第4話

「ピンクスパイダーは蝶の羽を切り裂く。それは自由の為だ。空という壁のない空間への憧れだ。だが見てみろ」

 友人の高橋は薄いアパートの壁をノックした。

「現実は壁だらけだ。釈迦を殺したところで、状況は変わらん。人間は仕切りを作り、自分の領域の中で生きているのだから」

 高橋は缶チューハイを飲みながら、何かぶつぶつと言っていた。

「なぜ人は壁を作るのか。命を守る為だ。他人なんて信用出来ねえ。いつ蜘蛛のように他者に切り裂かれるか分かったもんじゃない」

「現代において前頭葉の役割は必要無くなってきている」

 私が口を挟むと高橋は首を横に振った。みんな、首を横に振る。

「この物騒な世の中でそんな悠長なこと言ってられるか」

 と、立ち上がる高橋。

「よし、教授のところに行くぞ」

「は? 今から?」

 もう黄昏時である。

「当たり前だろう? 思い立ったがなんとやらだ。お前も着いてこいよ? えっと、お前の名前なんだっけ?」


「壁は自己を守る為でもあり、領土の広さを提示している訳ではあるが、そんなことは考えなくても良い。人は壁に囲まれると安心する。我々は衣服を身につけているが、これも一種の壁と言える。では意識の問題を考えよう。意識のある時、今がそうだね。ここは現実だが、眠りにつくと人の意識は夢の中へとその存在を転移させる。この意識のある時とない時の境目。つまり視えざる壁は何を意味するのか?」

 教授は私と、隣に座る高橋を見渡した。高橋はやや赤ら顔である。

「生と死」

 私が呟くと教授は頷いた。

「そうだ。生と死。つまり有限と無限だ。刹那と永久とでも言おう」

 教授は私たちに顔を近づけて言った。

「永遠はある。がその前に立ちはだかるのが、壁である。永遠の無意識は存在するが、永遠の意識、つまり命などというものは存在しない。命は壁を越えられはしないのだ」

 教授が立ち上がったのを見て、私と高橋も立ち上がった。

「もしかしたら、名付けという行為すら壁を作る作業かもしれぬ。本当に、人間というのは、他者との区別を図るのが好きな生き物よの」

 教授は部屋を出ていこうと、ドアノブに手をかけた。

「楽しい時間をありがとう。高橋くん。そして……、君の名前はなんでしたかな?」

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