第1話 カウボーイ・フロム・ヘル


 その森では一つの騒ぎになっていた。


「ねえねえ聞いた、あの魔王ヴェイロンが魔王城から逃げ出したって!」

「聞いたよ聞いたよ、なんでも責務に飽きたんだって!」

「ううん、勇者達がしつこくって嫌になったんだって聞いたよ!」

「違うわ、両方よ!」

「いいや、あの魔王のことだもの、きっと単なる気まぐれだよ!」


 華やぐ空気に森中が騒がしくなり宙を舞う妖精達はしきりにヴェイロンの名を口にする。


 妖精――それは神秘の顕現けんげんで、一般的に彼等が人前に姿を見せることは稀に等しく、人魔問わずに馴染みは薄い。

 自然豊かな土地に根を下ろし、時たまに姿を見せることもあるが、彼等が騒ぐ時というのは天変地異の前触れであったり警鐘けいしょうだったりと穏やかではない。


「噂のその御方おんかただわね、恐ろしや魔王ヴェイロン! いいや、元魔王、が正しいのかな?」

「けれども次代の魔王は誰になるの?」

「なんでも側近のシロンを据えたって!」

「あの〈戦姫〉を!? えええ、何を考えているんだい魔王は! 〈とんでもない采配〉にも程があるんじゃあ……!?」

「そもそも均衡を保てるのかなー? あの魔王ヴェイロンだったからこそ魔の者等を統率出来ていたようなものなのにねー」


 彼等のような妖精は常々世界と共にあるが、人や魔に直接関与することはなかった。


 しかし彼等を生かすも殺すも人と魔の者次第。

 自然が絶えた先で彼等は存在できない。

 だからこそ魔王ヴェイロンの退位には妖精達も注目を集めた。


「ねえねえ、これからは本格的な人と魔との戦争が始まっちゃうのかな?」

「魔王ヴェイロンは完璧なシンボルだったからねぇ……勇者のみならず、こりゃいよいよって感じかなぁー」

「大変だよぉ、大変だよぉ、戦争が始まったら僕達の行く場所がなくなっちゃう!」

「誰も彼も平気で木を燃やして川を汚して大地を砕いていくからね……」

「でも幸いなのは未だ人魔間でこの話が知られてないことさー。そうなる前に……」


 妖精達は森の中心にある大きな湖へと集まると、皆で祈るように手を合わせた。


「ねえ、女神様! 魔王ヴェイロンを説得してよー!」

「お願いだから魔王のままでいてって、ねえ、女神様!」


 彼等の祈りが通じたかのように、水面みなもに一つ、雫が落ちた。

 それを合図とするように湖の中央が渦を巻き、更には神々しい光が溢れてくる。


「うーん、お願いっていわれてもね……」


 光が次第に弱まると、その中から見目麗しい女性が姿を現した。

 金髪碧眼きんぱつへきがんで華奢な身体。身に纏うのは純白の羽衣はごろもで、頭には茨の冠を頂く。


 一見して人の姿に近いが、しかしその真実というのは大きく違い、先から妖精達が口を揃えて呼ぶ名前こそが彼女の正体だった。


「女神様ー!」

「相変わらず綺麗ー!」

「うん、いやありがとうっていいたいんだけど、あのヴェイロンがねぇ……」


 その美しい女性こそは女神。

 この世の管理を司り、妖精達――神秘や神格といった奇跡を束ねる長だった。

 そんな荘厳しょうごん大仰おおぎょうにも思える女神だが、彼女は姿を現したものの、何故か悩むような表情で、しかも歯切れまで悪かった。


「何か悪いことでもあるの?」

「いやそういうんじゃないんだけどね、あのヴェイロンが私の話を聞くかってなると……」


 どうやら女神と魔王ヴェイロンは面識がある様子だった。

 ところが思案する素振りの彼女の表情や言葉に、妖精達は次第に顔をしかめると腕まで組んで唸る。


「あー……そうか、確かにねー」

「魔王ってば女神様のことめちゃくちゃ嫌ってるもんねぇ」

「あ、バカ、はっきりいっちゃダメだって!」

「いやいや、その通りよ。つーか私だってあんなバカはお断りだっての」


 吐き捨てるような女神は再度困った表情になる。


「となると毎度の神託かしらね。あーあー面倒だなぁ、まーたあのバカったら怒鳴るにきまって……」

「あ、その必要はないよ、女神様!」

「え? その必要はないって……どういうことよ?」


 心底面倒くさそうな表情のまま嘆息たんそくする女神だが、彼女の胸中をおもんばかってか妖精達は「苦労する必要はない」と口を揃える。

 何をもって不要とするのかと女神は首を傾げるが、彼女の反応も他所にして妖精達が驚愕の情報を口にした。


「だってね、だってね! あの魔王ヴェイロンってば可笑しいの!」

「わざわざヴェイルサイド大陸から逃げ出して、ここ、ケーニッヒ大陸の最東端にある森に……〈眠りの森〉に向かってるんだから!」


 世界には三つの大陸があり、西にマンソリー大陸、東にケーニッヒ大陸、残る北にヴェイルサイド大陸があった。

 うち、ヴェイルサイド大陸は魔の者等が住まう大陸であり、人々はマンソリー大陸とケーニッヒ大陸とで暮らし、人魔は互いの領分を保っていた。


 ケーニッヒ大陸最東端には古来より人も魔も近寄らない不思議な森がある。

 通称は〈眠りの森〉――広大な森林は豊かな自然や多くの動物で溢れ、宛らに御伽噺の中に登場するような世界だとも伝わる。


 けれども、そんな御伽噺のような森には本当の本当に、御伽噺のような奇跡達がたくさん存在していたりもした。


「え……えぇー!? この森にあのバカがぁ!?」


 それこそは今、喧々けんけんと言い合っている妖精達と、予想外の事実に叫び散らす女神だった。


 妖精達は慮ったわけではなくて、彼女自ら行動をする以前に、そもそも問題の本人が直接に向かってきているからここで待ち構えておけばいいという意味合いの発言だった。


 ところがその事実が何よりも大問題で、仮にも魔王という覇者が人の住まう大陸の、更には禁域だとか聖域と呼ぶに相応しい地に向かっているのだから、もしもその姿が人の世に知られたら最悪な結果になると女神は顔を蒼褪める。


「あんのバカってば、マジで毎度毎度、思慮が足りないにも程があるわよ、もう!」


 吐き捨てると彼女は空を睨み付け、じきに姿を見せるだろう存在を思う。

 女神に管理される〈眠りの森〉に、今、噂の魔王ヴェイロンが着々と向かっていた。



                 ◇



「ふーむ、ここが目的の地か……?」


 激しい風と共に空から舞い降りたのは魔王ヴェイロン。

 漠然とした目標――東の果てへと向かっていたヴェイロンは、予想にしていなかった環境を見て少々困った顔だった。


「何もない糞田舎、とは聞いていたが、よもや樹海だとは……そりゃ村も栄えんわ」


 視界に広がるのは青々しい自然の世界。木々には小鳥がとまり美しい歌声を奏でている。

 遠くでは野生動物の走る音がしたり、至る所に生っている果物が放つ甘ったるい香りは森全体を満たしていて「これぞ正しく桃源郷だ」とヴェイロンは呟いた。


「まるで楽園のそれだが、しかしこの空気……妖精が多いな」


 森中に溢れる神秘や神格からヴェイロンは忌々しそうに吐き捨てた。

 どうやら魔王を冠たる存在ともなると姿を見ずとも存在を感じ取ることができるようだったが、しかし割り切ったようにかぶりを振ると鼻を鳴らし、適当に森の中を歩き始めた。


「流石は神秘や神格に溢れているだけはあるな、肥沃ひよくな大地だ……」


 呟きつつ見て回るヴェイロンだが、彼の中に後悔はなかった。

 急すぎる退位たいいに未だ王室はてんやわんやとしているだろうが、ヴェイロンにとっては至極どうでもいい事柄だった。

 だから、今のヴェイロンは新しい生活に期待を膨らませ、第二の生涯を堪能するべく様々な構想を頭の中で練っていた。


「ふふふ、これだけ木材があるのだ、少しばかり大きな家屋でも建ててみるか? 畑も必要になるだろう……くくく……」


 妄想にふけるヴェイロン。

 あれやこれやと考えを巡らせ、どういった家屋を建てようかとか、自由を謳歌するに足る程に時間は無限にあって、真実、ここは桃源郷に相応しいとしきりに頷きを見せる。

 そうしてしばらく歩いていた彼だが、突然に足を止めると耳を澄ませた。


「ぬ……? この水音はせせらぎだな……川が近くにでもあるのか?」


 耳に捉えた水の音を辿るように彼は歩みを進める。


「水源の確保は第一だからな、それにしても即座に発見できたのは幸いといったところか」


 獣道を掻き分けていくと、間も無くして広大な湖へと辿り着き、湖畔こはんに立ったヴェイロンは澄んだ水面に唇をつけ水を口に含んだ。


 通常であれば自然の水を直接に口付けて飲む行為は危険だが、彼にとって毒物も病原菌も大した脅威ではなかった。

 透き通る程の喉越しにヴェイロンは瞳を輝かせ、水の一つとってしても格別な味わいには大層に感動した様子だった。


「うむ、十分飲める……どころか、めちゃくちゃ美味いではないか……! これは素晴らしい、ふふふ、吾輩の畑に実る野菜達は健やかに美味に育つぞ!」


 神秘や神格といったものは癪にせよ、それ以外は全てがヴェイロンの好みだった。

 広大で誰もが寄り付かない樹海。自然は豊かで動物も多く繁殖し、土地は肥え、空気も安定している――正しく理想的な環境だとヴェイロンの頬は緩みっぱなしだった。


「ハーッハッハッハァ! なんとよき日だ、最高だ! どれ、しからば鳥獣ちょうじゅうでも仕留めて晩飯にでもするか。大きくて肥えたのがいいな。ああ、探すのも楽しみ――」


 愉楽ゆらくに満ちた顔ではしゃぐ姿はまるで王足り得ぬ程に不用心で、どころか子供のままにも見える。

 外観的には怪物と呼ぶに相応しいが、彼は誰がどう見ても気が抜けた様子だった。


 ところが湖に背を向けて燥ぐ彼だが、そんな湖の中心が先から静かに泡立っていた。

 段々と閃光が溢れ、やがては水柱となり、神々しいまでの光をも放ち始める。


 或いは泉の精でも出現するのかと思えるくらいには伽話とぎばなしのそれらしい雰囲気だったが、姿を持ち、世に顕現したその存在は、妖精をも総べる神格の長と呼ばれるものだった。


「相変わらず能天気ね、このバカヴェイロン。そんなんでよくもまあ恐怖の大魔王とかって名乗れるわねぇ……あーあー、アホらしいったらありゃしない」

「あぁ……!?」


 突然の声にヴェイロン笑い声を止め、更には先の声を聞くと見る間に顔が強張り、どころか眉根まゆねを寄せ、しかも心底うんざりした風に嘆息し、小さな声で「勘弁してくれ」とまで呟く。


 随分と萎えた反応のヴェイロンだったが、彼は再度溜息を吐くと諦めたように後方へと振り返る。そうして願わくば気のせいであれと祈りもした。


 けれども残念至極、彼の祈りは通じない。

 何せ振り返った先に見たものは、事実、彼が想像した通りの存在で、神々しい輝きに包まれ、湖の中心に姿を現した存在はヴェイロンを見ると不機嫌そうに鼻を鳴らし、その反応にいきどおったヴェイロンは噛みつく勢いで怒鳴り散らした。


「貴っ様、女神――ウアイラ! 何故こんな場所にいやがる!」

「あんたねぇ、女神様を呼び捨てにすんじゃないわよ! ったく、あんただけよ、そんだけ上等こいてんのも……」

「知るか糞ボケぇ! 何の用だ、また毎度のように邪魔立てする気か! あぁん!?」


 姿を見せたのは当然と呼ぶべきか、〈眠りの森〉の管理を司る女神だった。


 互いはまるで仇敵、どころか怨敵おんてきを見るように睨みあう。

 その関係性というのは未だ明らかなものは一つとしてないが、ヴェイロンが女神をウアイラと呼んだことからして、彼等の関係性というのはある程度の歴史があると思われる。


 兎角、会敵と呼ぶに等しい状況にヴェイロンと女神ウアイラは怒鳴り合い、衝突を見守る妖精達といえば、怯えたように、けれども笑いをこらえるように声を抑えて状況を楽しんでいる。


「少しは物言いに気を付けなさいよ、マジであんた一度滅ぼしてやろうか!?」

「ああ上等だ、やれるものならやってみるがいい! 出来るものならな!」

「ぬぐっ……調子に乗りやがってぇ……!」

「ふふん、どうしたぁ? 何も出来ぬのかぁ? 所詮は口だけだな、なっさけのない!」

「なっ、にゃにをぉお!? 看過できないわよその台詞! 訂正しなさいよ!」

「いやなこっただバカめが! いつも吾輩を小馬鹿にしている貴様に相応しかろうが!」

「む、むっかつくぅー!」

「それはこちとらの台詞だ!」


 たった少しの会話だが、これだけのことでも二名の関係性というのはある程度察しがつく。

 つまり、この魔王と女神は大層に仲が悪く、浅からぬ関係でもあるということだった。


「つーかね、あんた何考えてんのよ!」

「あ? 何がだ?」

「何がも糞もないでしょうが! 何でいきなり魔王を辞めるとかいい出してんのよ!」

「面倒になったからシロンに全て任せてきた。吾輩は隠居生活を満喫するのだ。何が悪い」

「悪いに決まってんでしょ! あんた自分の影響力がどんなもんか分かってないの!?」

「ふん、まるで興味がないな。下らぬ」

「その下らないことが世界の均衡を崩すっていってんのよ、このおバカ!」


 その言葉にヴェイロンは心底馬鹿馬鹿しそうに嘆息する。


「その程度で崩れる世の安寧あんねいなど無価値に等しいわ。勝手に滅ぶといい。吾輩はここで穏やかに過ごす故なぁ」

「こぉんの……って、あんた本気でここに住む気なの?」

「あ? そりゃそうだろうが。その為にヴェイルサイド大陸から飛び出してきたのだぞ」

「いやいや、あんたね……ここは私の住まう土地なのよ?」

「……あぁ?」

「いやマジで」


 数瞬の沈黙が生まれ、一つ唸ったヴェイロンは手を打つと朗らかに笑う。


「そうか。では出ていけ」

「はあぁあああああ!? 何いってんのこいつぅ!?」

「何も可笑しくなかろう。この吾輩が出ていけといったんだ、素直に従い失せろよボケ神」

「相変わらず傍若無人、傲岸不遜、唯我独尊の腐れ根性しやがってえぇ……!」

「いやな、だってだぞ。吾輩はこの土地が気に入ったのだ。大地は栄養満点だし飯にも困らん。これだけの土台があって見す見す逃すバカがいるものか」

「だっつーのに私に出てけってどういう了見よ!」

「いや、だって目障りだからな……仕方あるまいよ」

「どの口がいってんのよ! お前が出てけバカ魔王!」


 これでは話にならないとウアイラは悩む素振りをする。


「第一、何で嫌になったのよ。魔王の座なんて願ってもやまないのが魔の者等でしょ……」

「そりゃ我等魔の者等は闘争こそが第一の目的だ。それなくして生きる意味などない」

「だったらいいじゃないのよ、今の立場。仕事に忙殺されたり勇者と鎬を削ったりとさぁ……」

「あのな、ウアイラ……そもそもだぞ。吾輩は仕事など微塵とて興味がないのだ。民草がどうなろうが知ったこっちゃない」

「あんたって奴は……」

「それに件の勇者共ときたらどいつもこいつも骨がなさすぎる。小突いただけで爆発四散するんだぞ? そんなのが毎日ひっきりなしにやってくるんだ、飽きるしうんざりもする」

「いや、それはあんたが強すぎるだけで……」

「兎角だ、吾輩はもう魔王という肩書などいらぬし、楽に過ごしたいのだ!」

「楽にとはいえ、あんた、〈眠りの森〉はこの女神ウアイラが管理する神秘の大地よ? 魔の者等が踏み入ったらそれだけで脳味噌が蒸発するんだけど? あんたどうなってんの?」

「ぬ? ああ、まぁ……ムズムズするくらいだな。別に苦ではない」

「まあ今更よね、ここに平気で立ってんだもん……でもね、そもそもライフラインもないし、他者の存在もないのよ?」

「尚のこと好都合ではないか。吾輩は世間的には有名だしな、人なんぞに見られたらたまったもんじゃない。生活の基盤だって武者修行時代のサバイバル技術でどうにでもなる」

「あんたって本当に無駄にハイスペックよね……」

「そりゃ魔王の座を頂いた覇者だからな」

「自分でいわないでくれる?」

「何にせよ、吾輩は絶対に戻らぬからな。何を貢がれても動かぬ!」

「どんだけ嫌気がさしてたのよ……」


 最強として君臨してきた魔王ヴェイロンだが、しかし実際は自身の立場を簡単に捨てる程に辟易へきえきする毎日を送っていた。

 なんとなくのところで察したウアイラだが、かといってヴェイロンの身勝手を黙認する訳にもいかない理由が彼女にはあった。


 それこそは魔の統率で、彼という覇者があるからこそ魔の者等は纏まりを持ち、今も社会性を以って皆は生活を送っている。


 先に挙がったように魔の者等にとって闘争こそが生きる意味の大半を占める訳だが、考えもなく本能に従うままに暴れ回るとすれば世界は混沌と化す。

 故に魔王という存在は必要不可欠で、その席に相応しい存在というのもヴェイロンの他にはなく、何とかしてでも玉座に返り咲いてもらう必要があった。


 しかし当の本人の様子といえば自棄に近い風で、何をいっても暖簾に腕押しだった。


(妖精達のいう通り、ヴェイロンあってこその魔の者等だしなぁ……けど今のヴェイロンってば完全にノイローゼっぽいし、無理矢理帰しても同じことを繰り返すんじゃぁ……)


 ある意味は静養を目的とした逃避にも思えて、ウアイラは少しばかり考えを巡らせる。


「まあなんだ、そういう訳だからさっさと出ていけ」

「まーだそんなこというわけ、この口は……」

「当然だろうが。どうせ貴様のことだ、口喧しくどうのこうのといってくるに決まっている。そんなのと同じ空間に住まうとなると苦痛でしかなかろうがよ」

「いやだから元々ここが私の領土なんだけど? あんた大概にしないと本気で怒るわよ?」

「ふん……ならばできる限り吾輩に関わるなよ、ボケ神。吾輩は穏やかに静かに緩やかに暮らしたいのだからな!」

「あーはいはい、取り敢えずはそうすればいいわよ……どうせすぐに飽きると思うけどね」

「飽きる程に満喫するのが目的だから間違っちゃいないぞ。さて、そうと決まればやはり水源の近くに居を構えるのがベストだな。まずは周囲の邪魔な木々を全て薙ぎ倒して……」

「は? いやいや何いってんの? この湖が私の寝床なんですけど?」

「はーあぁ? ふざけるなよボケ神、もっと他の場所に移れ!」

「あんたが移動しなさいよ、おはようからおやすみまであんたの面とか見たくないわよ!」

「こっちの台詞だ糞が! 吾輩はこの湖畔が気に入ったのだ、別のとこになんぞ誰がいくか!」

「つーかあんた、さっきこの湖に口付けたでしょ! あれ止めなさいよ、恥ずかしいから!」

「あ? 恥ずかしいだと? 一体何をいって……」

「いやだから、この湖が私の媒体だから。つまりあんた、この私に口付けたも同義――」

「先にいわんか糞ボケぇ! まさか、そんなバカなっ……おうぇえええええ!」

「んなっ、失礼にも程があるわよバカ魔王! 普通なら感激に咽び泣くとこでしょうが!」

「誰が貴様のようなボケ神に触れて感激するかよ! おうええぇぇっ……」

「マジでこいつムカつくぅー!」


 暮れなずむ〈眠りの森〉の中心部、そこで言い争うのは魔王と女神。

 様子を見守っていた妖精達までもが呆れ「これはどうにもならないんじゃないか」と口々にして各々は肩を落としその場を去っていく。

 残るのは未だ言い争う女神と魔王のみ。


「帰れバカ魔王! 隠居なんて生意気なのよ!」

「喧しいわ腐れボケ神! いいから失せろ!」


 隠居初日からヴェイロンの苦難は始まった。

 つまりは、彼の苦手とする女神ウアイラと、同じ地に住まうということだった。

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