陰の賢者様〜賢者?いいえ、それは私ではありません〜

白夜黒兎

第1話 プロローグ

一人の少女、朝比奈璃子あさひなりこはヨタヨタと覚束ない足取りで廊下を歩いていた。何冊も積み重なった分厚い本を両手に図書室に向かっているのだがその姿は誰が見ても危なかっしい。しかしその姿を見ても誰一人として手を貸そうとする者は居なかった。そのうち前があまり見えていなかった璃子は何かにぶつかってしまう。本に傷が付いては大変だと恐る恐る前を見てみると色白いがゴツゴツとした大きな手が本を支える様に掴んでいるのが分かった。


「大丈夫すか、センパイ」


本を掴んでいた人物、黒髪の青年が漆黒の瞳を細め淡々とした口調でしかしどこか慌てた様子で璃子の顔を覗き込んだ。


「うん。白波くんのお陰でね。でもなんでまだ学校に居るの?一年は今日、5限目までじゃなかった?」


その質問に他意はなく、ただ本当に不思議に思って尋ねたのだが目の前の彼、白波銀しらなみぎんは一瞬目を見開くと直ぐ様バツが悪そうに目線を反らした。


「あー、ちょっと用事があってさっきまで教室に居たんで。もう帰るとこだったんすけどセンパイが何やら困ってる様だったんで?このままほっといて帰るのも後味悪いですからね」


銀がそう早口で膜し立てる様に言うと片手をこちらに差し出してくる。その意図がよく掴めずにいると。


「いやそれ運ぶんで貸してください」


彼がぶっきらぼうにそう答えるのだった。


しかしその言葉を聞いても尚、璃子は益々訳が分からないと言う様に首を傾げた。


「なんで?白波くん図書委員じゃないでしょ?これは私の仕事だから白波くんはもう帰っていいよ」


そう伝えれば銀は眉間に皺を寄せる。そんな彼の様子に瞬時に言い方を誤ったと思った。こちらとしてはこんな雑用に後輩を巻き込むわけにはいかないという配慮だったのだが少し、いやかなり言い方が冷たかったかもしれない。彼が自分を気遣ってくれてるのはちゃんと分かってるしそれは凄く嬉しい。だけどそれと同時に疑問を抱く。自分は凡な人間だ。なにか突出した特技があるわけでもない。そんな自分に何故彼等  ..は優しく出来るのだろう。何故当たり前の様に手を差し出せるのだろうか。


「違うの白波くん。あのね―――」

「そうそう。銀は残念ながら図書委員じゃないもんね。だからここは図書委員である私に任せて早く帰ったら?」


彼を傷付けるのは得策ではない。そう思ったら言葉を上手く纏めるよりも先に口を動かしていた。しかしそれを遮る声が後ろから聞こえてくる。


「こんにちは先輩。奇遇ですね♡」


少女は金髪のツインテールを揺らしながら璃子と銀に近付くとその華奢な腕をそっと璃子の腕に絡める。


「おい、亞梨沙。なんでお前がここに居るんだよ」

「ん〜、それは銀と同じ理由じゃないかな」


亞梨沙という少女が挑発するように目を細め口元に笑みを浮べれば銀の眉が上下にぴくりと動いた。


「よく分からないけど亞梨沙ちゃんもさっきまで用事あったの?それなら丁度いいね。ここに居るってことは亞梨沙ちゃんも用事は済んだってことでしょ?二人は同じ方向だし暗くならないうちにふたりで帰るんだよ?」


亞梨沙と銀の間で火花が散るがそのことに気付かない璃子は亞梨沙に軽く挨拶をするとそそくさとその場を後にしようとする。しかしそれを許す彼女ではなかった。


「あ〜ダメですダメです。取り敢えず先輩?私も手伝うんでちゃっちゃと終わらせて一緒に帰りましょう」


璃子の目の前に立つとバッと両手を広げ退路を断つ亞梨沙。そんな亞梨沙の行動に璃子はたじろぐがそれをチャンスだとでもいう様に亞梨沙は銀に声を掛ける。


銀はそれに頷くと璃子に近付き、彼女が抱えてる本を全て奪い取った。


···なんともまぁ、素晴らしい連携プレイである。流石は幼馴染。


「これで完全に逃げられませんね先輩。では大人しく手伝わせてください」


そう言って勝ち誇った様な笑みを浮かべる亞梨沙と自分のすぐ隣で何か言いたげな表情を浮かべる銀を交互に見やると璃子はくすりと笑う。


「···また助けて貰っちゃったねふたりとも。ありがと」


困った様に笑って璃子が礼を言うと返ってきたのは照れ臭そうにそっぽを向いたり喜色満面の笑みを浮かべるふたつの反応だった。



「てかどうしてここの連中はどいつもこいつも自分で返しに行かないんですかねぇ?こんな何冊も先輩に押し付けるなんてどうかしてますよ!」


図書室に向かう途中、銀の手元にある本の山がどうしても気になった亞梨沙は不愉快そうに眉を顰めた。


「ううん。そうじゃなくて私が自分で回収しに行ったの。その方が手間が省けて良いかなって」

「だからって当の本人が居ないってのも可笑しな話ですけどね」


ジト目で本の山を睨み付ける亞梨沙に慌てて弁解するがそれに対するごもっともな銀の言葉に璃子は今度こそ何も言えなくなり口を噤んでしまう。


銀の言うことは一理も二理もある。だけどそんな大勢で図書室に行くのは気が退けるし、ましてや自分は図書委員だ。ただ自分の仕事を全うしてるだけなのだと反論したい気持ちが一瞬湧き出るがそんなことしたってこの二人が納得する訳ないし、またなにか正論で返されるのは目に見えていた。だから璃子は何も言わない代わりに苦笑すると歩調を速めて二人の一歩先に出たのだった。


*****


「なぁ亞梨沙。この本はどこに返せばいいんだ?」


書物を本棚に配架していると一冊の国語辞典ぐらい分厚い本を手に取った銀は眉を顰めてすぐ隣で整理をしていた亞梨沙に声を掛けた。


「えー?一番下の段じゃない?ちゃんと請求記号順にしてよね」


手を止めることなく、目線をこちらに向けることもなく適当に言い放つ亞梨沙に銀は溜め息を吐いて貼付されてあるラベルを確認する。しかしそこには数字も、カタカナも何ひとつとして表示されていなかった。


「おい、これラベル貼ってないぞ」

「はぁ?そんな訳ない…あっ、本当だなんで?」


その言葉が耳に入ってくると亞梨沙はやっと作業していた手を止める。眉間に皺を寄せたままゆっくりと近付くと銀が持っている本を横から覗き見た。


そして本当にラベルが貼ってないことに驚いた亞梨沙は目を丸くし、銀から半端強引に本を奪い取ろうとする。


「ちょっ、あぶねぇ!」

「いいから早く貸してよ…っておもっ!!」


銀が慌てて制止をかけるがそれを振り切って本を手にする。…しかしその本は亞梨沙が思っていた何倍も重かった為亞梨沙の手に渡ったのはほんの一瞬で、次の瞬間にはドスッと重く鈍い音を立てて本が地面に直撃したのだった。


「え、今の音なに?」


そこまで大きな音ではなかったが向かいの本棚を整理していた璃子にははっきりと聞こえていたらしい。驚いた璃子はこちらの様子を伺う様に本棚から顔を覗かせた。すると直ぐ様視線は銀と亞梨沙の足元に落ちている本に釘付けとなった。


「せせ、先輩!?これは、その〜…。うぅっ、ごめんなさい!!ま、まさかこんなに重たいとは思ってなくて。決してわざとではないんですよ!?それにほら!傷だって少しも付いてませんよ!?」


ぴしりっと音を立てて固まってしまった璃子に慌ててさっきはつい落としてしまった本を掲げて一生懸命言い訳紛いなことを口にする亞梨沙。その姿はとても滑稽だが流石に哀れだとも思った銀は未だに固まっている璃子に声を掛けた。


「センパイ、この本の返却場所って分かります?」

「……っ、あぁこれね。ん〜、こんな本この学校にあったかな?」


銀が声を掛ければ璃子はハッとして亞梨沙がプルプルと震えながら持っている本をジッと見ると首を傾げた。


「でもこれ、センパイが回収した本に紛れ込んでたんすけど」

「え、そうなの?……ごめん。あまり覚えてなくて」


―覚えて、ない?


眉を八の字の形にして申し訳そうにする璃子に銀は目を見開く。何故彼女はこの謎に存在感がある本一冊のことを覚えてないのだろうか。ホッと息を吐いてこちらに親指を突き立てるガサツな幼馴染ではあるまいし。


「だとしたら誰かが持って来た本かもしれませんね。取り敢えず一旦開いてみますね」


亞梨沙が多少のワクワク感を胸に表紙を捲るがその中身を確認するなり固まってしまう。


「……なにも書いていない?」


銀も本の中身を確認するなり眉間に皺を寄せた。


そう。本にはイラストも文章もなにも描かれていなかったのだ。二人は顔を見合わせると先程からなにも発さない璃子の様子が気になり


「·····センパイ?」


銀が名を呼ぶが璃子は返事もせずボッーと本を見つめていた。


「先輩どうしたんですか!?」


只事ではない雰囲気を感じ取った亞梨沙も慌てて声を掛ける。


「ごめ、なさっ…」

「えっ?」


璃子は目を細め何故か謝罪の言葉を呟くとそのまま床に倒れ込んでしまう。


「せんぱっ…」


銀と亞梨沙が慌てて駆け寄ろうとするがそれは叶わなかった。突如として本から光が漏れ出したからだ。それに連動するかの様に璃子や自分達の体も光り出す。次第に意識が朦朧としてきて二人は膝から地面に崩れ落ちてしまった。ちらりと銀が薄れゆく意識の中で璃子を見ると璃子の体がだんだんと薄くなってる気がした。しかし早くこの状況をなんとかしなくてはと思う反面、体は思うように動いてはくれなかった。


―あぁ、情ねぇ…


薄く目を開いて悔しそうに唇を噛む銀はどうかこの状況が悪い夢であってくれと願いながら意識を手放すのだった。

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