第8話

■第08話


 夕陽が低く沈み、要塞の堅固な壁を赤く染める。その向こうで、帝国軍の旗が風に揺れ、鼓動のような太鼓の音が辺りに響き渡る。彼らは今、熾烈な攻撃に晒されていた。連合軍総大将の伯爵は、戦術の采配を旧友に任せながらその支援を粛々と実行している。


 クリストフが采配を振るっている。その様子は、まるで未来を見渡しているかのように迷いが無い。今更若い頃のような嫉妬心は湧いてこないが……いつ見ても見事なものだ。矢継ぎ早に指示を下す親友に応え、私はそれを具体化させる。


「支城四へ支援要請、支城一は放棄、撤退指示」

「伝令、北東櫓から手旗信号で支援要請。北側狼煙台から三本上げろ」


 伝令が復唱して駆け出していく。以前は何のためにこのような備えをして、苛烈な訓練を施すのか理解出来なかったものだが……これが戦国時代の要塞か。それにしても、昼まで慎重に城攻めしていた帝国軍による総攻撃は、やはりそう言う事なのか?


「クリス。これは__」

「ハハハハハ!そうともアマデウス!また息子がやらかしたのだよ!」


 まーた始まったよ親バカめ。だが彼奴の言う通りだろう。私がかつて勝ち目がないと評した天才は、心優しい化け物を創り出した。お前とマリアが交わればどんな子が生まれるのかと思っていたが、とんでもない事になったな。まさか学園に居た頃は君らがくっつくとは思いもよらなかったが……思い返すと、不思議に自然な帰結だと納得してしまう。

 私にはクリストフのような先を読む才覚はない。だが、戦場で何十年も培った『勘』だけは頼れる。だからこそ、彼の策が成功するために私がやるべきことは分かっている――軍を動かすことだ。


「報告!支城ニと三が陥落!一は撤収中!」

「報告!支城五が奇襲攻撃を受けて陥落必至!」

「フフハハハハハ!今にヴォルフが来るぞ!ニ、三、五は全滅するまで踏みとどまれ!すぐ救援が来る!」

「伝令、そのまま伝えろ。三方向に散れ」


 伝令が遠い目をして走り去っていく。すまないがこうなったクリスは止めようがない。

 しかし、流石はツァーリだ。この短時間で支城を二つ落とし、この分だと三つ目ももう落城している事だろう。


「ハッハッハ!ツァーリのすまし顔がどうなっているのか、楽しみではないか!!」

「……伝令、これは伝達しなくていいぞ」


 テンション上がってきたな。それだからお前は狂人扱いされるのだよ。それにしても、狂人が創り出した化け物が言っていた通りの戦局だ。彼やクリスの言う通りならば、北東、東、南東から彼らが殺到するのだろう。高笑いするクリスを眺めながらふと頭をよぎったのは、かつての軍議で淡々と作戦予定を示すヴォルフの姿だった。



 ***

 伯爵は呆れ、畏怖しながら思い起こす。その回想の中で、青年は淡々と語り出す。


「まずは、迂回攻撃のルートを確保可能かつ、帝国軍の攻勢を凌げる拠点で遅滞戦闘を実行します」

「……どこまで引き込むつもりなのかしら?」


 セレナ殿が不安げな表情を浮かべている。あぁ、リヒター子爵領のさらに奥まで引き込み、我が領民たちの犠牲に懸念を感じているのだな。優しい娘だねぇ、ついさっきの勇ましい様子との落差が……こう、何と言うか、良いね。とても。


「この要塞で迎え撃ちます」

「え?ここで?」

「当家の要塞は表向きには支城を五つ備えていますが、もう二つ増設した強力な要塞支城群です。これらの備えは、一定の期間に限れば帝国軍十万の猛攻に充分耐え切れる設計です」


 ふふふ、安心してくれ、頑張って整備したのだよ。


「帝国軍は今後の増援を合わせると最大十二万前後の大軍で殺到しますが、ご安心ください。もし完全包囲されたとしても、その正面戦力は六万が限界です。二万の精兵が籠っていれば万全で、伯爵と父上が指揮するならば一万五千も居ればどうにかなるでしょう」

『……』


 沈黙。うん、安心出来ないのだね。やめてくれ、セレナさん。その『おまえは何を言っているんだ」という顔は私に効く。ふと伯爵が手を挙げて発言する。助かります、さっきは秒殺パパ呼ばわりしてすまんかった。


「……君は先ほど、帝国軍は最大六万程度と見積もっていたな。倍に増えるのか?」


 あぁそっちか。


「おそらくは。話に聞くツァーリ西征大将軍ならば、あるいは私の想定以上に鮮やかな采配で勝ち進めるかもしれません。その場合、帝国軍は我が子爵領から伯爵領までを一挙に併呑して大陸中に武威を示す為に、同規模の援軍を用意する可能性があります」

「あいつはやるな」


 父上が同意する。そういえば父上はツァーリさんと帝国学園の同級生で、彼は卒業首席らしい。

 調べた感じ、ツァーリさんは野戦の鬼というか、戦国の申し子だ。過去の戦績を見ると、彼の戦術は継次思考に基づく運用により、戦力集中による強力な戦闘力で敵勢力を撃破していたようだ。


「彼は迅速な機動による奇襲を筆頭とした、敵の虚を突く戦術、戦略を好みます。そして防衛拠点に対しては力攻めを避け、最低限の犠牲で突破するでしょう」

「たしかに、今入っている報告だと国境要塞は内応で崩れたらしいな」

「投降兵も含めれば、むしろ兵力は増えているかもしれないわね。それなら、欲張って奥地を攻める為に増援が来る可能性があるって事?」

「作用にございます」

「……外れていて欲しいが、ツァーリならやりそうだな」


 伯爵が天を仰ぎながら、呟くように言った。彼は若干年上だが、父上やツァーリさんとは同級生と言って差し支えない。母上もそうだったか。平和な世の中だったらなら、こうして干戈を交える事もなかっただろうに……。


「ままならないものです。というわけで、この状況を利用した反攻作戦こそ__」

「縦深防御戦術という事ね!」


 お、少しは安心させられたかな?父上と伯爵も勝手に考察を始めているな。


「たしかに、ツァーリは積み上げ型の思考で堅実に計画するな」

「傍目にはそうは見えないがね。言われてみれば単一の作戦線に頼っている事が多いが……それは迅速かつ周囲の予想を裏切る機動で補っているわけか」

「あれほど神出鬼没では、迂回攻撃もなにもあったものではないが__」

『今回は例外だな』


 共通見解となったようだ。補足しながら、プレゼンテーションを進める。


「その通りです。我々の主力に調略が及んでいる場合はツァーリ大将軍が勝利します。ですが、おそらく彼は公爵家併呑までを作戦目標としています」

「ああ、ツァーリは帝国宰相の養子となったが、これ以上手柄を立てては危険だと考えているはずだ」

「とすると、どこかのボンボンに手柄を譲るのかね?」

「はい、父上。アーセナル内務尚書か、トルベ税務局長あたりの関係者が有力です」

「やれやれ、連中の軍功稼ぎのついでに滅ぼされてはかなわんよ」


 伯爵が溜め息を吐き、胃薬を口に放り込む。うん、活用してくれて嬉しい。


「なるほどな、それが数万の捕虜が発生する根拠か。アレックスの胃が心配だ、こいつをあと三瓶用意してくれ」

「こちらを、どうぞ。ついでに頭痛薬も」


 お薬は高級品なんだぞ?大サービスだからな??


「受け取っておく。増援が来るまでは幾許か猶予があるのだろう?」

「はい。ツァーリ大将軍を降してからでも間に合うでしょう」

「増援が確認出来たら、発生した捕虜を後方へ移送しよう……アレックスに馴染みの伝令に備えさせておくよ」

「空振りに終われば良いのですが」


 アレックス様ならギリギリ致命傷で済むだろう。頑張れ、負けるなアレックス。名執事ライアン殿の息子、ブライアン殿もいるしな。ところでライアン殿の孫はブブライアンとか名乗らされるのか?ブライアンソンとかかな。どんなセンスだよ。

 なんて現実逃避してても仕方ないか。焦土作戦は……みんな怒るよなぁ。どう説明したもんか。



 ***

 帝国軍屯営にて、ささやかな宴会がなお続いている。総大将は思索を続け、事態は進行していく。いずれこの地は夕陽に照らされ、赤く染まる。


 やはり何かがおかしい。公爵領を連戦連勝で突き進み、物資の集積は順調。領都を占領するまで相次いでいた敗残兵らしき賊徒による兵站線襲撃は既にほとんどない。臨時行政府が機能を始め、本国から総勢六万の増援も進発した。全てが順調だ……ここまでは、あまりにも順調過ぎる。気がつけば、将軍達がこちらに傾注している。


「閣下?」

「……皆、リヒター子爵領境界要塞群についてどう思う?」

「誠に堅固な要塞ですな」

「支城間の連携、連絡網が優れており、突破には時間がかかるでしょう」

「強力なクロスボウが配備されています。矢玉が尽きた頃合いが攻め時でしょうな」


 ……気づけば周囲の空気が変わっていた。将軍たちの顔には、わずかながら疑念が浮かんでいる。これはただの強固な要塞ではない、と。

 順番に考える。子爵と公爵は同盟関係にあったはずたが、その境界線になぜこれほど堅固な要塞がある?この連携精度は明らかに準備され、よく訓練されたものだ。射程、威力に優れたクロスボウが配備されているようだが、包囲した支城はやがて物資が尽きて陥落し、本城も包囲を受ける。そうなればどんな城も落ちるし、如何にクリストフが天才だとて抗しきれまい。


「しかし時間の問題です。一つずつ支城を落としていけば陥落します」


 そう、時間の問題だ。ましてや、援軍は別働隊として迂回攻撃すら出来る規模なのだから、クリストフがこの局面で粘る意味は何処にも無い。

 やはり何かが起きている。宴会は中断して軍議としよう。将軍たちは何かを察したのか、杯を置いて表情を引き締めた。


「諸君、すまないが火急の事態だ。宴会は中止として軍議を始める」

『承知』

「参謀を呼べ。伝令、総員戦闘準備体制に移行しろ」

「復唱します、総員戦闘準備体制」


 伝令が駆け出して行き、やがて慌ただしくなっていく。まだだ、まだ不可逆的局面ではないはずだ……む、伝令が駆け寄ってくる。何が起きた。


「申せ」

「はっ、ティーゲル将軍より警戒体制移行要請です」

「他に無ければ、戻って移行済みと伝えろ」

「はっ」


 伝令が引き返す。先生が何か掴んだようだが、先生すらその正体を掴みきれていないのか……参謀が到着したな。ならば。


「参謀、全軍を戦闘体制に移行させろ」

「承知しました、全軍戦闘体制に移行します」


 将軍たちも麾下の軍勢に戦闘体制を指示する。とっくに酔いは覚めたな。


「閣下、これは……」

「わからん。だが、もしかすると俺たちは既に孤立している可能性がある」

『承知!』


 孤立。俺はこの事態に今まで気づこうとしなかったのか。ここは敵地で、そもそもが本国から遠く離れた場所だと言うのに。


 全軍の戦闘準備体制が整いつつあるが……まただ、また伝令が駆け寄ってきた。


「申し上げます!第三物資集積拠点から煙が上がっています!」

「ティーゲル将軍は無事か!?」

「不明です……異変があれば即座に伝令を出すよう指示されていましたが、安否を確認する前に参りました」

「くそ、部隊を集めろ!直ちに訓示を行う。今の情報は封鎖しろ」

『了解!』


 まさか、もう手遅れなのか。先生は無事なのか。


 ***


「大将軍、集結完了です。ご準備は__」


 俺の耳には参謀の言葉が何処か遠くに聞こえていた。視界の端に伝令が見える……兵士に肩を借りてなかば引きずられるように駆けてくる。よほど激しい戦闘を潜り抜けてここまで辿り着いたのだろう。


「す、スヴェン殿下、ティーゲル将軍、生死……不明」


 違和感の全容はまだわからん。だが、久しぶりに頭痛が治まり、やっと俺の感覚と身体が一致した。ここからは主導権を握るのは俺だ。


「総攻めを始める」



 大将軍は退路が無い事を悟り、死兵となった。辺りは夕焼けに照らされて深紅に包まれ、今後の展開を暗示しているかのようだ。

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