第3話 嫌なことも未来の学びになる
高校生活では、もちろん楽しいことばかりではありませんでした。どんな学びの場所にも、苦手なことや嫌なことがつきものです。私の場合、それは「体育」でした。運動が得意ではなく、体育の授業はいつも最後尾。ほかの生徒たちが楽しそうに活動する中で、私はひたすら「早くこの時間が終わってほしい」と思うばかりでした。そんな自分が情けなく感じることもありました。
また、学校生活そのものにおいてもストレスはありました。先生や周りから、「アルバイトをして自立するべきだ」という声をたびたび受けていましたが、私にはそれを両立する余裕がありませんでした。学びに集中するだけで精一杯だったのです。結果的に、私はアルバイトも部活もせず、授業のない時間はほとんど机に向かっていました。「社会性がない」と指摘されることも多く、孤独を感じることもありました。
それでも、私はその状況を「自分の学び」と捉えるようにしていました。なぜなら、嫌なことや苦手なことに向き合う経験も、将来に何らかの形で役立つと信じたからです。そしてその信念は、後に実感として返ってくることになります。
例えば、体育でいつもビリだった経験は、「人と比べる必要はない」という考えを育んでくれました。他人に勝つことよりも、自分のペースで一歩ずつ進むことが大切だということに気づけたのです。また、アルバイトや部活ができない自分に対して「それでもいい」と思えるようになったのも大きな進歩でした。自分にとって最善の選択を見極める力は、この時期に少しずつ身についていったように感じます。
さらに、嫌なことに直面したとき、そこから何を学べるかを考える習慣がつきました。体育での経験が「自己肯定感」の学びにつながったように、他の苦手なことも振り返ると、新しい視点や考え方をもたらしてくれました。それが「経験は決して無駄ではない」という私の価値観の土台になっています。
この価値観は、専門学校やその後の人生にも活きました。嫌なことに直面しても、それを避けるのではなく、そこから何かを得ようとする姿勢が私の支えになっています。学びの場での困難や嫌な出来事も、振り返ればすべてが未来への学びにつながっているのです。
今だからこそ言えることですが、あの時の苦手なことや嫌なことは、確かにしんどい経験でした。でも、その一つひとつが私にとって成長の種になり、未来を生き抜く力になっています。だからこそ、若い人たちには「嫌なことや苦手なことも、将来のための学びになる」と伝えたい。無理にやらなくてもいいけれど、少しでも向き合える余裕があれば、それが大きな財産になるのだということを。
つづく。
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