第9話 海野正平の過ち②
それから十年。僕は美春の動向をなにひとつ知ることはできなかった。あんな別れをしてしまったけれど僕は美春の失敗を望んではいなかったし、きっとミュージシャンという未来を勝ち取ってくれると信じていた。彼の名前をテレビや雑誌などで見かけることはなかった。けれど元気でやっているのだと信じていた。
そんな彼が、輝かしい未来ではなく薄暗いテントの中で僕と一緒にいる。
冷たいまっしろな遺体となって僕の隣に転がっていた。
「美春」
こぼれ落ちた涙が弟の運転免許証の上に落ちた。こんなからからに乾いている身体でも、みじめったらしく涙はでるのだと我ながら感心する。これは、もしかすると思い出してはいけない記憶だったかもしれないと馬鹿なことを思ったが、これよりもっと自分はきちんと振り返られなければならないのだとわかっていた。
「……そうだったよな、そうだよな」
パタリと落ちる財布にかまわず、僕はそっと自分の二の腕へと手を伸ばす。そこにはピンセットで止められたわっかのような物が右腕に通されていた。読むとそれは『サブガイド・海野正平』とはっきり綴られていた腕章だった。
自分はこの企画の登山ツアーガイドの立場であり、インストラクターとして参加者たちの身の安全を守って成功に導く存在だった。なぜ僕が登山ツアー企画の会社に勤めているのかは、単純に親が希望していた就職先に失敗したからだ。なにひとつ自分で決められない僕は自分の実力を把握せずして、無様に転落していっただけの話だった。そうして地元の求人にあった、当時活発的に宣伝されていた『登山ツアーガイド会社』に転がり込んだ。はやく手に職をつけて家族の冷たい視線から逃げ出したかったのもある。なんの知識も無く、登山の経験など一切無かった僕だが人手が常に足りない会社は無事に雇用してくれた。そう、これでひとまず安心だと思っていた矢先、弟の美春が地元に帰ってきたという話が僕の耳に入った。
十年ぶりの再会だったので、僕は弟と会いたくなかった。できるなら一目見られるならそれでいいと思っていた。けれど思いに反して彼は、僕と最悪な再会をする。それも『登山ツアー』の参加者として現れた。この参加者全員が死亡したという、悲惨なツアーで再会を遂げたのだ。
よくよく思いえせばはっきりと、弟の美春と一緒に荒道を突き進んでいく記憶が残っていた。民宿からロープウェイに乗って山頂へと向かい、第一避難所までのルートはそれほど交流はなかった。彼はつねに活力に満ちあふれており、新品のようにきらびやかなブランド物の登山グッズを輝かせてツアー参加者と和気藹々としていた。やはり、十年たっても彼は中心人物として光り輝いていた。僕はその姿に安堵していた。あの日から何事もなく見据えた未来へと突き進んでいけたのだと、勝手にしれてよかった。できればこのまま何事もなくツアーが終わればいいと思ってた。けれど美春も僕の存在には気づいていたと思う。ごくまれにサブガイドとして参加者に説明を行うときに不自然に目が合うタイミングが多かった。美春には僕の姿はどう映っていたのだろう。よりみじめに見えたのなら、僕の小さな心は救われると思った。
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