第9話 キング・スレイヤー


「こりゃあ……一体どういうことだにゃん」


〈鏖卿〉ことコルメウムは目をぱちくりとしていた。

 先程ヴェイロンに連れ浚われた彼女は〈眠りの森〉の湖へと運ばれてきた訳だが――


「これがあの名高い〈鏖卿〉なの、ボーラ……?」

「全っ然こわくねーよなぁ……つーかめっちゃ可愛くね?」

「確かに可愛らしいけど、見たまんまに魔の者よねぇ……」


 コルメウムは三人の少女達――アポロ、ボーラ、テスタロッサに取り囲まれていた。


 アポロは髪を弄び、ボーラは赤樫の杖を手に取り、テスタロッサは尻尾を撫でている。

 今にも爆発寸前な顔をするコルメウムだったが、しかし激情を堪え、視線の先に佇む大男――ヴェイロンを睨み付けると端的な文句を口にした。


「どうもこうも、ここが吾輩の生活拠点だ」

「そうじゃねえだろボケぇ! なぁんで人間の小娘共が当然のようにいんだにゃ!」

「そうも叫ぶな、コルメウム。下手に加減を間違えてみろ、お前の魔力だけでそこの小娘共は消し炭になるんだからな」

「ぐぬっ……手前、ヴェイロォン……後で覚えとけよ糞があぁ……!」


 コルメウムは殺意を抑えながらも怒りを露わにし、それだけで空気は軽く震えたが、アポロ達はすでにヴェイロンで慣れているからかあまり気にしていなかった。

 しかし打って変わり、傍で騒いでいる妖精達の胸中は穏やかとは程遠いものがあった。


「あわ、あわわわわ……! 大変だよ大変だよ、〈鏖卿〉がきちゃった!」

「天下御免の殺戮主義者、不退転ふたいてんの覇者、破壊衝動の主……どの呼ばれ名も普異常だよ!」

「つまりあの猫さんはおかしいんだよ! さっきだって森の一画を吹き飛ばしてるし!」

「もう、魔王ヴェイロンがこの森にやってきてからとんでもない騒ぎの連続じゃない! 魔性の姫に、今度は皆殺しの君まできちゃうんだから!」

「女神様の神格で溢れる〈眠りの森〉が、今じゃおどろおどろしい有り様だよぉ……」


 神格と神秘の体現と呼ばれる妖精達にとってこれ程の魔性が渦巻く空気は耐え難い。遠くから様子を見つめる彼等は暗い顔をして、最早移住するしかないのかと愚痴を零した。


「いやマジでこりゃどういうことなのよ、ヴェイロン……」

「なんだウアイラ、まだいたのか」

「当たり前でしょうが! 私の住処じゃい!」

「そんなことよりもまだあの小娘共を追い出していなかったのか? 役に立たん奴だなぁ」

「今すぐに黙らないと本気で亡ぼすわよ糞ボケヴェイロン?」


 そして誰よりも状況に頭を痛めているのは御存じの通りに女神ウアイラで、彼女は姿を見せた魔の覇者に複雑な表情をし、そんな彼女の顔を見たコルメウムまでもが苦笑を浮かべ、どこか、コルメウムとウアイラの間には微妙に気まずいような空気が流れていた。


「あのね、本当にね、そろそろ帰りなさいよ……ほら、コルメウムちゃんがわざわざ迎えにきてんだから、ね?」

「頼んでいないしあれは客の扱いだぞ。おいコルメウム、そろそろ茶が出来そうだ」

「そうかにゃ、そのアツアツの茶で手前の面ぁ洗ってきな、ボケ魔王」


 文句をいいつつもコルメウムは再度ウアイラへと視線を向ける。

 彼女へと歩み寄ったウアイラは先の表情のままで、互いは改めて見合うと同時に嘆息した。


「……変わらねーにゃん、ウアイラ。元気だったかにゃぁー……」

「ええ、私は変わらずに元気よ、コルメウムちゃん……本当に久しぶりね」

「それこそ二百年ぶりかにゃ。もう二度と会うことはねーと思ってたんだけどにゃー……」

「あはは……そりゃそうよねぇ、私もそう思ってたんだけど……」


 二人は同時にヴェイロンを睨む。

 しかし当の本人は微塵も気にする素振りはなかった。


「よもや〈眠りの森〉がウアイラの住まう地とはにゃー……知らんかったにゃ」

「このバカも知らないできやがったのよ。家まで建てるし、今なんかは畑をつくるって」

「ああ、聞いたにゃ。マジでうちのバカが迷惑かけてるにゃん」

「それよりもシロンちゃんは? あの子が一番苦労寄越されたんでしょ?」

「ああ、魔王代理だからにゃ、そりゃ一番大変さね」


 二人はまたも同時に溜息を吐き、うんざりした顔になる。


「え、と……女神様は〈鏖卿〉とも面識が……?」

「ん? ええ、まあちょいと昔ね……にしても、アポロちゃん達も知ってるんだね?」


 ウアイラの袖を引いたのはアポロで、先から困惑する彼女は驚愕の事実を聞くと面食らい、魔王のみならず、魔王軍のナンバーツーとも知った仲だと知ると、いよいよ女神ウアイラの持つ立場に理解が及ばなくなる。


 しかしどこか誤魔化す口ぶりのウアイラといえば〈鏖卿〉を知った風のアポロに意外な顔で、問いに対してアポロは何度も頷きを返す。


「ええ、その……〈鏖卿〉といえば古くから語り継がれる名ですから」

「ある意味では魔王よりも知名度高いんだぜ、女神さま」

「え? ヴェイロンよりも? そうなの、コルメウムちゃん?」

「さーにゃあ、そりゃあたしは確かに最強格だけども……」

「無自覚なのが最強格足る風格かしらね……でも人の世に知れるのも当然ですよ、ウアイラ様。何せ凄まじい伝説がありますから」

「伝説?」

「なんのことだにゃ?」


 テスタロッサの言葉には本人であるコルメウムですら首を傾げる。

 まるで見当もつかないといった反応だったが、ボーラが腕を組みつつ、唸りながらにその伝説の内容を口にした。 


「なんだっけ? 確か、えーと……〈一夜にして世界の軌道を狂わせた〉だったか?」


 その内容に、それまで不思議そうな顔をしていたコルメウムとウアイラが挙動を止めた。

 そうして互いは一度見合うと先までのような難しい表情になり、嘆息を挟むと「成程な」と口を揃えて氷解ひょうかいした顔になった。


「え、その反応は……?」

「まさか、マジなのか……?」

「そ、そんな訳ないじゃない、姫様まで大袈裟ですよ……まさか星の動きすら狂わせるような個人がいるだなんて、ねぇ……?」


 窺うようなテスタロッサだが、何故か問いを向けられたコルメウムは不機嫌そうに鼻を鳴らして首を横に振るう。


「いいや……あたしにそんな力はねーよ、小娘共」

「そ、そうだよなぁー? やっぱ伝説は伝説――」

「とはいえ、出来そうなバカならいるけどにゃん」

「そうそう、所詮は大袈裟に脚色された寝物語よね……って、え?」


 人類三名の少女達は顔を引きつらせるが、コルメウムの視線は彼女達にではなく、その奥にある存在へと向かっていた。


「ふうむ、そろそろ頃合いか? 今一加減が分からんな……」


 そこに在るのはくつくつと音が鳴るヤカンを見つめているヴェイロンで、彼を横目で見るコルメウムは一度開きかけた口をつぐみ、何とも言い難い表情になる。


 空気は微妙に張りつめていて、コルメウムの視線を辿った少女達は、何故に彼女が魔王ヴェイロンを見つめるのかが分からない。

 しかし張りつめたような空気を割くようにウアイラは咳払いをすると、ヴェイロンへと駆け寄った。


「ちょ、ちょーっとヴェイロン! 何してんのよ!」

「ぬ? 何とはなんだ、吾輩は茶を淹れようとだな」

「沸騰させちゃダメなの! 本当に常識を知らないわねぇ、このバカは」

「バカとはなんだ、バカとは。これでも吾輩なりにもてなしをしようとだな」

「先の生魚の件もそうだけどね、もう少し世間を勉強しなさいよね……これで魔王だってんだから泣けるわよ……」

「もう退いた身だがな」

「まーだそんなことをいう……」


 先までの緊張感は緩み、皆は詰まっていた息を吐き出した。

 そんな空気を知りもしないヴェイロンといえば煮立った湯で茶を点て、それを椅子に腰かけているコルメウムの手元に置く。


「手前、ヴェイロン……なんつー情けのない真似をしてやがんだにゃ……仮にも王の身で、茶を淹れようだなんて……」

「だから何度もいっているだろう、吾輩はもう魔王を辞めたのだ。そんな吾輩が個人をどうもてなそうが吾輩の勝手だろう」

「勝手極まる糞野郎め。残された魔の者等は、家臣は……あたしらはどうなるってんだ」


 コルメウムは湯のみに息を吹きかけつつ、恐る恐ると舌で茶を舐めてみる。


「あっぢ!」

「どうもこうもだ、その為にシロンに席を残してきたのだ。何の問題がある」

「大ありだボケナス。天然でやってっから尚のこと性質が悪いんだにゃ、お前はよ」

「あぁ? どういう意味だ?」


 そもそも、ウアイラも妖精達も、ヴェイロンを知る者達は彼に魔王の席に留まって欲しいという本音がある。


 しかし人であるアポロ達にはよく分からないことで、あの恐怖の大権現が退位したとあれば人の世は安泰だと思うくらいだったが、何故に皆はヴェイロンという覇者に魔王という立場を願うのかと今更のように少女達は疑問を抱く。


「お前より魔のアイコンに相応しい奴がいるのかって話だにゃ。認めたくはねーが事実として最強無敵だし、性格は最低最悪だし、超自己中だし、やっぱ糞みたいな野郎だにゃん?」

「一度亡びてみるか?」

「兎角、お前を差し置いて魔王を冠たる奴なんざいねーのさ。しかもだ、よりにもよって〈戦姫〉を魔王に任命するなんざ、お前、糞にも程がある」

「何故だ」

「……〈分かり切ってること〉だろうが。あんな見た目幼女のクソガキにゃ荷が重い。人類にも嘗められるにゃ」

「ほお……そう思うか?」

「……マジで天然でやってんのか? それとも違う考えでもあるのかよ、手前」

「さてな。実力的に見てあれこそが魔王の座に相応しい……そう思ったまでだ」


「……?」


 理由としては分かりやすいものだったが、何故か言葉を選んだようにも聞こえて、更には謎の言葉のやり取りを聞いてアポロは首を傾げる。


「まあ、そもそも魔王として君臨するには伝説がないと誰にも認められねえのさ」

「ふん、下らぬ。語られるものの大半は寝物語にも等しいものばかりだろうに」

「けどお前は伝説を残してるにゃ。それこそ人魔を超越する程の」


 コルメウムは人差し指をヴェイロンへと向け、はっきりした口調でいう。


「直接、その手で、己の意思で……〈神を殺したのはお前のみ〉だにゃん」


〈神殺し〉――それを聞いてアポロは顔を跳ね上げ、ヴェイロンを見つめた。


 当のヴェイロンといえば何故か不愉快そうな顔をし、それから自分にも淹れた茶を口に含み、静かに喉を鳴らすだけだった。


「あの、今のは、本当ですか……?」

「あん? なんだい魔性の姫さんよ、知らないのかにゃ? こいつの伝説」

「いえ、まったく聞いたことも……」


 アポロは近侍二名を見るが、二人も顔を見合わせると首を横に振るう。


「そりゃまあ語られやしないでしょうよ。そもそも、現代の人類は何で魔王なんて存在があるのかすらも分かっちゃいないんだからね」


 割って入ったのはウアイラで、ヴェイロンが飲みかけていた茶を奪うと内容を口に含み、酷い出来だとぼやきつつも「魔王の茶を飲める機会も今だけか」と呟く。


「あ、こらウアイラ、吾輩の茶だぞ!」

「黙ってなさいおバカ。そもそも〈神殺し〉は人においても禁忌だけど、これを魔がやっちゃったらとんでもない訳よ。何せ対極にある互いだからね」

「え、と……?」


 ヴェイロンが過去に仕出かしたと思われる〈神殺し〉――それはどう考えても禁忌だし、超常の存在足る神を手にかけることが実際に可能なのかも半信半疑で、同じく〈神殺し〉の呪いを背負うアポロであってもどこか信じ難い気持ちがあった。


 或いは〈神殺し〉とは隠喩いんゆであって、それは神罰の度合いを語るものではないかと彼女は思っていたが、コルメウムの言葉とヴェイロンの反応からして、真実、〈神殺し〉というのは〈神を直接己の手で殺す〉ことなのだと察する。


 ともあれ人魔における〈神殺し〉はタブーなのは明白にせよ、ウアイラが語る「魔が仕出かす場合は意味が異なってくる」という台詞に理解が及ばずアポロは疑問符を浮かべた。


「まぁなんだにゃ、古来から聖魔――人魔は対立しあう仲だが、これによって互いは均衡を保ってたんだにゃ。優劣がない、互いは対極にして対等……相対的であるが故に確立された間柄だったんだにゃ」


 けれど、とコルメウムは言葉を続ける。


「仮にこの均衡が崩れたら……どちらかが優勢になったらどうなる?」

「どうって、それは……」

「常に対立しあい、常に影響を与える間柄だにゃん。そのバランスが崩れたらどちらか一方は不利になる。最悪は衝突した結果にどちらかが亡びる結果も有り得るよにゃ?」


 ある意味、人魔というのは均衡を保つが故に支え合っているような形であると呼べた。


 分かり合えず、同一になどなれない対極同士。

 しかしそれ故に互いの存在は確立されている訳だが、仮にどちらかが優ってしまえばその関係は崩壊し、保たれていたバランスは一方の破滅へと繋がってしまう可能性が示唆しさされる。


「相互的な関係、ってことか……?」

「そうよ、ボーラちゃん。昔から人魔……聖魔はそうやって互いを生かしてきたのよ」

「でも、人魔大戦だって古くにはあったんですよね? 今だって勇者が選抜されていますし、魔の者等だって時には戦争行為をしていますし……」

「生存とは競争があって初めてかなうものなのよ、テスタロッサちゃん。これは野生の世界も人魔の世界も一緒。争いのない状況なんて有史以前からありゃしない。そういう風に生き物は出来ているの。性と呼ぶべきかしらね? 時に愚かとも呼べる物だけど、それ故に生物は生物足らしめている。現代に至った発展の数々だって、鳥瞰ちょうかんしてみた場合は背後に戦争や競争があったが故だというのは明白だし、何となくのところで分かるでしょう?」

「そ、そうだとしても、争いがあるから、五分の衝突があるから互いは生存を確立できるだなんて可笑しいですよ、女神様……」

「アポロちゃんは優しいねぇ……でもそれが自然の摂理であり生物の本能に含まれる性よ。全ては方向性の違いであって、仮に〈いいもの〉を作ったとしても軍事転用されることもある。でも逆に、命を奪うべく開発された〈わるいもの〉が平時における命の手綱になることだってある。ただただ、切っ掛けが鉄火によるか否か、それだけのことよ」


 さておき、とウアイラは言葉を続ける。


「けれども、実をいえばこの関係は古くから均衡がとれていなかったのよ」

「え?」


 まさかの言葉にアポロは頓狂な言葉を零すが、ウアイラは「よく考えてほしい」という。


「だって人には聖の代表格である神がいるじゃない? ところが魔の者等にはいないのよ?」

「あ……んん? そういえば確かにそうだな……?」

「てことは、端から破綻してるってことなんじゃ……?」

「そうよ。だから実際のところ、古代から人類は優遇されていて、魔の者等はいつだって負け戦ばかりだし追い込まれてばかりなのよ。そもそも人の住まう大陸は三分の二を占めるのに、魔の者等なんてヴェイルサイド大陸一つ分しかないでしょう?」

「……よくよく考えると酷いお話ですね」

「ああ、疑問にすら思ったことはなかったけど……」

「それが当然、って思ってると疑問なんて湧かないものね……」


 アポロ達の反応にウアイラは静かに頷き、だからこそだと続けた。


「本当の意味で対等になる為に、魔の者等にも代表者が必要なのよ。それこそ最強無敵で唯一無二とも呼べる超越した存在が。神と渡り合えるような覇者がね」

「神と名のつく存在は魔の者にゃいねー。だがそれに連なる異常者は、今、この場に間違いなくいるんだにゃ」


 ウアイラとコルメウムはヴェイロンを指差す。


「いい加減あんたでも分かったでしょうヴェイロン。大人しく魔王城に戻りなさい」

「それともまーたくっだらねえ戦争でも起こす気か? 今は未だ魔王不在の情報が人の側に洩れてねーだけだにゃん。けどこれが伝わればいよいよ数度目の人魔大戦が勃発するだろうよ。首魁の消えた魔の者等に攻め入るチャンス到来と躍起になるのは至極当然、因縁の怨敵を根絶できると、ようやっと人の世が全てを制することができるってにゃ」


 最強という立場には責任がある。


 総べることの最大の意味とは〈自衛〉であり、魔王という言葉は人の世からすれば恐怖の代名詞に思えても、魔の者等にとっては己達を統率し〈いざという時〉になれば真っ先に立ち上がり、皆をまとめて先導してくれる希望の象徴だった。


 そこに立つにはそれ相応の気概と力がいる。

 生半な覚悟では不可能だ。


 何せ人々における魔王の意識は倒すべき敵、討つべき総大将。

 魔の者等からは絶大の信頼と信用を寄せられ、前からは敵意が、背からは重圧が常々降りかかる。


 前後共に同時展開される様々な意識の嵐を受け入れるだけの器量が、そして数多の意思を前にしても粉砕できるだけの力が求められる。


 ではそれを成すことが出来るのは一体誰か。

 どのような存在ならば任せられるか――


「それこそは神という超常の主を殺したお前だけだにゃ、ヴェイロン」

「そして〈百万の軍勢を率いた経験を持つ〉あんただけがなし得るのよ、ヴェイロン」


 ヴェイロンは二人の言葉を黙して聞き、深く瞼を閉ざし、腕までをも組み、思慮の海に沈んでいるかのようだった。


 その様子にコルメウムもウアイラも緊張の面持ちだったが――


「……いやあの、お二人とも? これ、多分寝てますよ……?」

「……はい?」

「い、いやいや、まさかそんな……いくら糞ボケのヴェイロンだっつっても流石にそこまでひどくはねーだろ……にゃあ、おい?」


 ぽんぽん、とコルメウムがヴェイロンの肘を小突く。

 するとヴェイロンは瞼を開き、驚いた顔をして辺りを見渡した。


「うおっ!? な、なんだ、もう話は終わったのか?」

「ちょっと、あんたね……」

「あん? なんだウアイラ、何をそうも鬼のような面をしておる」

「いや、マジでお前いい加減にしとけにゃ……」

「お前まで何故そんな怒り狂った顔をしているのだ、コルメウム」


 二人が拳を振るったのは同時だった。

 それらはヴェイロンの鳩尾に突き刺さるが、しかし当の本人は痒そうに腹を掻く程度で、未だに不思議そうな顔をしていた。


「ふざけんのも大概にしなさいよ糞魔王! 真剣に喋ってる最中に寝るバカがいるかぁ!」

「あぁ!? 長々と糞下らない話をされたら誰だって寝るだろうが!」

「おまっ、ことの重大性を理解してねーのかにゃ! お前を越える実力者がいない現状、均衡を保てる奴なんざいねーんだにゃ!」

「だからなんだ糞が、吾輩が存在しない程度で亡びるのならば存在価値などないわボケ!」

「んなっ、あんたなんてこといってんのよ!」

「何も可笑しくなどないだろうが! 我等魔の種族とは闘争にこそ意義を見出す存在だぞ! だというのに誰かの庇護の下で安寧を貪ろうなど片腹痛いわ!」

「あのにゃ、誰もが強いわけじゃねーんだにゃ! そうなりゃ誰かが護るしかねーだろ!」

「尚のこと知るかボケぇ! そんな雑魚は死んで当然だろうが! 世の摂理とは即ち弱肉強食! それを忘れようとは情けがないぞ、〈鏖卿〉ともあろう覇者が!」

「て、てんめえぇ……いい加減にしろやごるぁあああああ! 表出やがれにゃん、今すぐぶっ殺してやっからよぉおおおおお!」

「ちょ、落ち着いてコルメウムちゃん! ヴェイロンも何ですぐに喧嘩を売るのよ!」


 怒髪冠を衝く勢いで魔力を振りまいたコルメウムは立ち上がると同時にヴェイロンへと殴りかかり、それを前に歯牙しがを剥き出しにして拳で応えたのはヴェイロン。


 またもや荒れ狂う景色になったとウアイラは喚き散らし、様子を遠間で観察していた妖精達は急いで飛び去った。


 轟々とヴェイロン邸は荒れ狂うが、アポロ達は直ぐ様に外へ避難して、屋内から響いてくる怒号と激しい音に苦笑し「よもやこんなことが彼等の日常なのか」と呆れが礼にくる思いだった。


「ほほお、唐突に殴りかかってくるとはいい度胸ではないか……ならばかかってこい糞猫が! 今こそ格の違いを教えてやるぞ!」

「手前こそいい度胸だにゃ、筋肉ゴリラの分際で! 死ぬ覚悟はできてんだろうなぁあ!」

「もう、なんであんたらはいっつも喧嘩ばっかしてんのよぉー!」


 連日にわたってはちゃめちゃが押し寄せてくる〈眠りの森〉。

 そんな奇跡に満ちている筈の神域は、本日、過去最大級の騒ぎに見舞われた。


「ど、どうしよう、ボーラ、テスタロッサ……止めた方がいいのかな……」

「いやいや、ありゃ関わっちゃいけねーやつだよ姫さま」

「そうですわ、姫様。あれは超越者達の戦いですもの。さあさあ私達も午後の茶としましょう。こちらへどうぞ、姫様」


 しかして彼女達の感覚というのも〈眠りの森〉にきてから大きく狂ってしまったようで、眼前で巻き起こる魔王と〈鏖卿〉の大喧嘩を前に茶の席を設け、果たしてどちらが勝るのかとボーラとテスタロッサは興味津々に目を輝かせる。


 対して不幸の姫君アポロといえば一人冷静で、茶の味を玩味がんみしつつも「平和で神聖な〈眠りの森〉とは何処だったか」と嘆息し、早く喧嘩が終わることばかりを祈っていた。

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