偽りの予告状と道化の怪盗 03
深夜の美術館は日中の賑わいが嘘のようにしんとしていた。静寂こそが美術館の然るべき姿ではあるのだけれど、審美眼を持たない不遜な輩によって最近はご無沙汰となっていた。
そんな不遜な輩の一人が今仮面で顔を隠して、厳重に保護された絵画『月の囁き』の前にいる。
「警備員は現在展示室Aを通過中。次にここに来るまでの時間は、約八分です」
耳に掛けた通信機からチェノワの指示が届く。
「八分ね。十分とは言えないけど、足りないこともないな」
ハルマはそんな冗句を口にしながら、ガラスケースをゆっくり持ち上げ、振動センサーを解除するための小型ツールを取り出して慎重に作業を進める。細かい作業はお手の物だ。
「あと、ちょっと……!」
振動センサーが解除されると同時に、ケースを静かに開ける。内部に収められていた絵画を取り出すと、ハルマは短く息を吐いた。
「『月の囁き』確保。撤収するぞ」
「まだ油断しちゃダメですよ――」
チェノワの警告が届くより早く、頭上のスピーカーが軽快な音楽が流れ始めた。そして聞き馴染みのある声が館内全体に響き渡る。
「皆様大変お待たせしました! 大怪盗ハルマが満を持して今夜登場だ!」
深夜の美術館はもう一人の不遜な輩によって静寂を破られ、一夜限りの騒々しい舞台へと変わり果てた。
ライトが突然美術館内を照らし出し、無効化したはずの監視カメラが一斉にハルマを狙う。
「やあハルマ! 満月のキレイな良い夜だね! 調子はどうだい?」
「なんでお前が美術館ジャックしてるんだよ!」
ハルマは思わず声を上げる。
「おいおい人聞きの悪いことを。僕は依頼されて協力をしているだけだよ」
「ならやっぱり全部美術館の仕込みじゃねえか!」
「エンターテイメントに限らず仕込みは大切だよ。事故が起きちゃあ目も当てられないからね。おっと、おしゃべりはここまでだ。早く出てきなよ。世界中の
レヴナント・ラジオの介入により、ハルマの単なる盗みは一夜限りの壮大な
大人気コンテンツである怪盗ハルマの追走劇に視聴者数は瞬く間に膨れ上がり、コメント欄は大興奮の嵐だ。
「何が活躍だ。いい面の皮じゃねえか」
ハルマは吐き捨てるように言いながら、美術館を走り抜ける。
「カメラは完全にジャックされてますね。侵入に使った非常口も駄目です。それともいっそこのまま立て篭りますか?」
「それは嫌だ。怪盗が美術館の展示物になった、とか絶対に言われる」
「さすがハルマさん。今ちょうど言われてますよ。また怪盗の勝率が下がるのか、とかも」
ラジオの配信コメントをチェノワは報告する。
「人の気も知らないで好き勝手言いやがって!」
ハルマは短く舌打ちをし、頭を切り替える。
「脱出経路は?」
「入ってきた非常口は完全にロックされてます。そして何故か玄関口だけが開いてます」
「罠だな、絶対」
「じゃあ今から新しい脱出経路を?」
チェノワの提案にハルマはすぐさま首を横に振った。
「カメラの前で脱出の手の内なんて晒せるか。堂々と退場させてもらおうじゃないか。窓を割るのも癪だし」
以前窓を割って脱出した事があるが、現在その窓は「怪盗が脱出した割れ窓」として人気の撮影スポットとなっている。彼の人気と、それを配信したラジオの影響力を示す出来事である。
「ところで、どこで落ち合えばいいんだ?」
正面玄関に辿り着いたところで、思い出したようにハルマは尋ねた。
元々は相棒に車で回してもらう手筈になっていたが、きっとここまでは来れないだろう。ここまで美術館に御膳立てされて、そこにラジオが噛んでいて、このままはいさようなら、なんて簡単にはいくまい。
「裏通りよ」
チェノワの代わりに応えたのは相棒のマイだった。
「でもそっちに行くルートは警察が完全に封鎖してる。ラジオのドローンも飛び回ってるし、そっちまで行くのは無理みたい」
「手回しが早すぎんだろ。こっちは一週間も無視してたんだぜ?」
「それだけ準備する時間があったと言えますね」
「お役所仕事だと思ってたのに、一体どういう事――」
玄関を抜けた瞬間、眩いばかりのライトが一斉にハルマを照らし出した。警察車両の赤色灯、ラジオのドローンから放たれる光、そして通りの周囲を囲むように集まった観衆たちのカメラのフラッシュが彼の視界を奪う。
「ようやく出てきたね、ハルマ!」
光の向こう、真正面に長身痩躯の影の声――ラジオの声がドローン越しに響く。軽快な音楽が流れ始め、周囲の空気がどこか祝祭的なものに変わっていく。
「おい、何だこの大掛かりな演出は!?」
「これがエンターテイメントってやつだよ!」
「ただの公開処刑だろうが!」
ラジオの笑い声が重なり、観衆が好き好きに声を上げる。
「遅いぞ怪盗!」
「一週間も待たせやがって!」
「ウサギの姉ちゃんに会いたかったのにお前だけかよ!」
「今日は捕まってけ!」
「素顔見せろよ!」
「公開処刑という割りには本当に最後まで歓迎されてますね」
チェノワがハルマの心境を代弁した。
警察も捕まえに来たというより、観衆を一定ラインから進ませないガードマンだ。
「……おいラジオ、これはどういうことだ」
「急に冷静になるねぇ。だからエンターテイメントだと言ったろう?」
ハルマとは対照にラジオは大仰な態度で返す。ドローンのカメラがハルマを映し出し、観衆の声援がさらに大きくなる。
「言うなれば怪盗を騙してドッキリさせようって番組さ!」
「騙すなんて性格悪いぞお前!」
「人聞きが悪いなぁ。さっきも言っただろう、僕は依頼されて協力をしているだけ。配信してるだけで企画も何もしちゃいない」
「じゃあ誰が……」
「この町のみんなさ!」
ドローンが観客を映し出し、それが大型モニターにも反映される。町の住人たちが笑顔で手を振り、「怪盗ハルマ!」と声を上げている。
「偽の予告状を作ったのも、美術館が仕掛けを整えたのも、全部町ぐるみのアイデアだよ。町おこしのためにね!」
ハルマは絶句し、額を手で押さえた。
予告状騒動から一週間も過ぎたのに警察の手際が良すぎるのは警察までもがグルだったというわけで。
「……町ぐるみで俺を騙して町おこしなんて、全員悪党かよ!」
「悪党だなんて心外だなあ。彼らは君が来るまであと三週間は待つ覚悟だったというのに!」
それを聞いたハルマは胃液がこみ上がってくるのを感じた。
たかが町おこし程度で、偽の予告状のために来るかどうかもわからない怪盗なんかのために、一カ月も無為に過ごすつもりでいる奴らの気が知れない。
「さて、この町の素晴らしさを紹介し終わった事だし、最後の締めと行こうか。怪盗ハルマ!」
これまでの朗らかさを消して一転、ラジオは真剣なキャラクターを演じる。
「君が盗んだその絵はこの町を発展させる大切な宝だ! 帰してもらおうか!」
「なにが宝だ! 偽物の予告状で客を釣っただけの贋作じゃねえか!」
「それを言ったの私ですけどね」
「甘いな怪盗ハルマ! 偽の予告状で狙われた絵画を怪盗ハルマが本当に盗み、そして奪い返された! その事実だけでどれだけの人間が来るか、分からんわけではあるまい?」
その瞬間、ハルマの中で何かが弾けた。
「よぉーしわかった! そこまで言うなら盗んでやろうじゃねえか! 盗んだ上でこの絵画を町に売りつけてやる!」
その言葉に観衆のテンションは最高潮に達した。
と同時にハルマは走り出す。目標は裏通りだ。
「さて僕らも行こうか。会場のみんな、引き続き応援よろしく!」
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