第4話 マントラ


「ん……」


 ゆっくりと覚醒した白髪の少女は身体を起こした。


 最初に気付いたのは木造家屋特有の温かな匂いで、眩むピントが修正されると天井が映り、ついで窓から緩やかな風が入ってくるとくすぐったさを覚える。

 身体に掛かっているのは真っ黒な外套で、それを手繰り寄せた少女は肩に羽織った。


(ドレスがボロボロだ……この外套、少しの間だけでもお借りしていいかな……)


 記憶が混濁としている少女は、何故に衣服が台無しになっているのかを考えた。

 そうすると、微かに香る火薬の臭いが記憶を呼び覚まし「ああ」と手を打つ。


「そうだ、確か馬車が地雷キノコに直撃して、それで私だけが吹き飛んで……」


 思い返しつつ次第に彼女は危機感を覚える。

 何だか大変な事実を忘れている気がすると。


「ね、ね、目が覚めたよ、あの女の子!」

「本当だ! よくこんなところで眠れるなぁ……」

「しーっ、声が大きいわよ、気付かれちゃうじゃない!」


 ふと、記憶を漁る彼女は小さなささやきを聞いて現実へと引き戻された。

 窓辺を見てみると、そこには小人のような小さな何かが群がっており、一様に可愛らしい見てくれで、背中には蝶のような羽が生えていた。


「よ、妖精……? しかもこんなにたくさんの……」

「わー、気付かれた! 逃げろ逃げろぉー!」

「ううぅ、やっぱりなんだか胸がイガイガするぅ……」

「あんまり関わっちゃダメよ! あの子、可笑しいんだもの!」


 妖精――神秘や神格の体現と謳われる奇跡の存在。

 滅多にお目に掛かれない貴重な存在だが、そんな奇跡が複数体存在していて、それを見た彼女はようやっと実感する。


「そっか……じゃあ、ここは本当に〈眠りの森〉……」


 彼女はこの森を目的として旅をしていたが、そんな彼女にはお伴が二人いた。

 しかし二人の姿はどこにもない。先の地雷キノコの爆発に巻き込まれた結果、彼女は現状、一人きりだった。


「ボーラ、テスタロッサ……無事だといいんだけど……」


 しかし他人の心配をしている場合ではなかった。

 何故ならば彼女は異常な場所にいるからだ。


 確かに〈眠りの森〉は美しく素敵な桃源郷だが、しかしそれもつい数日前までの話し。

 今、この森には世界を震撼させる恐怖の大権現がいた。


「む。目覚めたか、小娘」

「えっ……」


 ぎしぎしと床を軋ませながら大男が姿を見せた。

 簡素な黒い衣服を着こむ大男は、手には桶のようなものを持ち、その中をのぞいてみると活きのいい魚が複数泳いでいる。


「散々泣き喚いたかと思えばいきなり倒れおって。貴様、どれだけ滅茶苦茶な小娘なのだ」


 呆れたようにいう大男。

 八尺にも迫る巨躯はとんでもない威圧感を放っている。


「あ、ああっ……やっぱり夢じゃなかったのね……!?」


 少女は大男を見つめると段々と青褪め、黒い外套を抱きしめるとベッドの端まで逃げた。

 しかし彼女の怯えも仕方のないことだった。

 何故ならば、今、彼女の傍に立っている大男こそは世界が恐れる大悪党だからだ。


「魔の首魁しゅかい、魔王ヴェイロン……!」


 それこそは魔王ヴェイロン・ディアブロ・ヴェイルサイド。

 ヴェイルサイド大陸を支配し、魔の統率者として名を轟かせる最強無敵の覇者。

 数多くの伝説は凄惨なものばかりで、一夜で複数の国を亡ぼしただとか、一度暴れると天地すらも悲鳴を上げるという。


 実しやかな伝説が目立つが、果たしてそこに真実味があるかは不明だ。

 結局は誇張された流言にも思える。

 ところが噂の大権現を前にした少女は確信を抱く程の説得力を感じていた。


 それを覇気と呼ぶも風格と呼ぶも言葉は何でもよくて、シンプルに理解出来ることは「間違いなく誰もこの男には勝てない」という、自然と滲み出るヴェイロンの空気感に圧倒された。


「なっ、何故この森にあなたが……!?」

「あぁん?」


 名を呼ばれ、疑問まで寄越されたヴェイロンは眉根を寄せるといぶかる顔になる。


「まさか、女神様をも手掛けようとしているんじゃ……! そ、そうはさせない! この私がそんな真似を許すとでも――」

「何を一人で盛り上がっているかは知らんがな。とりあえず食え、小娘」


 言葉を遮り、ヴェイロンは桶を少女へと突き出した。

 面食らった彼女は波を打った水に頬を叩かれ、濡れたそこを手で拭う。


「く、食えって……」

「何はどうあれ客人は客人だ。この森は吾輩の拠点、住まい、城も同義よ。形はどうであれ、もてなしというのは必要だろう」

「え……え?」

「別に貴様は攻めにきたわけではないのだろう?」

「そ、それは当然……」

「ならば食え、そして二度と倒れるな。あとその外套はお前の寝間着ではない、吾輩の物だぞ」

「え、わっ……ま、魔王の外套を着こんでいただなんて……!」


 慌てて脱ごうとする少女だが、そうするとズタボロのドレスが姿を見せた。

 それに一瞬赤面する彼女を見て何となくのところで察したヴェイロンは「やっぱり後でいい」と呟く。


「人間の食事というのは〈よく覚えておらん〉からな、一応は生きた魚を持ってきたぞ。今のところ手頃な食料は魚くらいだったのだ」

「え、えぇと……」

「いいか、それを食ったら早いところ用事を済ませて出ていけよ。いくら客人といえど急な来訪というのは無礼でしかないからな。つまりは非常識なのだ。分かるか?」

「い、いや、あの、えぇと?」

「なんだ、先からしどろもどろとしおって……ハッキリせんやつだな」


 先から少女は驚いていた。

 それというのも、噂の大悪党といえば随分と甲斐甲斐しい。

 そこに優しさがあるかは不明にせよ、見ず知らずの、しかも種族の異なる存在を対等のように扱うのだから、彼女は信じ難い光景を見ている気分だった。


「あんたねぇ、先から黙って聞いてりゃあ……やれ吾輩の森だとか、やれ生魚を食えだとか、挙句はさっさと出てけだとか……どんだけ我儘かつ身勝手な糞野郎なのよ!」

「あぁん? 貴様こそ土足で我が住まいに踏み入るとは不躾極まるぞボケ神ぃ……!」

「まったくもって出来ちゃいないわよ、アホヴェイロン。耄碌もうろくする程かしらねぇ、人は基本的に火を通した食べ物を好むのよ。〈もう忘れた〉の?」

「ふん、一々うざったいやつだな、誠に貴様は糞だぞウアイラ……!」


 足音も響かせずに近づいてきたのは女神ウアイラで、完全に呆れ果てた様子の彼女だが、混乱している女の子を見て同情する顔になった。


「ごめんね、この筋肉ゴリラったらバカだから……生魚なんて寄越されても困るわよねー」

「誰が筋肉ゴリラだ、おい!」

「兎に角、あんたは余計なことすんじゃないの。いい? 人間ってのはデリケートにできてんのよ。しかも歳若い女の子なら尚のことね」


 ベッドに腰かけたウアイラは女の子の顔を見つめる。


「……あなた、名前は何ていうの?」

「え、と……アポロ、といいます。あなたは……?」

「私はウアイラ。女神をやってて、この森を守護している、いわば番人ってやつよ」


 女神と聞いて女の子――アポロは目を見開き、食い掛からん勢いで迫った。


「あ、あの、あの! 私、その、あなた様にお願いがあってきたのです、女神様!」

「ちょいちょい、落ち着いて、アポロちゃんとやら。なんだか幼気な女の子に襲われてるみたいで危ない画になってるから」

「あ、す、すみませんっ……つい、その……」

「いやぁ、まぁ分からなくはないけどねぇ……こんだけ超至近距離になると、こりゃいよいよ私ですら頭が痛くなるもんねー……」


 頭をさすりつつウアイラはベッドから立ち上がりアポロを見下ろす。


「どうした、いよいよ頭がイかれたか」

「黙りなさいおバカ。マジでとんでもない魔性が宿ってるわよ、この子……いいえ、〈この血〉には。流石といいましょうかねぇ、いやはや恐れ入るわぁ……」

「ふん……おい、小娘」

「は、はいっ」

「この魚、いらんのか? いらんのなら吾輩が食うぞ」

「え、と……今は食欲がありませんから、どうぞ……」

「そうか。では――」

「待ちなさいバカヴェイロン」

「あん?」

「せめて焼いてきなさい。お願いだから。なんか画的にヤバイ気がするから」

「何がだ」

「いいからしてきなさいよ! その方が美味しいから! 塩も使って食べなさい!」

「何を口喧しくしておるのだ、この間抜けは……ったく」


 呟きつつヴェイロンは指を鳴らす。

 すると、たったそれだけの挙動で火炎が宙に生まれ生魚を包み込んだ。


「……芳しい香りと美味しそうな空気をどうも、このクソバカ魔王」

「ふふん、欲しいか? 残念だがやらんぞ……うむ、やはり美味いな、この魚!」

「もう黙ってなさいよ……」


 焼き魚を貪るヴェイロンを見つめるのはアポロで、その表情は引き攣っていた。


「あの……本当に、この魔の方は、魔王ヴェイロンなのですか……?」

「悲しくなるけど本当なのよねぇ……」

「とはいえ引退したがな」

「え?」

「それは今はいいから! あんたは大人しく食べてなさいよ!」

「誠に喧しい女だな……どれ、ではもう一匹……」


 アポロは驚愕の限りだった。

 目の前には女神がいて、その隣には恐怖の魔王が立っている。

 相容れぬ聖と魔の代表格が揃っている事実。にもかかわらず互いは勝手を知った仲のように慣れ親しんでいた。


「私は夢を見ているのかしら……」

「残念だけど現実なのよねー……兎角、アポロちゃん?」

「は、はい……」


 改めて向き直った二人だが、アポロは緊張の面持ちになった。


「何でこの森にきたの? いっちゃなんだけど、この森には何もないわよ? そもそも人魔双方が不可侵を暗黙の了解としている土地でもあるし、この私自身が管理している事実もある。つまりは人や魔が関わっていい場所じゃないのよ?」

「それは、その……」

「……まぁ、何となしに分かるっつーか、その身に宿る魔性も含めて、本当に切羽詰まってる感じだったんだろうけどもさ……」


 いよいよウアイラは確信をつく。


「〈神殺し〉の一族っていってた……わよね?」

「……はい」


 アポロの返事に、何故か室内は沈黙に支配された。

 疑問が浮かぶアポロだが、唐突にヴェイロンに声をかけられる。


「おい、〈神殺し〉の一族とやら」

「え、な、なんでしょうか……」


 最後の一匹を平らげたヴェイロンは指を舐めつつアポロを見つめる。


「折角勇ましい渾名があるのだ、もっと堂々としたらどうだ」

「そんな、堂々とできる立場ではありません……私は、女神様に救いを乞いにきたんです」

「ふん、そこのボケ神にか?」

「誰がボケよ、誰が!」

「何にせよだ、〈神殺し〉の一族が神に願いにきたというのはお笑いだ。一体何を願いにきたというのだ」


 ある種は因縁めいた間柄ともいえるが、〈神殺し〉の異名を持つ乙女は女神を真っ直ぐに見つめ、深く頭を下げると言葉を紡ぐ。


「……お願いです、女神様。どうかこの私の身を蝕む神の呪いを解いてくださいませんか」


 つまり、それこそは神頼みだった。


〈神殺し〉の一族であるアポロは、自身を苦しめる、神からもたらされる呪いを、同列の存在である女神ウアイラに解呪してほしいと願いにやってきたという訳だった。

 その言葉を聞いてウアイラは眉をひそめ、腕まで組み、更には難しそうに唸る。


「だーよねー……そうなるよねー……」

「ふん……神を殺した末裔が神そのものに呪いを解けと、許してくれと……腹が捩れるわ」

「な、何が可笑しいんですか……!」

「さてな。しかしお前の先祖は、もしかしたら……」


 一度言葉を切ったヴェイロンは鋭い双眸そうぼうでアポロを見つめ、はっきりと続きを口にする。


「〈糞喰らえ〉と……いっているやもしれんぞ」

「……何をいっているんですか」

「さてなぁ……しかしその身形からしてどこぞの貴族か、あるいは王族か」

「……分かるんですか」

「伊達に魔王をやっていた訳ではない。王である吾輩だからこそ分かるのだ」


 ヴェイロンは未だ唸り続けるウアイラを無視しアポロへと近づいていく。

 ベッドの隅っこで縮こまるアポロは見下ろしてくるヴェイロンを強く睨んだ。


「それ以上近寄らないでください……」

「ほほう、吾輩が恐ろしいか? ふふん、そうだろうそうだろう。何せ吾輩という存在は世界を震撼させた――」

「あなたの身を案じていっているんです」

「……なんだと?」


 聞き捨てならない台詞だった。

 ヴェイロンは瞳を鋭くするとアポロの目を見つめ返す。


「バカにしている訳ではないんです。これは忠告です。あまり無暗に私に近づかない方がいいですよ、魔王ヴェイロン」

「ほおぅ、いいよるわ……そうもいわれると、どうにかしてでも近寄りたくなるではないか……!」


 ヴェイロンは腕を伸ばし、アポロの肩に触れようとした。

 が、その瞬間、信じ難い現象が巻き起こる。


「あ、ヴェイロン、上見なさいな」

「あ?」

「危ないわよ」

「何をいっている、ウアイラ」

「いや、だからね、落ちてくるから」

「……? 落ちてくる、とは……」

「あ、もう遅いかも。耐えなさいよヴェイロン。くるわよ――」


 ウアイラの言葉を遮って、耳をろうするような音と大きな衝撃が家屋を揺らした。

 それらが生じると同時に、世界は白色に包まれた。


 それは天から降り注いだ極太の稲妻だった。

 音と衝撃の正体は落雷だった。


 今、空の色合いは快晴で雲の一つもありはしない。

 しかし突如として雷が発生し、それは〈眠りの森〉のヴェイロン邸へと落ち、屋根を突き抜け、アポロに触れようとしていたヴェイロンへと突き刺さった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る