第7話 ボム・トラック


「……何故こうなっている」


 落雷が襲った〈眠りの森〉に新たな朝が訪れる。

 昨日の騒動など嘘だったかのように森の空気は穏やかで、空には鳥が飛び交い軽やかな旋律を奏で、咲き誇る花々は甘い香りを生み、今日も今日とて〈眠りの森〉は平和そのものだった。


 そんな平和な〈眠りの森〉の中心部には湖畔があり、ヴェイロンはそこに居を構えている。


 立派な家屋の天井は昨日の落雷により吹き飛び機能を失っていた。

 悲惨な事態だったが、しかしヴェイロンはめげずに本日の予定に取り掛かろうと、先日に口にしていた畑をつくるべく勇み足で外へと出てくるが――


「何故、吾輩の家の裏に新たな家屋が建っているのだ!?」


 畑の予定地だった場所には、これまた立派な家屋が建造されていた。


 一夜の間に何があったのか――何かがあったのだとヴェイロンは悟る。

 何せここは〈眠りの森〉、神格と神秘が渦巻く奇跡の森ならば出鱈目なことが起こっても不思議ではない。


「ふあぁ……朝からなんだよ、喧しいなぁ……」

「ぬ……!? 貴様は昨日の……近侍の片割れか!」


 新築の前で騒ぐヴェイロン。それを聞いてか新築の戸が開いた。

 姿を見せたのはアポロの従者のボーラで、彼女は眠そうに瞼をこすりつつヴェイロンに文句をいった。


「なんだよ、魔王……まだ早朝五時だぜぇ……」

「何もクソもあるか、戯けが! この家はなんだ! そもそもまだこの森にいたのか!」

「そりゃいるさぁ……こっちは故郷から追い出されて行くあてもないんだから……」

「知るかボケぇ! もう用はないといったではないか! どうせあの生意気な姫と残りの一人もいるのだろう! まったくもってふざけおる、今すぐ立ち退かせてやるぞ……!」


 怒り心頭のヴェイロンだったが、そんな彼の背後から迫った存在が肩を叩く。


「まぁまぁヴェイロン、朝っぱらからそうも怒鳴るんじゃないわよ」

「おいウアイラ、貴様だろう、この家を建てたのは! 何をしていやがる!」


 それは女神ウアイラで、彼女は怒り狂うヴェイロンを見て少々面白そうに笑っていた。


「そりゃね。だって聞けば死出しでの旅のようなものだっていうしぃ? 仮にも私を頼ってきた敬虔けいけんなる徒よ? どうして見過ごせるってのよ?」

「しかし貴様には何も出来ぬといったではないか!」

「そうはいっても見放せる訳ないでしょや。神と名のつく存在はそういうもんなのよ」

「ふざけやがる、面倒見がよすぎだろうが! 家までこしらえて……吾輩は自分の手で建てたのに、なんだこの扱いの差は!」

「そりゃあんたは迷える子羊でもなんでもないじゃない。むしろ怨敵にも等しいんだから手なんて貸す訳ないでしょ。つーか出ていきなさいよ」

「貴様が出ていけボケ神ぃ!」


 先日とはまるで立場が違う両者。

 怒り心頭に食って掛かるヴェイロンだったが、そんな喧騒を聞いてか、未だ早い時刻だというのにボーラの背後から二人の少女達が顔を見せた。


「もう、さっきから玄関で何を騒いでるのよ、ボーラ! 姫様まで起きちゃったじゃない!」

「ふあぁっ……何かあったの、ボーラ……?」

「おはよう姫さま、テスタロッサ。いやな、魔王のやつが文句を垂れ流してんだよ」

「文句ですって? 何の文句があるってのよ?」

「さあ。大方あたし等が気にいらないんじゃねーの?」

「はぁ? ふざけたやつね……魔の者が人の大陸にいるってだけでも腹立たしいのに……」


 テスタロッサが吐き捨てるようにいうと、それを聞いていたヴェイロンの額に青筋が浮かび上がり鋭い瞳で彼女を睨み付ける。


「おい貴様、そこの赤髪の小娘! 今なんといった……腹立たしいだとこの糞ボケがぁ!」

「ひっ!? な、なによ、それが当然のことでしょう!? 互いの領土は不可侵が暗黙の了解なのに、なにを威張ってんのよ!」

「あぁん!? 貴様等人類との取り決めなど知るか! 暗黙の了解など尚のこと糞喰らえだ! そもそもだぞ、貴様等人類とて勇者をヴェイルサイド大陸に送り込んでいるくせに、何を偉そうにいいやがる!」

「そ、それは〈あんたが悪い〉んじゃないの!」

「あぁ!? 吾輩が一体全体、貴様等人類を相手に何をしたと……!」


 魔王――それは人類にとっての宿敵であり、倒すべき怨敵でもあり、人の世に生きる者達は等しく同様の感覚と意識を持っている。


 しかし悪と断言されたヴェイロン本人といえば、少しばかり口をまごつかせ、何かをいいたそうにしたが、結局、諦めたように肩を落とすと背を向けてしまった。


「あ、ちょっと、何よ! 言い返せないからって逃げる気!?」

「……ふん、雑魚を相手にするのが馬鹿馬鹿しくなっただけだ。おい、ウアイラ!」

「あいあい……なにさね、ヴェイロン」


 先までの勢いがなくなったヴェイロンに皆は怪訝けげんな表情になるが、しかし、ただ一柱だけ――ウアイラだけは渋い顔付きで、名を呼ばれると適当に返事をする。


「吾輩が戻ってくるまでにその小娘共を退去させておけ。目障り故な」

「私を下僕だとでも勘違いしてんの? ぶっ飛ばすわよ?」

「口答えをするな。兎角、やっておけよ」

「あんたはどこに行くつもりよ」

「そこら辺だ。都合がよさそうな場所を探すのだ」

「都合がよさそうな場所ぉ……? あんた何をする気よ」

「だから、畑をつくるといっているだろうが」

「……マジでご隠居の爺様みたいよ、あんた。まだ若いくせに何だってのよ……」

「そうはいえど、もう三百五十七歳だがな」

「魔の者の平均寿命は五百年から六百年よ? まだまだ小僧でしょうが」

「ガキだとっ……いやまあいい。何にせよ面倒をさっさと解決しろ、いいな!」


 そんな言葉を残してヴェイロンは森の奥深くへと消えていった。

 過ぎる嵐を見送るように、アポロ達は彼の消えた方向を見つめ「一体あの魔の者はなんなんだろうか」と同時に首を傾げる。


「ふあーあぁ……もう、早起きは確かに健康的だけど、それにしたって早すぎよっ……」

「んだなぁー……どうする姫さま、もう一度寝るかい?」


 問いを向けられたアポロだが、彼女は家屋から外へと出て、今し方ヴェイロンが向かった方角を見つめていた。


「邪魔、しちゃってるのかしら……」

「そんな、姫様が気にすることではありませんわ! そもそもここは人の住まう大陸、どうして魔の者を相手に気を遣う必要が……」

「まーそうっちゃそうだけど、それにしたってあの魔王も、いっちまえばあたし等と同じ根無し草だろ? 帰るあてもなさそうだぜ?」

「それは、まぁ……そうかもしれないけど……」

「なら同じよしみだぜ、テスタロッサ。そうもキツくいうこたぁねーよ」


 ボーラの言葉にテスタロッサは渋々と頷くが、そこに納得の気持ちはないように思える。それもまた人魔の間にある深い溝だとか遺恨いこん憤懣ふんまんがあるからかもしれない。


 二人のやり取りを聞いていたアポロは、未だにヴェイロンの向かった先を見つめていた。


(あんなに強いのに、なんで魔王の座を退いたのかしら……)


 昨日のことを思い出し、その出鱈目具合にアポロは疑問が膨れ上がっていた。


 恐らく彼には誰も逆らえないだろうし、超自然的な現象すらも拳一本で粉砕できてしまう実力も持っているし、この世界に脅威と呼べる存在はないのだろうとも思える。


 つまり、魔王ヴェイロンとは不自由のない、ある種は完璧な存在にも等しかった。


 それなのに玉座から退き今では隠遁生活と洒落込んでいる。

 退位した理由すら知らないアポロだが、どんな理由があれば王の身分を自身から返上し、不自由極まりない未開の土地――〈眠りの森〉で隠居を望むのか不思議でならなかった。


「まーまー、あんなバカは放っておきなさいな乙女達よ」

「ウアイラ様……」


 悩む素振りのアポロの肩を叩いたのはウアイラだった。


「お、おおぉ、やっぱ女神さまなんだなぁ……姫さまに触れて何も起きないだなんて……」

「こら、失礼よボーラ! でも奇跡的な光景なのは間違いないわね……」

「……やっぱり相当な呪いみたいだぁね、アポロちゃん?」

「そう、なんでしょうね……二人の反応が、きっと、全てなんだと思います」


 結局、〈眠りの森〉にやってきたアポロ一行だが、ウアイラの力ではどうにもならないと結論が出ている。

 無駄足のような旅だが、しかしウアイラは彼女等を見捨てるような気は毛頭なくて、こうして明くる日になっても世に顕現けんげんし、迷える子羊達の前に姿を現した。


「ならなんとしてでも手がかりを見つけて、あわよくば解決しなきゃだねぇ」

「え……? でも、ウアイラ様に手段はないって……」

「ふふーん、まぁ確かに解呪はできないわよ? けーれーどーもー?」


 ウアイラは湖へと指を向け適当に振るった。

 すると、彼女の手の動きに連動するように湖から水の柱が生まれて、それは宙を踊り、アポロの周囲に渦を成して高くそびえ立った。


「え、ええ、ななな、何ですか、これ!?」

「これでも女神としての矜持もあるし、それ相応の地位だってあるんだから。解呪はできないまでも、少しくらい緩和は出来るわよ。見るからにアポロちゃんに宿る魔性が呪いの原因みたいだからね。こいつを少し抑えてやれば……」


 さあ飲みなさいとウアイラは柱から生まれた雫をアポロの口腔へと落とした。

 いわれるがままにそれを飲んだアポロは、少々の恐怖はあれども、なんだか身体の中が熱くなるような、あるいは冴え渡るような、不思議な感覚に包まれていた。


「あれ? なんかあの子、昨日ほど気持ち悪くないよ!」

「んー、本当だ! なんだろう、僕達と似たニオイがする……?」

「あ、分かったぞ、女神さまの滴を飲んだんだよ! 神秘の水だー!」

「そっか、それなら納得! 女神さまの霊水は格別だもんね!」


 霊験れいけんあらたかな水として、女神ウアイラの霊水は世界的にも名の知れる神秘だった。それを簡単に手に入れ、しかも口に含んだアポロは、ウアイラから直接に加護を得たも同義だった。


「お、お、お……? なんか、妖精達が増えてねーか……?」

「もしかしたら姫様の魔性が弱まって、それで妖精達が姿を見せてくれたんじゃ……?」

「一時的なものよ、お二人さん。確かに今のアポロちゃんは先までより大分柔らかい感じになったけど、それでも根本的な解決にはなってないの」


 アポロの頬を撫でつつ、ウアイラは魔性の減少を確認すると頷きを見せ、アポロといえば自身の変化に実感がないようで、何が変わったのだろうと不思議そうな顔をしていた。


「解決の手段がないのは確かよ。けど、ここでなら……〈眠りの森〉でならアポロちゃんを癒すことができるし、神の御元だからこそ神に通じることもできるのよ」

「ウアイラ様……」

「だから諦めないで、アポロちゃん。これも縁と呼べるものよ。私を頼ってきたのであればそれを無碍にすることは絶対にない。一緒に頑張りましょう」


 その言葉にアポロは涙を浮かべ、静かにウアイラへと抱きつく。

 彼女の頭を撫でつつ、ウアイラは先程ヴェイロンが消えた方角を見つめ、胸中で言葉を零していた。


(厄介なことになったわね。あんたも内心じゃ死ぬほど苛ついてんでしょ、ヴェイロン?)


 ウアイラの瞳に緊張にも似た色合いが浮かんだが、それを見た者は誰もいなかった。



                ◇



 ざふざふと獣道を歩くのは元魔王のヴェイロン。

 背中には大剣――ではなく鍬を負い、着込むのは暗黒の鎧に漆黒の外套――ではなく簡素な作業着だった。


「まったく、あの小娘共め、どこまで吾輩の安息を邪魔する気だ……折角人も魔もいない地にきたと思ったのに……」


 そもそも〈眠りの森〉には女神ウアイラがいたので最初から彼の計画は台無しだったりもする。

 しかしめげないヴェイロンは森を掻き分けるように進み畑の候補地を探していた。


「しっかし自然が多すぎる……豊かなのはいいことだが、これでは生活が難儀しそうだぞ……適当に薙ぎ払っておくか……?」


 元々舗装もなければ整備もされていない未開の土地は、当然住まうには適していない。

 文句を口にしつつ、ヴェイロンは背中にある鍬を引き抜くと振り被ろうとするが――


「……あ?」


 ふと、彼は視線の先を凝視した。

 当然ながらに眼前に広がるのは大自然のみだ。

 しかし彼はその遥か先を透かし見るように目を凝らし、更には耳まで澄ませた。


 如何に彼自身が魔王という立場を否定しようとも彼自身に築かれた歴史の数々や、含めて実力と呼べるものばかりは否定のしようがない。


 彼は感じていた。

 それは超濃度の殺意であり、それは確実に敵意を孕み、しかも感覚からして己へと向けられていると即座に理解した。


 果たしてそれの正体は謎だ。

 この〈眠りの森〉は散々語られたように辺鄙な土地であり、ここに他者の存在がある事がそもそもとして異常事態だ。


 では鳥獣の類かと思えども違うと彼は確信する。

 そこには息遣いを感じる。野性生物の持つ荒々しさはなくて、研ぎ澄まされたような、澄み切った程の明確な殺意を如実に感じた。


 そして彼に警戒心を植え付けた最大の理由というのが、未だ正体不明の存在から発せられる覇気とも呼べる異常な空気感で、絶対者が傍に在ると確信した彼は周囲を警戒しつつ、一歩、前へと踏み出した。


『――お、ここらかぁ? あの糞ボケバカ魔王の気配をビンビン感じるにゃーん……』


 その時だった。

 突然にヴェイロンの耳に呟きのような、あるいは囁きのような声が届き、それを確かに聞いて感じたヴェイロンは目を見開くと汗を垂らし、心底に苦々しい表情になると吐き捨てるように呟く。


「おい……おい、冗談だろう……?」


 相変わらず、やはり、辺りに他者の気配はない。

 だが言葉は確かに聞こえているし存在感も肌の感覚から伝わってくる。


 最早状況は意味不明に等しかったが、ヴェイロンはこの奇妙な感覚を理解していたし、姿を見せずして言葉を伝えることが出来る手段など数は少ない。


『おい、聞こえてんだろ糞野郎……〈意思共有魔法〉ちゃっかり繋がってんだろ? おい? 返事しろこら? こっちは分かってんだにゃーん? 返事しろ? よおぉおお!?』


 つまり、それは彼の頭の中に直接に届けられる言葉であり、声の主は〈意思共有魔法〉と呼ばれる手段を以って、その場にいなくても彼に言葉を届けることが可能だった。


「バカな、いくらなんでも早すぎる……しかもよりによってお前か……!」


 ヴェイロンは視線の先を睨み付けている。

 何故そうするのかといえば〈目が離せないから〉で、この変哲のない超がつくほど平和な〈眠りの森〉に覇者が舞い降りたと、今、確かに実感した。


『あっそう、無視かにゃん。そうかにゃ、上等だにゃ。なら文句はいうなよ。手前ごとこの森を……薙ぎ払ってやっからよぉおおおお!?』


 ヴェイロンはすかさずに鍬を前方へと押し出すように構えた。

 それとほぼ同時、彼の前方から太陽光のような煌めきが発生し、それは光線のような形状に変化すると――


「死ねや糞ヴェイロォオオオオン! 〈破壊魔法〉だボケがぁああああ!」


 超極太の柱となり、森の一画を吹き飛ばす程の出力で展開された。

 それは破壊光線で、標的はヴェイロン本人だった。

 咄嗟のことに鍬を構えただけのヴェイロンはというと――


「あいっかわらず、お困りの猫娘めが……! 少しは加減をしろボケぇえ!」


 なんと、単なる鍬一本でその破壊光線を真正面から受け止める――だけではなかった。


「不敬極まるぞ、コルメウム――〈鏖卿〉……!」


 彼は全力で鍬を撃ち落とした。

 たったそれだけの挙動だが、しかし、それだけで破壊光線は霧散してしまう。


〈破壊魔法〉――言葉のままに破壊を目的とされる魔法で、これは魔法の基礎である五行――木火土金水――の全ての要素を含む特殊な部類の魔法だが、純粋な破壊力を追求されるこの〈破壊魔法〉というのは通常であれば防ぐ手段は乏しい。


 人の世で言い換えるならば荷電粒子かでんりゅうしを高速射出する、所謂はビーム的なものだが、今し方ヴェイロンが仕出かしたような物理的に粉砕する、ないしぶっ潰すというのは、当然ながらに現実的ではなく、やはり出鱈目なやり口だった。


 しかしこれを魔王の名を冠する存在がやってしまうと最早世の常識だとか物理的な法則というのは意味を失ってしまい、結果として「だって魔王だから」の一言で締めくくられてしまうのだから、やはりヴェイロンという存在は超越者に相応しい出鱈目だった。

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