無気力魔王、隠居する

タチバナ シズカ

プロローグ


 北の大陸の果てには魔王城があった。

 城の周囲は常に薄暗く曇っていて、太陽の代わりに稲光が空を照らす。


 そんな魔王城の玉座の間では、今日も今日とて勇敢な人間が魔王に挑む。


「魔王覚ご――」

「喧しいわ糞が!」


 轟と激しい音が一つして、魔王に飛び掛かった男は消し飛んでしまった。

 塵となり宙を漂うそれを見つめ、玉座に腰かける大男――魔王は深く溜息を吐き、そんな魔王を労うように傍にいた小柄な少女が彼の肩を叩く。


「お疲れ様ですですぅ、魔王様! 今日の勇者は如何でしたですぅ?」

「どうもこうもあるか、糞めが……一日と絶えることなく攻め入ってくるくせに、どの勇者も弱すぎる!」


 魔王は肘をつき愚痴を零す。その様子からして相当に参っているようだった。


「えーと、先日は〈殲滅の勇者〉、その前は〈暁の勇者〉、その前が〈黎明れいめいの勇者〉に〈轟雷の勇者〉、それからそれからー」

「数が多いのが取り柄なのに、何故どいつもこいつも単騎でかかってくるのだ……雑魚ならば群れてこい、余計な手間も省けるというのに……」

「いやしかし勇者のバーゲンセールも酷いもんですぅ……」


 魔王――それは恐怖の象徴、悪の大権現だいごんげん

 世界には人と魔とがあり、魔王は魔の者等を総べる絶対者として君臨していた。


「本当、魔王様は憎まれまくってるですぅ」

「黙れシロン……側近如きが何をいうか」

「でも事実ですぅ! 勇者との決闘が日常化してから百と云十年……余程の怨嗟ですぅ?」

「知るか糞が……」


 うんざりした顔の魔王は背もたれに身を預け困ったように唸ったが、少しもせずに目を見開き、やおら立ち上がると側近――シロンの肩に手を置き、予想外の台詞を口にした。


「よし。こうしようシロン」

「ですぅ?」

「吾輩は本日から……隠居するぞ!」

「……はい?」


 魔王城の空で雷が駆け、眩い閃光が玉座の間を照らす。

 魔王の言葉に首を傾げるシロンは疑問符を浮かべていたが、魔王の顔に浮かぶ笑みを見ると、いよいよシロンも冗談ではないのだと悟り、焦燥感に背を押されるように彼へと詰め寄る。


「いやいや、ちょ、魔王様? ヴェイロン・ディアブロ・ヴェイルサイド陛下? 何をおバカなことを仰ってるですぅ?」

「おバカとはなんだ、シロン・ディアブロ・ユノディエール。お前がフルネームで呼ぶ時は完全に呆れている時だぞ」

「いや呆れるですよ!? 何をいってるですぅ!? 魔王陛下がこのヴェイルサイド大陸を、魔の者等の住まう地を纏めずしてどうするですぅ!?」

「知るかそんなこと、吾輩は疲れたのだ! やれ政務だなんだ、勇者が攻めてきただの、人間共からは非難の嵐だの、また魔の者等が悪さしただのと……何度繰り返せば気が済むのだ!」


 魔王、名をヴェイロン・ディアブロ・ヴェイルサイド。

 曰くは北の大陸ヴェイルサイドを統一し、魔の統合化を実現した覇者と謳われている。


 実力は正しく天下無敵。人類でも優れた力を持つ勇者を相手にしても傷の一つも負いはしないが、けれどもそんな魔王陛下は心底に疲れている様子だった。


「毎日毎日糞にも等しいことの繰り返しだ! もういい、もうたくさんだ! 吾輩は魔王を辞めて隠居するのだ、シロン!」

「いや許しませんですよぅ!? 第一、そうなったら今後のことは誰が取り仕切ると――」

「お前がやれシロン。一応は吾輩の側近だろうが」

「シロンがやるですですぅ!? 嫌ですよぅ、絶対面倒じゃないですかぁー!」

「お前今自分がいったセリフをもう一度口にしてから吾輩を非難しろよ!」

「シ、シロンは二番手とか三番手がいいんですぅ! こんな見た目幼女が魔王だなんて威厳も糞もねーですよぅ!」

「それで構わんだろうが、人魔間の軋轢あつれきが緩和するかもしれんぞぉ?」

「シロンの渾名を知っておいてそんなこというですぅ!?」


 がなりたてるシロンに対し、それを無視してヴェイロンは窓辺に立つ。

 吹き抜ける風は鋭く、外套がいとうを翻しながらヴェイロンは笑みを浮かべてシロンを見やった。


「ふん……〈分かっているからこそ〉お前なのだ。兎にも角にも、あとのことは任せたぞ」

「ちょっ、マジで行く気ですぅ!? お願いですから面倒なことを押し付けないで――」


 未だ言葉の途中にもかかわらずヴェイロンは待つ素振りもなかった。

 大柄な身体で窓の外へと踏み出したヴェイロンの足場に長大な剣が飛来し、巨剣に乗り付けるとシロンへと振り返る。

 その顔には憎たらしいまでの笑みが浮かんでいて、それを見るシロンは怒りを露わに窓辺へと駆け寄った。


「それではな、シロン。あとは任せた」

「おっ、ちょっ、ちょぉおおおおおおお!?」


 剣に乗り付けて魔王ヴェイロンは彼方へと飛び、そんな彼の背中にシロンは手を伸ばす。

 それでも刹那で影すら見えなくなり、シロンは淀んだ空の割れ目を睨み、涙目になって叫んだ。


「こぉんの、馬鹿魔王ぉおおおおおお!」


 果たしてその叫びはヴェイロンの耳には届かなかったが、雲を割って駆け抜けるヴェイロンは至極愉快そうな顔で、そこには長年募らせた鬱憤だとか、様々な面倒から解放されたが為か、とても穏やかで屈託のない笑みがあった。


「ハーッハッハッハァ! いいぞ、これこそが自由というやつだ! この長かった二百年間、下らぬ闘争に下らぬ仕事ばかりだったが、それともおさらばよ!」


 轟と巨大な雷がヴェイロンの傍を駆け抜ける。

 それに照らされるヴェイロンの姿というのは、やはり恐ろしいものだった。


 暗黒の鎧を纏い、漆黒の外套をなびかせ、背の丈は八尺にも迫り、筋骨隆々とした見てくれで、短く刈り上げた赤髪に、側頭部からは二本の青い角が生えている。


 どこからどうみても魔の者なヴェイロン。

 そんな彼はどこを安住の地とするのか――


「さて、どうせ隠居するのなら人も魔もこないような辺鄙な場所がよいが……」


 これは強すぎるがあまりに敵をなくし、全てが嫌になったから逃げだした元魔王の物語。


「そうだ、東の果て……人の領土だが、たしかそこらへんは糞がつく田舎だと聞いた覚えがあるぞ。そっちに向かってみるか!」


 そんな元魔王が隠居をするだけの奇譚きたん、もとい叙事じょじに等しいものかもしれない。

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