偽りの予告状と道化の怪盗 02
美術館を一通り巡った後、ハルマは人混みを避けるようにしてトイレへ向かった。個室の扉を閉め、チェノワに連絡を入れた。
「チェノワ、こっちが送った映像の解析はできたか?」
「ばっちりですよ。映像を元に防犯カメラと展示物の配置、それにターゲットの『月の囁き』の位置を反映したフロアマップを転送します」
「仕事が早くて助かるよ。さすがはご先祖様」
ハルマは転送されたフロアマップをスクリーンに映し出し、じっくり眺める。
「……にしても、やっぱカメラの数が多い気がするんだけど」
「予告状効果ですよ」
「出した覚えのない予告状だけどな」
ハルマは溜息をつきつつ、指でマップをスクロールさせる。
「んで、その『月の囁き』は奥の部屋のど真ん中か。ご丁寧にガラスケースと監視カメラでがっちり固めてやがる。地元じゃ名の知れた作家の一品だったりするのかね」
マップに表示された目標の位置を確認しながら、ハルマは次の行動を考える。
「セキュリティの状況は?」
「『月の囁き』を覆うケースは振動センサー付きですね。ただ、電源の切り替えが手動式なので、外部からの解除は難しくないです。問題はその周囲のカメラです。どの角度からも視界が被らないように配置されてます。いい仕事してますねぇ」
「まるでその絵だけを盗もうとしてる輩がいるみたいだな」
ハルマは皮肉を口にしながらカメラの配置図を拡大する。チェノワの言葉は、カメラさえクリアできれば余裕だと暗に示していた。
「警備員の巡回ルートは?」
「一週間分確認しましたけどルートは初日以外ほぼ同じですね」
「……一週間前って予告状出た日だけど、その日から確認してるの?」
「まさか」
「そ、そうだよね」
「予告状が公開された会場の監視カメラのログを、定期的に全てチェックしてるだけですよ。他に――」
「……ストップ。これ以上聞くと胃に穴が開きそうになる」
チェノワがAIとしての無駄な優秀さを発揮するたび、胃がキリキリと痛む。定期的に余分なデータは
っていうか、どんだけ出されてるんだよ、偽予告状。
「とにかく、警備員の巡回ルートだよ。手短に頼む」
「はい。館内の警備員は一名で、巡回ルートは展示室を時計回りに移動する形。一周するのに約十分。最も警備が手薄になるのは、美術館が閉館して三十分後ですね。そのタイミングを狙うのがベストかと」
「一人だけ? 案外手薄なん……ん」
「どうしました?」
「や、さすがに不自然過ぎない? カメラをクリアしたら後は穴だらけだ」
「自分で仰ったじゃないですか。犯人は美術館関係者だって」
ハルマはそこまで言われてようやく、自分が陥っている立場に気付かされた。
「……ひょっとして、そこまで御膳立てされてるってこと?」
「まさか今頃気付いたんですか?」
「やめて。これ以上は胃が無くなっちゃう」
「なら言いませんけど。ああ、
「ああもう! なんでみんな俺に期待するかな!」
寄せられる期待に弱いばかりにハルマは怪盗に成り上がってしまったのだが、生来の性格なのでどうしようもない。
ハルマは怪盗である。
ただしそれは世間が彼をそうだと認識しているだけで、ハルマ自身はその肩書を快く思っていない。元々は一介の
もっとコソコソした、コソ泥と呼んでほしいとさえ思う。
そんな彼を盗掘家から世間を賑わす怪盗へ無理矢理クラスチェンジさせたのは、たった一人の配信者による
その名はレヴナント・ラジオ。
エンターテイメントのためならどこにでも現れる、史上最強の配信者である。
「なら閉館三十分後に侵入する手筈でいこう。そのタイミングで監視カメラの無効化だ」
「わかりました。ついでに、館内の非常口や通路のセキュリティも確認しておきますね」
「頼んだ」
ハルマは気持ちを切り替え、水を流してトイレを後にする。
廊下に戻ると適当に散策をしながら出口へ向かう。展示室のざわめきが後ろから聞こえてきたが、興味を示すふりをしながらその場を立ち去った。
「ところで、ひとつ確認したいんだけどさ」
「なんでしょう?」
「『月の囁き』って絵、そんなにすごいもんなの?」
「それはどういう質問ですか?」
「そのまんまの意味だよ」
先ほどまでいた展示室で聞いた言葉を思い出しながら、ハルマは続ける。
「周りの声を聞いてもみんな怪盗の話ばっかりで、肝心の絵の話が出てこないからさ。俺が言うのもなんだけど、みんな美術品とか骨董品に興味が無いのかね」
「ありませんよ」
チェノワははっきりと、そして辛らつに答えた。
「客の大半が見にきたのは『月の囁き』ではなく『怪盗が狙った絵』です。そして予告状は真っ赤な偽物。つまりは偽物の箔が付いた贋作を見て喜んでるんです」
「なるほどなぁ。まったく審美眼の無い奴らだ」
「贋作に踊らされる阿呆に見る阿呆です」
「……それ、俺にも言ってるよね?」
見る阿呆よりも踊らされる阿呆の方が損なのは言うまでもない。
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