マジックカウンセリング~心理探偵降臨~

想田唯一

第1話 洗脳とチーカマと心理探偵

 「センセイ!いくら何でも少しは学園のために働かないとダメなんじゃない」

 16時、水曜日、俺の部屋にチーカマはノックもせず乱入してきた。ドアを開け、磨りガラスの衝立を乗り越え、ソファに寝そべる俺の顔を見下ろすまで5秒もかかっていない。

 ツインテールっていうのか、結んだ二筋の黒髪が俺の視線の先で揺れる。

 「今日もカウンセリング、ゼロって、センセイ我が校の生徒どもに見限られてんじゃないの!国家資格が泣いてるわ!」

 そうは言っても相談がなければ、カウンセラーは何もできない。まさか、悩み事ありませんか、と校内に触れ回るわけにもいかない。

 「鎌田くん、君は俺の心配するより、やるべきことがあるだろう、部活とか勉強とか!君も高3になったんだろう。カウンセリング室、用もないのにうろうろしないでくれるかな」

 起き上がった俺の視線の先に、満開の桜並木が見える。見えるが、その桜並木への視線をチーカマがさらに遮る。近い。顔が近すぎる。

 「わたしはね、大学の専攻は心理学って決めてるから、センセイの仕事を見るのも受験勉強の一貫なの!」

 「君ねえ、カウンセリングには守秘義務っていうのがあってだねえ…近いから少し離れて!用がないならこの部屋から出ていく!」

 「あら、私を追い出すのね、せっかく相談したいって人連れて来たのに!」

 鎌田千秋ことチーカマの声に押されてか、衝立の向こうから女生徒が顔をのぞかせた。

 「センセ!こちら川中聡美さん、同じクラスで、ちなみに出席番号は私のすぐ後ね」

 俺は川中と紹介された女生徒の顔を見た。川中聡美はその視線に臆することなく、何も言わず俺の正面に移動しそして座った。真ん中から綺麗に分けられた黒髪ロングストレートで、学校指定バッグには物がそれほど入っていない。昨今の高校生の指定バッグは物で大きくふくらんでいるが、川中聡美のバッグはそうではない。

 川中に続いてチーカマも当たり前のように川中の横に並んで座る。

 俺は川中聡美に、いいのか??という視線を送ったが、川中は首を少し傾げただけで俺の視線を軽やかにスルーした。チーカマの同席は構わないのだと俺は勝手に判断した。

 「相談者が居るならば、先にそう言ってくれないと…」

 相談者が来るのはありがたかった。学園の理事長にとあることで手を貸したことで、2年前にこのカウンセリングルームを俺は手に入れたが、相談者が来なければ、いくら何でも常駐カウンセラーの地位は奪われる。

 学校カウンセラーは非常勤で週に1、2度学校に来訪するのが普通だ。そこまでカウンセリングにお金をかけないのが学校という現場の現実だ。対して俺は、少ないながらも月毎の報酬を得て、専用のカウンセリングルームまだ得ている。

 環境に甘えていることは否定できないが、しかし甘え続ければいつ学園を追い出されるか分からない。やるべきことはやるべきだ…

 そんな思いをチーカマの言葉が遮る。

 「センセイ!相談の前に、聡美に心理探偵やって見せてよ」

 チーカマがまた難しいリクエストを簡単に放つ。

 「どういうこと??心理探偵??」

 川中聡美が首をかしげる。

 「いいから聡美、黙って聞いてて…面白いから」

 「面白いって…カウンセリングは見世物じゃあないんだがな」

 「いいから!さあさあ」

 俺は小さな溜息をついた後、聡美の顔を直視して一気に言った。

 「川中さん、あなた意志が強くて、周りに流されない強さがあるね」

 川中聡美が少したじろいだ後、勢いに押されてうんと頷く。

 「それにアニメを見るよりも小説読むのが好きかな。それもラノベよりは昔の文学作品…部活は帰宅部あるいは文芸部の線もあるか…少なくとも体育会系例えばダンス部ではないな…」

 「なに…これチーカマ…これが心理探偵ってこと???」

 「そうそう、どうよ探偵の出来は?」

 「まあ待て、あ、今日の相談は自分のことではないね。例えば家族の誰か…うーんお兄様のことで相談???」

 この最後の一言で川中聡美は表情を崩して「えーそれなぜ分かるんですか…びっくりしたんだけど…」と言葉を漏らした。

 「ねぇ!心理探偵でしょ!けっこう当たるのよ…心理学ってすごいよね」

 俺はチーカマの言葉の即座に反論した。

 「鎌田君、これはね心理学ではなく単なる占い。う・ら・な・い」

 「心理学と占いはどう違うんですか…」

 川中聡美が興味あり気に問うてくる。

 「心理学は、実験か統計をもとに根拠があることしか言わない。占いは自分の経験則で好きに語っているだけなものだ。だからさっきやって見せたのは占いだ」

 「驚きました。確かに私、昔の小説読んでるし、帰宅部で、兄がいて…相談も確かに兄のことだし…」

 「ね、すごいでしょ」

 チーカマはまるで自分の手柄のように語る。

 「千秋、先生に話した?私のこと」

 「全然!今日、サトミンが来るってこと自体言ってないもん」

 「ええ、何で分かるんですか…ちょっと気持ち悪い…」

 「だ・か・らそれが心理探偵だってこと!」

 チーカマが決めゼリフのように言う。

 「種明かししてください!面白過ぎる!」

 俺は川中聡美の言葉を無視した。占い師はその見立ての根拠を決して言わない。少なくとも神霊や直観で分かったとした方が、神秘的に見える。だからいちいち説明はしない。

 例えば、最近は前髪を気にする十代女子は非常に多い。その流行に背を向けておでこを見せる黒髪ロングストレートは周囲の流行りに流されない強さがあるということだ…例えば抱えた指定バッグだ。それが薄いのは、持ち歩く物を厳選しており、自分の行動を教師の都合で決めたくないという意志の表れである…指定バッグに物を詰め込む生徒が多い中、これは独特な行動パターンであるとも言える。さらに指定バッグのポケットには、カバー付きの文庫本がのぞいている、文庫本は厚みがあり、ラノベでそれはありえない。カバーも適度に汚れており、じっくり読んでいることが見てとれる。こんな厚手の文庫本を学校の行き帰りに読む体育会系の高校生はまあいない。さらに部活が盛る水曜日のこの時間にカウンセリングルームを訪れるのは、恐らく帰宅部か軽めの文化部所属だ。合唱部、吹奏楽部、書道部は文化系の部活でも活動は重めゆえに該当しない。さらに美術部にしては身ぎれいで軽音部ならば楽器の一つも携えているはずだ。だから高い確率で帰宅部、あって文芸部だと判断した。

 占いなんてこんなものだ。こういった見立てが常に当たるわけではない。ただこの見立ての内の二つ三つが的中すれば大成功だ。的中すれば聞き手は勝手に心酔してくれる。つまりまあ良く言えば街の占い師、悪く言えばカルト宗教の入り口と同じ手口だ。

 「センセ、一つだけでいいから説明してあげてよ」

 驚く川中聡美を見て、チーカマも少し得意そうだ。まあ、的中させすぎると霊能者と間違われる可能性もある、それは嫌だ。

 「ええとだね、兄がいるという推察なんだけど、これはねまず今少子化だから3人兄弟はまず除外ね。これは純粋に確率の問題…特に本校のような中高一貫の学校では3人兄弟っていうのは相当に確率が低いんだよ。これで選択肢は一人っ子か二人兄弟。で、その鞄のポケットの文庫本、それは400ページはありそうな作品で、本格的な小説だと判断したんだ。深刻な悩みのある子はそんな小説を学校の行き帰りに読んだりしない。読書は心の余裕の証だからね。なのにこうしてカウンセリングルームに来たってことは自分のこと以外の悩みがある、だろうと。さらにその悩みの種が学校の友人の話ならば、出席番号が前の鎌田千秋が知らないはずはない。でも鎌田千秋は紹介者で当事者ではない…だったらきっと川中さんの家族、兄弟姉妹のことだろうと考えた。さてそうなると、兄か姉か、でも年下の弟や妹のことならば、姉として高圧的に悩みの解決に乗り出して、こんなところで専門家に判断を普通求めたりしない。兄や姉は自分の弟や妹のことについては自信をもって自分で解決できるって信じることが多い。年長者の自覚ってやつでこれもまた確率の問題だ。となれば、兄か姉がいる可能性が高い…さらに姉がいる妹は、ファッション、装いに個性が出がちなんだ。姉の影響を受けて大人っぽくなるか、派手な姉の個性が嫌いならば極端に地味になりがちだ、なのに君は装いに強い個性があるわけでもなく、かと言って地味という感じでもない。つまりこれで兄がいる妹と判断したわけだ。この判断を踏まえて、その兄の相談にわざわざやってきたということは、兄に対して心配の気持ちが強く、その心配の種は、そうだねえ引きこもりかなんかじゃないか…ちょっとした家庭内暴力がくっついているんだろうね」

 川中聡美はここで本当に驚いて見せた。

 「心理学ってすごい!」

 「いやだからこれは心理学っていうわけではなくて…」

 「もう何でもいい!千秋、この先生マジですごいね」

 川中聡美のこの言葉に俺は浮かれることは全くない。俺の中ではこれはたまたまに過ぎない。

 「さて、すごいかどうかは置いておいて、川中さん、あなたの悩みを語ってください。で、鎌田さんは退席してください」

 俺がはっきりそう告げると、川中聡美は「千秋の同席許可してください。私、一人で抱えきれないと思うんです。千秋には最初から相談に乗ってもらってたし…」と震える声で返答した。

 チーカマは横に並んで座る川中聡美の背中を撫でながら、ほらほらと俺に話しをするように促す。俺は仕方なくカウンセリングを始めることにしたが、チーカマはぐいぐいと頭を前に寄せてくる。考えてみればチーカマが本意気のカウンセリングに立ち会うのは初めてのことだ。非常に邪魔ではあったが、俺はチーカマの存在を無視することにした。

 「川中さん、お兄さんの引きこもりと暴力、それが相談内容?」

 「はい…私の二つ上の兄で、6月で20歳になります。引きこもったのは14歳の秋だから、もう5年以上、もうすぐ6年です」

 「こもって5年、ちょっとこじらせてるね。高校時代に外に出る習慣を取り戻さないとあとはもう何十年も部屋の中になる確率が高いからね。暴力は?」

 「それが…」

 この問に対する川中聡美の返答は少し奇妙なものだった。川中聡美は兄が暴力をふるっているのを見たことがないと言う。しかし父も母も、兄の暴力を心底恐れていて、兄の顔をうかがってばかりいるようだった。確かに家の壁に、前日にはなかった拳を打ち込んだような跡があったり、休日出かけて帰宅してみると、家中の家具がひっくり返されて、父が呆然とし母が泣いている姿を見たこともある。しかし川中聡美自体は兄の暴力を振るう様を実際に見たことどころか、聞いたこともないとのことだった。

 「で、川中さん、君はどう思う。君のお兄さんは暴力をふるってるのかな」

 「はい、それは間違いないと思います。ただ私が見てないだけで…」

 「それは一つの鍵だね」

 「鍵??」

 「そう、お兄様が部屋を出るための鍵だよ。大体わかりました。次に聞くけど、川中さんの視点から、お兄さんが引きこもりになったのはなぜだと思う?直観でいいから何か考えることがある?」

 「あります!私が6年生の秋の時に、中2の兄は学校に行かなくなってしまったんです。多分学校が合わなかったのだと思います。それ以前にも学校を休むことが何回かあったから…」

 「その頃に何か川中さん自身のことで何かあった?例えば何かを決めたとか、何かを止めたとか、あるいはお父様お母様との関係で変わったこととか…」

 「そうですね…6年生の秋かあ…敢えて言えば、この学校を第1志望にしたことくらいかなあ…母と相当やりあいましたけど」

 「お母様と揉めたの?」

 「そうですね、私の母は何て言うですかブランド校っていうか伝統校っていうか、そういう学校に行かせたがるんです。行かせたがるというより、中学受験はそのためにあるっていうくらい頑固だったんです」

 「で、川中さんはどうしたの??」

 「戦いましたよ、私この学校に見学に来てとても気に入ってたし、何よりそんなにレベルが高いってわけでもなかったから。中学受験の勉強ガツガツしたくなかったし」

 「ところがお母様は認めなかった、と…」

 「母からしたらあんな学校扱いです。共学だし、ずっと昔は男子校だったわけだし…気に入る要素は一つもなし、です」

 「川中さんはどうやって認めさせたの?」

 「学校を自由に選べないなら中学は公立でいいって言いました。塾も止めるって」

 「お母様は…」

 「それはあなたのためにならない、世の中が分かっていないってさんざん言われました。父も母に加勢して非常にうざかったです」

 「しかし、押し通した、と」

 「そうです。実際受験はこの学校しか受けてないし、ダメなら公立で十分だと思ってましたから」

 「それが通ったのが秋?」

 「そうです」

 「その頃、お兄様が学校に行かなくなった、そういうことだね」

 「はい…」

 「立ち入ったことを聞くけど、お兄様の通った学校はどこ?」

 川中はとある男子校の名を挙げたが、その高校は誰もが知る超名門、東大だ医学部だというのが卒業生の大半を占める学校だった。チーカマも目を丸くしている。

 「成績は?」

 「多分全然ダメだったと思います」

 「もう一つ、お兄様の嫌いな科目を当てていい」

 「はい…」

 「多分数学、数学が一番成績が悪かったんじゃない」

 「兄は勉強がとてもよくできたのは確かなんですが、その中では数学が苦手だったと思います。小学生の頃、よく母に算数の成績で叱られていましたから。最後は塾だけでなく、個別指導にも通わされていましたし…」

 「なるほど…ところで川中さんの読書傾向、お兄様の影響じゃない?」

 「そんなことも分かるんですか…確かにそうですけど」

 「だったらサトミン、お兄ちゃんと普段しゃべってるってこと?」

 チーカマの質問は的確だった。

 「話さないよ…食事はトレイに乗せて兄の部屋の前に置かれるし、私が学校に行ってから起きて、夜はずっとごそごそしてる音はするの…隣の部屋だから…でも滅多に顔を合わせない…夜中にトイレに立った兄に鉢合わせするくらい。それも一ヶ月に一度あるかないか…」

 「じゃあ読書の影響ってどうやって受けるの?」

 「兄はね、Amazonで勝手にマンガや本を買ってるの。パソコンなんかも欲しいタイミングでカートに入れてるようだし…親が決済してるわけだけど、それをたまに父親が拒むわけよ…こんなの買えない、いい加減にしろって…そうすると暴れるらしいの…私は見たことないけど…」

 「だったら余計、影響何て受けないんじゃない。だって話もしないんでしょ」

 「でもね千秋、Amazonで買い物すると親のIDに履歴が残るでしょ。それを私も時々見るの。兄が何を買ってるか気になるから」

 「それは鋭い視点だね。映画、マンガ、アニメ、小説のタイトルは一つのメッセージだからね。で、お兄様はどんな本を?」

 「マンガが基本だけど、小説は知らない作家が多くて、それで目を引いて…北杜夫、大江健三郎、それに井上靖…全部学校の図書館にあった作家だからそれで読むようになったの…今は北杜夫の『楡家の人々』を読んでるわ…これは自分で買ったの…第1部を図書館で読んで面白かったから、兄に読んでもらえたらと思って改めて全巻文庫で買ったの…」

 「ということはお兄様は、北杜夫や大江健三郎を読む人だということで間違いないんだね」

 「そうです。こんな素敵な本を読む兄が引きこもりだなんて信じられないんです…私」

 「なるほど状況は分わかった。で、川中さんは何が望みなの?」

 「実は、父と母が夜中にこそこそ話しているのを聞いてしまったんです…連れ出し屋っていうんですか、それに両親が頼ろうとしているのでこれを阻止したいんです!」

 川中聡美の心配は、まさに的確だった。俺のカウンセラー歴の中でも際立つほど、川中の親は悪魔的だ。さらに言うならば典型的だ。

 5年に渡る引きこもりの長男を更生させるために川中の両親が考え出したことは、いわゆる連れ出し屋への依頼だった。連れ出し屋は地方山間部の寺の住職や無農薬野菜を栽培する園芸家などと計らって、引きこもりの若者を田舎に閉じ込め、そこで洗脳に向かう。もちろん両親から多額の対価を受け取ることをためらわない。いやむしろ、それが商売だとも言える。

 まず部屋から暴力を駆使しして連れ出すための代金で100万、田舎暮らしの生活費で月々20万程度を徴収し、自立を目指すと嘘を吐いて両親から金を集める。両親もそれで自立するなど難しいということは薄々分かっている。それでも家の中から厄介者が消えるということで得る安心感のために初めは喜んで金を出す。しかし結局、激しい洗脳プログラムに耐えられず、結局、家に戻って引きこもりの第2幕が始まるだけである。あるいは首尾よく洗脳されたならばされたで、住職や園芸家の下で一生飼い殺しにされるだけで、カルト宗教にはまった人間の末路と同じになるだけだ。

 川中聡美はこの辺りの行く末をよく知っていた。ネットで調べたからだろうが、両親が連れ出し屋の話をし、それが何を意味するのか川中聡美が分かって以降、何とかこれを阻止する手立てがないのか、一人悩んできた。その悩みをキャッチしたのがチーカマだったということである。そしていよいよ両親が連れ出し屋への依頼を決断したのが昨日のことで、週末には連れ出し屋と両親の1回目のミーティングがあるとのことだった。

 俺は連れ出し屋に依頼する親は、軽蔑すべきだと考えている。結局その心根が長期の引きこもりを生み出していることに気付かず、ましてやその愚かさの尻ぬぐいに大金を払うことで問題を視野の外に出そうとまでしている。余りに愚かすぎる。敢えて言えば、この件に連れ出し屋も洗脳も不要である。川中聡美の兄の自立プログラムは決して難しいものではない。

 俺は川中聡美の行動力をまず評価した。

 「川中さん、よくこのカウンセリングルームに来てくれたね。ここに来てなかったら川中さんのお兄さんも両親もぼろぼろになっていただろうと思うよ。このケースの場合、連れ出し屋は不要だ。お兄さんを自立の道に乗せることも難しくない」

 「本当ですか!私も連れ出し屋なんてと思ってましたが、一方で苦しむ両親を見てそれも仕方ないかって受け入れる気持ちにもなっていたんです。やっぱり連れ出し屋なんて必要ないんですね」

 「引きこもってる当人も苦しんでいるのに、それを暴力を使って部屋から追い立てるなんて絶対にすべきことではないよ。さらに殴られて部屋を追い立てられた後に洗脳プログラムが待っているわけじゃないか。絶対に必要ない、これが答えだよ」

 「ねえ先生、洗脳ってどうやってやるの?」

 川中聡美の横で黙って話を聞いていたチーカマが恐る恐る尋ねてきた。川中聡美に感化されたのか、チーカマも深刻な表情を浮かべている。

 「確かに気になるかもね…洗脳って最近は簡単に言うけど、その具体的な手法は知られてないから…知りたい?」

 俺の言葉に二人は揃って頷いた。

 「分かった。いろいろな手法があるんだけど、代表的なものを一つだけ紹介しよう…洗脳っていうのはつまりある一つの欲求にがんじがらめに固められてしまうことなんだ。最も似ているのが、アルコール中毒、薬物中毒、ギャンブル中毒、これらに侵された者たちの行動様式だ。考えてみてほしい、こうした依存症に陥った者はそれがダメなことだと分かっていても抜け出すことができない…仮に抜け出しても、再び手を染めればまた結局元に戻ってしまう…まるで洗脳されているみたいだろう…例えば人類史上最強の依存、アルコール中毒を考えてみよう。現実を忘れるために酒に接近し、アルコールの薬効に溺れてしまう、これがアル中の典型だ。余り知られていないが、アルコールの薬効成分の一つとして、『今日何事も為していないのに、何かをやったかのような充実感を提供してくれる』というものがある。何もしなくても何かやった気になるならば、何かをやらねばと強い不安を抱いている人は簡単にアル中になる。いわゆる洗脳っされる才能があるということだ。それで依存に陥れば、アルコールが切れた際に幻覚を見たり、暴れたりすることになる。これを鎮める方法はただ一つ、酒を飲む、それだけだ。飲めば脳内快楽物質が分泌され、極めて強い快楽を得ることができる。こうなればもう人は酒の奴隷だ。いかに説得しても酒を断ち切ることはできず、仮にいったんは断ち切ってもたった一口酒を口にしただけで、心が決壊し、結局酒に飲み込まれていく。

 つまり洗脳っていうのは、こうした依存状況を短期間に一気に作り出していく作業で、そのためにいったん脳内快楽物質を大量に放出させることを目指すんだ」

 「具体的にはどんなことをするの…」

 チーカマが相変わらず食いついてくる。

 「とにかく何でもいいから同じ質問をずっとし続けるんだ。なぜ生きている、とか、心はどこにある、とかそういった答えが出ない問をずっと発して、それに何か答えようとしたら、即座にできれば大人数で否定し、罵倒するんだよ、その答えを発した人を…」

 「するとどうなるの…」

 チーカマの声も震えている。川中聡美は息を飲んで聞いている。

 「メンタルが崩壊する…否定と罵倒が続くと、人は何かすがるものを求める…さらにこの状況に追い詰めたらあとは絶対に寝かせない、そう例えば三日間言葉を浴びせ、水をかぶせて寝かせないようにすると、不思議なもので人は脳内に光を見るんだ…雪山で遭難した人が最後は寒さや冷たさを忘れて、幸福な幻覚に包まれて死んでいく…そんな話を聞いたことがあるだろう、それと同じで人間は限界が近づくと脳内快楽物質を放出して、死を脳内から排除しようとするんだ。分かる?光を見た者の気持ち…奇跡を見た、気持ちのよい光のシャワーを浴びた…脳内快楽物質の為せる業なんだけど、これは余りに気持ちいいから依存してしまうんだ。人はこの快楽を与えてくれた人を離さない、いや離せなくなってしまうんだ。誰の言葉にも耳を貸さず、この快楽を与えてくれた人にだけ従順になる…これで洗脳の完成だ」

 「そうなんだ…」

 チーカマが遠い目をして答える。

 「もちろんこれ以外にもいろんな形で人の行動を支配することはできる。洗脳はこの行動を支配するための一つの方法にすぎない。だから逆に、暴力や洗脳の手法を使わずとも、川中さんのお兄さんの行動を変えることはできるんだ。形を変えた支配だけど、連れ出し屋とは全然違う優しい方法だから安心してほしい」

 「先生、どうすればいいんですか…私にできることならば何だってやります!」

 「そんなに張り切らなくて大丈夫、川中さんにやってほしいことを今から言うからスマートフォンに録音するかメモをとって」

 「録音して、メモもとります!」

 川中聡美はスマートフォンを操作し、続いて大型のメモ帳を取り出し、筆記できる態勢を取った。

 「まずやってほしいことは、川中さんがお兄さんとコンタクトを取ってほしい。方法はこちらで言います。で、コンタクトが取れたら、今度は両親にいいカウンセラーが学校に居ると伝えてください。不登校や引きこもりを解決する凄腕だ、と」

 「大丈夫??そんなこと言って…確かに心理探偵としては凄い一面があるけれど、そこまで凄腕って言えるの??」

 「事実はどうでもいんだよ。とにかく川中さんの両親が連れ出し屋の起用をためらって、このカウンセリングルームを訪れてくれればいいんだ。そのための言わば嘘だ」

 「嘘…」

 「川中さん、そう嘘だ、ただし嘘はお兄さんにだけは絶対に吐かないでほしい。何か聞かれたら全部正直に答えるようにね」

 「分かりました…まずどうコンタクトを取ったらいいんですか、兄に…」

 「今から全体の段取りとこれから起こることを言うから、川中さん、お兄さんのためにぜひがんばって行動してほしい」

 「分かりました…先生、で、これって代金とかどうすればいいですか」

 「川中さんは本校の生徒で、その両親の相談にだって私は本校職員としてのります。つまりこれは学校常駐カウンセラーの仕事の一つで対価は発生しません」

 「でもセンセイ、これって他校の生徒の引きこもり解消作戦なわけでしょう…学校に叱られない?」

 チーカマの疑問はもっともだが、その心配は俺には不要だ。

 「大丈夫、一応、理事長には話を通しておくから。むしろ喜ばれるはずだ」

 俺は理事長には大きな貸しがある。それで常駐カウンセラーという地位を得ることができたし、別館校舎の3階にソファ付きのカウンセリングルームまで用意してもらった。つまり好きに動いていいというわけだ。

 「では川中さん、まずはね…」

 俺は一つ一つ丁寧に川中聡美が取るべき行動を語った。具体的行動、予想される反応、これらを一つ一つ語る内に川中聡美の瞳に力が宿っていくことを俺は認めた。

 「じゃあ、やってみようか」


 こうして半年以上に及ぶ川中聡美・兄の救済作戦は始まった。

 

 またこの「やってみようか」という言葉をチーカマが羨ましそうに聞いていることにも俺は気付いていた。

 今思えば、俺がチーカマに刺されることになる3月まで、あと11ヶ月もの日々があった。

 





 

 







 





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