第3話 不老不死のキョンシー

ぐううぅぅ。


腹の虫が鳴った。


そういえば荷物をまとめて実家を出てきたので、ろくに朝食も食べていなかった。

恥ずかしくなって腹を押さえた俺に、明々が提案する。


「腹減ってるのか。昼ごはん作ったげるよ」


「悪いね、ペコペコで……」


壁に貼ってあるメニュー表を見る。がっつり肉料理を食べたいと思った俺は、


「じゃあ、回鍋肉にしようかな」


と注文するが、



「ノボル、出す料理を決めるのはアタシだよ」


「え?」


「店の看板を見なかった? この店は『薬膳飯店』だよ」



確かにそう書いてあった。薬膳、と聞くと、精進料理のように味が薄く病院食のようなイメージしかないけれど。


「うちの料理は、お客さんの不調を治す、『食べるお薬』だからね」


そう言って、明々は俺の卓の向かいの席に座り、じっと正面から見つめてきた。

可愛らしい女の子に近くから顔を覗き込まれて、恥ずかしくなって目を逸らしそうになる。


「栄養状態は悪くない。食事はちゃんと摂ってるね。不調の原因は……睡眠不足か」


明々は俺の顔全体をジロジロと見て、なにやら分析しているようだ。

実家で三食母ちゃんの飯を食っていたが、確かに不規則な生活をしていた。


「顔が青白く血管が出ている。首こり肩こり、頭痛あり。運動不足で筋肉衰え。

昼夜逆転生活。漫画家センセーの職業病ね」


まるで俺の生活を監視カメラで見ていたのかというような、的確な指摘だ。


そして明々は勢いよく椅子から立ち上がった。



「二十代後半、男性、睡眠不足にセロトニン不足!」


パンパン、と手を大きく2回叩く。



「注文! 『自律神経改善マシマシコース!』」


店に響き渡る大きな声で叫ぶと、



「知道了!」



厨房から小龍の威勢のいい声が飛んできた。


そして、調理音が鳴り始める。


明々の注文の指示から、小龍がまな板で食材を切り、鍋に油を入れ、炒めている。

さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこへやら。俊敏な動きで店で唯一の調理人として仕事をこなしている。


すぐに、香ばしい香りが漂ってきた。


俺の座る席からは、中華鍋から立ち上る真っ赤な炎と、その蜃気楼でゆらめく小龍の顔が確認できた。


そして、待つことたった数分。



「好了!」



小龍の声と共に、厨房の出窓から料理が並べられていく。

明々が駆け寄り、その皿を順に俺の卓に置いていった。


「さ、『自律神経改善マシマシコース』。召し上がれ」


置かれた料理を眺めて、俺は唾を飲み込んだ。

空腹にはたまらない、食欲をそそる匂いに見た目も豪華である。


「前菜、スープ、メインディッシュの順に食べなね」


明々に言われ、箸を取りいただきます、と声に出してまずはサラダに手をつけた。

緑色の葉野菜に、黄色の花びらが散っている。あまり見たことがないが、色合いが華やかである。


「春菊と菊花のサラダだよ。春菊の香りはリラックス効果がある」


明々の言葉に相槌を打ちながら、サラダを口に運ぶ。

春菊といえばすき焼きなどの鍋物に入れるがあまり生では食べない。


苦味が口位に広がるが、菊花の甘みが中和してちょうどいい。マイルドな胡麻風味のドレッシングも合う。


すぐに食べ終わってしまった俺は、順番通り汁物を手に持つ。


「豆苗ともやしたっぷりの豚肉のピリ辛スープだよ」


野菜と一緒に薄切りの豚肉もたくさん入っている、具沢山のスープだ。


ラー油が入っているが、肉と野菜の出汁の旨みがあるため辛すぎない。


フーフーと息を吹きかけ口に運ぶが、スープの熱さと辛さで額にじんわりと汗が浮かんできた。


「はー、おいしい」


思わず口から感嘆の声が漏れてしまった。

それを聞き、明々は厨房を振り返り、小龍に親指を立てている。


「ノボルは日光にろくに当たってないから、ストレスを和らげるセロトニンが全然出てない。豚肉は、トリプトファンっていうセロトニンの分泌を促す栄養が取れるんだ」


聞き馴染みのない栄養素の解説をしてくれるが、俺の昼夜逆転生活でボロボロの体に効くように作ってくれているらしい。


「女性は体冷やすなってよくいうけど、男性だって冷やしちゃいけないよ。気の流れが悪くなる。万病の元」


確かに、胃だけでなく身体中が温かくなってきた。最後の一滴を飲み切って、俺はほっと息を吐く。


サラダと具沢山のスープのおかげで、この時点ですでに腹6分目を超えている。

メインディッシュが食べられるか不安になった。


「さ、コースの主役はこれよ!」


熱々を提供したいからか、俺がスープを食べ終わるタイミングを待っていたようだ。


小龍が厨房から出した鉄板を持ち、明々が運んで、俺の卓に置いたのは、


「餃子?」


ジュージューと音を立てている、美味しそうな餃子だった。

皮はパリパリで羽がついており、狐色でいい焼き加減だ。

俺は餃子が大好きなので、心の中でガッツポーズをした。


「普通の餃子はニラやニンニク入れるけど、これは生姜餃子。どんなヘタレもシャキッと元気なるよ!」


明々の言葉に、ヘタレ代表の俺は鉄板の上の餃子を箸でつまみ、ありがたく口に入れる。


肉汁が口の中にはじけ、豚肉の旨みを感じる。

その後に、生姜が喉から鼻に抜けていく。


なんだこれ、すごくうまいぞ。


確かに、ツンとした刺激が巡り体がシャキッとする!


「豚肉にはビタミンB1が豊富で、疲労回復する。生姜のシンゲロールは代謝と免疫力向上、風邪知らずよ」


ま、本当は睡眠とって適度な運動がいいんだけど、これは速攻効くからね、と明々が満足げに腰に手を当てて笑っている。


「ひき肉に味がついてるから、なにもつけなくてもおいしいんだけど、秘伝のタレをつけるともっといいよ」


「秘伝のタレ?」


なにもつけなくても十分おいしい、皮はもちもちなのに羽はパリパリで、肉汁はジューシーで文句ないのだが。


卓上に置いてある壺を明々が指差すので、蓋を開けてみた。


どろりと茶色いタレだが、薄く赤みがついている。


小皿に匙で数回垂らし、そこに生姜餃子をつけて口に運んでみた。

食べたことのない感覚。


しかし、確実にうまい!という感情だけが脳を巡った。

赤みはあるが辛くはない。むしろまろやかなコクと、何やら少し甘みがある。


俺はたまらず、またタレを餃子にかけ、一口で食べ切ってしまった。


「ふふ、おいしいでしょ。それの隠し味はココナッツよ」


「ココナッツ?」


ハワイのお菓子とかでしか食べたことも聞いたこともない。

南国のフルーツが、中華の食事に合うなんて。


「ココナッツは脳のエネルギーになる。頭使う漫画家センセーにはピッタリね」


甘じょっぱいタレが、生姜の薬味とやけに合う。肉汁が口の中で弾けるが、食べるのを止められない。


そして俺は鉄板の上の餃子をすぐに完食してしまった。

スープを食べ終わった時点では、食べ切れるかななんて心配していたのに。


「ご馳走様。……すごく、美味しかったよ」


なんだろう、腹が満たされた満腹感だけでなく……体の芯から活力が湧いてくる気がした。


目の奥から、手足の先までじんわりと温かい。血が巡っている、というのはこういうことだろうか。


「医食同源。食べたものは、その人の体になる。だから、たかが食事と手を抜いちゃダメよ。ゲンゾーの孫、ノボルセンセー。これからよろしくね」


食べた皿を片付けながら、明々は実に嬉しそうに告げた。

彼女のその笑顔を見たからか、満腹で満たされたからか。俺の頭に一つの案が降りてきた。


「……描いてみるか、グルメ漫画……」


ずっと少年漫画を描きたいと、バトルや能力物ばかり描いていた。

でもそういえば、戦いの後の食事のシーンの料理が美味しそうに描けていると担当に褒められたことがあった。


倒したモンスターの肉で作る料理が面白いと、読者コメントに書かれていた。



『昇は絵が上手いな、天才だ!』



じいちゃんに褒められたあの日から、見果てぬ夢を見ている。


でもやっぱり俺は歳を取っても夢を諦めきれない。


再起するんだ、この店で。彼らを手伝いながら、心揺さぶる漫画を描くんだ。

来てよかった。


中華街の薄暗い路地裏にある、店員2人でやっている、小さな薬膳飯店。

袋小路に迷い込んで出れずにいた、俺の人生ごと、大きな声と春菊と生姜とココナッツが吹き飛ばしてくれたんだ。


きっと今はもう外国でエンジョイしているであろうじいちゃんに礼を言いたい。

じいちゃんが帰ってくる時には、グルメ漫画で連載をとるんだ!


「顔色が良くなった」


厨房から出てきた小龍が、プーアル茶を俺に差し出し、微笑んでいた。

茶を口に含み、ほっと飲み込んで、壁に貼られている写真に目をやった。



「あれ、この写真じいちゃんか。若いなぁ」


そこに貼られていたのは白黒の写真で、店の入り口で若かりし日のじいちゃんがピースをしている。


皺も白髪もない若い青年時代のじいちゃんが、調理服を来てニッカリ笑っている。

その横には、同じぐらいの年齢の若い男女が立ち、こちらも笑顔を浮かべている。

しかし、その顔を見て驚いた。


「………んん?」


写真の下には日付が印字されている


1975年。もう50年近く前だ。じいちゃんは二十代前半。

その横に映っている従業員と思しき男女は……。


俺は写真と、横に立っている2人の姉弟の店員の顔を見比べた。

どう見てもそっくりなのだ。明々と小龍が、写真の中の人物と。


でも写真は50年前のもので、青年ケンゾーはジジイのケンゾーになっているのに、隣の男女は全く老けても変わってもいない。


「この人、君たちのご両親? いや、おじいちゃんおばあちゃん、かな?」


あまりにも似過ぎているので親族の類に違いないと、俺が尋ねると、



「いや? それアタシよ」


「俺です」


と当たり前のように返事をされた。


「え、でも50年前の白黒写真だよ。店も開店直後で新そうだし……」


俺の問いに、明々と小龍は目を合わせると、2人で示し合わせたように頷いていた。


「だってアタシたち、キョンシーだから」


「…………は?」


時間が止まったかのような沈黙。


「だから、キョンシー。知らない? 死体に宿る妖怪だよ」


「顔にお札貼ってなくても動くけど」


小龍が、キョンシーのお決まりのポーズのように両手を前ならえした格好でピョンピョンその場で飛んでいる。


「不老不死だから、老けるわけないね」


明々がピョンピョン飛んでいる小龍の肩を叩いて笑っている。



しかし頭の処理が追いつかない俺は、再び写真と、その日付と、目の前の2人を交互に見た。


「え……えええぇぇぇぇぇ!?」


俺の叫び声が、元町中華街の小さな路地にこだました。


それから、俺はこの不思議な不老不死の姉弟と同居し、癒しの薬膳飯店を手伝うことになるのだった。

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元町中華街 心を癒すあやかし薬膳飯店〜あなたの不調、キョンシーが治します〜 たかつじ楓@LINEマンガ連載中! @kaede_takatuji

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