第6話
少女が決意を新たにしていた頃、青年は陰鬱な気分で作戦を遂行していた。
彼らには何の恨みも無いんだがなぁ。見張りの兵士たちを文字通り皆殺しにしつつ、時折尋問しては結局殺し、指揮官宿舎を制圧しつつある。皆よく訓練された手練れだが、翻って剣筋が単調だ。重心が右に寄りすぎている。初太刀を見極めれば、残りの動きは単なる作業だ。きっと頑張って訓練したのだろう精兵達だ……切り捨てる度にズキリと心が痛む。やめろ、余計な事を考えるな。いや違う、考えを止めるな。彼らをこの目に焼き付け、記憶に刻め。
それにしても、今回雇った公爵家諜報組織の頭領はやはり手際が良い。生粋の職人なのだろうな。
「あなたは……」
頭領のジャック殿が呟いた。どうした?
「その技術、どうやって身に付けたのです?」
「一昨日から使い始めた。暗殺技術なんぞ気が進まなかったが、昔から訓練はしていたんだよ。しかし、こうも役立つとはな。それより、ジャック殿こそ見事な業前ではないか」
ジャック殿は基本的に無表情だが、微かに驚きながら少し微笑んだ。実はあなた表情豊かだよな。我々がやっている事は単純だ。人々の認識外から襲いかかり、確実にとどめを刺す。フィオナなんぞ私の真似をしている内に随分手際が良くなった。もう私より強いんじゃないかな。
「論功行賞が楽しみです」
「うん、働きには報いる故、励んでくれ。希望があれば聞くから考えておけ」
「高くつきますぞ」
「貴様を雇えるなら安いものさ」
不敵にニヤリと笑い合う。こいつ怖えな。フィオナが控えめに声をかけてくる。
「あの、なんと言うかヴォルフくんもジャックさんもなんでそんな余裕なの?」
「ここら一体は制圧済みだからな。だが、そろそろ露見するだろう。指揮官の拘束を急ぐぞ」
「今回は拘束するの?」
「ああ、厄介な事に皇族が参謀に就いているらしい。流石に殺害しては外交上厄介だからな……3階に踏み込んでからは会話厳禁、ハンドサインで指示するが、皆任意に行動しろ。ジャック殿、ホイッスル使用も任意で許可する」
皆が無言で頷いた。はぁ、気が重い。またまた殺戮のお時間だ。
***
青年は激しく、そして静かに死の旋風を撒き散らしながら突き進む。もうじき夜が明けるだろう。そんな中、皇子は脱出の準備を進めていた。
不安に押し潰されそうだ。理由の分からなかった不安が、師匠との問答を経て明確な指向性となり、私に突き刺さる。全身が震えている……ここは後方拠点のはずだが、あるいは死地なのか?近衛兵が室内に入ってくる。何があった?
「失礼致します。将軍、殿下、巡回兵が戻って来ません。一刻も早く脱出してください」
「速いな……殿下、急ぎましょう」
皆不安がっているな。他ならぬ、私が震えているからではないか。押さえ込むぞ、私は皇族で、この身はとっくに帝国に捧げたではないか!
「貴様ら、軍中で私を皇族扱いするな。粛々と脱出しつつ、居るようなら敵勢を睥睨して退却するぞ」
「うむ、よく申した我が参謀よ。全軍戦闘体制へ移行。近衛隊はスヴェンと共に行動し、即刻帝国へ帰還せよ」
少し強がりすぎたかな。師匠……いや将軍、ここでお別れなのか?
「師匠、必ず生き残ってください」
「殿下、戦場に絶対などあり得ぬと言ったではありませぬか」
「それでもだ。また会おう」
死ぬなよ?貴様にはまだ教わる事が山ほどあるのだから。万感の思いを胸に歩き出す。
ふと、廊下の奥が騒がしくなった。剣戟の音か!速い!
「敵襲!敵襲だ!」
敵襲を知らせる怒号と、不気味な笛の音が響き渡る。急がねば。脱出口を目指して廊下に出ると、敵小隊か?5人いる__その中にいた白髪の男と目が合ったと思えば、尋常ならざる勢いでこちらに駆け出した。奴が剣を振るうたび、光が走る。その刃に触れた者は、抗う間もなく地に崩れ落ちた。どうなっている……鎧武者を魚のように捌きながら突進してくる。いや、的確に間接部や首を狙って鎧通しを実現しているのか……あれは何なのだ?あの目は何を見て、奴は何を考えている?幼い頃見た夢に出てきた悪魔が重なって見えた。あれはこの世のものではない。
「殿下、こちらへ!」
副長の叫びで我に返る。白髪の剣士はもはや人間ではない――風だ、嵐だ。圧倒的な暴風雨のごとく私たちに迫ってくる。
近衛兵たちが身を挺して私を守るが、目を背けることすら許されない。恐怖で視界が歪む。私は敗北を認めるしかなかった。手練れ揃いの近衛兵たちが死兵となり、見事な連携で殺到する。だがこの白髪の化物には、わずかに及ばない。一人の兵士が味方を盾にしながら不意を突き手傷を負わせるが……あろうことか、傷を負う毎に奴の剣が風よりも速く、死神よりも冷たくなっていく。いよいよその目に宿るのは、感情ではなく純粋な機能。命を奪うことだけを目的とした刃物のような存在――あれは人ではない。自然の猛威のように、奴は一切プレッシャーを放っていない。即ち、この心臓を握りつぶすような恐怖は私の中から発せられているのだろう。
「殿下、どうかお達者で」
「必ず生き残ってください」
「さらば」
その声が震えているのが分かった。勇敢であるはずの彼らが、この圧倒的な力の前で怯えている。それがどれほど異常なことか、私は痛いほど理解していた。
「タイミングに留意しろ!あれは高知能な猛獣と思え!」
『応!』
近衛隊長たちが決死の覚悟で駆け出し、苦りきった表情の副長が私を抱えて走り出す。非常事態を告げる鐘が鳴り響き、遠くから笛の音が聞こえる……増援か。伏兵もいるはずだ。
私はなんて情け無いのだ……涙で視界が滲む。この私を敗走させるとは、貴様は生涯忘れんぞ……白髪の化け物め。
震える手を無理やり握りしめ、私は叫ぶように命じた。『退くな!立ち向かえ!』――だが、その声は、果たして誰に向けたものだったのか。仲間か、それとも怯えた自分自身か。
暁が進み、ゆっくりと空が白み始めていた。皇子の目も潤み、その視界もまた白んでいる。
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