第五話「謎の声に導かれ」
頭の中が真っ白になる。目の前に浮かび上がったのは、ダンジョン特有の《ゲート》。裂け目の向こうには未知の領域が広がり、その奥から低く唸るような音が聞こえてきた。
ダンジョンゲートは、空間そのものを歪ませるようにして現れる。そこから溢れ出す赤黒い光は、見た目だけでも不気味さを十分に感じさせるものだった。
その周囲に漂う空気が、次第に冷たく張り詰めていく。
(やばい……)
思わず一歩後ずさった。記憶の中に蘇るのは、一年前の《スタンピード》。家族を失ったあの日、俺が見たのもこれと同じ光景だった。
「……!」
ゲートの奥から低く唸る音が響き、次の瞬間、地響きのような振動が足元を伝ってくる。何かがこちらに迫ってくる――そんな予感がした。
「避難してください! 付近の住民は速やかに離れてください!」
遠くからギルドの職員らしき人物の声が響く。赤いジャケットを着た彼らが人々に避難を促しているのが見えた。
近くにいた通行人たちが次々と逃げ出していく中、俺もその場から離れようとした。その時、ふと視界の端に見慣れた姿が映った。
そこにいたのは月宮朱音だった。彼女はギルド職員と話をしている様子だったが、顔は真剣そのものだった。
(朱音が……ここに?)
思わず足を止めた。彼女がなぜここにいるのか、理由はすぐに分かった。朱音はBランクの冒険者として登録されており、学校から推薦を受けている数少ない生徒の一人だ。
「これから、ゲート内の調査に向かいます!」
彼女がギルド職員にそう言い放つ声が耳に届いた。その言葉に胸がざわつく。
(待てよ……Bランクの冒険者とはいえ、朱音一人であのゲートに入るつもりか?)
考えただけで背筋が寒くなる。朱音のスキル《水操術》は確かに優秀だが、防御力や攻撃力に関しては限界がある。あのゲートの向こうには、間違いなく凶悪なモンスターが潜んでいるはずだ。
「……無理だ」
声に出して呟いていた。彼女の実力では、B級ダンジョンを攻略するのは不可能だ。いや、それどころか、生きて帰れる保証すらない。
(殺される……!)
胸がドクンと大きく高鳴った。その鼓動に合わせるように、何かが頭の奥で囁く。
《このダンジョンで、お前を待っているぞ……来い、天城》
「……誰だ?」
思わず立ち止まり、周囲を見回す。だが、声の主はどこにもいない。目の前には赤黒い光を放つダンジョンゲートと、それに向かって進む朱音の後ろ姿だけがある。
声は、まるで胸の奥から直接響いてきたかのようだった。言葉に込められた圧倒的な力と確信。恐怖よりも、その響きが心を掴んで離さなかった。
(……俺を、待っている?)
疑念と動揺が胸を渦巻く。だが、声が確かに俺を呼んでいたことだけは分かる。そしてその声が、朱音が向かおうとしている場所――あのダンジョンゲートの奥から発せられていることも。
朱音の姿がゲートの中へと消えようとする。その背中を見つめるだけで、全身がこわばった。
俺はカバンを開き、中身を確認した。
(行くとしても、こんな装備で大丈夫なのか……?)
そう呟きながら、一つずつ装備を取り出していく。そのたびに、目の前に「ウィンドウ」が浮かび上がり、装備の情報が表示される。
【学生用魔導ローブ】
種別:防具/ローブ
ランク:E
学校支給の初心者用防具。防御力は低く、軽量化が図られているため、耐久性に乏しい。
【付与効果】なし
【練習用スタッフ】
種別:武器/杖
ランク:F
学校での演習に使用される初心者用スタッフ。威力は期待できず、魔法の威力を若干補正する程度。
【付与効果】+5%魔法ダメージ補正
【回復ポーション(小)】
種別:消耗品
ランク:E
冒険者初心者用の回復アイテム。体力を少量回復するが、連続使用には効果が薄れる。
(……貧弱すぎる)
改めて表示された装備品の情報を眺めながら、無意識に顔を歪める。初心者用として支給されたこれらの装備は、学校の演習では十分かもしれない。だが、ダンジョン内で本気のモンスターを相手に戦うには、到底頼りにならない。
(こんな装備で何ができるんだ……?)
そう考えた瞬間、頭をよぎったのは、クラスメイトたちが誇らしげに披露していたBランクの装備品だった。防御力が高い鎧、強力な魔力を宿す武器、さらには複数の属性耐性を備えた特殊な装備品――それらと比べると、自分の装備がいかにおもちゃのような代物かがよく分かる。
(……でも、これしかない)
何も持たないよりはマシだ、と自分に言い聞かせながら、装備を丁寧に身につけていく。ローブを羽織り、練習用の杖を握り締めた。その頼りなさが、余計に手に伝わる。
準備を整えると、視線を再びダンジョンゲートに向けた。その裂け目は、なおも赤黒い光を放ちながら、不気味に揺れている。
「……これで、本当に行けるのか?」
自分に問いかけても、答えは返ってこない。ただ、胸の奥で鳴り響く声だけが、再び俺を駆り立てる。
《このダンジョンで、お前を待っているぞ……来い、天城》
その声に導かれるように、俺はダンジョンゲートへ向かって一歩を踏み出した。
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