声
増田朋美
声
風が強く吹いて寒いなあと感じる季節がやってきた。そんな日にはやはり羽織やコートと言ったものが必要になってくるものである。その日、杉ちゃんは、製鉄所の利用者である、石川紀恵さんという女性が、着物の上着がほしいと発言したため、カールさんの店である、増田呉服店を訪れた。
二人が店に到着し、さあ店に入ろうと思って、店の入口のドアを開けようとしたところ、いきなり店のドアがバタンと開いて、洋服姿の女性が、店から飛び出してきた。杉ちゃんがすぐに店の中を覗くと、カールさんは売り台にある着物を整理しながらなにか考えていた。
「今さきほど、女の人が一人、えらく怒った顔で帰っていったが、一体何があっただよ?」
杉ちゃんがカールさんに尋ねると、
「ああうちの店に、着付け教室の人が連携しないかって、言いに来たのさ。どうせ着付け教室なんてね。着物から余計にお客を遠ざけるきっかけになるだけだから、しっかりお断りした。よくあることだから、何にも心配しなくていいよ。」
と、カールさんは答えるのであった。
「そうなんだ。リサイクル着物屋でも、着付け教室が連携しないかって、来るんかな?」
杉ちゃんがそう言うと、
「くるくる。販売会をしないかとか、ワークショップをしないかとか、うるさいくらいだよ。着付け教室は着付け教室、呉服屋は呉服屋でそれぞれが独立していればいいのに、本当に、連携連携ってうるさいね。」
カールさんは大きなため息を付いた。
「そうだよね。あくまでも、呉服屋は着物の販売をするのであって、着付け教室といっしょになにかしようではないよね。まあもちろん、儲かるとか、着物屋が軌道に乗れるとか、いろんなことを言われるんだろうけど、かといって、着付け教室がしているような悪事をしたくないよね。」
杉ちゃんは苦笑いをしていった。
「それに、いろんな余分なものを買わされて肝心の着物が着られるようにならないというのが、着付け教室だからね。もう何しに行ったんだ?って思うところも少なくない。そんなところと連携なんかしたくないよね。」
杉ちゃんは、続けてカラカラと笑った。
「まあ断れて良かったじゃないか。断らせることもできないほど悪質な着付け教室だってあるんだぜ。それに比べればまだ良かったと思いなよ。」
「ところで、カールおじさん、羽織一枚いただけないでしょうか?寒くなって来たので欲しくなったんです。」
杉ちゃんの話に割って入って、紀恵さんが言った。
「ああわかりました。長羽織と、中羽織、茶羽織とありますが、どれにいたしましょうか?」
カールさんがそうきくと、
「違いがわからないのですが。」
と、紀恵さんは答える。
「ああ、つまりこういうことです。茶羽織はおしりが隠れる程度の長さの羽織。長羽織は膝が隠れる長さの羽織。そして中羽織はその中間です。」
カールさんは態度も変えずにこやかに言った。
「じゃあ、気軽に羽織れるものはどれですか?」
紀恵さんはそう聞いた。
「はい。カジュアルに着るのなら茶羽織ですね。こういう感じなどいかがでしょうか?もちろん、なんの着物にあわせて着るのかを明確にしないといけませんが。」
カールさんは売り台から、羽織を一枚出した。赤にろうけつ染めで花の模様を入れてある、小紋柄の羽織であった。
「茶羽織ですが、なかなか良いですよ。気軽な上着として楽しめるのではないでしょうか?合わせる着物は、小紋などの気軽な着物でしたら、すぐにあわせられます。」
「ありがとうございます。じゃあこちらの茶羽織、いただいてもいいですか?お値段はいくらでしょうか?」
紀恵さんが聞くと、
「はい。一枚500円で結構です。」
と、カールさんは言った。
「じゃあこれでお願いします。」
紀恵さんはカールさんに500円を渡した。
「了解です。お品物はこちらです。こちらは領収書になります。また何かありましたらいらしてくださいませ。よろしくお願いしますね。」
カールさんはそう言って、羽織を彼女に渡し、領収書も一緒に渡した。
「どうもありがとうございます。こんなふうに、着物は当たり前のように気軽に買えたら良いのに。もっと、こういう店があったらいいですね。」
そう、紀恵さんが言うとおり、着物を買うというのは難しいのであった。新品で買えば値段は高いし、大手の呉服屋さんに買いに行ったとしても、本当に欲しいものは買えないということは非常に多いのである。
「まあ良かったじゃないか。幸い僕らはカールさんの店が近くにあるんだから。そこで気軽に着物は買えるしさ。それで良いと思いなよ。それに、時代に合わない古いものばかりを扱っているのがリサイクルショップというわけでも無いんだぞ。」
杉ちゃんに肩を叩かれると、紀恵さんはとてもうれしそうな顔をした。二人はどうもありがとうございましたと言って、カールさんの店をあとにした。
それから数日立って、杉ちゃんが、先日購入した茶羽織を着た石川紀恵さんと、バラ公園を散歩していると、洋服姿の女性が、こんにちはと二人に声をかけてきた。
「すみません、お二方とも、着物を着ていらっしゃいますけれど、それどちらで覚えたのですか・」
「はあ、お前さんは何者だ?」
杉ちゃんがそうきくと、
「それよりも、着付けをどこで習われたのか聞いているんです。」
と、女性はそういった。
「そうじゃなくて、尋ねるのはこっちだ。お前さんは何者だ?どっかの有名な着物屋の回しもんか?答えてくんないんだったら、僕らも教えないぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、洋服姿の女性は、ちょっとたじろいで、
「あたしは、花一着付け教室のものです。そちらの女性の方の着物の着付け方がちょっと気になったものですから。」
と、正直に答えてくれたのであった。
「はあそうか。そういうことならね。もちろん直してあげたい気持ちも、わからないわけじゃないけれど。人の着物に手を出すのはちょっとまずいんじゃないの?そもそも着物って、着方は十人十色だし、それで許してやっておくれよ。」
杉ちゃんはそう言って彼女をかわした。
「もちろん、着付けを教える人になったら、誰かの着物姿を見て、ああここがだめだとか、わかってくると思うんだけど、でも楽しく着ている着物姿を、ぶっ壊すような真似はしないほうが良いと思うよ。」
「ごめんなさい。着付け教室の先生から、誰か着物姿で困っている人がいれば、助けてあげなさいって言われたものですから。」
杉ちゃんがちょっと強く言うと、彼女はそういった。
「そうなんだ。おせっかいな着物講師がいるもんだな。お前さんも、おせっかいをしろと、着付け講師に言い負かされたわけか。」
杉ちゃんが言うと、
「一応、着付けを習って、教えることもできるようになりましたので、そうなったら、いろんな人に着付けを教えてお上げなさいと言われまして。」
そう言う女性に杉ちゃんと紀恵さんは顔を見合わせた。
「洗脳する着付け教室か、それでは着物を楽しく着るどころか、変な場所になっちまうな。着付け教室は。」
「そうですね、人に教えることを強要するなんて、私はそのような場所にはとてもいられないわ。」
二人がそう言い合っているのを聞いて、女性はなにか感じてくれたらしい。
「ごめんなさい、私何をしていたんでしょうね。他の人の着物に手を出して、もしかしたら、着付け教室に入ってくれるんじゃないかとか、そんなことを考えてしまって、本当にそうしなくちゃいけないと思い込んで、実際に行動してしまうなんて。」
洋服姿の女性は申し訳無さそうに言った。
「はあ良かったな。洗脳が解けてくれましたかい。それにしても、今どきの着付け教室は、着方が悪いと指摘して勧誘してくるのか。店に乗り込んでくるだけじゃないんだな。ちなみにどこにある着付け教室だ?」
杉ちゃんがそう言うと、
「はい。富士市の吉原にある着付け教室なんですが、最近生徒さんが少なくて困ってしまって。」
と女性は答えた。
「はあ、それはね、多分きっと、教えるのと売りたいのがごちゃまぜカメレオンになっているからだと思う。そうじゃなくて、着付けを教えるだけなのか、着物を売りたいのか、それをちゃんと考えてから出直してこい。」
杉ちゃんが言うと、
「本当にごめんなさい。師匠の言う通りにしなければならないと、すぐ思ってしまう性格なものですから、そのとおりにしなければならないと思ってしまいました。」
女性は、杉ちゃんたちに頭を下げた。
「まあ着付け教室行くと、どうしてもお教室というものは、井の中の蛙みたいになるからね。それはしょうがないんだよな。他の教室と喧嘩したり、変な物品の販売させられたり。もう悪事の温床さ。どうしてもお教室は商売だからねえ。無料と言っても、販売会に強制参加で、すごい大金使わせる着付け教室もあるからねえ。難しいところだが、無理矢理相手を着付け教室に連れ込むのはやめたほうが良いぜ。それはよく覚えとけ。」
杉ちゃんにそう言われて、女性は改めて杉ちゃんたちに頭を下げて、
「本当にごめんなさい。これからも楽しく、着物を着付けられるように、私も頑張ります。」
と言った。
「着物が好きなのと着物を販売するのとはまた違うんだよね。それはよく覚えておいてね。」
杉ちゃんが言うと、
「わかりました。決していたしません。」
女性は言うのであった。
「最後に名前を名乗らせてください。野田と申します。野田由希奈と申します。」
「はい野田さんね。これからはもっとみんなが通いやすい着付け教室にしてね。」
杉ちゃんがそう言うと野田さんはハイと言った。
「わかりました。ありがとうございます。もう着物の販売への強制参加などはさせませんが、彼女の羽織ですけれども、襟が立ってました。」
「ああ、何だ、それだけだったんですか。」
紀恵さんは急いで襟を直した。
「そんなことと、着付け教室への勧誘に結びつけるなんて、なんかすごい教室だねえ。まあ、そういう教室ではなくて、本当に着物が好きで、着物を本気で普及させたいと思っている着付け教室で働けると良いね。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうですね。」
と野田由希奈さんは言った。
「でも杉ちゃん、あたしも経験あるんですけど、着付け教室は、どこでも余分な部品を買わされるばかりで、肝心の着付けができるようにはなれませんよ。一度入会したら、そこの教室が販売している部品で着付けなければならないでしょ。そうならせてやめられなくさせようっていう魂胆もあるんでしょうけど、そうなったら最後までいないといけない。その中には必ず販売会への出席も義務付けられるわ。だから、そういうものがない着付け教室なんて今ではどこにあるのかしら?」
紀恵さんが、そう残念そうに言った。
「そうなんだよな。それで本気で着付けたいやつは、本なんか見て学んだほうがよっぽど早いという。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「本当にごめんなさい。着付け教師として何をやっていたのか、わからなくなってしまいそうです。確かに私の教室でも、苦しくないとか言って、部品の販売とかそういうものばかりやってます。」
由希奈さんは申し訳無さそうに言う。
「まあ、着物は苦しいものという固定概念あるからね。でも実際は、紐2本で着付ける着付けでもあんまり苦しくないよねえ。そうだろう?」
杉ちゃんが、紀恵さんに言うと、
「ええ、それに、昔の人は、コーリンベルトとか、そういうものは必要ないと思うし。」
と紀恵さんは答えた。
「だから、余分な部品の販売は一切無しで、ちゃんと着物の着方を教えてあげられるようなそんな着付け教室にしてよ。和裁屋としては、着物がただ利益をもたらす道具ではなく、着物を楽しんでくれる人が増えてくれることを望む。」
杉ちゃんがそう言うと、野田さんは、なにか決断してくれたようで、ハイと空気を着るように言った。
「あたし、今日お二人にあえて良かった。本当に着物を着たい人の声が聞けたような気がしました。本当にありがとう。あたしも、販売会などにこだわらず、本当に着物の着方を教えられるような、着付け教室になります。」
野田さんは、にこやかに言って、杉ちゃんたちにまた頭を下げ、バラ公園の出口から出ていった。あれでなにか気持ちが変わってくれたのだろうかと、杉ちゃんと、紀恵さんは、大きなため息を付いた。
それからまた数日がたった日のことであった。何気なしにテレビのスイッチを入れた紀恵さんは、目の玉が飛び出すような衝撃を受けた。
「今日未明、着付け教室花一の創始者あった、野田ますよさんが、何者かに突き飛ばされて、重症を負う事件がありました。警察は、傷害事件として、捜査しています。」
「野田ますよ。あのときバラ公園であったのは、野田由希奈さんだったよな。」
一緒にテレビを見ていた杉ちゃんが呟いた。
「じゃあ、あの女性は、野田ますよさんの身内だったんでしょうか?」
紀恵さんがまた言うと、
「それはよくわからないけど、ああいう着付け教室は、一族経営であることも珍しくないから。おい、着付け教室花一の場所、調べられない?」
杉ちゃんがそう言うので、紀恵さんは、急いでスマートフォンを出して、着付け教室花一の場所を調べてみた。花一は、割とわかりやすいところにあった。杉ちゃんと紀恵さんは、その着付け教室がある場所に行ってみることにした。
杉ちゃんたちが、調べた場所につくと、確かに、着付け教室花一と書かれている看板が存在した家があった。多分自宅の一部を着付け教室にしていたのだろう。看板の近くには野田という表札もあるので、多分古くから続いている家だと思われた。現場は、多くの警察官が、指紋を取るとか、家の中を調べていたりとか、まるでテレビドラマのような光景が繰り広げられている。家の前は、多くの人垣で、溢れかえっていた。まあ確かに、非日常のようなものなのでそうなってしまっても仕方ないものか。
「野田さん!」
不意に紀恵さんが、洋服姿の女性を見つけていった。
「あのときの野田さんじゃない。私を覚えていない?」
紀恵さんが言うと、野田由希奈さんは、とても悲しそうな顔をして、泣き出してしまった。
「お祖母様が、お祖母様がああなってしまったら、私達はどうしたら良いものか。これからお教室はどうなるの。その前に私はどうしたら?」
「まあ落ち着け!つまりお前さんは、野田ますよさんの孫に当たるわけだね。」
杉ちゃんは由希奈さんに向かっていった。
「ええ。一応外孫ですけどね。でも、お祖母様から、着付けを学んで、ここでやってきたわ。だから、お祖母様だって私の事を、教室の一員だって認めてくれていたはずよ。」
由希奈さんはそういうのである。
「それで、犯人の手がかりとか、そういうものは出たのか?」
と、杉ちゃんは言ったが、警察の人たちは、忙しすぎて、質問に答えている余裕はなさそうだった。とりあえず、泣いている野田さんを慰めるため、杉ちゃんたちは、この場にいないほうがいいと判断し、彼女をタクシーに乗せて、製鉄所に戻っていった。製鉄所と言っても鉄を作る場所ではない。分け合って家に居場所のない女性たちが、勉強や仕事をするための民間の施設なのだ。杉ちゃんたちが、野田由希奈さんを連れて製鉄所へ入っていくと、製鉄所には、着物を着ている利用者もいた。彼女たちは、野田由希奈さんが誰であるのかすぐわかったようで、なんだか嫌そうな顔をした。杉ちゃんがその理由を聞いてみると、野田ますよという着付け師は、余分なものを強制販売することで、有名だったそうである。とりあえず、由希奈さんに落ち着いてもらう必要があると、杉ちゃんたちは、彼女を、食堂の席に座らせた。
「まあとりあえず、これを食べてくれ。悩んだり悲しんだりしているやつは、大体腹が減っている。」
杉ちゃんに出されたカレーを見て、由希奈さんは始めは渋ったが、そのカレーの匂いに我慢できなくなったらしく、むしゃむしゃと食べ始めた。それと同時に、スマートフォンのテレビでニュースを見ていた紀恵さんが、
「ああ、容疑者の女性が出てきたみたい。やっぱり、お祖母様を怪我させたのは、女性だったようね。」
と小さな声で杉ちゃんに言った。
「それで、何でますよさんを殺害しようとしたのか、動機は出たのか?」
杉ちゃんが聞くと、
「あたし知ってるわ!あの野田ますよさんが、あまりにも、高圧的で、いろんなものを買わせようとしていたから、中には、お金がなくなって、大変になってしまった人も出たみたいよ。多分、そういうことで事件を起こすんだから、その人の母親とか、そういう人でしょうね。」
と利用者の一人が、由希奈さんに言った。
「そうか。それならあえて止めないほうがいいな。これはやっと受講生の声が、講師に届いたということにもつながるからな。」
杉ちゃんはそういうのであった。
「そうね、辛いかもしれないけど、それが事実だったとしたら、そうならざるを、得ないわね。ここで大事なのは、それに善悪とか、順位をつけてはいけないということよ。それよりも、それに対してどうすればいいか考えるのよ。お祖母様が、着付け教室をやっていて、それで悪質な売り方をしていたのがこれではっきりした。そして、そういうやり方に不満を持っている人だっていたこともわかった。だから、それからどう改善していくかを考えなくちゃ。そうするしか、人間にはできることは無いのよ。」
紀恵さんは、由希奈さんをそう励ますが、
「この辛くて悲しい気持ちからどうしても立ち直れない。それを消して、次のステップに行くにはどうすればいい?」
由希奈さんは、悲しい顔をして、そう杉ちゃんたちに言った。確かに当事者としてみれば、そういう気持ちにもなるだろう。
「いい気味よ。あたしだってせっかく着物の着方を習えると思ったら、変な難癖つけられて、いきなり変な部品を買わされたりするんだからさ。そんなことばっかりしているから、刺されることもあるんじゃないの?」
利用者の一人がそう言うと、
「受講生の声がやっと、経営者に届いたんかな?」
杉ちゃんは、そう呟くように言った。
声 増田朋美 @masubuchi4996
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