第12話 喫茶店⑦
たしかに今回のクローズドサークルとして解明すべきものはフーダニットだ。しかし今回の事故を読むためにはハウダニット、どうやって犯行を行ったかが正しい。つまりどうやって自殺したと断言される人間を、事故死した人間が殺せるのか。
彼ら兄弟がどのような動機のもとに、このようなクローズドサークルが生まれたかを証明すべきだった。
「現場証拠になにか不備がありましたか?」
「ないよ。けれど君が思い描く答えははっきり違う」
この話は兄の不手際で弟の天野美春が低体温症で死んだ。彼女はそう断言したが、僕はこの事件は『天野美春の保険金を狙った計画的自殺』だと断言。
「はい?」
後輩の柊は疑うような視線を向ける。僕は気にせずに手に持った珈琲をテーブルに置いて、ひとつひとつ書類へと指をおいていく。
「彼らは現場証拠で明らかになっているとおり、突貫的なルートを選択して危機的状況に陥ってしまたことはわかっているけれど」
兄の海野正平はところどころ心が折れている。しかしほかの誰かの励ましによって集団から離れるほどの進行速度で著しく体力を奪うような行動をし続けていた。低体温症によって意識が朦朧としていたことを含め、無茶な進行は夏期であっても死に至る。そんなわかりきった事実を、新人サブガイドの海野正平にはなかった。
「……ツアーのサブガイドたちの知識不足は確かに目立ちました。当時の新聞にもそう綴られています。けれどせんぱいさん覚えていますよね? それは、事故全体を踏まえたあくまで前提のお話なんですよ」
『T山遭難事故』の要因はどのような判断で第一避難所を出発したかだ。当日、事故には巻き込まれず無事に下山した別のツアー企画に参加した彼らの情報の元では、明日の悪天候やコースコンディションに討議検討が十分に行われていなかったことがわかっている。そして先発組の情報。これは登山道で放棄された荷物の場所、その道中を遡ることだけで確固とした現場情報は残っていない。どのような経緯で突き進んでいったのかは彼らのみしることだ。
「せんぱいさん。あなたはこう仰りたいと? 弟の天野美春が率先して突き進むよう煽り、兄の海野正平の暴走をそそのかし自分が巻き込まれ死ぬことを望んでいた?」
馬鹿馬鹿しいと、先輩さんが勝手にそう判断しただけと指摘。
「じゃあこの地点に放棄された荷物は誰のもの?」
僕はT沼地周辺が地図にプリントされた用紙を指さした。
第一避難小屋から、T山沼地を抜けて第二避難所。そしてT山温泉宿の道中に記された赤い印。柊が書類をめくる音がしばらくなり、見つけたのか記載された文章を読み上げる。
「…………」
「読んでよ、柊くん」
「最終地点甲、ツアー用の登山道具一式……」
「海野正平の荷物だろう。彼はサブガイドとして会社の支給品であった荷物を捨てた。つまり自分の荷物をここで捨て去ったんだ」
柊はかぶりを振る。じりじりと蔓延る事実を遠ざけたいのかもしれない。
「それがどういった事実につながるとでも?」
「彼の登山ガイドとしての知識不足はすでにわかっているよね、どうでもいいことに」
僕はすでに目の前に写らなくなった幻想を思い返す。新品でピカピカと光っていたがスランプ。僕はそのスランプの起動方法も、そしてブランドも何一つとして知らなかった。
「すでに海野公平は最後のテント内では詰んでいたんだ。なにひとつ自分の知らない道具で囲まれてしまって、助かる方法がひとつもなかった」
くるくると動くスマートフォンに写ったのはガスランプ。この形式は五度以下の環境下では起動しない。無理に動かそうとすれば、故障を免れない。そういった情報が二人の前に提示される。たとえこの情報がもとより『弟の荷物から作られたクローズドサークル』だとはなからわかっていたとしても、最後に捨てられた荷物がツアーガイド側の会社支給品だったことが重要だ。
「そそのかされたんだね。僕だったら疲労困憊の兄に「自分が荷物をもつ」とでも言って相手に荷物を捨てさせると思う」
「待ってください。そうであっても疑問点は残りますよ、せんぱいさん」
僕は先回って一枚のコピー用紙を指さした。ほかの書類に今まで埋没していた一枚は、つるりとテーブルの上へと現れる。
「この先発組が登山道に放棄した荷物。T沼地から第二拠点、そして最終地点のT温泉宿までの荷物の種類は分類するとね、明らかに『会社支給荷物』が多いんだ」
この発言に後輩ちゃんは一瞬動きを止めて、急いで鞄から多くの資料を取り出していく。僕は静かに珈琲を傾けながら柊の必死な姿を見つめる。やがてお目当てのスクラップを取り出したのか、勢いよく文面へと視線を走らせた。
「……先発組は、後発組より会社支給が多い……」
「君がさきほど言いたかったのは、クローズドサークルを起こしたテントが弟の天野の所有物じゃない可能性だ。今では、僕らの状況下では把握できない。けれど残った事実はより明確に事実を伝えてくれる」
僕の場合は後追いなのだけど、と苦笑をこぼした。
「先発組の荷物を分類しよう。わかりやすく簡単に、先発組の個人の荷物を五、会社が支給した荷物を五にしようか。このままだと事故判明後に残った荷物はきれいに半分じゃないといけなくなる」
それでは後に残った先発組の放置された割合が整合しない。つまり端からどこかでその分水嶺が崩れていなければならない場所がある。それはきちんとした情報の元で、確固とした答えがあるべきところだ。
「だ、第一避難所……」
「ここで明らかに『個人的荷物』の量が一個減っているだろう」
安易な行動基準。荷物を減らせば進行速度を速めるのだと、この発言をいったい誰がやったことなのか。
「弟の天野美春だ」
彼女はぶるりと身体を震わせたように見えた。無理矢理動かすように言葉を漏らす。彼は兄の情報源をひとつでも減らすために、わざと的確な対処のできる荷物をひとつ減らさせている。彼はすでにツアー参加者の中で中心的な人物だった。ガイド側の不信感を煽り、そしてサブガイドである兄の海野に助言する場面が見られていた。
そこから推測される物語は単純明快だった。
あのクローズドサークルを生み出すための一歩をすでに第一避難所から踏み出していたのだという事実だった。
後輩の柊はぐうの音もでないのか、しばらく押し黙った後顔を上げた。
「動機はなんですか、せんぱいさん。お金に困っている? あのクローズドサークルを生み出した現場の荷物がすべて彼のものだったとして、そうだっとしたら、彼のもつ資金は食い違った物となるでしょう」
彼の所有する荷物はすべてハイエンドの高級品。新品ピカピカの手垢にまみれていないきれいな物だった。あの場所にいた僕なら知っている。だから、僕だけが知っている。彼を思い出したときから、彼の財布を幻視したときに端からわかっていた。
「彼はお金に困っていた。低体温症で記憶齟齬を起こしていた彼が初めて弟の死を知ったのは、彼のジャケットを羽織って内ポケットに入っていた財布を見つけたときだ」
柊は困惑した表情を浮かべるが、どうでもいいと割り切った。今さら関係の無い話だから。
「彼の財布には多くのキャッシュカードが入っていた。中身はないのにパンパンだったのは多くの領収書によって経済的な問題を抱えていたのがわかってる」
キャンプ道具がハイエンドブランドにもかかわらず、所持している財布はボロボロの名前も知らないブランドだった。
「これから分かるとおり、彼は見栄っ張り。弟の美春は……そうだね、昔から見栄っ張りだったから……十年ぶりに現れた理由も、きっとおまえとは違うって言いたかったんだろう……」
必死にバイトを続けて貯めた貯金を、高級ブランドのエレキギターに使ったぐらいだ。僕は微笑ましくも彼の黙ってられない衝動に苦笑いを浮かべたものだ、どうでもいいけど。
「当時の事故死した家族の報道に関する情報はある?」
「弟の天野美春には家族がいます。……たしかにあまり報道はされていません」
柊はさも普通と言わんばかりに答えた。レスポンスの早さに驚きつつも、僕は頷く。
「まあ夫の想いを感じたのかもしれないね。最愛の夫が、保険金またはツアー会社からの示談金を狙っていたかもしれないと」
この事件の全貌はこれだけだと、僕は言い切った。
「登山ツアーで突発的な悪天候に、弟の天野は計画的な自殺を図った。知識と経験不足が顕著であった兄の海野を煽り扇動し、兄と自身を低体温症で殺すためにあらゆる場面で手段を講じた明らかな――」
ホワイダニット。柊、これはなぜ犯行に至ったかが重要な事故ではなく事件だ。そう、君がもとめる答えは弟の計画犯罪だったと言い切った。どうでもいいことだけどもね。
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