第3話

 次の日も、私は本を抱えて庭に出た。


 天気が良いので、他の人たちはみんなキツネ狩りに出かけたようだ。

 私も儀礼的に誘われたけれど、狩りは苦手だったので、やんわりとお断りした。


 そして、今日も庭園で庭師のおじさんに出くわした。

 痛そうに腰を曲げながら、じょうろを抱えてぎくしゃくと歩いている。


「……なぜそんなに無理をするのですか?」

「ああっ、昨日のお嬢さん! これはまたお恥ずかしいところを……いや、ほら、このお天気だろう? バラは今が花盛りなのに、腰が痛いから水をあげないなんて、そんなかわいそうなことできないじゃないか」

「他の方には頼めないのですか?」

「庭師は急病で……ごほんっ、いや、他には誰もいないんだよ」

「もう……腰は体のかなめなのですから、無理をしてはだめですよ」


 そう言いながら、私はひょいっとじょうろを持ち上げた。


「お嬢さん……いいのかね?」

「お水は私があげておきますから、おじさんはしっかり休んでください」

「……わかった。どうもありがとう」


 おじさんは神妙な顔をして礼を言い、戻っていった。

 私はバラの花壇へ行き、水をあげた。


「今日も水やりをしているのか」


 あまりの驚きに、私は思わずじょうろをゴトッと落とした。

 背後に立っていたのは、またしてもライオネル様だった。


「えっ……えっ、な、なぜ…………か、狩りへ行かれたのでは?」

「狩りは好きではないんだ。捕えて食べるわけでもないのにと思うと……」


 やや気まずそうに彼は言った。

 強くあるべき騎士団長なのに、こんなことを言うのはどうかと思っているのだろう。

 けれど、私もまったく同じ意見だったので、拳を握りしめて強く同意した。


「私もそう思います。しかも、獲物を大勢で追いつめてというのが、よけいにやりきれなくて」

「君もか。俺も同意見だ。おおっぴらには言えないが……」

「言えませんよね……」


 狩りを美徳とする貴族社会においては、少数派の意見である。

 だからこそ、そのとき私はライオネル様とのあいだに、精神的なつながりを感じた気がした。


 もしかしたら彼もそうだったのかもしれない。

 そのシンパシーゆえか、ライオネル様はその後の滞在中も折に触れて庭へやって来て、私と言葉を交わすようになったから。


 けれども一度館内に戻ると、彼はやはり、私などには手の届かない存在だと思い知らされた。


 館の中では、美しいコートニー様がいつもぴたりと彼の側に寄り添っている。

 彼女は家格も容姿も、これ以上ないほどライオネル様の結婚相手としてふさわしい女性だった。


 いよいよ騎士団長も身を固めるだろう。

 そんな噂が、そこかしこで囁き交わされる。


 ライオネル様はコートニー様を、常に礼儀正しくエスコートしていた。

 遠くから私と一瞬目が合うこともあるが、他の人たちがいる前で彼から話しかけられたことはない。

 他の令嬢達はコートニー様と張り合うのをあきらめたのか、騎士団長から他の男性へと狙いを変えたようだった。


 私はといえば、両親からどんなにせっつかれても、花婿さがしをしようなどとは思えなかった。


 どう考えても、あきらかに不釣り合いだ。

 両親にも、口が裂けても言えない。


 けれど。


 私はライオネル様に、恋をしてしまった。


 もちろん勘違いなどしていないし、高望みなどしない。

 夢を見たって、現実に戻ったときにつらくなるだけだ。

 単に、少し話が合うだけの私のことなど、ライオネル様は何とも思っていないだろう。


 その証拠に、招待客たちがカントリーハウスを去る日。

 ライオネル様はさよならも言わず、一足先に王都へ帰ってしまった。

 私はせめて一言でも、お別れが言いたかったのに――


 もしも私のことをほんの少しでも気に入ってくれていたなら、用事があって先に帰るとしても、せめて走り書き一枚ぐらいはくれるのではないかしら?


 私に手紙をくれたのは、あの庭師のおじさんだけだった。

 滞在中は結局毎日、私がバラに水をあげていたから。

『おかげで腰もずいぶんよくなった。本当にありがとう』と、私の部屋のドアの下から入れられた手紙には書かれていた。


 私はおじさんに返事を書き、館の侍女に渡した。

 だが侍女はその庭師のことをよく知らないようで、誰のことでしょうかと、しきりに首をかしげていた。


 コートニー様はライオネル様が先に帰ってしまったことを気にする様子もなく、むしろ誇らしげに「公爵家のタウンハウスへ招待されているの」と他の令嬢たちに話していた。


「王都へ戻って、彼の家の夜会へ行くのが楽しみだわ。黒獅子騎士団の方々もたくさんいらっしゃるから、わたくしを彼らに紹介してくださるのですって」

「まあ! それってまさか、婚約者として?」

「うふふ、さあ、どうかしらね? もしもわたくしがライオネル様と結婚することになったら、今回このカントリーハウスにいらした方全員を結婚式へご招待するわ。せっかくのご縁ですもの」


 コートニー様はくるりと私の方を向き、愛らしい笑みを浮かべた。


「そのときはエレシア様も、ぜひいらしてね?」

「あ……」


『はい、楽しみにしております』?

『光栄に存じます』?


 こんな場合の正しい返答が頭に浮かぶ。


 だが、どちらも、心にも無いことだ。

 だって、私はライオネル様のことを……。


 ぴったりな言葉をさがして口ごもっている内に、コートニー様はもう、他の人たちと別の話題に興じていた。

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