第8話 ウェイト・アンド・シー


「ふん、こうも見通しがよいと……チビスケのお前でもよく見えるぞ、生意気猫娘」


 先の一撃などまるで意にも介さず、ヴェイロンは何もなくなった前方を見つめる。

 すると、遥か先からゆっくりとした足取りで迫ってくる何者かの姿があり、それを見たヴェイロンは想像通りの存在の登場に舌を鳴らし、眉根を寄せて睨み付ける。


「誰がチビスケだ筋肉ゴリラが……調子くれてっとマジでぶち殺すぞ? にゃぁん?」


 それは小さな背丈の華奢な女の子。

 白い外套を纏い、手には赤樫の杖を持ち、ふわふわとした灰褐色の髪に、猫耳と尻尾を生やしている。


 一見して可愛らしい乙女だが、しかしてその正体こそは殺戮の先駆者、最前線の覇者とまで謳われる絶対者、〈鏖卿〉ことコルメウム・ディアブロ・ベルエアだった。


「そうも吠えるなよ〈鏖卿〉……して何だ。何をしている、こんなところで」

「そりゃこっちの台詞だにゃ、このバカ魔王……手前こそこんなところで何してんだにゃ」


 お互いは静かな足取りで歩み寄り、いつしか距離は数歩程度にまで狭まった。

 両者、一瞬たりとも視線をそらさず、ただただ相手を睨み付け、距離が近くなるとそれだけで周囲の空気が震えを見せる。


「何もどうも、吾輩は魔王の座を退くことにしたのだ」

「へえ、そりゃまた随分と勝手な真似をするにゃぁ……それでいいのけ、首領ってのは手前の勝手で好き放題していいのかにゃ?」

「ふん、そうであるからこその魔王だ。唯我独尊、傲岸不遜、傍若無人でなければ吾輩ではなかろうよ」

「手前の糞っぷりを自慢気に語るなよアホウが」


 いよいよ拳が一つ分程度の距離にまで近づく両者。


「手前の勝手に振り回されてるシロンが哀れだにゃん。あいつにナンバーワンの座は辛いって分かってんだろう? それこそ〈誰よりも〉よう……」

「さてな……そうもいうならばお前がやればいい。魔王という立場を」

「ざけんな、お断りだにゃん。そういった面倒な役目はな、お前だ。お前こそが相応しいんだにゃ、ヴェイロン」

「……吾輩にこそか。それこそ〈下らん理由〉だろうに」


 一瞬、ヴェイロンはコルメウムから視線を逸らす。


「聞けよヴェイロン。ここんところ勇者が異常なまでに大量発生してんだにゃ」

「まるで害虫のように語るなぁ」

「事実、害虫に匹敵するだろうがよ。あたしの管轄でも大暴れだぜぇ」

「そうはいっても雑魚だろう、あんな奴等。手間取る方がどうかしている」

「そりゃあたしらみてーなのなら刹那で殺せるさ。けど他はそうじゃにゃい。特にうちの区画は、ベルエア区は被害が多い。何せ弱者の住まう区画だ」

「そうか。ならばお前が勇者の全てをぶち殺せ。故の〈鏖卿〉だろう」

「……手前、マジでぶっ飛ばすぞ……?」


 先に手を伸ばしたのはコルメウムだった。

 彼女は遥か頭上にあるヴェイロンの顔を睨み付けながら彼の袖を引っ掴み、低い声で唸った。


「あのなぁヴェイロン。あたしが怒ってんのはだぜ、何も勇者を放ったらかしにしてることだとか、シロンに迷惑をかけてることじゃねーのさ」

「ならばなんだ」

「んなもん決まってんだろ」


 そこで言葉を切るとコルメウムは握りしめた袖を全力で引いた。

 たったそれだけの動作だ。

 だが、たったのそれだけでヴェイロンは――宙へと投げ出された。


「相も変わらず見た目に反した化け物だな、お前も」

「そりゃお互い様だろうが――にゃ!」


 仮に質量や重量を含め、圧倒的な差があるものを片手で、しかも予備動作もないままに突然な具合で放り投げることが可能か否か。


 当然不可能に思われる。

 やはり世には覆し難い物理法則があり、どうあってもエネルギーの入出力があって初めて物は動くし、形を変えるし、結果という形を成し得る。


 だがそういった前提条件や無視し難い領域を突破して、それを実現出来てしまえる存在もある。

 その内には魔王ヴェイロンが含まれていて、そして〈鏖卿〉の名を頂いたコルメウムも含まれていた。


「よく聞けやこの腐れボケ魔王! あたしはな、手前が役目を放棄して姿を晦ませたのが気にいらねえっつってんだよ、糞カス野郎がぁあ!」


 宙に浮いたヴェイロンは、そのまま飛び掛かってきたコルメウムに頬を殴られる。

 それによって更に上空へと吹き飛ぶヴェイロンだが、コルメウムは尚も止まらずにヴェイロンへと拳を乱雑に振り上げ続けた。


「勝手に決めて勝手に消えてんじゃねーにゃ、このボケぇ! 手前がくたばろうがどうなろうがあたしゃ興味ねーけど、むかつくだろうが!」


 空中で拳の乱打を見舞うコルメウム。拳が振るわれる度に空気は大きく震動し、出力される破壊の衝撃は余すことなくヴェイロンの全身に叩きつけられている。


 だが、それを腕組みしつつも自然なことのように受け入れているのはヴェイロンだった。


 拳が着弾する度に大気が震動し、地上までもが揺れても、彼は至って涼しい表情のままで、先からコルメウムが口にする罵詈雑言を一言も逃さずに耳に入れている。


「何かするんなら相談の一つでもしろや! しかもこんな辺鄙な場所まできやがって、どんだけ必死に雲隠れしてやがんだタコ!」

「分かった、取り敢えず喋るか殴るかを決めてくれ」

「黙れボケ! あたしの話はまだ済んでねーんだ! いいからタコ殴りにされてろや!」

「我儘なやつめ――おうっふ、おう、うぅんむ……げふぅ」

「大体だにゃ、手前はいつもいつも身勝手すぎるんだにゃ! そんなんだから周りがついてこれねーって分かってんのかにゃ!」

「分からん」

「だろうにゃバカ野郎めが! マジで腹立ってきた、こうなりゃ〈大規模魔法〉で〈眠りの森〉ごと全部吹き飛ばして――」

「それはやめろ馬鹿者!」


 それまで黙って受け入れていたヴェイロンだが、コルメウムが口にした〈大規模魔法〉という単語を耳にすると途端に焦燥を露わにし、コルメウムの顔を鷲掴みにした。


「いいたいことがあるのは百も承知だしそれを聞き入れるのも吾輩の役目だろうよ、だがそれだけはいかんぞバカ猫! 仮にやってみろ、〈眠りの森〉どころの被害ではすまんぞ!」

「にゃふっ、はにゃせっ、こらボゲェ! 誰の顔をつかんでぇ――」

「こうでもせねばまた破壊大帝になるだろうが! まったく……取り敢えずこれ以上の破壊活動はやめろバカ猫! 吾輩はまだ畑すらつくっておらんのだぞ!」

「はっ……畑だぁ……?」


 地上へと舞い降り、ヴェイロンは適当にコルメウムを放り捨てて怒鳴り散らす。

 対して華麗に着地したコルメウムだが、反論をせんと口を開きかけると同時、彼の口にした「畑づくり」とやらを聞くと困惑した表情になり「一体何の話だ」と首を傾げた。


「そうだ、畑だ……予定していた場所をとられてしまったのでな、こうなったらとことん見極めようとしていたのだ」

「何の話してんだにゃ、お前……」

「何もどうも、吾輩の隠居生活においてかかせない完全で完璧なる畑をつくろうとだな」

「いやマジで何いってんのお前?」


 先までの怒りすら掻き消える程にコルメウムは呆れの表情になる。

 元より隠居した理由も分からないコルメウムは、当然ながらにヴェイロンの目的を知らなかったし、彼の思う理想の生活とやらもさっぱり分からない。


 ただ一つ分かることがあるとすれば、それは魔の首魁である魔王らしからぬ風体で、今更ながらにヴェイロンの身に纏う服装や装備――作業着に鍬――をまじまじと見たコルメウムは「一体全体この大馬鹿者にどういった心境の変化があったのか」と渋い表情になった。


「おまっ、悪の大権現とまで謳われたお前が、こんな森の中で畑を耕すって……つーかなんだその格好は! 外套は、鎧は!? お前の御自慢の魔剣はどこにやったんだにゃ!?」

「そんなもの農作業に不向きだからそこらへんに放ってあるぞ」

「おおおおい! おまっ、伝説級の武具に防具だにゃ!? それこそお前の魔剣なんて山の一つは簡単に切断できるし、外套は如何なる衝撃も防ぐし、あの鎧なんぞは魔神と謳われた名工に特注でつくらせた世に二つとない代物なんだぞ!? お前正気かにゃ!?」

「正気も正気だバカ猫よ。如何に大層な肩書を持とうともそれが適さぬ道具であるならば、それはやはり適した状況にこそ使う物だ。第一、現状は戦争状態でもないのに鎧を着こむだの剣をくだの、大袈裟だし馬鹿馬鹿しいだろうが。それとも日頃から示威しい的行為をしろとでもいうつもりか、それが故の王とやらの風格か? そんな馬鹿馬鹿しい真似がか?」

「い、いやけどにゃ!? 物には物の価値があってだにゃ!?」

「ならば今は正しく無用の長物だ。それというのは真価を発揮するべき状況でこそ価値を生む」


 そうだろうと問われるとコルメウムは閉口し、非常に納得し難いところではあるが、彼の語る理論には何も間違いはないとして、本当に渋々のように頷く。


 兎角としてヴェイロンが本気で隠遁生活を謳歌していることを悟ったコルメウムだが、果たしてこうも開き直る、もとい己の意思に愚直な程に生きる化け物をどのようにして玉座に連れ戻せばいいのかと苦悶の表情になった。


「ああ、それとだ。水田もつくる予定だし、なんなら酪農や牧畜だってするつもりだぞ。他にも水源を利用して水車でも作ろうと思っていてな、やりたいことが盛りだくさんなのだ」

「いやお前、村でもつくる気かよ……」

「あぁ? そんな訳があるか。全ては吾輩の隠居生活に欠かせないファクターなのだ」

「いや、聞いてる限りじゃ村づくりにしか思えねーにゃん……」


 ヴェイロンの表情からして適当な嘘をいってるようには見えなくて、壮大に語られる彼の未来予想図を聞かされるコルメウムは先よりも眉間に皺を寄せていた。


「ふむ、しかしそうだな、お前の魔法は勝手がいいな……」

「にゃ……? おい、なんだその目は……何をあたしを見つめてやがる、おい……?」

「いやなに、吾輩は出力の制御が苦手でな。お前もよく分かっているだろう? 簡単な具合でもな、魔法を展開すると〈全てが終わってしまう〉……だから腕力でどうにかしようと思っていたのだが……」

「いや、ちょい待ち。お前まさか、このあたしを、まさか、いやそんな、なぁ……?」


 むんず、とヴェイロンはコルメウムの襟首を持ち上げた。

 唐突の浮遊感と嫌な予感の的中にコルメウムは必死で暴れまくるが、しかし宙ぶらりんになっている彼女はぶらぶらと揺れるだけで、彼女の反応も無視してヴェイロンはきた道を戻り始めた。


「よし、コルメウムよ。丁度いいから少しばかり吾輩の畑づくりを手伝っていけ」

「んなっ、ざっけんなようんこボケ魔王! 誰が手伝うかにゃ!」

「まあそう叫ぶな。どれ、昨日ぶりの客だしな、少しばかりもてなしてやる。それから仕事をしろ、生意気猫娘よ」

「おまっ、いやだやめろっ、はなせごるぁあああああ!」


 魔王軍随一の殺戮主義者〈鏖卿〉ことコルメウム・ディアブロ・ベルエア。


 そんな彼女であろうとも元魔王の手にかかれば可愛らしい猫娘の扱いで、彼を連れ戻しに来たはずのコルメウムは、結果として彼自身の手によって捕らえられると、悲惨な声を〈眠りの森〉全域に響き渡らせた。

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