世、妖(あやかし)おらず

銀満ノ錦平

今、ここから飛び降りようとしている。

空を見上げると、雲が疎らに泳いでいる。 

地を見下げると、波が荒く暴れているかのようにうねっている。

自分は何故ここから飛び降りようとしているのだろうか。

嫌なことなどは今までなかった。

平凡な日々を過ごしていて何も辛いことはなかった。

なのに自分はこの断崖絶壁の崖にいる。

…空を、空を見た時に…雲を見た。

色々な形を作っていてそれを眺めていた。

夕方の陽に照らされて神々しく光を浴びていたからかより雲が生きているように見えた。

あの雲は、まるで人が走っているように見える。

あそこの雲は、何か座ってるように見える。

あの雲は、誰かに抱きついてるように見える。

あの雲は、人を叩いてるように見える。

あの雲、叩かれて泣いてるように見える。

あの雲は、首を絞めているように見える。

あの雲は、絞めた相手を、埋めてるように見える。

あの雲は、地から恨めしそうに這い上がってるように見える。

雲が動く度に一つのストーリーが出来ていくようで見てて飽きなかった。

他の人にはどう見えるのだろうか。

こういうのは、見る人に寄って全く違うのだと思う。

だからきっとこれは、私の頭の中にある何かしらの思考が錯覚させて形にしてるのだろう。

あの雲は、化物に見える。

あの雲も、化物に見える。

あの雲も

あの雲も

あの雲も。

気がついたら動いてる雲が化物の行列を作ってるように、踊っている様に、自分は見え始めた。

雲はある。

雲は、暖かくなった空気が上昇して水分が冷えて粒になり、それが集まってできてるらしい…曖昧である。

ただ雲は、現実的にある。

触れる位置には決して無い、遠い遠いと思われる空の向こうにある。

ただ、この地に着く場所から見える雲は、固形に見えるが近づくとただの気体だとわかってしまう。

触れそうで触れられないのが雲なのだと思う。

だから恐れていたのかもしれない。

ここからだと存在しているように見えるのに近づくといないように薄れていく…。

いないのにいるように見える…。

…自分のようだ。

平凡という当たり前を建前にしてほんとは唯、自分が周りから浮いていたのはわかっていた。

だが今、この世の中心として意識して意思を通して、この目でこの世界を見ているのは自分だ。

周りにしてみれば自分なんて雲のようなものだ。

いや、雲というよりは霞のほうが正しいかもしれない。

薄いのだ。

白いモヤが目の前にあるように見えるだけでそれは、遠くにいても近くにいても変わらない。

雲よりも薄く、雲よりも浅い…ほんと空気…空気なんだろうな…。 

再び雲を見る。

禍々しく見えた雲が更に仰々しいモノに変化していくように見えていた。

風が少し強かったからか雲の動きの変化が早く感じる。 

より化物が踊りだしている。

そして…此方を見ている。

あの雲は苦々しい顔を、あの顔はけたたましい顔を、あの顔は恨めしい顔を、あの顔は笑顔を、あの顔は無表情を…。

自分はこの世界で自分こそが中心と思っていたが逆だった。

自分はこのいるのかいないのか分からない化物達にただ観察されてるだけなのだろうとそう思ってしまった。

そして自分はそれを恐れずに見続けている。

いや、ただの雲に恐れることは無いはずなのに何故か気を張らないとと畏まってしまう。

昔の人はこれを見てあの百鬼夜行だの魑魅魍魎だのを描いていたのだろうか。

昔ならたしかにこれを雲とは思わないかもしれない。

夜に正体の知らない化物共が空という人々の手が届かない未知の領域に平然と踊り狂い明かしている。 

それは恐れるわけだ。

今、自分がその気分を味わっている。

恐れているのに恐れていない振りをしている。

茜色の空がまるで血染めの宴会になっている。

もしかしたら空に向かう人々を襲い食べているのかもしれないと不安になるくらいに。

怖い怖い怖い怖い。

自分は気がつくとそれを吹っ切れるように走り出した。

走っても走っても走っても走っても走っても空のモノ共は自分を見るのをやめなかった。

吹っ切れなかった。 

空に踊り狂うあやかし共が宴会を…血染めの宴会を…。

ほんとに逃げるように帰宅した。

震えていたかもしれない。

いないのに…そんなものまやかしだしそんなの過去の人々の恐れをただ化物の様に描いただけの嘘なのに…。

震えている、怖い、恐い、怖ろしい、恐ろしい、こわい、こわい、コワい…。

空を見るのが怖くなった。

いないものに震えるのが辛くなった。

今まで辛いことに逃げていた自分がここに来て辛いことに正面から衝突してしまった。

もう空を見れない。 

晴天でもその晴天の色がきっと化物の一部に見えてしまう。

一面に雲が広がっていても化物の鱗に見えてしまう。

いないのに…いないのに、いるように見えてしまう、感じてしまう、恐れてしまう。

次の日も同じ様に雲に見られていた。

次の日は、波上の雲が自分を溺れさせようとこちらに向かっていた。

次の日は、自分を覆う様に雲が向かっていた。

雲が化物に見えてきた。

限界だった。

もう雲に見られたくない。

そして、自分は今、崖にいる。

もう飛び降りる。

雲に見られるのが限界だった。 

いないものに、存在するわけ無いものに見られ、笑われ、踊り狂る…。

血に染まりながら。 

飛び降りた。青い海に身を投げる。

これで、笑われずに…見られずに済む…。

自分はこの地球の青い血液に叩きつけられ身体中の痛みとともに意識が薄れていく。

仰向けになりふと空を見る。

雲が無数の身体の形になり、此方を見ていた。

笑っていた。

指を指して。

ここで自分は思った。

やはり雲は化物なんだ…。

いるじゃん…。

そして自分は死んだ…。 

いないものに笑われながら。
















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