Look, I'm here.

まくつ

あしたの私は何色ですか?

「君はきっと、誰かの希望になる」


 お父さんは、満足そうにそう言い残して、死んだ。



 ***



 大空には無限の星が煌めいていて、世界は途方もなく広いらしい。私は見たことが無いのだけれど、人がそう話しているのを聞いたことがある。いつか見てみたいものだけど、きっとその憧れは私が死ぬときにしか叶わない。

 広々とした仄かに明るい部屋。それが私に与えられた全てだ。

 私のために誂えられた部屋の主人公は私であって私ではない。私はただ、訪れた客に微笑む事しか許されない。もとい、それしかできないのだった。


 もっとも、大切にはされている。満足しているわけではないけれど、これと言った不満も無い。みんな私に優しくしてくれるし、私に会えて涙を流す人もいるくらいだ。

 これまで色々な場所を旅してきたけれど、その中でもここは一番気に入っている。


 生まれてから長い時が流れた。思えば、本当に色々あったものだ。



 ***



 生まれたのはいつだっけ。百年前か二百年前か、もっと昔かもしれない。今となっては数えるのも億劫になるほど、遠い昔のお話だ。

 物心がついた時に見たのはくたびれたお父さんで、毎日楽しそうに私を世話してくれたのをよく覚えている。


 お父さんは夭折した。私は独りぼっちになってしまった。私はどうやら出来損ないの子だったらしく、お父さんの知り合いだという人に引き取られた。そこからしばらく狭くて暗い部屋に押し込まれた。あんまり昔だから、その時の記憶はもうない。


 それから何年経ったのかは知らないけど、久しぶりに光を浴びた時、世界は随分変わっていたように思う。なんというか、昔見た人達よりも幸せそうだった。私はどうやら偉い人に貰われたらしく、広い部屋の一角に居場所を与えられた。


 そこから一歩も動かずに、時々やってくるご主人様を癒してあげる。それが私の仕事だった。私の姿を見る度にご主人様はしみじみと溜息をついて、時には私に愚痴を溢したりもした。返事をして慰めてあげたかったけれどそれは叶わなくて、少しだけもどかしかった。

 ご主人様は〈国王陛下〉と呼ばれていて、毎日とても疲れ果てていた。何も知らない私にも、ご主人様が立派な人だというのは理解できた。


 私を見て、時には側でヴァイオリンを奏で、誰かと共に詩を詠む。その時だけご主人様は心から安らいだ顔をしていて、そんな時間を作れる私はちょっぴり自分が誇らしかった。思えば一人の人間にあれだけ大切にされたのは、後にも先にもあの頃だけだった。お父さんと別れてから初めて、私にできた居場所だった。


 私は、そんなご主人様が好きだった。恋とかそんなのじゃなくって、憧れに近いものだったのかもしれない。

 それももう、霞となって消えてしまいそうな淡い思い出だけど。



 ***



 ある時から、突然ご主人様は私を訪ねなくなった。


 〈革命〉という一大事が起こっていたと知ったのは、それから数ヶ月が経ったある日の事だ。突然家に入って来た人達に私は攫われて、戸惑ったまま暗くて狭い場所に閉じ込められた。

 ご主人様は〈処刑〉されたと誰かが言っていた。

 悪逆国王だなんて言われてたけど、それが嘘っぱちだと私は知っていた。反論したいけど声を出せなくって、胸が詰まった。堪らなく悲しくって、寂しくって、辛くって。それでも涙すら流せなくて、そんな自分がどうしようもなく恨めしかった。


 革命の後には共和国ができて、私はそこに居場所を与えられた。そこでも私の仕事は何も変わらず、ただそこに居る事しかできなかった。



 ***



 戦争が起こった。


 自由と平等を掲げた革命の結果は、他国を侵略して罪のない人々を殺す事だった。私はそれを許せなかった。それでも、結局私にできる事なんて一つもなくって、ただ家で微笑む事しかできなかった。

 戦禍の中であろうと私の生活は何一つ変わらなかった。ただ人に会って、彼らを励ますだけ。私に励まされた人達は前線に出て、命の灯を散らしていった。胸が痛んだけど、私に拒否権なんてなかった。


 戦争は何年間も続いた。

 どんな風に終わったのかは知らないけど、結果的に共和国は負けた。首都は占領されて、私の身柄は戦勝国に引き渡された。

 それから何十年か、私は戦勝国の首都で暮らした。私のもとにやってくる人の数は年々増えていって、それが世界の復興を象徴しているような気がして、嬉しかった。平和になった世の中で、私は純粋に私として見てもらえた。何万という人が私を見て笑顔になってくれる。生まれてきてよかったって、心から思えた。


 戦争が終わってから五十年だか百年だったか、とにかく節目の年。色々あって私は里帰りする事になった。厳重に警護され到着した共和国は馴れ親しんだ空気だったけど、見違えるほどに発展していた。

 私に用意された居場所は、奇しくも王政時代の王宮だった。好きだったご主人様はもういないただの観光地だけど、それでも懐かしくって、温かかった。


 そうして、私はここにいる。



 ***



 おっと、もうこんな時間だ。


 今日もたくさんのお客さまがやってくる。私や仲間たちに会うために、果てしなく広い世界中から。


 人の命はせいぜい百年。

 そう考えれば、私は長く生き過ぎてしまっているのかもしれない。


 閉じ込められて、時には世界中を転々として、それでも私の視界に映るのは、いつも似たような景色ばかりだった。だけどいろんな人に会えたし、多分これからも会っていくんだろう。悪くない一生だと思う。


 でも、それっていつまで続くんだろう。人間と違って、私に明確な終わりはない。


 私は自分だけじゃ何もできない。動くことも、容姿を保つことさえも。人に支えられないと塵に変わってしまう、そんな儚い存在だ。だからこそ私は大切にされてきたのだけれど、これからも大切にされ続けるにはそれに足る価値がないといけない。


 最近、心なしか肌が荒れてきた気がする。お世話係の人も頑張ってくれてるけど、なんだか嫌な予感がしている。昔から何度も化粧をし直して誤魔化してきたけど、それもいつまで保つだろうか。私が醜くなったら、みんなは私をどう思うだろう。

 嗚呼、いっそ氷漬けになれたらどんなにいいだろう。そうすれば、いつまでも変わらずみんなの側にいられるのに。


 だけどそれは傲慢だ。約束された永遠なんて物は存在しない。長い時を見てきた私は誰よりも知っている。儚いからこそ、輝くのだと。

 だから滅びも受け入れよう。世界をゆらりと揺蕩うのが私の一生だから。


 それは私、の宿命だ。


 明日の私はどんな色だろう。変わっていなければいいのだけれど。

 変わってしまっても、みんなは私を受け入れてくれるかな。

 愛されたい。そうしてどこかで泣いている誰かを照らす希望の光になれたら、こんなに嬉しい事はない。絵画冥利につきるってものだ。


 開館を告げるチャイムが鳴った。お仕事の時間が始まる。

 さてさて、今日はどんな人が来るんだろう。近づく雑踏に向けて、聞こえるはずもないけれど、私は心の中で呟いた。


Look, I’m here.私を見て。ここにいるよ


 この暮らしもいつまで続くか分からないけど、君が見ていてくれる限り、私もずっと君を見てる。


 ありがとう。私の愛しい人たち。


 叶うなら、いつまでも眺めていたいな。

 千年先も、万年先も。額縁の中から、この世界を。

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