第2話 2人の店員

そして俺は、リュックの中に最小限の着替えやタブレット等の仕事道具だけを詰めて、元町・中華街駅に降り立ったのだった。


鳥居の中に入ると、異国情緒あふれる雰囲気だ。


肉まんや揚げ饅頭を売っている屋台の香り、中華服を着たブタのマスコットが描かれたお土産屋さん、赤い提灯が垂れ下がっている料理店。


甘栗食べるかい? と路上で何度も差し出されるが、愛想笑いで断った。食べたら買わされるからだ。


スマホで地図を確認しながら、目的の店へと向かう。


「この辺だと思うんだけどな……」


画面を見ながら、目当ての場所がないかあたりを見渡す。


しかし、店の看板もどこにも見当たらない。


すると、有名な中華飯店の大きな扉の横に、細い路地裏があるのに気がついた。

薄暗いその道を進んでいくと、ようやく見つけた。


「薬膳飯店 シャンチー」と看板が掲げてあるその店は、小さな木の扉の横に「千客万来」と書かれた提灯がぶら下がっている。


窓から中を覗くが、灯りがついていないので開店中かどうかわからない。


時間は丁度11時。大抵の料理屋は開店している時間だろう。


おそるおそる、入り口の扉をノックしてみた。


「あのーすみません。やってますか?」


声をかけるも、中からは返事がない。

もう一度、コンコン、とノックをして、



「定休日かな……あ痛ぁ!?」



留守か、と拳を下ろした瞬間、ものすごい勢いで扉が開き、鼻っ柱に激突した。


「うちは11時半からの開店だよ!」


中から大きな怒声と共に、若い女性が飛び出してきた。


「今仕込みの時間で一番忙しいってわかるね!? うるさいよ!」


俺は顔面に激痛が走ったため、思わずしゃがみ込んで声が出せなかった。


「なに、コンコン音したのに誰もいないね」


目線に人がいないため、イタズラかと苛立った声を上げる女性。


「明々、下にいる」


女性の頭ひとつ大きい男性が店内からぬっと現れ、後ろからうずくまる俺を指差した。


ああ、と女性は俺に気づくと、謝るそぶりもなく言葉を続けた。


「アンタか。ウチは11時半からだよ。並ぶなら外の椅子に座っときな」


中国語の訛りのある日本語で、店の外の椅子を指差す。


「あの俺、この店の、オーナーの孫で……」


鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がると、眉を上げた女性と目が合った。


「あー、ケンゾーの孫。話は聞いてるよ」


彼女は納得したように返事をする。ケンゾーはじいちゃんの名前だ。松永健三。


呼び捨てで下の名前を呼んでいるので、親しい仲のようだ。


「まったく連絡一つぐらいよこしてから来な」


仕込みをしていたのだろう、頬に流れた汗を拭きながら、エプロンにバンダナ姿の女性は店の中に入って行った。ついてこい、ということだろう。


店内は、古いが綺麗に掃除が行き届いている、こじんまりとした中華屋さんだった。


壁にはメニュー表が貼ってあり、炒飯や天津飯、八宝菜や青椒肉絲などが書かれている。


椅子や机は全体的に赤を基調とした色合いで、壁には蓮の花の掛け軸が掛けられている。


俺は、とりあえず席に座ってリュックを下ろした。


「ケンゾーもひどいよ。私たちにはなにも相談せず、急に旅行いくなんて」


俺だけでなく、店員にも急に報告しただろう。思い立ったらすぐ行動するじいちゃんらしい。


「アタシは明々。後ろの男は弟の小龍。仕込みと配膳はアタシ、調理は弟がやってる」


明々と名乗った女性は二十代前半に見える。若くて元気で、黒目がちの大きな瞳が特徴的だ。


長い黒髪を一つに縛ってポニーテールにしている。


中華風の刺繍が入ったシャツにチノパン、エプロンをつけている。


後ろの小龍と呼ばれた青年は、身長は180センチ超えの長身だ。


ぱっちりした目の明々とは対照的に切れ長の目だが、鼻筋が高く顔が整っている。

無口なようで、腕を組んだままぺこり、と俺に頭を下げた。


「小龍です。……得意料理は、小龍包です」


低い声でそう告げて、ニヤリ、と口角を上げる小龍。


「ああ、よろしく」


俺が当たり障りのない返事をすると、


「アンタ、今のは小龍の鉄板ギャグだから、笑ったげなよ」


と明々に注意された。


「ご、ごめん」


彼のおとなしそうな雰囲気から、まさか初手でギャグを言うタイプだとは思わなかったのだ。


小龍はシュンと肩を落とすと、厨房へと引っ込んでしまった。


「小龍は口下手で繊細だからね。料理の腕はいいんだけど」


明々は、やれやれとため息を漏らす。


「俺は進藤昇です。仕事の合間になっちゃうけど、手伝うから何かあったら言ってください」


俺が自己紹介をすると、


「ふぅーん。アタシの好きな漫画家と同じ名前ね」


と明々が相槌を打ってきた。



「新藤ノボルのこと? その漫画家、俺なんだけど」



ペンネームは名前をカタカナにしただけの本名でやっている。


知ってくれて嬉しいなと思っていると、



「……えー!? アンタが新藤ノボル!?」



明々が驚いたのか大きな声を上げた。身を乗り出して問い詰めてくる。



「『神の子ギガンテス』の? 『転生した落武者は武者修行して無双する』の!?」


「そ、そうだよ」


「アタシ大好きなの! コミックも持ってるよ!」



さっきまでの憮然とした態度はどこへやら、明々は手のひらを組んでキラキラとした熱い眼差しを俺に向けてきた。


週刊誌に連載していた漫画のタイトルを大声で言われて、少し恥ずかしい。


厨房から小龍もひょこっと顔を出し、目を丸くしていた。



「ありがとう。嬉しいよ」


「新連載ずっと待ってんだ、早く描いてほしいね!」



明々の言葉に、チクリ、と胸が痛む。


たしかに、時々ファンからもっと作品を読みたい、新連載待ってますとSNSにメッセージやファンレターが届くことがある。


俺だって連載したいのだ。でも、その実力がない。


愛想笑いをして黙り込んでしまった俺の顔を、明々は訝しそうに見ていた。

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