第六話「青ゴブリンの襲来」
赤黒い光を放つダンジョンゲート。その裂け目の奥から漂ってくる空気は、冷たく湿り、異様な重さを持っていた。胸の奥で警鐘が鳴るような感覚が、全身を強張らせる。
(これが……ダンジョン)
足を踏み入れた瞬間、世界が一変した。背後のゲートが消え、目の前には薄暗い洞窟のような空間が広がっている。天井からはとがった岩が無数に突き出し、壁面は濡れた苔で覆われている。耳に届くのは、水滴が地面に落ちる音と、時折響くかすかな低い唸り声――モンスターの気配。
(なんで……来ちまったんだ、俺……)
自問が胸の中でこだまする。朱音を追って入ったのは確かだが、それ以上の理由はなかった。装備は学校支給の初心者用で、スキル《過去視》が戦闘で役立たないことは自分が一番よく分かっている。
それでも、あの声が響いた時、身体は勝手に動いていた。朱音の背中がゲートに消えるのを見て、「ここで何もしなければ本当に全てが終わる」と感じたからだ。
洞窟の中を進むたび、足元の小石がかすかに音を立てる。それがやけに響く気がして、俺は何度も後ろを振り返った。
(誰もいない……)
誰かがつけてきているわけではない。だが、それ以上に怖いのは、この先に「何がいるのか分からない」という事実だ。汗ばむ手のひらで練習用の杖を握りしめ、深呼吸を繰り返す。
ふと、前方の暗闇の中で小さな影が動いた気がした。
「……何だ?」
胸が一気に跳ね上がる。だが、気のせいかもしれない――そう思って足を止めた瞬間、影が一気にこちらへと飛び出してきた。
「……っ!」
現れたのは青い肌を持つ小柄なモンスター――青ゴブリンだ。耳が裂けるような甲高い声を上げながら、鋭い牙をむき出しにして襲いかかってくる。その背後から、さらに2体、3体と同じ姿が続いて現れた。
「まじかよ……!」
思わず後退する。だが、足がすくんで動かない。手元の杖を握り直すものの、何をどうすればいいのか分からない。クラスメイトたちが披露していたような派手な魔法なんて、俺には使えない。
(どうする……どうする!?)
頭の中で叫ぶように繰り返しても、青ゴブリンたちの動きは止まらない。迫り来るモンスターたちの牙が視界いっぱいに迫った瞬間、俺は本能的に振り返り、逃げ出していた。
洞窟の中をただ全力で走る。手に持っている杖が邪魔で、何度も落としそうになるが、それでも振り返る余裕はない。
「くそっ……くそっ……!」
声にならない息を吐き出しながら、ただ闇の中を駆け抜ける。青ゴブリンの甲高い鳴き声と足音がすぐ背後から追いかけてくるのが分かる。
(このままじゃ……追いつかれる!)
その時だった。
《右へ進め》
耳の奥に響く声。その声は、外から聞こえるものではなく、胸の奥から直接響いてくるようだった。
「……右?」
頭では理解できなかったが、身体は言われた通り右に進んだ。狭い通路を曲がり、再び暗闇の中を駆け抜ける。声はさらに続いた。
《その先だ。走り続けろ》
謎の声が再び胸の奥に響く。無我夢中で走り続ける俺の視界には、暗闇と濡れた岩壁、そして足元の不安定な道が広がっているだけだ。後ろから迫る青ゴブリンの足音と甲高い鳴き声が、背中に冷たい汗を流れさせる。
(どこまで行けってんだよ……!)
息が切れ、足が鉛のように重くなる。それでも、ここで止まれば確実に殺される。死の恐怖が全身を支配し、身体を動かし続けていた。
やがて通路が突き当たり、目の前に冷たい岩壁が立ちはだかる。
「……行き止まり!?」
絶望的な事実に、思わず立ち止まる。暗闇の中で振り返ると、ゴブリンたちの赤い目が不気味に光りながらこちらを狙っている。もう逃げ場はどこにもない。
杖を構える手が震える。だが、この練習用の杖で何ができる? 攻撃魔法なんて俺には使えない。スキル《過去視》だって、ここで何の役に立つ?
「……おい、どうなってんだよ!」
怒りと恐怖がない交ぜになった声が喉から絞り出された。
「ここが『その先』かよ! 俺をここで死なせるつもりなのか!?」
岩壁を背にして必死に声を張り上げるが、返事はない。ただ、背後の冷たい壁と迫り来るモンスターの視線が俺を追い詰めるだけだった。
「ふざけんな……こんなところで……!」
自分が何に怒りをぶつけているのかも分からなかった。ただ、助かるはずのないこの状況を作り出した「何か」に対する絶望だけが胸を支配していた。
迫り来る青ゴブリン。その姿に、目の前にウィンドウが浮かび上がる。
【青ゴブリン】
種別:敵モンスター
ランク:D-
HP:38/38
攻撃力:12
ダンジョン内で群れを成して行動する低級モンスター。敏捷性が高く、集団戦で冒険者を追い詰めるのが得意。
【スキル】鋭い牙:咬みつき攻撃で追加ダメージ
【スキル】重撃斧:斧を振り下ろして防御を貫通する
「……Dランク!?」
思わず声を上げた。学校で教わった基準では、Dランクモンスターでも十分脅威だ。俺の装備やスキルで太刀打ちできるわけがない。
青ゴブリンの一体が手にした斧を振り上げ、笑うような声を上げる。その刃が頭上で光り、次の瞬間、振り下ろされる。
「っ……!」
俺は本能的に目を閉じた。だが、予想していた衝撃が訪れない。代わりに、耳元で「ゴンッ」という鈍い音が響いた。
恐る恐る目を開けると、青ゴブリンの斧が壁にめり込んでいた。その衝撃で岩壁が不自然に揺れ、崩れるようにして裂け目が生まれる。
「……隠し通路?」
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