第3話 ペイン・キラー


「え、えぇ……? あれ、人間じゃない……?」

「本当だ、しかも女の子だよ……」

「そ、空を飛んできたの? 人間が?」

「魔法を使ったわけでもないのに、一体どうやって?」


 ヴェイロンが掴んだ物体――それは人間の女の子だった。


 長く緩やかな白髪。閉じた瞼は長い睫毛が縁取り、その美貌は類を見ぬ程だった。

 ゴシック調のドレスを身に纏い、宛らに眠れる美女で、しかもここは森だから、いよいよ〈眠れる森の美女〉のようだった。


 が、しかし――


「うぅ、なんだろう、あの子を見ていると、すっごく気持ちが悪くなるぅ……!」

「ぼ、ぼくもだよぉ……気持ちが悪いっていうか、これは、なんだろう……」

「わ、わたし、知ってる! この気持ち、確か……殺意っていうんだよ……!」


 美貌に酔いしれるのも束の間、妖精達はそろいもそろって不快感を訴え、皆して女の子から距離を取ってしまう。


「……何をしているのだ、妖精共は。おいウアイラ、貴様までも妙な反応を取ってくれるなよ。面倒だからな」


 首を傾げるのはヴェイロンで、彼にはさっぱり理解出来ないことだった。

 彼は困ったように再度頭を掻き、振り向きつつウアイラの様子を窺う。


「あー……いや大丈夫だけど、確かになんか変ね、その女の子……」

「貴様も何かを感じ取っていやがるのか……頼むから気を違えるなよ? 別に貴様程度、いつ殺したって構わぬが、畑が出来上がっておらぬからな。人手が欲しい故、まだ死ぬな」

「なんで死ぬ前提なのよ! つーか神に労働をいるとか本当に頭おかしいわよ!?」


 妖精達とまではいかずとも、少なからずウアイラも違和感を抱くようだった。


「あんたは平気なの?」

「ああ、なんともないぞ」

「あーマジか。魔の者じゃないのは確かなんだけど、何だろう、この超濃度の魔性は……」


 魔性とは聖の対となる概念をいい、通常、これを宿すのは魔の者等のみだった。

 聖と対極である為、神秘や神格の体現である妖精達は魔性を苦手としている。


 しかし、そんな魔性を、なんと人の女の子が放っているのだから異常事態だった。


「ていうか……なぁんか、この子の顔〈見覚えがある〉ような……この魔性も……」

「…………」

「ん? 急になんで黙ってんのよ?」

「いや……それよりも起きそうだぞ、この小娘」


 ウアイラは何故か唸り、ヴェイロンは目を細める。

 そんなやり取りをしていると女の子に変化が起きた。


「ん、うーん……」


 未だにヴェイロンに引っ掴まれている女の子は、宙にぶらさがったまま唸り声を漏らし、覚醒を示すように閉じられた瞼が微かに震えを見せた。


「あ、本当に目覚めそうよ、この子」

「……そうだな。ならばとっとと目を覚ましてもらおうか」

「え? あんた何をする気――」


 言葉を遮り、ヴェイロンは遠慮もなく、適当な具合で女の子を地面に落とした。


「あいたぁ!?」


 尻から落ちた女の子は衝撃と激痛に声を上げ、とびはねる勢いで立ち上がり、一体全体何が起きたのかと慌てて周囲を見渡した。


「な、なに、いきなり何が……!?」


 混乱しつつも周囲を見渡した女の子は景色に目を見開いた。


 付近に広がるのは大自然で、甘ったるい香りは〈眠りの森〉特有の薫香くんこう

 妖精達は陽気に歌ったり踊ったり、野生の動物達が自由気ままに生を謳歌する――それが通常の〈眠りの森〉だ。


 ところが彼女の目に映る景色にそんな華やいだものは一切存在しなかった。


「うわあ、こっち見た!」

「あ、花が蕾に戻ったよ!」

「動物達が逃げてく! 大型の獣ですら怯えたように唸ってるよ!」

「ねえねえ、多くの妖精達が気持ち悪くなって寝込んだよぅ!」


 華々しい大自然は凍てついたようで、甘い香りも鳴りを潜めた。

 妖精達は怯え、動物達は逃げ出すように走り去っていく。


 その光景を目の当たりにした女の子は少々暗い顔になるが――


「おい貴様、急に落ちてくるんじゃない」

「ひゃぁっ!?」


 そんな彼女の肩を叩く大男がいた。身の丈は八尺に迫る程の偉丈夫いじょうぶだった。

 彼女は迫った質量と覆い被さる程の巨大な影におののき、すかさず後退る。


(うわっ、凄くデカイひと……ヒト……? 真っ赤な短髪に、よく見たら青い角が……)


 見てくれは筋骨隆々としていて、刈り上げられた赤い髪と、側頭部から湾曲して伸びる青い角が特徴的だった。

 御自慢の黒い鎧と外套は脱ぎ、纏うのは簡素な衣服のみ。

 しかし、それ故に巨木のような腕が露出し見る者を畏縮させてしまう。


「まさか魔の者!? でもなんでケーニッヒ大陸の、しかも〈眠りの森〉に魔の者が……!」


 慌てふためく女の子。

 そんな彼女をヴェイロンとウアイラは真正面から見つめるが――



「……驚いた。そうかぁ、〈だから〉かぁ……」

「ふん……〈勝手に懐かしむな〉ボケ神……うざったいぞ」

「いやそうはいっても……ふーん、そうなのねぇ」



 何故か女の子を優しい瞳で見つめていた。

 理由が分からない女の子は尚のこと混乱したが、ヴェイロンは気にもせず女の子へと歩みよっていく。


「おい、小娘」

「ひゃいっ」

「貴様は何者だ。何故にこの森へと踏み入った」

「え、えと、その」

「ちょいちょいヴェイロン。なんであんたがこの森の番人みたいに問いただしてるわけ?」

「あん? そりゃこの森は吾輩の所有地だからだろうが」

「いつからそんなことになったのよバカ! 見なさいよ、完全に怯えてるじゃないの!」


 言い合う二人だったが、女の子といえば、今し方紡がれた単語――魔王という言葉を聞いて顔を蒼褪めた。


「ま、魔王って……まさか……」

「ぬ? い、いや違うぞ、吾輩は断じて魔王などではない。単なるしがないご隠居だっ」

「何がご隠居よ、第一誰もそんな身勝手を認めてないでしょうが! 魔王なら魔王らしくしなさいよ! そもそも隠居って歳でもないでしょうが!」

「そんな、本当に、あの恐怖の大権現……魔王、なのですか……?」

「いやだから……」


 面倒なことになったと唸るヴェイロン。

 本人としては引退した身だが、しかしそうは問屋が卸さないのが世界の判断だった。

 否定らしき言葉も出ないとなると、いよいよ女の子は怯えきり、膝から崩れると大粒の涙を零し咽び泣いた。


「まさか魔王までをも引き寄せるだなんて……なんで私はこんなにも呪われてるの……!」

「お、おい、泣くんじゃない小娘。別に吾輩は襲うつもりもなければ喰らうつもりもだな」

「折角ここまできたのに、ようやっと女神様にこの身をそそいでもらおうと思っていたのに……」

「んんん? 身を濯ぐですってぇ……?」


 泣き喚く彼女を前にヴェイロンは慌てふためき、言葉を聞いているウアイラは腕を組み、不思議そうな顔をする。


「この身に宿る呪縛を解いてもらおうと思っていたのに、こんなことになるだなんてっ……うわーん! うえーん!」

「呪縛、だと……?」


 何のことだとヴェイロンとウアイラは首を傾げるが、女の子が紡いだ台詞を聞くと―― 


「〈神殺し〉の呪いから、ついに解放されると思ったのに……!」

「……あぁ!?」

「なっ……えぇ!?」


 二人して顔を見合わせ、驚愕を露わにして叫んだ。



                 ◇



〈眠りの森〉のとある区画では火の手が上がっていた。

 その理由は燃え盛る馬車にあった。


「ってて……おい、テスタロッサ、無事か!?」

「ええ、なんとかねっ……」


 大破した馬車の傍には先の女性達――ボーラとテスタロッサの姿があった。

 二人は全身煤だらけな上に衣服はズタボロで、命からがらといった風体だった。


「まさか地雷キノコに直撃するとは思わなかったぜ……」

「しかも群生してるだなんて……なんで馬が気付かなかったのかしら……」


 地雷キノコ――名前の通りに爆発する不思議なキノコで、湿地帯や亜熱帯の地域に多く見られる植物だった。

 火薬のような強烈な香りを持つことから早期発見が容易な部類なのに、彼女達の操作していた馬は存在にまったく気づかないまま突っ込んでしまった。

 しかも群生していた為、爆発の規模は超大なものとなり、森の一画すら吹き飛ぶ程だった。


 そんな状況でも見事に生存している二人だが、然程緊張感や危機感といったものはなく、むしろ慣れたような感じだった。


「これもやっぱり姫さまの呪いかぁ……〈眠りの森〉の内部なら神秘や神格でどうにかなると思ったんだけど、その油断がダメだったなー……」

「そりゃね、姫様の代まで続く呪いだもの。それこそ神様に直接愛されでもしないと……」


 燃え盛る馬車と木々を眺めながら二人は深い溜息を吐く。


「……で、その姫さまはどこだよ、テスタロッサ?」

「そりゃあ姫様のことだから、ピンピンしてるわよ」

「いやだから、そのピンピンした姫さまがどこにも見当たらないんだけど?」

「え……」


 テスタロッサは慌てて付近を見渡す。

 しかしどこにも目的の人物の姿はなくて、今度は地を這い蹲り、草の根すら分けて探し始めた。


「姫様!? アポロ姫様!? どこにおいでなのです!? 御無事ですかぁー!?」

「いや落ち着けよテスタロッサ、別に姫さまがミジンコになった訳でもねーんだから……」

「でもどこに倒れてるかも分からないじゃないのよ!」

「そうはいっても……ここら辺に姫さまの気配はねーぜ」


 ボーラは眼光鋭く景色を見つめ、静かに立ちあがるとテスタロッサへと歩み寄る。


「どうにも……一人で大層に吹っ飛んじまったみてーだなぁ」

「んなっ……そんな、もしそれで姫様のお顔に傷の一つでもついたら大事よ!」

「いや大丈夫だろ、あれで姫さまも悪運が強いし。幸運は最低な程にないけど」

「そりゃ〈悪に愛されてる〉から当然でしょ!」

「だからこそ滅多なことじゃ死なねえんだって。〈悪に心底愛されてる〉からな」


 パニック寸前のテスタロッサを諭しつつボーラは一つの方角を指差した。

 それは〈眠りの森〉の中心部――女神がおわすところのほとりへと向かう方角だった。


「それに、まだ香りも息もする。立派に生きてるよ」

「あ、あんたがそういうんならいいけど……」

「ただ……」

「え? なに?」

「ちっとばっか、変な奴がいるみたいだぜ」

「〈眠りの森〉に生きる者の気配って……動物とかじゃないの?」

「いいや、そういうんじゃない。なんだかもっとおぞましくて、おどろおどろしいような……」

「それって姫様のことじゃ……?」

「いや、そうじゃない」


 ボーラはテスタロッサの手を引くと、少々緊張した表情になった。


「化け物……」

「え……?」

「……得体のしれない、禍々しい何かしら、かなぁ」


 二人は歩き始める。森の中心部へと向かって。

 そこに最強無敵の覇者が待ち受けているとも知らずに。

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