第10話 フォーリン・エンジェル


 穏やかさが匂うのは聖ガヤルド国。

 マンソリー大陸最西端に位置するこの国は聖の名がつく通りに宗教国家で、この日、首都グンペルトにある王宮には一人の男が急ぐ足取りで回廊を歩く姿があった。


「一大事だ、これは由々しき事態である……!」


 男は額に汗を浮かべ、過ぎ去るうち、給仕達や兵士達は男を訝しんで見るが、当人は気にもしなかった。

 やがて男は両開きの扉の前に辿り着くと傍に立つ守衛二人を無視して扉に手をかけようとするが、それを制するように彼等は手を翳す。


「待たれよ、ノーブル将軍。只今、御前は協議の最中にあります」

「様子から見るに火急かと存じますが、御理解願いたく」


 ノーブル将軍と呼ばれた男は舌を打つと無理矢理に扉へと手を掛けた。

 再度のように兵士達は慌てて止めようとするが、ノーブル卿が睨むだけで二人は狼狽ろうばいした。


「この私に手をあげようというのか、無礼な……我が血も地に落ちたか?」

「い、いえ、滅相もありませぬ、ノーブル将軍……ストラトス・ボルドレ・ノーブル将軍!」

「しかし陛下は現在、取込み中なのです!」


 ガヤルド国教軍元帥――それがノーブル将軍の立ち位置だった。


 慌ただしい様子からしてただ事ではないのは明らかでも、それでも兵士達は彼の前に立ちはだかる。

 しかしいよいよ我慢できなくなったのか、ノーブル将軍は兵士達を退けると勝手に扉を開けてしまった。


「我が君、一大事に御座いますぞ」


 そこは玉座の間だった。

 拝謁はいえつたまわった人々が玉座の周りに集まり何事かを喋っているが、彼等は声を荒げるノーブル将軍へと振り返り、彼が迫ってくるとその場から退く。


 唐突にも程がある登場に皆は将軍を睨み付けたが、彼は反感すら厭わずに睨み返した。


「なんなんだ、騒がしいにも程があるぞノーブル将軍……」


 大事な協議の最中なのに、と零したのは玉座に腰かける男だった。

 頭に冠を頂くその男こそが聖ガヤルド国王ガヤルド六世で、王は頬杖をつきつつ、呆れた顔でノーブル将軍を見つめていた。


「はっ、お話の最中とは存じておりましたが至急、お耳に入れておきたいことがあります」

「……毎度お前は空気が読めんが、そうもいうのならば聞こう」

「できれば人払いを、陛下」

「……おい、お前達、部屋から出て行ってくれるか」


 ノーブル将軍の言葉に渋々と頷いた王は、有権者達や近衛兵までをも退出させ室内は二人だけの空間となる。

 周囲を見渡しつつ改めて王へと迫った将軍は、そのまま王の耳元へと唇を近づけ、こういった。


「姫殿下が、アポロ姫殿下が東の果ての〈眠りの森〉に辿り着いたとの報せを受けました」

「……ほぉ」


 その台詞を聞いて王の顔は見る間に険しくなっていく。


「そうか、よりにもよって〈あの〉森に……女神の住まう森に、か」

「はい」

「生きながらえたままに辿り着いた、と」

「然様で」

「……なんとも、やはり恐ろしいな、呪いの御子は」


 玉座から立ち上がり、王は天を仰ぐ。

 ステンドグラスから降り注ぐ柔らかな光を受けると引き攣った顔が少々緩和されたように見えたが、そんな彼を豹変させる一言が紡がれた。


「そしてこれは未だ世に知られていないのですが、伝えるべき至急の情報が御座いまする」

「何だ、勿体ぶって。あの忌み子の存在ですら頭を痛めるというのに、これ以上の何が――」

「いるのです、その森に。あの悪の大権現が」

「……悪の、大権現……?」


 ノーブル将軍の顔には汗が大量に滴っていた。

 ゆっくりと振り向いた王は復唱し、その言葉の意味を反芻はんすうする。


「悪の大権現……だと? それは、お前、つまり……」

「そうです、いるのです、陛下。あの忌まわしき魔の首領が……魔王ヴェイロンが〈眠りの森〉にいるのです……!」


 王の顔は凍り付き、たどたどしい足取りで将軍へと迫っていく。

 将軍は顔を伏せるばかりで、王から放たれる空気に呼吸の間隔すら忘れていた。


「あの魔王が、忌まわしき〈神殺し〉の……我等が怨敵、魔王ヴェイロンが、あの魔性の子といるだと……!?」


 王の手が将軍の襟首を引っ掴む。

 狂気すら思わせる瞳にはさしもの将軍も息を呑んだ。


「いる、いるのです、陛下……何の因果か、二つの呪いが揃っているのです……!」

「……なんという事態、いやさ何という呪いだ……こんなことがあるというのか、それともこれこそが魔性の為せる業なのか……!」


 将軍を自由にすると、王は再度ステンドグラスを見上げ、まるで祈るように手を差し伸べると絞り出すようにして言葉を漏らす。


「お聞き頂けましたか、我等が主、唯一神エクセレロよ! ついにこの時がきたのです!」


 ステンドグラスには描かれた神の偶像があり、彼はそれへと言葉を紡いだ。

 それは神に祈るのではなく、許しを乞う姿に等しかった。

 両膝をつき、懇願こんがんするような姿勢で、涙すらも流し、言葉を震わせていた。


「二百年にもわたった呪われし歴史にいよいよ終わりがくる……! あの魔王を屠り、呪いの御子の魂を捧げれば、我等ガヤルドの呪縛もようやく終わるのだ……!」


 聖ガヤルド国――王家の血は汚れていた。


 曰くは〈神殺し〉の代償であり、長女に値する者のみが呪いを受け継いできた。

 呪いの効果は自身ではなく他者に及び、時に自然的災害に見舞われ、時に万の命が散りもした。


遠征軍クルセイダーだ。直ぐ様に軍を展開するのだ、ノーブル将軍!」

「……本当に、よろしいので、陛下。あなた様のお子で御座いますが」

「構わぬ、あれによってこの血が浄化できるのならば、それこそは栄誉極まるのだ! 魔性を纏い生まれたのならそれは人に非ず、あれぞ魔女よ!」

「……我が君のお心のままに」


 ノーブル将軍の顔は怒りを必死に堪えているようで、あけそそがれたように紅潮こうちょうしている。

 しかし王にそれは見えない。顔を伏せたままに将軍は了承の返事をした。


「くく、くはは……好都合にも程がある、大義名分もできあがる……人の住まう地に魔王がいるのだから討伐は当然の義務! それを我等ガヤルド国教軍が滅ぼすのは聖の徒として当然至極! 向かえ、亡ぼせ、魔王と魔女の命を神に捧げよ!」


 王は笑った。天に向かって、涙を流しながら。

 将軍は唇を噛みしめ、去来する記憶の中で悲し気に笑うアポロ姫を想うと、言葉を失うばかりだった。



                 ◇



「づ、づっがれだでずうぅ……」


 一方、こちらは魔王不在の魔王城。

 ぼて、と血の海に倒れ伏したのは〈戦姫〉ことシロン。


 玉座の間は先日よりも更に荒れ狂っていて、死屍累々といった光景はある意味では魔王城にお似合いだったが、シロンは一度血の海から身を起こすと適当な勇者の死体を引っ掴み、それを力任せに投げ飛ばした。


「もうやってらんねーですぅ! なぁんでこのシロンちゃん様が魔王様に代わってこんな馬鹿馬鹿しいことをしなきゃなんねーですぅ!? 〈鏖卿〉まで姿を消して、これじゃ誰にも責任をなすりつけらんねーですですぅ!」


 本日、魔王城に攻め込んできた勇者の数は百と七名。

 全てを返り討ちにしたシロンだったが、如何に覇者として名高い彼女でも百を超える数との戦いは心底疲れるようだった。


 兎角、彼女は転がっている死体をちぎっては投げ、行き場のない怒りを発散していた。


「お気を確かに、シロン閣下! 今は魔王代理という立場なんですから!」

「閣下の苦労は皆十分に分かっていますから、だから落ち着いてください!」


 そんな彼女を労うのは城の給仕達だったが、簡単な労いの言葉に彼女の怒りが煽られる。


「何を知った風な口を利きやがるですぅ! ならお前等やれですぅ!」

「いや、我々には流石に……なぁ?」

「あ、あぁ……いやほら、やっぱり閣下みたいなお方にこそ魔王の座を任せられると陛下も思ったんですよ……だから、ね、閣下?」

「ね、じゃねーですぅ! そりゃ〈戦姫〉の名は伊達じゃねーですのでぇ? 相応に強いですがぁ? そもそも魔王様の側近ですのでぇ? シロンは最強格に決まってるですぅ!」


 すっかりへそを曲げてしまったシロンに、給仕達は困りつつも何とか機嫌を取るべく苦心くしんするが「しかし事態はそろそろ笑い事では済まないだろう」という意識もあって、二名の給仕は唸りつつ「はて、如何したものか」と腕を組んだ。


「けど、閣下……そろそろ諸将しょしょうに伝えた方がいいんじゃないでしょうか?」

「伝えるっていうと……魔王様がどっかに消えたことをですぅ?」

「はい。陛下が姿を消してから、なんだか勇者も活発的になってきましたし、各地の被害も〈鏖卿〉の仰っていた通り激増していますよ」

「もしかしたら陛下が消えた事と関係があるのかもしれませんし、軍議を設けた方が……」

「ふぅんむむむ、魔王様不在での緊急招集……いっそその方がいいかもしれねーですですぅ。勇者の件を対応しつつ、魔王様の状況を探るのにももってこいですぅ?」


 このままでは埒が明かないのは事実で、解決の為には有権者達の協力も必要だった。

 シロンは少しばかり悩むが、二人の後押しもあってかゆっくりと頷きを見せる。


「ベルエア区の荒れっぷりも中々ですよ。勇者共が徒党を組んで荒らし回ってます、閣下」

「うえー、本当に野蛮な連中ですねぇ……」

「その他の地域も酷いもんですよ。なんだってこんなに勇者が大量発生してるんでしょうか? 勇者の選出って、確か神の啓示けいじがあって決まるんじゃなかったでしたっけ?」

「そのはずですですぅ。なんでしたっけ? 確かぁ……人の大陸にある聖ガヤルド国とかって場所から輩出されるんだとかぁ……」


 神の御使いと呼ばれる勇者が好き放題に暴れているという事実。

 シロン達からすれば当然に不服なわけだが「何故に人の世はあんな蛮族を英雄扱いするのか」と疑問でしかなかった。


「正義とやらはよく分からんですですぅ。何をしても許されるですぅ?」

「まあ世界的に我々魔の者が悪ですから、閣下」

「だっつっても勝手が過ぎるだろ。しかも陛下が消えたタイミングでのこれだし……」


 シロンは腕を組み、ヴェイロンのことを思い浮かべた。


(魔王様が消えてから、ですかぁ……そういやぁ、ちょろっと聞いた話ですが、確か魔王様と神とやらは大昔に喧嘩したとかなんだとか……?)


 そもそも、何故、勇者と呼ばれる神の使者がいるのだろうとシロンは疑問に思う。


 今の今まで適当に対応していた彼女だが、あの魔王ヴェイロンが煩わしい敵を素直に受け入れていた事実にも疑問が浮かび、それこそあの怪物の性格からして根源と呼べるものがあるならば真っ先に粉砕するべく、全ての問題を差し置いて一目散に破壊を振りまくはずだと思う。


「閣下? どうされました?」

「なんだかすっごい面倒くさそうな顔ですけど……」

「何だか今更になって疑問が溢れてきたですよ。魔王様ってば破壊の権化であるのは事実ですが、あれで頭の方もずば抜けてるですからねぇ。敵と呼べる存在があると分かりつつも今の今まで野放しにしてるだとか、それを甘んじて迎え入れていたってのは、実は――」


 唸りつつ、彼女は一つの疑念を口にした。


「〈機を窺っていた〉……のかも、ですぅ?」

「機を……?」

「ええと、それって勇者のことですか?」


 意味が分からないままに従者達は問いかけるが、対してシロンは頭を掻き毟るとぶんぶんと首を振り「それが分かれば苦労などしない」と怒鳴った。


「んもー! 問題の発端と呼べる神とやらはぶち殺されてるらしいのに、じゃあなんで勇者が湧いてくるですか! 何一つとして分かることがないのにシロンに面倒を押し付けて魔王様本人はどっかに消えるし! そりゃお疲れでしょうけど! だからって退位を宣言する程に追い詰められてたなんて思いにもよらないですし! あーもう、あーもうもう!」

「おおお、落ち着いて閣下! そんな、まるで子供みたいに怒らないで!」

「いやまあ見たままに子供なんですけどね! だからって覇者なんですから、ね!?」

「うるせーですですぅ! 愚痴の一つくらい許しやがれですぅ!」


 大きな溜息を吐いたシロンは、兎角として先の話を思い返すと疲れた顔で言葉を続けた。


「まぁ、今出来ることなんて本当に限られてるですから……とりあえず諸将を召致しょうちするですぅ、魔王様の捜索班と勇者の討伐班とを決めるですよぅ……」

「すぐに手配します、閣下!」

「あ、それと閣下」

「なんですぅ?」

「早速お客がいらっしゃいましたよ、ほら」


 そういった給仕の片割れは扉の方を指し示す。

 そうすると唐突に両開きの扉が大袈裟に押し開かれ、満を持したように複数の人影が奥から飛び出し、それぞれは武器を構えると、今正に玉座に腰かけるシロンを一斉に見上げた。


「きたぞ、魔王!」

「多くの仲間達がやられたようだが、俺達はそうはいかねーぜ!」

「目にもの見せてやるわよ!」

「拙者等に敵う者などはござらぬ……」

「くつくつ……最強の座をいただくのはボクだよ……」

「ひゃっはー! なんでもいいから皆殺しだぜぇ!?」

「ふん、下らんな……いいからとっとと終わらせるぞ」

「私達が世界を救ってみせます!」


 それは群れを成す勇者達の姿で、シロンは頭を抱えて唸ると、いよいよ鬱憤を爆発させる勢いでがなり散らし、床を踏み抜く程の殺意を展開して立ち上がった。


「もぉおおおおおお! 早く諸将を呼ぶですぅううう! 他の連中にこの頭の悪いおバカ共をどうにかさせるですぅうううう!」


 喚き散らしつつ暴れ始めるシロン。

 そんな彼女を後目にそそくさと退出した給仕達。


 彼等は玉座から響いてくる轟音だとか命を散らす勇者達の断末魔を背にして軽く震えると「流石は〈戦姫〉の名は伊達ではないな」と簡単な感想を零した。


「いやぁ、閣下も大変だよなぁ……陛下の気まぐれの所為であんな目に遭ってさ」

「まあ側近っていう立場だし、魔王代理も当然っちゃ当然だけどさ」

「んだな。信じられないくらいに強いし。幼女みたいな見た目してるのにさー」

「本当、本当。誰だって想像できねーよなぁ。あの〈鏖卿〉と並ぶ実力者だなんて」

「マジでな。あれこそは陛下の秘蔵っ子ってやつじゃねーか?」

「ああ、違いないね。普段は大人しくて可愛らしい閣下だけどよ、誰もがその強さを垣間見たらこう思うだろうさ」


 一人の給仕は天を指差し、こういった。


「ああ――〈神懸かり的な強さ〉だな、って」

「ははは。何いってんだよ、俺達は魔の者なのに」

「へへ、そうだよな。あはは」


 回廊を歩く給仕達。

 その背を叩くのは玉座の間から響く激しい音の数々。


〈神懸かり的な強さ〉――それというのは、実は、真実だった。


「もう、本当に面倒ですですぅ! 早く戻ってくださいですよぅ、魔王様ぁー!」


 先程シロンに喧嘩を売った勇者達は既に全員命を散らしていた。

 戦いを終えるとシロンは苛立ちのままに叫び散らす。


〈純白の翼〉を背に展開し〈頭上に光る輪ハイロゥ〉を浮かべて。


 その姿を知る者は、きっと、こう口にするだろ。


「ああ、天使がいる」と。

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