第三章 二話

浅沙あさざが下がって、堅香子かたかご杜鵑花さつき榠樝かりんの前で膝を詰めて座っている。

「なんなの、二人して」

堅香子は杜鵑花を肘でつつく。杜鵑花が嫌そうに、というか困ったように眉を下げた。

女東宮にょとうぐうにおかれましては」

「うん」

言い難そうに杜鵑花が言葉を選ぶ。

「えー、今の所どなたが一番お心にかなっておりますでしょうか」

榠樝は半眼になった。

結局そこか。

物見猛ものみだけしこと」

つん、としてしまった榠樝に慌てる杜鵑花だが、堅香子が取り成す。

「誰しも気にはなっておりますが、好奇心からだけという訳ではございませんわ」

「だけでなくとも好奇心ではあるのでしょう」

「う、否定しがたい所突いてきますわね。流石です」

榠樝は憂鬱な顔で脇息きょうそくを引き寄せると、どっかりと身を預けた。

「正直、婿がねとか結婚とか、甘く見ていた気がする」

「と申しますと」

「どこかうつつと切り離して考えていたかもしれない。机上の空論ね。どうしたら、誰を選べば、一番効率が良いかだけしか見ていなかったのかもしれないわ」

小弓合の時のことを思い出す。

あの眸。あの熱。

向けられた感情をどう扱っていいかわからない。

「あれから毎日のように文が届くようになった」

今まで交わしていた文は縹笹百合はなだのささゆりとの優し気な遣り取りだけで。

愛だの恋だのと浮かれた空気をどう扱えばいいのかわからない。

毎日つぶてのように降り注ぐ恋文は主に蘇芳紅雨すおうのこううからのもの。

藤黄茅花とうおうのつばなからは心を動かすような珍しきものが贈られてくる。例えば銀の鞠香炉まりこうろだとか。

月白虎杖つきしろのいたどりは恐らくは父苧環おだまきかされて、仕方なしにだろうが、当たり障りのない文を送って来ている。

黒鳶は花時はなどきごうを煮やして山桜桃ゆすらを送り込んできた。

菖蒲紫雲英あやめのげんげはそういう方面においては大変な朴念仁ぼくねんじんというか唐変木とうへんぼくというか、そういう男なので榠樝としては非常にありがたい相手ではある。

榠樝は途方に暮れた表情で溜め息と共に台詞を吐き出した。

「どうしたらいいのかわからなくなってきた」

心底からの気持ちだろう。

堅香子は同情の眼差しを榠樝に向ける。

「畏れながら榠樝さま。初恋いつでした?」

榠樝は絶望的な顔を上げた。

「聞いて頂戴ちょうだい堅香子。まだかもしれない」

「何でもいいのですよ。どれそれの物語の貴公子が素敵~とかございませんでした?」

「父上と笹百合を見慣れた私にそれを聞く?」

愚問ぐもんでございましたわー」

亡き父王は並ぶもの無き美丈夫びじょうふであったし、笹百合はこれまた並ぶもの無き美少年であった。

「王たるに恋愛とか別に要らないと思うのだけど」

「でも嫌いな殿方と添い遂げたくは無いでしょう?」

「それはそうね」

溜め息交じりに答えて、榠樝はうん?と首を傾げた。

山桜桃ゆすら、いつの間に?」

振り向けば静かに控える杜若の女房装束。

「先程から。声をお掛けしたのですが皆さま一向に気付いてくださらないのだもの」

三人から少しだけ離れた所に山桜桃が座していた。

「恋ならば、榠樝さま。少しなら教えて差し上げることができますわ」

先を促せば山桜桃は優しく微笑んで、何でもないことのように言う。

「嫌いな人から除外して行って、最後に残った者をよく観察するのです。そうしたらきっと、わかりますわ」

消去法である。

「そういうものなの?」

「一つの選択肢ではありますわね。ですが唯一という訳ではございません。そういう決め方もあるということです」

釈然としない榠樝に、山桜桃は肩を竦めた。

「恋物語だとか、恋歌だとか、そういったものをお持ち致しましょうか?参考になるやもしれませぬし」

榠樝はぐったりとした。

「正直勉強で手一杯なのでそういうことまで考えたくはない」

けれど、と榠樝は溜め息を吐く。

「先送りにするわけにもいかない問題か。恋の相手とか、そういう風に考えたことはなかったわ」

自身のことも、婿がねのことも。

駒の一つとして見ていたのだと改めて思い知らされたというか。

「いや、無かった方が問題ですわよ榠樝さま」

「若君方、お可哀想かわいそうに……」

堅香子と山桜桃とに口々に言われ、榠樝は頭を抱える。

まつりごとだけでなく、征討軍せいとうぐんのこともあるし、恋の相手とか。頭の容量が足りない。零れる。溢れる」

堅香子はぱん、と手を打った。

「はい。今日はここまで。お休みください榠樝さま。お疲れでございます」

杜鵑花にてもらい、確かに過労だということで薬湯をいつもとは少し変えて。

よろよろと榠樝は御帳台みちょうだいに入って行った。


恋だの愛だの。

榠樝は御帳台の天井を見つめ、深く深く溜息を吐いた。

確かに全く考えなくは無かったが、飯事ままごとの範疇で。

あの熱い視線を向けられるのは、まだどうしても居心地が悪い。

いつか、自分もああいう視線を、想いを、誰かに向けることがあるのだろうか。

最初は笹百合がそうかと思った。

でも違った。

笹百合があのような眸で見つめてきたら、熱の籠った恋歌などを贈られたら。

やはりそれは居心地が悪いのだ。




次の日の榠樝は公務をこなしながらも、何とも鬱鬱とした気分で過ごした。

夕刻、紫雲英が訪ねて来た時、心底ほっとしたように榠樝は笑ったのだった。

「紫雲英、碁の相手を」

「そのつもりで来たが、どうしたのです。貴方らしくない」

「そう。とてもらしくないの。だからいつもの私に戻して頂戴」

紫雲英は何だかよくわからないながらも頷いた。

そうして碁に熱中すること、何戦しただろう。

日はとっぷり暮れていた。

「長居し過ぎたな。まずいぞこれは」

はっと我に返り、榠樝は顔を顰める。

「ごめんなさい紫雲英。つい引き止め過ぎた。これ以上は良くない噂が立つ。急かして悪いけど」

「すぐ帰る。申し訳ない。此方の不手際だ」

縫腋袍ほうえきのほうの裾を翻し、紫雲英は慌ただしく退席した。

手際よく片付ける堅香子に、榠樝は少し恨めしそうに言った。

「言ってくれたらよかったのに」

時間が経ち過ぎた。夜は恋人たちの時間だ。

堅香子は眉を下げる。

「だって、碁を打つ榠樝さまは、今日一番よいお顔をなさっておりましたから」

「一日酷い顔だったのは認める」

「指摘したいのはそこでは無く」

堅香子はそっと囁くように問うた。

「紫雲英どのですか?」

榠樝は真っ直ぐに堅香子を見た。

「違う、と思う。断定はできない。今一番側に居て居心地がいいのはきっと紫雲英。でも」

榠樝はゆっくりと言葉を探す。

「紫雲英に愛を囁かれたら、きっと寒気がすると思う」

堅香子は肩を竦める。

「気持ちはわかります」

酷い言われようだが、確かに紫雲英が女性を口説いている所など想像もできない。

口説かれたり言い寄られたりするのは、堅香子は何度か見ているのだけれど。

一応榠樝には報告しておく。

「紫雲英どのの浮ついた噂は、今の所ちり一つ分もございません」


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