午後五時三五分


 まるでボウリングのピンのようにタイガの身体が吹っ飛ばされ、視界から消えた。見覚えのあるセダンが甲高いブレーキ音を鳴らしつつ私に迫る。土嚢どのうが叩きつけられたかのような、パアアン、という衝撃音が遠く背後から響いた。


 逃げなきゃ、という言葉が浮かんだが私の足は言うことをきかなかった。車はぎりぎりのところで私をよけて左に逸れた。ブレーキ音が後方へ遠ざかっていき、止まった。しとやかな雨音が私の周囲へ戻ってくる。


 恐る恐る振り返った。秋雨の降りしきる中、右手に黒のセダンが赤いブレーキランプを光らせて停まっていた。その向こう側に、微動だにしないタイガの身体が転がっていた。


「今度は何が起こったの?」


 呟くと同時に、セダンのドアが開いた。長身をかがめながら路面へと降り立ったのはシャチだった。


 鉛色の雨空を背景に、黒い傘をさし黒の学ランを着て歩くシャチの姿は、まるで死神のようだった。


「ミズキさん、また会いましたね」


 シャチは私の目の前に立ち止まった。私は呆然と彼の長身を見上げた。


「なぜいたの? タイガは貴方のお父さんなんでしょう?」


「なぜって、そりゃ貴女を守るためですよ」


 そう言ってシャチは薄く笑った。


「どういう意味?」


「一目惚れってやつです。貴女は綺麗だ。綺麗なものは手元に置いておきたくなる。貴女が父さんの玩具にされて壊されるのを黙って見ておくのはしゃくだったから、父さんを殺したんだ」


 まるで昨日の天気について話しているかのような、あっさりとした口調だった。


「貴方は、貴方は人を殺した」


「貴女もね。クズリを轢き殺した気分はどうだった? 楽しかった? 気持ちよかった? それとも怖かった?」


 寒気をおぼえ、私は自身の体を抱きしめて後ずさった。私が対峙しているものが人間だと思えなかった。


「貴方は何も感じないの?」


「うん。やるべきことをやっただけだからね。父さんは僕の欲しいものを奪おうとしたんだから、殺されても仕方がない」


 私はこめかみを押さえて目を閉じた。何でもいい、何かを話し続けていないと狂気にまれてしまいそうだった。


「これから、これから貴方は私をどうするつもりなの?」


「ふふ、ミズキさんはせっかちだね」


 シャチはくすくすと笑いながら言う。


「まず貴女には選択肢が無いことを理解してほしい」


 シャチに肩を掴まれ、私は息を呑んだ。


「これから貴女は、僕と一緒に暮らしてもらいます」


「嫌だと言ったら?」


「僕には色んな友達がいる。暴力や誘拐を仕事にしてるような奴もね。あとはわかるよね? 選択肢が無いっていうのはそういうことだよ」


「具体的に、どんな生活をするのかしら」


 思わず、語尾が震えた。シャチは楽しそうに笑うと、口を開いた。


「大丈夫、貴女を苦しめることはしないよ。貴女の美しさが頂点を極めたその瞬間に、僕が貴女を楽にしてあげる。そして永久にその美しさをとどめ置いてあげる」


 先ほど邸宅の玄関で見た剥製たちの姿が鮮明に脳裏によみがえった。


「私を殺して剥製にするつもり?」


「すぐにはしないよ。安心して。僕らを迎えにもうすぐ使用人が来るから、少しだけ待ってて。外は寒いからうちの車の中で待っておけば良いよ」

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