第三章 三話
今日も今日とて碁を打ちながら、何となく同時に
お互い、息を殺して囁き合うのは
「
「そう思う」
何とも色気の無い話。
二人は
「仮に私が排除されて、誰が王に立つかと言えば」
「摂政どのを
「だが翡翠の血脈以外が王に立つことを、残りの五家が果たして認めるだろうか」
虹霓国建国の王が翡翠の宝玉を戴いたことから、王家の血筋は翡翠の血脈と表されることもある。
そして王座は常に翡翠の血脈にのみ受け継がれるのが習いだ。
だからこそ前王の唯一の子である榠樝が、女東宮という格別の位置にいるわけで。
「今や先々代まで遡らないと緑の血は出てこないけども。いや、降嫁した叔母上がいらしたか」
「とはいえ降嫁なさっておいでだから」
「うん」
又従兄弟たちまで合わせれば、数名居ないこともない。
だが正当な血筋と言えるのは。
「貴方だけだな、女東宮」
榠樝はふう、と吐息した。
「だからまさか殺されはしまいと高を
認識が甘かったわけだが。
「だが、貴方を排除して誰が得をするか」
「摂政一派、となるわねえ。普通に考えて」
山桜桃は他の女房たちと共に榠樝の衣装を縫っている。
向こうからは仲睦まじいと見られているのだろう。
気付かない振りをして、紫雲英は声を一層落とした。
「私が探ろうか」
「山桜桃を?」
うん、と紫雲英は
「黒鳶と蘇芳が手を組んだとは考え
榠樝は
考え込む時の癖だと、紫雲英ももう気付いている。重ねて言った。
「私は貴方の味方だ。信じてほしい」
「それは信じてる」
あっさりと即答され、紫雲英の方が面食らった。
「そうなのか?」
驚く紫雲英に榠樝の方こそ驚いた。
「そうよ。信じて無ければこうも頻繁に碁の相手に呼ぶものですか。まさか信じられていないとでも思ってたの?そっちの方が
紫雲英は少し頬を赤くさせ、視線を揺らした。
「いや、まあ、私は菖蒲の
「嫡子でも家の
「うん」
榠樝はにやりと笑った。
「ならば。云わば、私たちは同志よ」
だからこそ。
「危険な目には合わせたくないというのが本音」
「貴方がそれを言うのか」
紫雲英は苦笑する。
「寧ろ私の方が貴方を危険に晒したくは無いのだが」
榠樝はふふんと鼻で笑う。今更だ。
王になりたいのだと宣言した時点で危険は覚悟の上。
「毒食らわば皿までよ」
「貴方が言うと余計怖ろしいな」
「まあ、正直毒はもう勘弁」
はははと二人声を合わせて笑って。
「任せてくれ」
紫雲英が言うのに榠樝はしっかりと頷いた。
「うん。任せた」
そして何事もなく幾日かが過ぎて。
ある日。
山桜桃が
榠樝の前にどすんと座った。
普段優雅な山桜桃とも思えぬ仕草に榠樝はぱちぱちと目を瞬く。
「許せませんわ」
開口一番、紫雲英への批判が立て板に水の如くつらつらと流れ出した。
そして締め括りに宣言。
「あんな無礼者を女東宮の婿がねとは私、認めません」
何があったのだろう。榠樝はまた、目を瞬いた。
「全く、菖蒲の貴公子と名高い御方だと思っておりましたのに、とんだ見込み違いでしたわ」
どうやら山桜桃の周囲を紫雲英が嗅ぎ回っていることが露見したらしいが、それにしてもこの怒りようは何だろう。
「私の
榠樝は小首を傾げる。
「何か持って来たことは無かった、かな?」
たぶん。いや、そう。無かったと思う。貰ったのは花を添えた果たし状くらいだろう。
「お歌の一つも持参すべきです。
「いや、紫雲英がそんなことをするのはおかし、」
「だから駄目なのですわ!」
最後まで言わせず山桜桃はドンと床を叩く。
思わず榠樝はびくりと飛び上がった。
「妻にと望む方の元に手ぶらで来るなんて今時
その方が榠樝としては好ましいのだが、ここでそんなことを言ったら最後だというのは流石にわかる。
榠樝は賢明にも沈黙を守った。
「女東宮、
鼻息荒く。ひとしきり喚いたからであろうか、山桜桃は少し落ち着きを取り戻した。
「……水、要る?」
そっと
胡瓶は本来酒器だが、榠樝は酒を嗜まない。水差し代わりに使っている。
それはともかく。
主が従者に水を注いでやるなど、ましてや女東宮が女房にすることでは無いのだが。
山桜桃は一瞬躊躇い、けれど碗を受け取った。
「頂戴します」
ごくごくと勢いよく飲み干して、山桜桃は碗を置く。
「ともかく、私の眼の黒い内は不甲斐無い殿御になぞ、女東宮をお渡しするものですか」
「……山桜桃は、誰を?」
「聞いた限り紫雲英どのが一等かと思っておりましたが駄目です。あんなのは候補にすら入れられません。かと言って
「はあ」
「我が従兄弟、
スッパリ切り捨てられている花時に、ほんの少し同情する榠樝。
「同様に
「
意外な所に落ち着いたな、と榠樝は思わず唸ってしまった。
「尤も、笹百合どのも今のままでは及第点とは参りませんけれども」
山桜桃は熱い視線を榠樝に向ける。
「私が男でしたら、貴方をお守りするのに一番適していると思いますのに。残念でなりませんわ」
山桜桃の台詞に、榠樝もふと、揺らいだ。
もしも。
「私も、男だったら」
榠樝は少しだけ苦みを含んだ笑みを浮かべた。
叶わないこと。
有り得ないこと。
けれどもしも榠樝が女でなかったならば。
「世の中はもっと簡単に受け入れてくれたかな」
女東宮ではなかったなら。
もっと年齢を重ねていたなら。
父王がもっと長く生きていてくれたなら。
もしもの話。
有り得ない話。
榠樝の痛みが山桜桃にも伝わって来た。
「申し訳ございませんでした。言葉が過ぎました」
山桜桃は平伏し、詫びる。
「いや、私こそ、ただの愚痴だ。すまぬな。愚にもつかぬことを」
榠樝の手を取り、山桜桃は真っ直ぐに榠樝の眼を見た。
「私、命を
その言葉に嘘は感じられなかった。
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