第七話「ふがいない思い」

ゴブリンも一瞬だけ動きを止めた。その隙をついて、俺はその裂け目へと転がり込むように飛び込んだ。




狭い隠し通路を手探りで進む中、頭の中に浮かんだのは、このダンジョンの情報だった。


「青苔の洞窟」――Bランクダンジョンとして登録されたここは、湿度の高い洞窟内にモンスターが巣食う場所だ。




主な出現モンスターは、今回遭遇した青ゴブリンのほか、毒を持つ植物系のモンスターや、小型ながら素早い獣型モンスター。Bランクに指定されているのは、ボスモンスターの危険度が非常に高いからだとされている。




(どうして俺がこんな場所に……)




思わず拳を握りしめる。自分が追い詰められた場所の危険性を改めて知り、息が詰まりそうになる。




やがて通路の先が開け、ぽっかりとした小さな空間が現れた。その中心には、一つの宝箱が置かれている。




「……宝箱?」




明らかにダンジョンらしい風景に、頭の中が混乱する。だが、それが罠であろうと、今の俺にできることは限られている。




「……開けるしかないか」




震える手で宝箱の蓋に触れ、ゆっくりと持ち上げる。中には、一つの杖が収められていた。だが――




「……なんだ、これ」




手に取ると、朽ち果てたようにボロボロの杖だった。表面には亀裂が走り、先端の宝玉は欠け落ちている。まるで、使い古されて放置されていた廃品のようだ。


その瞬間、目の前にウィンドウが浮かび上がる。




【ぼろぼろに朽ち果てた杖】


種別:武器/杖


ランク:F-


説明:耐久性なし。威力なし。破損寸前の状態。


【付与属性】スキル効果の重ね掛け可能




「……Fマイナス?」




ウィンドウに表示されたランクに思わず声が漏れる。これまで見た中で、こんな低ランクの装備は聞いたことがない。




「クソが……こんなの使い物にならないだろ」




愚痴を零しながらも、杖を放り出すことはできなかった。罠でなかったことに少し安堵したのかもしれないし、何より、手ぶらで戻るのはもっと惨めに思えた。




「……まあ、一応持って帰るか」




そう呟きながら杖を握り直し、通路を引き返す。通路の先にゴブリンの気配がないことを確認すると、俺はそっと息を吐き、再び洞窟を歩き始めた。




隠し通路から脱出し、洞窟の元の通路に戻った時、俺は大きく息を吐き出した。足元には小さな水たまりが広がり、冷たい空気が肺に染み込む。青ゴブリンたちの気配はもう感じられない。


「助かった……のか?」




壁に背を預け、腰を下ろして天井を見上げた。全身は汗でべっとりと濡れ、手にはいまだ震えが残っている。スキルも装備も役に立たず、ただ逃げ回るだけだった自分を思い出すと、胸が締め付けられるような思いがした。




(……こんなんで、何ができるんだよ)




その時だった。洞窟の奥から、ぼんやりとした青白い光が近づいてくるのが見えた。光源は、誰かの手元で揺れているようだったが、その動きには一定のリズムがあり、不気味な規則性を感じた。




(まさか、またモンスターが……?)




再び襲撃されるのではないかという恐怖が胸を支配する。杖を握る手に力がこもるが、この状況で戦えるわけがない。光がさらに近づいてくる中、耳に届いた声が、その恐怖を一瞬でかき消した。




「光よ、この闇を照らせ――《ルミナス・ウォーター》!」




青白い光が一気に広がり、洞窟内を明るく照らした。その中心に立っていたのは、月宮朱音だった。彼女は手を前に掲げ、魔法で作られた光の球を浮かべている。その光はゆっくりと彼女の周囲を回り、薄暗い洞窟の中で強く輝いていた。




朱音が近づいてくると、目の前にウィンドウが浮かび上がる。




【月宮朱音】


種別:冒険者ストレンジャー


ランク:B


スキル:《水操術》


クラス:メイジ


説明:学年トップの成績を誇る優等生。攻撃魔法よりも、サポートや探索に特化した能力を持つ。


【スキル効果】水を自在に操り、武器化や癒しを行う。光を生む補助魔法も使用可能。




ウィンドウを見た瞬間、胸の奥で冷たい何かがざわついた。学園でもトップクラスの実力を持つ朱音が、こんな危険なダンジョンに来ていること自体は理解できる。だが、こんな場所で再会することになるとは予想外だった。




「なんで……天城くんがここにいるの?」




朱音の声には明らかな驚きが混じっていた。近づく彼女の瞳には、俺の姿が完全に「予想外」のものとして映っている。




「えっと……」




答えようとしたが、声にならない。自分でも、どう説明すればいいのか分からない。朱音の驚きが、さらに俺の頭を混乱させていく。




「こんなところに入ってくるなんて……危ないよ! このダンジョン、Bランクだって分かってるでしょ?」




朱音の言葉が刺さる。それが、俺の行動がどれだけ無謀だったかを物語っていたからだ。




「それに、モンスターがいなくなったとはいえ、罠も残ってるし、まだゲートも閉じてないのに……」


「……いなくなった?」




その言葉に反応して、俺は思わず顔を上げた。




朱音は少し眉を寄せながら説明を続けた。


「私、ダンジョンを一通り探索して、モンスターは全部倒したの。青ゴブリンの群れも、植物型のモンスターもね。でも……」




一瞬言葉を切って、朱音は微かに首を振る。




「おかしいの。ダンジョンコアはすでに破壊してあるのに、ボスモンスターがいなかった」


「……ボスが?」


「うん。普通ならダンジョンコアを守るはずなんだけど、今回のコアは無防備なまま残されてて。コアを壊したから、このダンジョンはもうすぐゲートも閉じるはずだけど……妙な感じがするの」




朱音の言葉には微かな疑念が込められていた。何かがおかしい――彼女がそう感じているのは明白だった。






「でも、天城くん……なんでこんなところに?」




再び問われた言葉に、俺は俯いた。彼女を追ってきたなんて、恥ずかしくて言えない。必死に言葉を探していると、朱音が小さく息を吐き、優しい笑みを浮かべた。




「……助けに来てくれたんだよね? ありがとう」




その言葉に胸が締め付けられる。俺は彼女を助けるどころか、ただ逃げ回っていただけだ。それでも、朱音の笑顔は変わらない。




「……帰ろう。ここはもう大丈夫だから」




朱音は魔法の光を掲げて通路を照らしながら、俺に手を差し出した。その手を取ることができたのは、俺の中にまだ少しだけ残っていた「負けたくない」という思いのせいだったのかもしれない。




ダンジョンから抜け出した後、朱音とは途中で別れ、俺は一人家路に着いた。夜の街は冷たい空気に包まれ、人の気配もまばらだった。足元に映る街灯の光が揺れるたび、自分の影が歪んで見える。




「……結局、何もできなかったな」


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