翌日。竜介はサッカーが終わると、真っ直ぐに家に帰ってきた。


 相変わらず靴は脱ぎ散らされているが、沙友里が小言を言う前にリビングで宿題を始めてくれる。その姿にほっとした。


「わからないところがあったら、いつでも聞いていいからね」


 竜介に声をかけてから夕飯の準備をしていると、スマホに登録されていない番号から電話がかかってきた。

 もしかしたら、竜介のサッカー関係の連絡かもしれない。


「もしもし」 

「こんばんは。ファミリー・スイッチの小堀です」


 調理の手を止めて電話に出ると、女性の声が聞こえてきた。


「あの、どちらさまでしょうか」


 確実に、竜介のサッカー関係の電話ではない。不審に思いながら問いかけると、その女性が待ち構えていたように話し始めた。


「はい。私たちファミリー・スイッチは、家族の交換サービスを行う会社です。弊社では、ご家族のことでお悩みのお客様に無料のカウンセリングを行い、その後、問題のあるご家族をご希望にあった方に交換するお手伝いをしております」

「何の話をしてるんですか?」


 怪しすぎる説明に、沙友里は顔をしかめた。


 どうやって電話を切ろうかと思考を巡らせていると、女性が淡々とした言葉で料金がどうの、契約がどうのと説明をしてくる。


「今、忙しいので」

「ですが、沙友里さんはお子さんの竜介くんのことで悩まれているのではないですか?」


 電話を切ろうとしたとき、女性の声音が急に鋭くなった。


 電話の向こうの顔もわからない相手が、自身と竜介の名前を知っている。その事実に戦慄する。

 この電話は任意の勧誘ではなく、はっきりと沙友里を特定してかけられたものなのだ。


「いったい何が目的なんですか」

「弊社の行うのは家族環境整備です。沙友里さんは、竜介くんの成績不良や生活態度にお悩みでしょう。ですから詳しくお話を伺い、私どもで竜介くんに代わる優秀なお子様を選ぶお手伝いをさせていただきたいと思いまして」


 丁寧な口調で恐ろしいことを提案してくる女性に、沙友里の顔が青ざめる。

 竜介に代わる子どもを提案したいだなんて、いたずらにしても悪質すぎる。


「交換なんて……、そんなことできるはずがありません。あの子は私の大切な子どもですよ?」


 興奮気味に声をあげると、リビングのテーブルで勉強していた竜介が、不思議そうに沙友里の顔を見てきた。


 確かに、ここ数日、竜介と他の家の子を比較して焦ったり悩んだりした。

 けれど、竜介は沙友里の話をちゃんと分かってくれたし、今だって一生懸命勉強に取り組んでいる。


 勉強が苦手でだらしないし、少しつり気味の気が強そうな目は沙友里にも竜也にも似ていないけれど。それでも竜介は、大切な……。


「最初はみんなそんなふうに仰られますが、ご家族を交換する際には弊社が責任をもって関わられている全ての方の記憶を塗り替えます。ですから、何も困ったことは起こりませんよ。あなたはあなたのままですし、あなたのお子様はあなたお子様のままです」


 女性の話していることは、いよいよよくわからない。


「皆さんお忘れになってしまうだけで、弊社のサービスを利用されている方は結構多いんですよ」


 最後に、電話口の向こうで女が薄気味悪く笑う声がした。


 この女はおかしい。電話番号はいったいどこから漏れて、沙友里や竜介の名前はなぜ知られたのだろう。怖い。怖い……。


「とにかく、うちには必要ありません!」

「そうですか。もしご検討の際には、ご自宅にパンフレットを——」

「必要ありません! 二度とかけてこないで!」


 ヒステリックに叫んで、通話を切る。顔をあげると、竜介が沙友里を見て呆然としていた。


「ごめんね、竜介。何でもないから」


 竜介に笑いかけたとき、竜也が帰ってきた。おかしな電話の余韻に震えながら玄関まで迎え出ると、竜也がパチパチと目を瞬いた。


「どうしたの?」

「竜也さん、ファミリー・スイッチって聞いたことある?」

「なにそれ」


 竜也が、首を傾げながらネクタイを緩める。


「今、すごくおかしな電話がかかってきたの。竜介を他の子どもと交換するとかどうとか……。もし誘拐目的だったらどうしよう」


 竜也の腕にしがみつくと、彼がふっと一瞬、真顔になった。


「竜也さん?」


 妙な胸騒ぎを感じて呼びかけると、ふにゃっと笑った竜也が、沙友里の頭を撫でた。


「心配性だな、沙友里は。そんなに深刻にならなくたって大丈夫だよ。それより、今日のごはんは何?」


 そう言って、廊下を歩いてく竜也の声は、いつもと同じように能天気だ。

 普段ならそんな竜也の態度に腹を立てるところだが、今夜は彼の適当さや能天気さに安堵する。

 これが日常で、さっきの電話がおかしかったのだ。


「今日の夕飯は、サーモンのバター焼きとミネストローネ。あと、サラダ」


 落ち着きを取り戻した声で沙友里が言うと、寝室のドアを開けようとしていた竜也が振り返る。


「おー、美味そう。沙友里は料理がうまいし、家をいつも綺麗にしてくれてるし、帰ってきたら気持ちが安らぐ。本当に非の付け所がない奥さんだよ。あのとき、君を選んでよかった」


 甘く微笑む竜也の表情に、沙友里の心音が速くなった。

《あのとき》って、私との結婚を決めてくれたときのことよね。


 もう十年以上も前。初めて二人でデートに出かけた思い出の場所で、竜也がプロポーズをしてくれた。

 そのとき、飛び跳ねたくなるくらい嬉しかったのを覚えている。でも、記憶の中の竜也の顔はなぜか輪郭がはっきりとせずにぼやけていた。


 竜也さんが言う《あのとき》って——。


「お母さん、宿題教えて」


 ふと心に浮かんだ違和感について考え始めたとき、竜介が沙友里を呼んだ。


「ちょっと待ってね。すぐ行くから」


 沙友里が深く考え込む前に、妙な違和感は日常に溶けて消えていった。

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