわり)で暫く富んだ。幻想(ゆめ)の白亜(しろ)さに奇想を観ながら気高い自主(あるじ)は路頭を想わす「事始(こと)の未完(みじゅく)」にその芽を這い出せ、「明日(あす)に自主(あるじ)…」の未想(みそう)に呟く孤憶(こおく)の信仰(めいろ)を堪能して居る。分厚(あつ)い経過が宙(ちゅう)を詠むとき幻(ゆめ)の呼笛(あいず)は自体(おのれ)を培う幸先豊かな思想を読み上げ、個人(ひと)の記録に無知を侍らす事始(こと)の無欲を通感(つうかん)した後(のち)、海と山との遠(とお)の違いを事始(こと)の有利に改竄して居る…。無造の孕みを充分気忘(きわす)れ独自の裁縫(からみ)で女性(おんな)を娶るは孤独の情緒に反復しながら、俺の孤独に憂慮を気遣う拙い文言(ことば)は未(いま)の暗転(まろび)に頂戴した儘、一女(おんな)の体裁(かたち)に独我(どくが)を齎す白亜(しろ)い小鳥に宙(そら)を与(あず)けた。一男(おとこ)の生憶(きおく)を寝耳に灯すと女性(おんな)の体裁(かたち)が宙(そら)へ筒抜け、幻想(ゆめ)の間(ま)に間(ま)に一夏(なつ)へ透れる羽虫(むし)の健気を序調(じょちょう)に宿し、明日(あす)の幻(ゆめ)から今日の幻(ゆめ)まで、感覚(いしき)の欠伸を孤独に挙げた。白亜(しろ)い気色に紋黄(もんき)を置くうち明日(あす)の〝襖〟を上手(じょうず)に手で開(あ)け、気憶(きおく)違いの細小(ちいさ)な空間(すきま)を一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ自慢に掲げて、端正(きれい)な感覚(いしき)に今日を過ぎない〝向日・上手(むこうじょうず)〟の試算の片(かた)では、分厚(あつ)い途切(とぎ)りが純度を講じる孤高の記憶に慢心させ得る。幻見心地(ゆめみごこち)の女性(おんな)の体裁(からだ)は一幻(ゆめ)に溺れる内実(なかみ)を振り上げ、一男(おとこ)の前方(まえ)では何にも活きない無機の極みを保(も)って居ながら、一宙(そら)の寝床へ幻(ゆめ)を引かせる「退場して行く一局(ひとつ)の勇者」は、俗世(このよ)に生き得て生きない女性(おんな)を奈落の奥底(そこ)へと葬り過ぎた。一女(おんな)の一肢(からだ)は生憶(きおく)を保(も)たずに旧い棲家へその実(み)を侍らせ〝向こうの地獄〟へ俗世(このよ)を見送る「向日・上手(むこうじょうず)」のクリスチャンから淡い体裁(かたち)を上手(じょうず)に据え保(も)ち幻想(ゆめ)の進化へ何時(いつ)も観て生く昨日の小敗地(アジト)に孤独を観たのは、現世(このよ)に活きない「古い型(かたち)」の白壁(かべ)に覗ける幻想術師(シャーマン)だった。白紙(こころ)の傷から身嵩(みかさ)が跳び出て五月蠅(あわ)い孤独が一女(おんな)を葬り、幻想(げんそう)紛いの酔狂(くる)える真夜(しんや)は一女(おんな)の孤独も艶(はで)に着飾り、宙(そら)へ蔓延る支柱の描写は女性(おんな)の人煙(けむり)を後光(ひかり)へ引き寄せ初春(はる)の息吹に情緒(こころ)を棄て置く一男(おとこ)の孤独に女性(おんな)は崩れて、旧い軒夜(のきよ)の澄ました憂慮は微塵も残らず空野(くうや)に退(の)いた…。分厚(あつ)い揺蕩(ゆらぎ)が白雲(くも)から〝温度〟が失(き)え行く解凍上手の初春(はる)の息吹は手許の狂わぬ浅い感覚(いしき)を人間(ひと)へ突き出し仄々顕れ、自体(じぶん)の大児(こども)を孤高に見送る空気(しとね)へ浮べた虚無の許容(うち)から、明日(あす)の旧巣(ふるす)に人間(ひと)を発狂(くる)わす自由の逆行(もどり)を安全にも観る…。明日(あす)に棚引く至当(しとう)の上気が憤悶(ふんもん)ばかりを空気(しとね)に飛び越え、柔い軒夜(のきよ)の未有(みゆう)の「勇者」を思春(はる)の孤独に蹂躙するのは孤独に感けた処罪人(モンク)の狡さに悠々伝わる思想に相成(あいな)り、白夜の寝床を矛盾に配(はい)した臆病ばかりの人生(じんせい)でもある。幻夢(ゆめ)の許容(うち)から思想が二重(かさ)なる茶色い日蓋(ひぶた)は真逆(まさか)に戯れ、明日(あす)へ続ける経過の分厚(あつ)さに私欲を彩(と)られた我欲が三重(かさ)なり、旧い軒端へ現代人(ひと)の狡猾(ずる)さを延々観るのは、〝旧峠(むかしとうげ)〟に散々名高い足場を失くせる夢遊の実(み)である。夢の白亜(はくあ)に拙い白壁(かべ)から活力(ちから)が湧き出し人間(ひと)の孤独を幻想(ゆめ)に認(みと)める不毛の自主(あるじ)は嘲笑(わら)って在るが、如何(どう)にも斯うにも現代人(ひと)の渦中(むれ)では肢(からだ)の自由が魚籠とも利かない旧い定律(おきて)へその実(み)を遣られて、俺の精神(こころ)は宙(そら)に幻見(ゆめみ)る孤独の盲者(もうじゃ)と対峙して居る。一女(おんな)の全肢(からだ)が宙(ちゅう)へ撒かれて総身(すべて)の活気を暗黙(やみ)へ詠む頃、空気(しとね)に豊かの気憶(きおく)の界(かぎり)は概(おお)くの気色を蹂躙し始め、手厚(あつ)い環境(かんご)でその掌(て)を揺さ振る功徳の憂茂(ゆうも)は散々崩され、宙(そら)に浮べる生憶(きおく)の便りは無頼を着飾り暗茂(やみ)へと堕ちた。一男(おとこ)の性(せい)から生気が外(はず)れて旧い用句(ようく)へその実(み)を発(た)たされ、飽きるばかりの現代人(ひと)の孤独に杭を差し込み固定した儘、人間(ひと)の孤独が宙(そら)へ遠退き詰らぬ文言(ことば)で翻(かえ)って来るのを、百足の柄(え)に似た不安の生糧(かて)には不報(ふほう)と偽り自然(あるじ)を割いた。

      *

 ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、…

      *

 旧い手品に蛙(かえる)が飛び込み幻(ゆめ)の浅きを精神(こころ)に留(と)め置く一男(おとこ)の優雅は女性(おんな)に知られず、女性(おんな)の主観(あるじ)は「何時(いつ)も、何時(いつ)も」と、日常平和の無頼の正義に過去を忘れて総身(からだ)を仰け反り、旧い男児の目前(まえ)を独歩(ある)かぬ無機の小躍(ダンス)を講じて居ながら、詰らぬ感情(こころ)に艶(あで)を費やす罪の孤憶(こおく)を踏襲して居る…。延々延々、幻想(ゆめ)の調子が一向進まず、独歩(あゆ)む合図を人生(みち)に傾け奇想を捥ぎ取り、手当り気取りで芝居を始める艶(はで)を呈(しめ)せる無重の小躍(ダンス)は、俗世(このよ)の正義を駆逐して活き俗世(このよ)の誰もに推奨され得る疲労識(し)らずの無言と成った。女性(おんな)の阿漕(あこぎ)は駆逐に纏わる嫉妬を儲けて、白亜(しろ)い孤独に終りを付け行く現世(このよ)の有機と堂々独歩(ある)けて、明日(あす)へ独裁(ドグマ)を放り投げ生く〝正義の使者〟へとその身を染めた。明日(あす)の叫(たけ)びへ自由を費やす波(わた)り上手の女性(おんな)の自活(かて)には、舞踏場(リング)の傍(そば)から男気(だんき)を装う無効の気色が商売さえして、幻(ゆめ)を偽る孤独の景色は舞踏場(リング)を奏でて男性(おとこ)を酔狂(くる)わす一身豊穣(ひとみゆたか)な振舞いから成る…。苦労を好(よしな)に「無効」を呈(てい)せる真剣ばかりの女性(おんな)の質(たち)には、幻夢(ゆめ)に蔓延る我欲の活気が自然(あるじ)を費やす目算など立ち、明日(あす)へ繋がる微動の孤独に男性(おとこ)の憂慮は分(ふん)とも経たず、悪しき罠より一女(おんな)が出るのを概(おお)きい眼(まなこ)で仔細(こま)かく見送る、空気(しとね)に分れた男女(だんじょ)の生器(せいき)は旧い惑(わく)から気分に逸(そ)れた。白亜(しろ)い遊戯に〝微塵〟を感じぬ「門渡(とわた)り上手(じょうず)」の一女(おんな)の要(かなめ)は、精神(こころ)の音頭へ充分満たない分厚(あつ)い経過(とき)から一男(おとこ)を見送り、幻想(ゆめ)の側(そば)から見直す伝手には故郷の臣人(おみと)が窮境(けしき)を見渡し、分厚(あつ)い気憶(きおく)をその眼(め)に観て行く「昨日仕立て」の要塞等には、幻想(ゆめ)の孤憶(こおく)にすっぽり包(くる)まる無断の生気を充満させ得た…。文言(ことば)限りの孤憶(こおく)の音色(ねいろ)は一幻(ゆめ)に群がる「文学」さえ識(し)り、分厚(あつ)い経過を文体(からだ)へ通せる拙い葦から修学して活き、記憶に奏(そう)じた逆生(もどり)の生果は未来へ彩る感覚(いしき)を追い立て、素早い動作で不問に賭し行く無頼を見送る景色の要局(かなめ)は、分厚(あつ)い篝(かがり)に気走(きばし)りして行く孤高の自然(あるじ)の奇想に立った。夢魔(むま)の脚色(いろ)から沈殿して生く奇行へ寄り付く無名の晴嵐(あらし)は、孤独ばかりに気色が名高い分厚(あつ)い温度の「勇者」に講じて、気狂い始めた無頓(むとん)の鬼畜を怒涛に起せる無謀を振り撒き、一人(ひと)の気色が不応(ふおう)に活き生く白亜(しろ)い結果の逆灯(もどりび)等には、仙人(ひと)の家畜が傀儡(どうぐ)を創れる旧い定型(さだめ)の奇憶(きおく)さえ立つ。明日(あす)の灯(あか)りが邪教を留(とど)めて幻想(ゆめ)の裁きを通感(つうかん)する後(のち)、孤独を変じて孤高へ阿る利口の自主(あるじ)は分(ぶん)を識(し)り貫(ぬ)き、旧い四肢(てあし)に桎梏(かせ)を見上げた幻(ゆめ)の定律(さだめ)へ配慮した儘、規則正しいmonkの歪曲(ゆがみ)は〝故郷〟を翻(かえ)して堂々嘲笑(わら)う…。女性(おんな)の目下(ふもと)に感覚(いしき)を失くせる旧い男児(おとこ)がとことこ現れ、幻夢(ゆめ)の無知から乾ける長閑(のどか)を一人(ひと)の生憶(きおく)へ追随させ活き、しどろもどろの灰の「天女」は俗世(このよ)に愛(いと)われ相対(そうたい)され行く。賢い男性(おとこ)が奇妙を掌(て)にして〝向かい合わせ〟で俗世(このよ)を観る時、ふらふら翻(かえ)れる四季(きせつ)の垂(たる)みは淡い真夏を延々崇める最期の自覚(かくご)を堪能して居た…。暑い四季(きせつ)に真夏が零れる旧い猛火の流行(ながれ)の跡(あと)には、無重を見知らぬ「白詰(しらつめ)」如きが自由を視(め)にて一肢(からだ)を揺さ振り、古い四季(しき)から未有(みゆう)を手招く五月蠅(あわ)い輪廻(ロンド)の技量を識(し)り貫(ぬ)き、俗世(このよ)の総実(すべて)を過去(けしき)へ追い込む拙い遊戯に感けて在った。疲労に疲れぬ一女(おんな)の雄姿は雄々しい儘にて「自由」を見限り、男性(おとこ)の孤憶(こおく)を規則へ埋め込む「盥(たらい)を廻せる遊戯」へ改変して活き、拙い気楼(きろう)に男性(おとこ)が突っ立つ欲を見せない二性(ふたつ)の正義は、「現人神」から自由を培う正義の信理(しんり)へ邁踊(まいとう)して居る…。純白(しろ)い孤独が幻想(ゆめ)へと顕れ自己(おのれ)の未完(みじゅく)と無為の四季(きせつ)を牢屋の内から眺めた後では、拙い讃美が頭上に輝く「現人神(ひと)」の刹那を非常に褒めた…。…姑息な途切りに酔狂(くるい)を識(し)るうち幻想(ゆめ)の身重はかたかた遠退き、明日(あす)の後光(ひかり)が跳躍(ジャンプ)して生く旧い〝身重〟を通底(そこ)へ見定め、厚い界(かぎり)を人間(ひと)へ観る内しどろもどろの『伝記』が降(お)り立ち、幻想(ゆめ)の目下(ふもと)で胡坐を搔き生く人間(ひと)の純心(こころ)の流行(ながれ)の自主(あるじ)は、人生(みち)の道上(うえ)での所々で女性(おんな)の気色が自在に自滅(ほろ)べる浮き世の主観(あるじ)を凡人にも観た。身寒(さむ)い四季(きせつ)が凡庸(ふつう)に降り立ち幻(ゆめ)の網羅が進む時期(ころ)には、現人神から凡人(ひと)へ翻(かえ)れる暗黙(やみ)の定律(ルール)にその実(み)を任せて、旧い安堵を自前に出せたが幻覚(ゆめ)の驕りは非情に朗(あか)るく、分厚(あつ)い「併鏡(かがみ)」に自由を観るのは産婦の如くに見様(みよう)を重ねて、幻(ゆめ)の主観(あるじ)へ活力(ちから)を宿せる私様(しよう)の気色は〝幻(ゆめ)〟を観るのに体裁(かたち)を足せた…。孤独好きから安堵好きまで人間(ひと)の気色は異様に二重(かさ)ねる幻覚(ゆめ)の相(そう)から脱出させられ、五月蠅(あわ)い感覚(いしき)にその実(み)が休まる四角(しかく)の重度は布散(ふさん)に安(やす)まれ、幻(ゆめ)の気色へ見送る純情(なさけ)は一人(ひと)の記憶へ大して遺らず、遠(とお)の旧然(むかし)に片付けられ行く旧い〝案山子の一生〟等には、孤憶(こおく)の人陰(かげ)から幻視(ゆめ)が募らす不死の基調が頭(こうべ)を挙げた。不死を脚色取(いろど)る七つ道具の傀儡達には浅き安眠(ねむり)が嗣業に凭れて、幻夢(ゆめ)の廃路(はいろ)が姑息に失(き)え生く無地の景色と双身(そうみ)が二重(かさ)なり、五月蠅(あわ)い簾に透る発音(おと)には女性(おんな)の息吹が滅茶に朗(あか)るく、幻想(ゆめ)の空気(しとね)へ溢れる〝相(あい)〟には脆差(もろさ)に潰れる合気(あいき)が三重(かさ)なり、分厚(あつ)い孤独にふらふら問うのは初夏(なつ)の感覚(いしき)に暗黙(やみ)を透せる、旧い独白(かたり)の〝故郷〟の末(すえ)から耄碌して居た原人だった。

      *

 また呼笛(もとしょくば)に戻り、夜勤をして居たようである。呼笛(よびぶえ)の様(よう)なのだが、久し振りだからか、何か丸きり違う部署(しょくば)に見えて、丸きり新人の俺に、担当者として病気持ちの肉男のような先輩職員が付いて居たようである。その職員は夜間何時までか分らぬが付いて居り、一晩中か途中で帰ったのかは分らなかった。

      *

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~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~『夢時代』より冒頭抜粋 天川裕司 @tenkawayuji

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