第3話 喫茶店③
事の発端は旅行会社が主催企画した旅行、登山ツアーイベントで起こったという。旅程では比較的メジャーな山でもあったT山まで二泊三日で縦走するもの。山の麓の温泉宿からはじまり、ロープウェイを利用し標高1.600メートルにある山頂駅から主稜線を巡って縦走しT山へ下山する登山ルートが予定されていた。『コンビニ登山』とまで言われた登山ブームに乗った企画は、さほど危険度が高くないツアーイベントだと思われていた。
しかし、悲劇的な事件が起こってしまう。
このツアーに参加した男性十名、女性十一名、ガイドを含めた二十四名の全員が死亡。
当時、夏山の山岳遭難事故では近年まれにみる死者をだした惨事となった。主な死因は山頂付近の天候悪化による、暴風雨での低体温症だった。吹き荒れる雨と風で予定されていたコースタイムをゆうに2時間を超え、山頂付近では雨水が膝下までたまっていたという。
二十四名のツアー参観者たちはこの悪路により、五グループほど散り散りとなった。そして、ことごとく遭難した。この事故の主な要因は、ツアーガイドの判断ミス。しかし、もとより経験の薄い若手のガイドやツアー参加者も含めて、ガイドブックや地図を読み込む必要性のなかったために、事故当時では的確な判断や対応が行われなかったことも一つの要因だと指摘されている。
「もちろんですね。グループ内で一番先頭だった遭難者の一組が、ちょっとばかり怪しいのですよ」
神妙な顔つきで彼女は言った。形のいい眉がきりりと跳ね上がっている。
「つまり?」
「このツアーに参加していた男性二人の死因がです」
指を一本立て、鞄からもう一枚の紙を取り出した。小さな文字がたくさん綴ってある表面には、ざっと見て堅苦しい文字が並んでいた。
その文脈で一文だけを取り出しペンでラインを入れた後輩。今回の執筆に用意した事故のスクラップだと彼女は言った。
「男性二人を収容、後に死亡確認」
それを読み上げる僕。後に続いたラインを心の中で読み上げる。そして言葉にせずに僕はふぅん、と息を漏らした。そして口を開く。
「テント内で倒れていた彼らは、低体温症による凍死。もう一人は衣服による縊死」
衣服を使用した縊死。つまり、首つり自殺。
僕は眉をひそめて言葉を口でなぞった。
ツアー参加者がことごとく低体温症による事故死だったにもかかわらず、先行したグループのうち一組だけが、なにやら意味ありげな死に方をした。なるほど、ここだけ切り取るとどことなくミステリーを感じざるを得ない。
「けれど変な話だろうか?」
自分が陥った環境下に絶望し、自ら命を絶つことぐらいありそうなものかと思う。だが、この話の始まりはそういうことじゃないのだ。
「先輩さん。これは殺人ですよ、小さなクローズドサークルなのです」
二人だけの、クローズドサークル。
一人は自殺で、一人は事故死だと断定されているのに。そんな素直な疑問が表情にでていたのか、柊はえらそうに胸をはった。
「先行する一組がいたテント内。つまり男性二人がビバークしていた詳しい情報が載った書類がこちらです」
また素早く一枚のコピー用紙を取り出す。僕が軽く目を通すと、どうやら彼女の自作した文だと僕はわかった。文面は小説調で脚本のようなイメージに近い。
「これは君が執筆したやつなの?」
僕の問いに柊は頷いた。へえ、と感心しながら受け取ると、こちらが読み始める前に柊がひとりでに朗読を始める。手元に同じ内容が記載されたコピー用紙を持っていた。
「じゃあご一緒に事件の内容を読み解いていきましょうね」
そう、とても気持ち悪かったのだ。身体の隅々まで感覚が――
流暢に語られ始めた彼女の言葉を耳に聞き入れながら、ふと視界の端に何か写った気がした。意識を向ければ通路を挟んだ真向かい側の四人がけの席に誰か白い人がすわっているのに気づく。体全体が真っ白な人間は力なくソファーにもたれかかり今にも地面にずり落ちてしまいそう。
その顔を見ると、なぜだか僕は強い既視感を覚えた。背格好がほぼ一緒で、唯一違うのはその色合いのみ。まるで自分の死体が側にあるかのようだ。項垂れた頭のせいで表情は陰にしまいこまれている。頭を振って意識を戻そうとする。目を開けると、そこは薄暗く見覚えのない空間になっていた。暖房の効いた喫茶店ではなく、どこかのテントの中だと僕ははっきりとわかった。
けれど僕の耳はしっかりと柊の声を聞き遂げており、彼女の説明が頭の中で響いていくのだった。
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