第11話 喫茶店⑥
視界は晴れ渡る。暖かい暖房が効いた喫茶店は湯気が立ち上る珈琲がテーブルの上にあった。それを手に取って口に運ぶ。暖かい液体が身体の中へと流れ込み、あれと僕は疑問に思った。どれだけ長く語っていたのだろうか。どこか、夢心地のまま語ってしまったように思える。まるで白い皿にこぼれたポーチドエッグのように、割れた卵から永遠と垂れ流された言葉が曖昧だ。
そういえばこの珈琲も店員が注いだおかわりだったようだ。なにせ砂糖がはいっていなかった。僕はもう一度、卓上の端にあった金属製の小鉢を手に取った。しかし、中身は大分減ってしまっていた。小鉢の底に小さく残っている程度。いつの間にここまで使ったのか記憶になかったが、僕はためらないなく小鉢を逆さまにして珈琲へとすべて入れ込んだ。
ある程度の適度な甘さまで高めた珈琲をかき混ぜていると、その行動をただひたすら静かに見つめる後輩、柊がいた。まるで息をするのを忘れてしまったかのように蒼白な顔色で僕の動向を見定めていた。
「せんぱいさん。私がだれだかわかります?」
「柊ちゃん」
僕は珈琲を啜りながら片手間に答えた。すると彼女は心底安堵するかのように、大きくため息をついた。びっくりしたと柊はそっとマグカップを手に取って中身を啜った。僕はその様子に驚いて口を開いた。
「もう大丈夫なの?」
「はい?」
「珈琲の温度だよ」
彼女は黙って黒々とした水面を見つめる。僕の質問を図りかねているようだった。やがてゆっくりと視線をあげて「わたしが猫舌だって言ったっけ」と恐怖を感じているようだった。
「まあ君が大丈夫ならいいんだけど」
「せんぱいさん。どこまで語ってもらったか覚えてますか?」
僕が記憶する限りだと、このクローズドサークルの話題が始まり、僕の持論を言おうとして……記憶が曖昧だ。まあ自分の二杯目を把握し切れていない時点で元の木阿弥かと切り替えた。さてと僕はテーブルの上に並べられた書類へと視線を向けた。もうすでに見る物はないのだけれど、この話題を終わらせるためには話を続けなければならないのだ。
「持論を述べたところは覚えているよ。何を言ったのかよく覚えてないけど、しっかりとした答えはもう出てる」
同じく書類を眺めていた柊がぽつりとこぼした。
「では、今回のルールに則って先輩さんが『どうでもいい』と言いましたからネタばらしになります」
彼女はそう告げる。そうして鞄からもうひとつなにかを取り出した。今度はコピー用紙ではなく封筒だった。風化した、想像もできないものがこびりついて汚れた一通の封筒をテーブルの上に置く。
「兄の海野正平の遺書です。これですべてわかります」
僕は珈琲を片手に、静かに封筒を見つめる。どうやら彼女の妄想は終わりのようだった。
「兄の海野正平は弟の天野美春にコンプレックスを抱いていた。これは、海野正平の遺書にも綴られていました。そして家族の証言によってわかっていることです。十年ぶりに出会った弟に、海野正平はいいところを見せるためにやってはいけないところまで突き進んでしまった。起こったことは先発組全員の事故死。その事実に気づいてしまった彼は自死を選んだ」
ホワイダニット。なぜ犯行に至ったか。犯罪者である兄の海野正平の動機の解明。
「そうだね。彼は自責によって自殺を選んだんだ」
「このクローズドサークルは彼の自責の念が生み出したやるせないお話なのです」
僕が記憶する限り、僕と柊には兄弟はいなかった。家族を思い自分の落ち度を改める感情には縁が無い人種だろうと思う。とくに僕は人の生き死にに疎い人間だと自認していた。
「人のために死ぬ。それが贖罪のためだったとしても、どういったことなんでしょうか」
柊は眉をひそめた。その表情にもっとも乾いた人間性を浮かび上がらせる。僕らでは、彼ら兄弟の想いに共感は得られないだろう。人の生き死にを楽しんで語り合う人間に、思いを募らせ死を選ぶ完成を持ち合わせる手などいないのだ。
けれど、僕はその思いに関してきちんとした答えを持ち合わせていた。わからなくても、言葉にはできる。ありとあらゆる事件や事故などの犯人の供述を無駄に感化して享受してしまう悪癖の僕ならば、また違った受け入れられる答えが出るからだ。
「人は苦しみで人を殺せない。けれど、愛するもののためになら」
僕の言葉に不思議そうに顔を上げた彼女に、僕はにこりと笑って告げた。
大丈夫、そんな思い悩むほどじゃないのだと暗に伝えるためにだ。
「海野正平は自殺じゃない。殺されたんだよ、弟にね」と。
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