蔓延する不安

バイオテック研究所の隔離実験室。重力異常は同心円状に広がっていた。まず製造施設で。次に居住区で。そして今、その波紋はコロニーの構造体そのものにまで及び始めていた。


「他のセクションからも同様の報告が入っています」


クレアが投影した情報空間には、コロニー各所で発生している異常のデータが立体的に配置されていた。


「面白いのは、これらの現象に一定のパターンが見られることです」彼女の指示で、データの配列が変化する。「まるで...」


「織物のような構造ですね」ピエールが目を細める。


「その通りです。私たちが観測している異常は、空間構造そのものに編み込まれているような...」


警報音が響く。「第3製造区画でのAI制御システム完全停止。バックアップシステムも応答なし」


壁面ディスプレイに、コロニー全体の状況が映し出される。複数の製造施設で同時多発的に発生している制御不能は、もはや偶然とは言えなかった。


「私の専門は量子材料工学です」クレアが説明を始める。「特に、生体模倣型の自己組織化メカニズムを研究してきました。しかし、これは私たちの理論では説明できない現象です」


彼女は研究所の機密データベースにアクセスする。過去3ヶ月にわたる異常の前兆が記録されていた。


「次世代型環境適応服の開発過程で、スマートファイバーの予期せぬ性質を発見したんです」ホログラム空間に、新たな映像が展開される。「理論的には、これは単なる材料の欠陥であるはずでした。しかし...」


製造プロセスを改良すればするほど、異常は深刻化していった。そして、ある仮説にたどり着く。


「量子もつれと重力場の相互作用」ピエールが言葉を継ぐ。「私の工房で起きていた現象と同じですね」


「ええ。でも、それは氷山の一角でした」


研究所全体が微かに震動する。重力センサーが再び異常値を示し始めた。


通信スクリーンにコロニー評議会のロゴが表示される。緊急会議の招集だ。


「デュボワ=アオキ氏、チェン博士。現在発生している事態について、至急の説明を求めます」


ピエールとクレアは顔を見合わせる。彼らの前には、技術的な危機と政治的な圧力という、二重の課題が立ちはだかっていた。


研究所の最深部に向かいながら、クレアは一枚の織物を取り出した。その表面には微細な幾何学模様が浮かび上がっている。


「これは、20年前にあなたの祖父が制作したものです」


「まさか、初期型スマートファイバーの試作品?」


「ええ。でも、これには特別な意味があります」クレアは織物を光にかざす。「この織物には、通常のスマートファイバーでは再現できない特殊な構造が組み込まれている。私たちの研究は、この構造の解析から始まったんです」


警報音が鳴り響く。「重力異常、許容限界の80%に到達。制御システムの完全停止まで、推定28分」


ピエールは祖父の織物を手に取る。触れた瞬間、微細な振動が指先から伝わってきた。それは工房で感じた量子の揺らぎに似ていたが、より安定した、まるで意図的にデザインされたかのような波動だった。


「これは...制御のための鋳型」


研究所の非常ドアが開く音が響く。二人は暗闇の中、織物を手に廊下へと踏み出した。


人工空の揺らぎは、既に肉眼で確認できるほどの強度に達していた。時間との戦いが、始まろうとしていた。

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