第一章
開闢の章 一節
【煌歴三六二年 一二月 一八日】
その光は、瞼の裏にまで感じるほど強く暖かかった。
天から降り注ぐ太陽の光を浴びながら、横になるのが何よりも好きで、このスラム街でも他の建物に比べて頭一つ高いこの廃墟の屋上が、アインのお気に入りの昼寝場所だった。
付近には陽の光を遮るものはなく、周囲にはひび割れた床と飛び降り防止の柵のようなものが取り付けてあるが、錆びつきもはや当初の目的は果たせそうになく、哀愁を感じさせる。
高い場所にいると、下界の粗野な男たちの罵り合う声も、何かが壊れる音も、そしてあの淀んだ空気も、一時忘れることが出来る。この場所が無くなったら三日三晩は寝込むに違いないが、アインは生まれ育ったこの街が嫌いな訳では無かった。
確かに目が
でもたまには一人になりたい時もある。そんな時にこの廃墟の屋上に来るのだが、その時、こちらの方に向かってくる足音でその思考は中断された。
「またここにいたのか、アイン。みんながお前を探しているぞ。」
目を開けると、頭上には浅黒い肌の男が顔を覗き込んでいた。
吸い込まれそうな大きな碧眼と、猫のような印象を受ける癖毛の、短い黒髪の青年の名前はレナード。アインと同じ歳で二○歳であり、小さな頃から一緒に悪さをして育った家族同然の悪友だった。
「全く、少しはボスを労る気持ちはないのかね、レナード君。」
わざとらしく溜息をつき起き上がる。
「それなら、もっとそれらしい振る舞いをしろ。」
そう言い残してレナードはその場を去ろうとする。アインはなけなしの気力を振り絞って立ち上がり、その後ろについて行く。「年々態度と体はでかくなりやがって」と小声で毒づくと「聞こえてるぞ。」とこちらを見ずにレナードが一喝したのでそれ以上何も言わず、屋上を跡にした。
このスラム街は、第一帝都ヴァーミリオンから東に街二つを挟んだ場所に存在しており、帝都からの流れ者やはみ出しものが集うことによって独自の社会が形成されている。元はこの場所も帝都だったそうだが、何がしかの理由で放棄され、残った建築物などはスラム街の住人の寝床となっていた。
スラム街も最初は街の一角程度の集まりだったが、人が集まるにつれて派閥が生まれ、便宜上、一三の区画に分けられるようになり、アイン達がいるこの区画は『七区』と呼ばれている。スラム街となった旧帝都は面積約一一○○ノースエル(約一○○○○㎢)ほどの大きさであり、人口も現在の帝都と遜色ないほどであるため、幾人もの無法者がひしめき合う地帯となっていた。
レナードに連れられて建物の外に出ると、視界の外から鈍い音と呻き声のようなものが聞こえた。
レナードとアインは音のした方向を振り向くと、二人の粗野な風貌をした男が、怒りの形相で少年を足蹴にしている状況だった。足蹴にされる少年の頬は痩け、明らかに栄養が足りていないのが見て取れる。少年は地面にうずくまり、ひたすら攻撃が止むのを待っている様子で、腕には何かを抱えているようだ。
推測したところ、おそらく飢えて仕方なかった身寄りの無い少年が男の食料に手をかけて逃げきれず……といったところだった。周囲の人間は完全にその状況に対して我関せずといった態度であり、誰も仲裁に入ろうとする者はいない。帝都や普通の街ならば兵士が駆けつけて何とかする場面でも、政府が見捨てたスラム街ではそうはならない。これが現実なのだ。
レナードの方を見ると、向こうもアインを見ていたようで視線が合った。レナードは視線をやりながら、にやりと口角を釣り上げたが、その時アインも同じような顔をしていたのは明白である。アインは、目の前の青年が何を考えているのか、手に取るように分かっていた。
二人が同時に駆け出す。その勢いのまま、次の瞬間には少年を足蹴にしている二人の男の背に飛び蹴りをお見舞いしていた。
突然の出来事に、短い悲鳴を上げ、もんどり打って倒れる二人の男。何が起こったのか状況を理解出来ない少年は、目の前に新たに現れたアインとレナードに釘付けになっていた。
「そこの少年。今のうちに適当に逃げろ!」
アインがそう叫ぶと、少年はすぐさま立ち上がり、脱兎のようにその場から立ち去った。路地に入る直前に、こちらに向かって頭を下げた気がしたが、アインはそれよりも目の前の起き上がってくる男二人に意識を向けていた。
「てめぇら……なにしやがる。よっぽど死にたいらしいな。」
男の片割れが凄んだ。
剣によるものであろう大きな傷が斜めに顔を縦断しており、右目は潰れている。おそらく戦場で傷を負い、そのまま戦線に復帰できず除隊になり荒れた生活を送ってこの街に流れ着いたのだろう。
もう一人の男は
「ゴチャゴチャ言ってないでかかってこい。」
レナードが挑発すると、兵士崩れの男たちは完全に頭に血が上り臨戦態勢になり、腰からナイフを抜いた。ナイフを出せば戦意を削げると考えたのだろうが、鈍く光を放つダガー状のナイフを前にしても、アインは気圧されたりしなかった。例え相手が兵士崩れでこちらよりも体格に勝っていたとしても、確実に勝算はあると考えていたからである。
それは、アインのこれまで様々な修羅場をくぐり抜けてきた経験もあったが、何より隣に立つレナードの存在が大きかった。
昔から、アインはレナードには真正面からの喧嘩で勝ったことがない。アインが勝つ時は奇策を用いた時だけであり、剣の達人に教わり剣術もずば抜けているレナードと一緒なら、負ける気がしなかった。次の瞬間までは。
「なんだ、なんの騒ぎだ。」
近くの建物から上半身のみ鎧を着た男が顔を覗かせたと思ったら、その後ろから次々に人相の悪い男達が現れた。
新たに現れた男の数は九人。目の前の臨戦態勢の二人を合わせて計一一人と瞬時にこちらと五倍以上の人数差がついてしまった。
「このガキどもがいきなり俺らを蹴り飛ばしやがったんだ!ぜってぇぶち殺す。」
ナイフをこちらに向けたまま、乱杙歯の男が仲間と思しき男たちに事情を説明した。その言葉を聞き、一気に仲間の男たちは殺気立つ。
「レナードさん。この人数は流石にきついかな?」
流れ出てきた冷や汗が頬を伝う中、冗談めかして視線を隣に向けた。
「……そうだな。なにか剣の代わりになる物があればいいんだが……今は生憎と持ってない。」
レナードも状況の変化に少し顔が強ばっているようだ。
視線を戻すと、新たに現れた男たちはそれぞれナイフや棍棒、さらには剣のようなものまで手にしている。いくらレナードが強いとはいえ、この人数差では分が悪いのは明らかだった。
そして決断してから、動くまで数瞬とかからなかった。
「逃げるぞ!」
アインの号令でレナードも同時に体を反転させ、全力で疾走する。後ろからは怒号と複数の荒い足音が聞こえてくるが、後ろを向いている余裕はなかった。風を切る音と、自分の呼吸音がうるさいくらい耳に響いていた。
周囲の人間は揉め事に巻き込まれないように物陰に身を隠すか、全力で逃げるアインとレナードを見て驚き飛び退くなどしてくれるお陰で、障害物となる物は無い。しかし、徐々に後方の兵士崩れたちとの距離が近づいているのが感じ取れたアインは、視界の前方に捉えた横道の路地に進路を変える。
「こっちだ!」
アインの先導に従ってレナードも路地に入る。道は細く、人がひとり丁度通れるくらいの幅で、アインとレナードは一列になり駆け抜けていく。後方から「こっちにいったぞ。」「追え。」といった声が聞こえる。
――奴らはまだ追いかけてきているようだ。
路地には野良犬やごみなどが地面に散乱しており、飛んで避けながらアインは進むが、これがいい足止めになってくれることを切に願うばかりだった。そんな中、息を切らして振り絞るようにレナードは口を開く。
「あいつらまだ追ってくるぞ。何か考えがあるんだろ?」
呼吸が乱れて苦しそうに咳き込むレナードを横目に、アインは不敵に笑ってみせた。
「当たり前だろ。」
そう短く答えると、レナードはそれ以上何も聞かなかった。こういう時に長い付き合いっていうのはいいものだと感じながら、アインは新たに現れた横道へ向かって一歩を踏み出した。
―――――――――――――――――――――――
アインとレナードは、とある廃れた教会の屋内に逃げ込んでいた。恐らく昔は信心深い教徒や教父がいて、決まった時刻になると神に祈りを捧げていたのだろうが、今は外壁には蔦が生い茂り、長年の雨風に晒されて風化していた。
教会内の空気は埃の匂いで充満しており、手入れが全くされていないことは会衆席や講壇の老朽化具合から見ても一目瞭然で、最奥部に佇む女神のような石像は寂しげな表情をたたえているように見える。
そんな女神像を背にしてアインとレナードは荒い息を整えながら、真っ直ぐ正面を睨みつけている。視線の先には半円状の扉があった。この廃教会に逃げ込んだ時に
レナードは周りを見渡すが、この廃教会の内部は天井のステンドガラスから光が漏れているだけであり、正面の扉以外は外部に通じる逃げ道はなかった。
隣にいるアインに視線を向けると、絹糸のように艶のある金色の髪が汗で額に張り付いており、髪とおなじ金色の瞳は、朦朧としているようでいつもの余裕の表情ではなかった。アインは籠城を選択したのかと思考を巡らせていると、扉の外で男たちの声がする。
そして扉を無理矢理に開けようと強い力が加わり、木製の閂がギシギシと悲鳴をあげた。いつこじ開けられるか分からない状況でアインとレナードは身構えたが、突然扉は静けさを取り戻す。
しかし次の瞬間、大きな音と共に扉から鉄の塊が突き破って割り出てきた。それは斧の先端だった。男たちの中に斧を持っている者がいたのだ。
扉を突き破った斧の一部が引き寄せられるように外に姿を消し、大きな縦状の穴だけが扉に残ったかと思うと、次に振り下ろされた斧の一撃によって扉は完全に破壊された。周囲には木片が散乱し、教会内に最初の一撃目よりも大きな音が響き渡る。
土煙の先から兵士崩れの男たちが現れた。先ほど扉を破壊したのは斧を持った大男だった。布のような物を頭に被り、こちらを睨みつけている。その大男を押しのけるように、リーダー格と思しき甲冑を胴部分だけ着た男が歩み出た。
「あんだけ逃げ回って行き止まりかよ。ここまでコケにしてくれたんだ、楽には殺さねぇぞ。」
リーダー格の男が鞘から剣を抜いて凄む。他の仲間たちも勝利を確信したのか笑い声を漏らしながらナイフ等の武器を手にし、その中で仲間のひとりが唯一の出入口である破壊された扉の前に陣取った。今度こそ逃がす気はないようである。
男たちは獲物をいたぶる捕食者のように、退路のないアインとレナードに対し、じりじりと距離を詰めていく。
レナードは腰を落とし、両腕を前に突き出して戦闘の構えを取ることで抗戦の姿勢を示したが、同時にアインが一歩前に進み出た。それに対して警戒したのか兵士崩れたちも立ち止まる。訪れた一瞬の静寂を破ったのはアインだった。
「あんな人目が多いとこでコテンパンにしたら可哀想だと思ったから、わざわざこんなとこまで来てやったんだよタコ。そんなんだから部隊から追い出されたんじゃねえの?」
それは明らかな挑発行為だったが、男たちの理性のタガを外させるには十分すぎるほどの劇薬だった。
怒りに我を忘れた兵士崩れたちは、一斉に武器を振りかぶり襲いかかった。アインとレナードとの距離が一気に縮まる。もう一歩でも踏み込めば、兵士崩れの男の振り上げられたナイフの刃が、アインの首に届くといった所で異変が起こった。
ナイフの軌道はアインの首に届かず、空を切り、アインの視界から消えてしまったのだ。
ナイフだけでは無い。ナイフを握っていた男も、その仲間も、全員が目の前から轟音と共に消えた。
レナードは土煙が舞う中、目の前で起こった現象に面食らっていたが、次第に理解した。男たちは
この打ち捨てられた廃墟同然の教会は、あらゆる所にガタがきていた。壁も、扉も、そして当然床でさえも。木の板で作られた床板は、恐らく年月の経過によって腐っていた。そこを防具を付けた大人が大人数で踏み抜けば、床は崩れ落ちる。あえて挑発したのも一斉に飛びかからせる為だったのだ。
「何ボーッとしてんだ!こっちこい!」
アインの言葉で我に返ったレナードは、声のした方向を振り向くと、アインは女神像を盾にするようにその背後へと移動しており、急いで傍に駆け寄った。その時、床に空いた大きな穴からは兵士崩れの男たちの呻き声が聞こえる。おそらく状況の理解に時間がかかっているだろうが、すぐに穴から這い出てくるだろう。そして扉付近にいた仲間の男も、もうすぐこちらに来る。
「そっちこそ何をしてるんだ、もうすぐ奴ら穴から出てくるぞ!」
今のうちに早く逃げるべきだと告げようとすると、アインは床から不自然に飛び出した、金属製の突起に手を掛けた。すると木材の擦れる古めかしい音と共に、床に四角形の亀裂が走り、床板が持ち上がった。それは隠し扉だった。
扉の先から流れ込んできた新鮮な空気は、
隠し扉を開けるとほぼ同時に、何かが炸裂するような音が左右からレナードの耳をつんざく。
反射的に音のした方角を向くと、支柱となる大きな柱の根元が砕け、完全に支えを失っている状態だった。そしてそれは、反対方向の柱も同じであることは想像に
「急げ急げ!生き埋めになっちまうぞ!」
二人は隠し扉の先に飛び込む。扉の先の空間は思ったよりも深く、着地に失敗して腰を地面に打ち付けた。
衝撃に歯を食いしばりつつも辺りを見渡すが、周囲は暗闇に閉ざされており、自分がどこにいるのかも分からないほどだった。
「くそ……おい!アイン!いるのか!?」
一緒に飛び込んだはずの相棒を探す。一拍遅れて返答があった。
「こっちだこっち。あー痛。扉の縁に頭ぶつけたぞ畜生。」
左方向からアインの声がした。しかし安堵したのも束の間、頭上で大きなものが倒壊する音が鳴り響き、地面も揺れ、天井からは砂粒が落ちてきた。廃教会が崩れたのだ。
「うお、すげー衝撃だな。ここで生き埋めになるのは勘弁だぞ。」
呑気にアインは感想を述べているが、状況的に洒落になってはいなかった。
「ここも安全とは言えない。外への道があるんだろ?」
「もちろんよ。ここは坑道みたいになっててな、まぁよっぽどの事じゃない限り生き埋めは無いと思うが、はやく太陽を拝みたいからな。こっちだ。」
アインの声が移動していく。声のする方角に向かって慎重にレナードは歩を進めていくが、地面は起伏に富んでおり、気を抜けば大きな岩に足を取られるため、足元に神経を集中させる。
次第に目が暗闇に慣れてくると、前を進むアインの後ろ姿と、この坑道の全貌が見え始めてきた。崩落を防ぐため木材で壁や天井を補強しており、どこまで効果があるのかは疑問だったが、今はとにかく進むしかない。
しばらくすると、先導するアインの足が止まった。それに合わせて歩みを止めると、アインは視線を上げ、両手を天井に向けて手探りで何かを探し始めた。探った箇所から土や小石が降ってくるが、アインは気にも留めずに探索を続ける。
「出口か?俺も探すぞ。」
レナードも同じように頭上を探索し始めた。落ちてきた土が目に入り、涙が滲むが、構わずに少しづつ探索する箇所を変えながら続けていくと、手先に土壁とは違う硬い感触があった。
すかさず何度も手触りで確認するが、明らかに土とは違う滑らかで平らな物が天井に取り付けてあった。軽く叩くと軽快な音が坑道に響き、木の板であることが感触で分かった。
「そっちか、でかしたぞ。」
上擦った声を上げてアインがこちらに近づいてくると同時に、手のひらにまた違う感触があった。ひんやりと冷たく、木の板とは比較にならない程滑らかな手触り、そして手先から伝わってくる情報を脳内で組み立てると、廃教会の隠し扉の取っ手の形と一致した。
「ここが扉だな。開けるぞ。」
力を込めて扉を押すと、眩いばかりの光が顔を直撃した。思わず顔を背けると、その暖かさから太陽によるものだと理解し、脱出できたという実感を感じる。
レナードは、新鮮な空気を目一杯吸い込んだ。
――――――――――――――――――――――――
アインは、先に外へ出たレナードに手を引っ張られる形で隠し扉から這い出た。軽々と人ひとりを引き上げれるのだから、馬鹿力も捨てたものではないなと軽口を叩こうとしたが、手を離されてまた穴に落ちる羽目になりそうだと思ったので、黙って引き上げられることにした。
引き上げられて周りを見渡すと、そこは墓地だった。スラムにおいては野垂れ死にする人は珍しくないが、そのまま放置すると腐ってしまうため、亡骸を葬る場所が一応決められていた。あくまで簡易的なものであり、周囲には墓石代わりの木の棒や、古びた剣などが地面に突き刺さっている。
普段ならこんな場所に長く滞在するものではないが、緊張から開放されたアインとレナードはその場に倒れ込んだ。衣服は所々破れており、土で全身汚れていたが構わなかった。気を抜けば泥のように眠ってしまいそうになる疲労感に身を任せていると、レナードが倒れ込みながら口を開いた。
「色々聞きたい事があるんだが、あの隠し道は知っていたのか?」
「あー、あれはこの前いい隠れ家を探してたらあの教会に行き着いてな。偶然見つけたんだよ。幸運だったね。あいつら明らかに流れ者って感じだったし、床にガタがきてるって事も知らないだろうと思ってよ。」
実際に、アインは彼らの顔も見たことが無かった。
人の出入りが激しく、広大なスラム街とはいえ、自分の行動範囲の人の顔は把握しているつもりであり、だからこそ罠に掛けられると思ったのだ。
「途中わざと何度も路地に入って、まさに必死に逃げてますって感じを出せたのもポイントだな。素直にあの教会まで逃げ込んでたら、警戒されたかもしれない。」
ここまで話してから、アインは我ながら喋りすぎたなと感じる。思い通りに進んだ高揚感で、舞い上がっているのだろう。
「それじゃあ、お前が教会に逃げ込んで俺に扉の施錠をさせてる間に何かやってたのは、火薬の設置だったって事か。」
レナードが再び問いかけてきた。表情は見えないが、レナードもアインと同じように高揚感にあてられて、口数が多くなっていた。
「そういう事。事前に調べておいた脆そうな柱の根元に忍ばせてあった火薬を設置して、奴らが屋内に入ってきて穴に落ちる時間を予想して、導火線の長さを調整したのさ。我ながら完璧な配分だったね。」
種明かしをする手品師のような気分で、レナードの質問に答えていく。
「あ、まぁ一応言っておくとあいつら多分死んでないよ。多分だけど。穴に落ちてるから直撃はしてないだろうし、正面扉を塞いでた奴は避難してただろうし。」
ちょっとやりすぎたかもしれないと感じてフォローを入れておく。レナードはそういう部分に敏感な性分でもあるからだ。そのフォローが効いたのか、レナードは苦笑した。
「全く、本当に悪知恵が働くな。お前は。」
「人聞きの悪い。智謀に溢れると言ってくれよ。」
静かな墓地に、二人の笑い声だけが響いていた。
アインが帰路に付いたのは、太陽が沈み始めた頃だった。
当初、レナードは仲間が探しているという理由でアインの元に現れた。しかし色々とあったせいで、レナード自身が仲間の元にアインを連れていく気力が無くなり、用件は後日に回すということで解散になった。家路を急ぐアインの目には燃えるような夕焼けの空が映り、スラム街を暖かく照らしていた。
アインの暮らす住居は七区の中心地から外れた、打ち捨てられた家屋が密集する地帯にあった。だが元は帝都だった為、建築物は手入れが行き届いてないとはいえ美麗で頑丈な物が多い。
多くの者はこの地帯の廃屋で雨風を凌ぐが、もちろん縄張り争いも激しく、空き地にテントのようなものを張る者や、路地で震えながら夜を明かす者も珍しくない。だがアインはそんな中でも比較的に老朽化の進んでいない廃屋に住んでいた。以前の住人は、レナードと共に平和的な方法でお引き取り願ったのは言うまでもない。
その住居にアインは父と住んでおり、父の名はローレルといった。
ローレルは柔和な笑顔を湛えた老人であり、ここ数年で腰は曲がり、目も見え辛くなってきたと自嘲しているが、空き地で田畑を耕し、野菜を売る等してアインを育ててくれた唯一の肉親であった。アインはよく無茶をするがその度に酷く心配し、時には叱るという、このスラム街においては希少な人格者であるローレルをアインのみならずレナードも尊敬していた。
今日もまた体を土だらけにして帰ってくるアインを見て、どんな小言を言われるかと考えながら家路を急いでいると、アインの家が見えてきた。煉瓦造りの一軒家であり、屋根は帽子のような特徴的な円錐形になっている。父が多少は手入れしているとはいえ、所々に亀裂や色の風化が見られ、それほど広い造りではないが二人で暮らすには十分だった。
自宅の扉の前に辿り着くと、アインは扉の取っ手に手を伸ばしたが、寸前で動きは止まる。
扉を通して、家の中から話し声が漏れてきたからだ。しばらく聞き耳を立てていると、話している人数は二人。ひとりは父であるローレルの声であったが、もうひとりは聞いた事のない声だった。話の内容は聞き取れないが、澱みなく会話している様子から、父が危険な目に遭っている訳では無いと判断すると、改めて扉を開いた。
扉を開く音に合わせて、室内の二人がこちらに顔を向ける。ローレルは暖炉の前で椅子に腰を下ろしている状態であり、その横には耕作で使われたであろう土のついた
そしてもうひとりは見たことの無い、老齢の男だった。背は高く、背筋も糸で吊られているかのように伸びた佇まいからは、振り返るまで老齢とは気づかないほどの力強さを感じたが、何よりもその服装に目を奪われた。とてもこの掃き溜めのようなスラム街には似つかわしくない、仕立ての良い燕尾服のようなものを身につけていたからである。
服を着こなすとはこういう事を言うのだろうか、明らかにこの街の人間ではない気品溢れる姿に気圧されていると、今度は男の襟元で金色に光る襟章に目線を移した。
その襟章は、煌国の国旗の印だったとアインは記憶していた。
という事は、この男は帝都からやって来たということになるが一体スラム街に何の用なのか。そんな疑問が渦巻く中、ローレルが口を開いた。
「おお、アイン。帰ってきたのか。」
ローレルの声色は明らかにいつもと違い、動揺の色が混じっていた。こちら側に視線を向けながらも、隣に立つ燕尾服の男にもせわしなく視線を送っている。
「なるほど、この方が。確かに目の色も同じようですね。」
そう呟くと、燕尾服の男はアインをつま先から頭まで観察し始めた。その遠慮のない視線に若干たじろぐが、アインは負けじと状況の把握に努める。
「おう、親父。この人誰?いきなり人の事じろじろ見てくんだけど。」
抗議も含めてローレルに説明を求めると、はっと気付いたように燕尾服の男はこちらに向き直った。
「申し訳ございません。私、シュトラウス・ヴィッツと申します。お察しの通り、帝都からやって参りました役人でございます。」
そう言って軽く頭を下げた男の発言に、心を見透かされたようでどきりとした。シュトラウス・ヴィッツと名乗る男は、アインの態度にも物怖じする様子は無かった。
「へー、帝都から遥々ご苦労さまな事で。それで、そんなお偉いさんが何の用?」
睨みを効かせて威圧したつもりだったが、ヴィッツは全く狼狽える様子もなく、隣から何か言おうと口を開きかけたローレルを右手で制した。
「結構。私から説明させて頂きます。」
その言葉を受けたローレルは、いつもの心配そうな顔をして引き下がった。明らかに異質な空気をアインは感じ取り、どんな事があっても動揺を顔に出さないよう身構えると、ヴィッツの二の句が放たれる。
「落ち着いてお聞きください、アイン様。
貴方は煌国現皇帝クリフォード・ヴァン・レガリア陛下の隠し子であり、皇族の血を引く人間なのです。」
「………………は?」
暖炉で薪が弾ける音が、夕焼けのスラム街に溶けていった。
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