第2話 スリープ・ウォーキング


 とある田舎道、暗雲あんうんが垂れ込める不穏な空の下を走り続ける馬車があった。


「姫様、如何しましたか?」


 内部には女性が二人腰かけている。

 うち、侍女じじょと思われる女性が心配そうに声を掛けた。


 向かいの席に座るのはゴシック調のドレスを纏う絶世の美女だった。

 憂うような瞳は車窓の外へと向けられ、曇る空を見ると溜息を吐いた。

 まるで薄幸はっこう佳人かじんのようだと侍女は思うが、実際にそれは正しかった。


「ううん。何もないよ、テスタロッサ……」

「いいえ、姫殿下……アポロ姫殿下。やはり、今からでもお戻りになられた方が……」

「無理よ、そんなこと。きっと誰も認めないし、私だってそうするつもりはないの」

「姫様……」


 姫と呼ばれた女性、アポロは目の縁に涙を浮かべ、それを零さないようにと堪える。

 その痛ましい姿に侍女テスタロッサは拳を強く握りしめた。


「そうはいってもよー、姫さまー。あたしも無理しなくていいと思うぜー?」

「ちょっと、ボーラ! 口に気を付けなさい!」

「んなこといわれてもあたしは前からこうだしよー、こっちは手綱を握ってばかりでうんざりだしなー?」


 馬を操作するのはこれまた女性で、ボーラと呼ばれた運転手は小言をぼやいた。

 そんな彼女の言葉にアポロは小さく笑い、テスタロッサとボーラは言葉を止める。


「ごめんね、ボーラ。そうだ、今度は私が馬を……」

「だ、ダメですわ姫様! でしたら私がやります!」

「いやいや、テスタロッサが出来ないからあたしがずっとやってんだろ?」

「そ、そうだけど、だからって姫様にやらせるわけにはいかないじゃない!」

「んじゃあたしは働き通しってかぁ? もう疲れたぜ、何せ三日三晩走りっぱなしなんだ」


 アポロ姫一行はとある方角へと向かって馬車を駆っていた。

 姫と呼ばれる程に高貴な身分の女性が、たった二人の供回ともまわりを連れ立って向かう先とはいずこなのか。


「仕方ないでしょう、あんたしか運転できないんだから……それに、誰も味方なんて……」

「あ、バカ、姫さまの前でそれをいうなって!」

「え、あっ……」


 青褪めるテスタロッサにアポロは怒りもせず、けれども困ったように笑った。


「ううん、事実だもの。それに、もともと味方なんてテスタロッサとボーラだけだったでしょう。それこそ……生まれた時から」

「姫様ぁっ……」

「……暗いぜぇ、姫さまよぉ。そうも気にすんなよ。もう誰にも何もいわせねーし、傷つけさせやしねーから」


 馬車は駆け抜ける。暗く、薄暗い道を縫うように。

 ただ一つの方角を目指し、めもすまに駆け抜けていく。


「行こうぜ、姫さま。あたしとテスタロッサに任せてくれよ」

「ええ、そうですわ……きっとよくなります、姫様! 東の果てにあるといわれる楽園……〈眠りの森〉へと向かえば、きっと……!」


 古来より人々は東の果てに何かを求めた。

 それはこの一行も同じくで、三人は東の楽園を目指していた。



                ◇



「よぉし、完成したぞ!」

「まぁじで建てやがったよ、このバカ魔王……」


 とんてんかんてん、と連日にわたって賑やかしい音が続いた〈眠りの森〉の湖畔。

 魔王ヴェイロンがやってきてから既に三日が経っていたが、そんな短時間のうちに一軒の新築が完成していた。


「どうだウアイラ! この吾輩の手にかかれば家の一軒程度は簡単に出来てしまうのだ!」

「いやマジで凄いとは思うけど、あんた本気で住む気まんまんじゃん……」

「だからそのつもりだと何度もいっただろうが、耳まで遠くなったのか」

「一言多いのよっ」


 満足気なヴェイロンに対してウアイラは呆れるばかりでかぶりを振るう。


「ほ、本当の本当にここに住む気だよ、魔王のやつ!」

「計画が台無しだー! 女神様は何やってんのさー!」

「そもそもなんで神格の影響受けないのー? おかしくない?」

「あの魔王ヴェイロンのことだよ、鈍いから影響されないんじゃないの?」


 妖精達もこの三日間、ヴェイロンの様子を観察していたが森を出ていく素振りがまったくない。どころか家まで建ててしまうのだから、いよいよ笑えない事態だと焦りを見せた。


「しかし本当にうざったいな、妖精共。数が多すぎる。いっそ燃やすか」

「妖精を羽虫のように扱うんじゃないわよバカヴェイロン! いっとくけどあんたが無理矢理住み着こうとしてんだからね!?」

「あーあー、もうそのやり取りは飽きたから黙れウアイラ。四の五のいわずにまずは新築祝いでもよこさんか、まったく気の利かん奴め……」

「何であんたが呆れてんのよ! マジでこいつむかつくぅ!」


 家屋のついでにベンチまでつくったヴェイロンはそれに腰かけ、手ぬぐいで額を拭う。

 さんさんと降り注ぐ太陽光を受け「なんとも健康的じゃないか」と程よい疲労感と達成感とで頬は緩んでいた。


「これが魔王だってんだから笑えないわ……」

「元だ。肩書なんぞ捨ててしまえばそれで終わりだろうに」

「マジでご隠居じゃんよー……それでいいの、悪の大権現とも謳われたあんたが……」


 そう呼ばれるとヴェイロンは鼻を鳴らして呆れの表情になる。


「悪だろうがなんだろうが、吾輩は吾輩のしたいことしかせん。それは昔からだ。魔王の座に就いたのだって結果的なものだった。それは〈貴様も分かっている〉だろう」

「だっつっても、あんた程のカリスマを持つ奴なんていないじゃない。そりゃシロンちゃんは滅茶苦茶強いけど、それとはまた別に、アイコンとしての存在感っつーかさぁ」

「それこそはシロンがこれから築くものだ。それも自力でな。なに、吾輩の側近とは、つまりは魔王に次いでの実力者よ。即座に世界を絶望に陥れるだろうて」

「だからそれじゃまずいんだって……あんたくらい適当で、そのくせ最強な具合がさー」

「貴様も貴様で大概失礼だよなぁ……」


 穏やかな空気が漂う午後。

 互いはこういった生活にも慣れたようで、三日間の内に共存の道を自然と選ぶ運びとなった。

 妖精達もなんだかんだで状況に慣れてきたが、しかし、傍から見れば実に意味不明な事態なのは間違いのないことだった。


「さて、バカの相手をしている暇などない。次は畑でも耕すとするか」

「誰がバカよ! つーかどこにつくる気?」

「家屋の裏にだ。いつかは水田もつくりたいが、とりあえずは麦で十分だろう」

「どんだけ自給自足するつもりなのよ……」

「だからその為の隠居生活だと何度いわせるつもりだ」


 言い合いつつ、ヴェイロンはくわを手に裏庭へと向かい、ウアイラも後をついていく。


「ついてくるのなら貴様も手伝え」

「は? 何で私が?」

「当然だろうが。よもや労働を放棄するつもりか?」

「いや、だから何で私があんたの畑づくりを手伝わないといけないのよ?」

「そんなもの決まっておるだろう、貴様は小間使いのそれと同義よ。故にとっとと手伝え」

「あんたって本当に糞みたいな性格してるわよね……」


 しかしウアイラ一柱にやらせようというわけではなく、言葉のままに手伝って欲しいのがヴェイロンの本心だった。

 少々モヤモヤする胸中だったが、鍬を渡されたウアイラはヴェイロンにならって土を耕そうと鍬を振り上げようとした。


 が、そんな穏やかな空気の中、唐突に妖精達が身を震わせる。


「わ、わわっ……なんだぁ、この邪気!?」

「凄いおぞましい空気が近づいてきてるよ、女神様!」

「え? 何よ何よ、一体どうしたのよみんな」


 騒ぎ始めたのは妖精達のみならず、〈眠りの森〉全域に妖しい風が吹き始めた。

 動物達は急ぐ足取りでどこかへと逃げていき、ざわめく木々は泣き声にも聞こえる。


「ね、〈眠りの森〉がとんでもない拒絶反応を示してる……!? ヴェイロンがきた時ですら落ち着いていたのに……!」

「おい、何をしているウアイラ。サボるんじゃない」

「いやサボるとかそういうんじゃなくてね!? このただならぬ様子を見てくれる!?」

「あぁ? 何をいっているのだ貴様は――……」


 いいかけたヴェイロンだが、急に顔を跳ね上げると凄まじい形相で空の彼方を睨みつけた。


「……なんだ、この超濃度の魔性は? どこぞに気を違えたバカでもおるのか……?」

「え、え、え? なに? どうし――」


 理解が追い付かないウアイラの反応もよそに、突然、西の方角から鳥達が飛び立った。羽ばたきは乱雑で、まるで迫る脅威から逃げ出さんと必死に鳥の群れは空を泳ぎ回る。


 そんな鳥の群れに紛れて飛行する物体があった。

 それは超高速で弧を描きながら森の上空を飛んでいて、目視で捉えたヴェイロンとウアイラは茫然と口を開ける。


「……え、と、ヴェイロン? あれはなに?」

「分からぬが……ここに落ちてくるぞ、あれ」

「えっ」


 吹き飛んできた物体は速度を維持したままに、いよいよヴェイロン目掛けて高度を落とす。

 空を見上げるヴェイロンは面倒くさそうに頭を掻くが、ウアイラは焦燥に声を荒げた。


「ななな、なによいきなり!? ヴェイロン、あんたどうにかしなさいよ!」

「喧しい奴だなぁ、元よりここは吾輩の土地だぞ。我が領土を穿うがとうなど万死に値するわ」


 いよいよ謎の物体は地面へと着弾する寸前だった。

 果てしない推進力を伴う加速度は宛らに隕石の落下にも思えるが、ところがヴェイロンは担いでいた鍬を地に突きさすと、自身に目がけて落下してくる物体を適当な動作で、それでも当然のように引っ掴んだ。


 果たして加速度に伴う質量の重量だとか、そこから生じるエネルギー量はどこに消えたのかと思う程、ヴェイロンの身には何も変化はなく、また、周囲に被害という被害もない。


「いや、えぇ……? あんた、何ともないの? 衝撃は? エネルギー量どこいったのよ?」

「あぁ? 知るかよそんなこと、衝撃なんぞ衝突と同時に外に逃がせばいいだけだろうが」

「えぇ……えぇ? いや……えええ? 物理の法則が意味を失ってるんだけど……?」

「凝り固まった頭をしているから貴様等は既存の概念に縛られるのだ、まったく以て情けのない奴だな、相も変わらずに……そんなんだから貴様はボケ神なのだぞ、ウアイラ」

「だから一言が多いのよ、一言が!」


 生じた衝撃は景色に風となって駆け抜ける訳だが「やはりこの魔王においては常識だとか世の理に等しい物事は意味をなさんのだ」とウアイラは呆れも半ば、苦笑すら浮かべる。


 兎角、流石は元魔王なだけはあって飛来物を鷲掴みにするくらいに反射神経はずば抜けているようだが、しかし、彼が掴んだ物体は、この状況に殊更ことさらの混乱を招くことになった。

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