(単品)マヨネーズ

@yamada_shige

(単品)マヨネーズ

 二〇二四年一二月一五日。僕は今、まるで自分がとんでもない罪を犯してしまったかのような浮遊感のなかにいる。この感覚が、これまでに一度たりともなかった、自らの経験を文章に記すという行為に自分を駆り立てているのである。


 地元を離れ京都の大学に進学してからというもの、生活リズムをほかの誰にも合わせなくてもいいという一人暮らしの特権に寝そべっている僕は、好きなときに起き、好きなときに食べ、好きなときに遊び、好きなときに寝るという生活を送っている。

 今日は前日のほとんどの時間を睡眠に費やしたからか、起きたのは午前三時ごろであった。起きてから一時間もすれば、腹が減る。こんなとき、僕はきまって河原町丸太町にある二四時間営業の飲食チェーン店に足を運ぶのであった。

 例によって、今日もその店へ向かった。今年の終わりを肉体的に感じさせるような一二月の気温と夜明け前の静寂さは、いつにもまして、日の出とともに何かが始まることへの期待感を膨張させるのであった。


 午前四時半ごろ、僕はいつもの店に着いた。手際よくお気に入りの商品を自動券売機で購入し、クレジットカ―ドで清算した。店内には誰もいなかったが、いつものように人目に付かない席に座った。幼いころから誰かに注目されるのが苦手で、無意識にそういう状況を避けてきたのだ。

 食券を店員に渡すと、客が自分だけだからか、一分もしないうちに丼が提供された。めんどくさがりで、食べられれば味はさほど気にしない僕にとって、チェーン店の提供速度とよしあしは別とした均一なクオリティほどありがたいものはないのである。僕はやはり箸ではなくスプーンを手に取り、スマホをチェックしながら食べ始めた。

 その直後、誰かが店内に入ってきた。こんな時間に店に入ってくる「仲間」がどういう人物なのかとても気になったが、わざわざ目線をやって不愉快に思われるのも気が進まないので、ひそかに「仲間」を歓迎した。この人はもしかしたら僕と同じような乱れた生活リズムのなかにいるのかもしれないし、もしかしたら朝早く起きて努力している尊敬すべき人物かもしれない。ただ、いずれにしても、人の気配がまったくといっていいほどない静寂に包まれたこの時間に、僕と同じくこの店に足を運んでいるという点では、まぎれもなく「仲間」なのだと信じていた。


 そんな「仲間」だが、食券の購入にかなり時間がかかっている。それほどメニューの多い店ではない。何を買うか迷ってこれだけの時間をかけているとは思えないが…。そんなことを考えていると、電子マネーやらクレジットカ―ドやらが普及した今の時代ではあまり聞くことがない、硬貨と硬貨がぶつかりあったであろういかにも金属を連想させる音が耳に入った。おそらく現金で支払うのだろう。しかし今思い返すと、その音は記憶にある硬貨の音よりもいくらか高かった気がしている。

 食券を手にした「仲間」は、あろうことか僕の真横に腰を下ろした。テーブル席ではなくカウンター席であるとはいえ、僕の隣の席以外という選択肢がいくつもあったなかで、僕の隣の席を選んできたのである。どんなに店が混んでいようが、全く知らない人の隣の席に座ることに抵抗がある僕にとって、「仲間」の行動はまったくの不意打ちであった。僕でなくても、誰かの隣の席に腰を下ろすことには抵抗があるのではないか。この「仲間」とは、少なくとも友達になることはできないだろう。

 そして僕は、「仲間」が注文した商品が届いたときに、さらに衝撃を受けた。何を頼んだのか具体的に見ることはできなかったが、どうやら小鉢のみが「仲間」の前に置かれたのである。おそらく外国人の店員がだいぶ上手な日本語で「これだけで大丈夫ですか?」というと、「仲間」は「そうそう、これ」と答えた。どうやら年配の女性であった。

 何を注文したのか気になった僕は、さすがにすこし目線を左側へ移した。すると、なんとマヨネーズの単品のみを頼んでいたのである。彼女のレシートには、「(単品)マヨネーズ」という文字が、注文日時や何らかの数字の羅列に対して申し訳なさそうに記されていた。これはいったいどういうことだ。このとき僕は、自分が巻き込まれている不思議な出来事がおもしろくてたまらず、笑いをこらえるのに必死だった。そして、自分がニュースになるような事件の目撃者となったような気分で興奮していた。

 彼女が単品のマヨネーズで何をするのかなかば楽しみに待っていると、どうやら袋から何かを取り出して、それにマヨネーズをかけて食べているのである。いや、食べるというよりは、しゃぶるといった方が正しいのかもしれない。食事中に聞きたくない音を発しながら、マヨネーズを味わっているようなのである。しかも足元をこっそり見ると、サンダルのすきまから見える指先は黒くにじんでいて、明らかに正常ではない。おもしろがっていた僕も事態の異常さに気がつき、できるかぎり早く自分の食事を終え、店を出たくなった。しかし、彼女が異常な行動をしていて、不快な音を立てているとなると、なかなか喉を通らなかった。不幸中の幸いだったのは、彼女が自分に対して悪意をもっているとかそういうことではなく、ただ単純に、自分の行動に集中している様子だったことである。

 そうこうしていると、彼女はあっという間に席を立ち、「ごちそうさま」と大きな声を出すと、店から出て行った。どうにかあの状況を脱しようということしか頭になかった僕は、あっけにとられた。


 数秒後、まったく理解の及ばない出来事を経験した者同士でなにか通じることがあるのではないかと思い、僕は笑みを浮かべながら店員の方を見た。すると、店員も笑っていた。顔が整った外国の若い男性だった。しかし、どこか不自然な笑顔である気がしてならない。そう思ったとき、僕は自分がとんでもない薄情者なのではないかということに気がつき、息をのんだ。もしかしたら彼は、彼女を心配して苦笑いを浮かべていたのかもしれない。その一方で僕は、ただただ彼女の異常な行動をおもしろがっていただけだったのである。


 店員が奥の厨房に姿を消したあと、僕は彼女がなにやら机の上に物を置いたまま帰っていることに気がついた。塗装が剥げたカップ麺の円柱形の容器らしかった。ふつうは食べたらすぐに捨てるもの。見るからにボロボロで、どうしたらこんな姿になるのだろうと思いつつ、勇気を出して中をのぞいた。

 中には、料理ともいえぬ、なんとも表現しがたい乱雑に切られた食材が詰め込まれていた。白菜、人参、そして少しの豚肉だっただろうか。まるでホラー映画でゾンビ化した人間が作る料理のようであった。そしてそのなかの白菜のひとつふたつは、マヨネーズをたっぷりとまとっている。


 僕は、彼女が心配でならなくなった。高齢の女性がこんな時間に一人で出歩くだろうか。隣に座ってきたのは僕に何かしてほしかったからなのではないか。店を出た後に無事でいられるのだろうか。彼女を助ける人は誰かいるのだろうか。


 僕は店を飛び出した。あたりを見渡すが、もう彼女の姿はない。


 仕方なく僕は、下宿先に帰ることにした。「仲間」として声をかけるくらいしてもよかったのではないかと思うのと同時に、あの時の店員の表情が頭から離れなかった。自分の薄情さに呆れていたのではないかと思って。


 パソコンのキーボードをたたき始めて二時間くらいたっただろうか。できる限りこの浮遊感を正確に書き記そうと夢中になっていたが、外は徐々に明るくなってきている。あの女性がいまどこで、なにをしているのか。これからどうやって生きていくのか。そればかりが気になって仕方がないが、二週間後に同じ初日の出を眺めていることを祈って、このファイルを閉じることにする。

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