第8話

「ピンクスパイダーをご存知かね?」

 友人の高橋に声をかけられた。

「歌なら」

 私の答えに満足したように、高橋は頷いた。

「そう歌だ。君は蝶か、それとも蜘蛛か?」

 立ち話もなんだからと、高橋のアパートへと呼ばれた。来賓用のソファーに腰掛けると、テーブルを挟んだ向かい側に高橋がいた。

「人間誰しも蜘蛛ではないですか? 空は飛べませんから」

 私が言うと高橋は少し横に首を振った。

「君の考えは間違ってはいない。けれどこれは概念的な話なのだ。それを踏まえてもう一度訊く。君は蝶か、それとも蜘蛛か?」

 高橋の言いたいことがまるで分からない。

「では蝶ですかね」

「それはなぜ?」

「僕はずっと飛んでいるんですよ、大空を。けれど行けども行けども視えるのは海ばかり。大陸なんてどこにもない。自由ってそういうものな気がします。結局僕たちは釈迦の掌の上からは逃れられないんですよ」

「そう、確かに自由というのは得てして窮屈なものだ。だが、釈迦を殺せたのならどうなる? また違った景色が見えるはずだが」

「どうやって殺すんです? お釈迦さまを」

「存在を消せば良い。簡単な話だよ。知らなければ、つまり知識が記憶の図書館になければ、釈迦はそのセカイには存在していられない。故に釈迦は殺せる」

 気がつくと高橋は、少年へと姿を代えていた。それは幼い頃の私だった。

「君の存在もいずれは消える」

「まあ、飛び降りてる最中だからね」

「そう。それが君にとっての現実。夢の名残りなんだ」

「じゃあ、この夢が覚めたら僕は」

「死ぬね」

「そういえば、僕はなんで飛び降りなんかしてるの?」

「永遠を知る為かな」

「えいえんを?」

「そう。べつのいいかたをすれば、かべをこえたいんだろうね。ももいろのくものように」

「ぼくはしにたいんだね」

「ちがうよ」

「いきるためにかべのむこうがわにでるだけだから」

「ああ、いしきがとおのく」

「ゆめのおわりだね」

「さいごにきかせてくれないか、わたしのなを」

 少年は一冊の本を取り出した。


 それは夢の名残りとしていつまでも、そこに存在した。

 それは彼も。


 そして。


 君も。

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夢の名残りを @ukyou_t

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