第5話

 帝国軍はマーガトロイド公爵領を破竹の勢いで進撃していた。日の出まであと二刻ほどの時。兵站責任者は猛烈な違和感を感じていながら、今なおその原因を掴めずにいた。


 私はもう駄目かもしれない、もう3徹しただろうか?確かに、戦術的には連戦連勝だ。将兵の士気も高いが、明らかにおかしい。奥地に進軍するにつれて賊に破壊されたかのようなーー家々が焼かれ、井戸は残らず埋められている。死体が無いのは連れ去られたからなのかーー集落が増えている……。公爵領の行政機構を破壊し、その軍勢を粉砕したのは我々だが。この惨状を作り出した賊は何処に行ったというのだ。民たちは何処へ消えた?


「将軍、そろそろお休みになられては……?」

「あぁ、心配するな。必要な休息はとっているよ」


 いよいよ私の疲労も隠しきれんか。だが寝ている場合でもない……そして一人で考えていても埒があかない。参謀の考えを聞いてみよう。


「君は帝国軍の状況をどう思うかね?」

「はっ……その、根拠は無いのですが」

「構わない。率直に言ってくれ」


 若き英才は少し躊躇うかのように一呼吸おき、語り出す。


「率直に申し上げて、あまりに不気味です。異常は明らかなのですが、一見すると帝国軍は優勢そのものです。将軍はどの様にお考えですか?」


 彼も同意見か。よし、手遅れにならない内に徹底的に掘り下げよう。


「質問に質問を重ねるのは不躾だが、先入観無く君が抱いた印象を聞きたい。君の言う異常とは何か?」

「はい、我々は局所的には苦戦する事もありましたが、どの戦場においても想定通りの連勝を重ねています」

「続けよ」

「はい……我々は想定通りに見えて、異常に勝ち続けていませんか?」


 ゾッとした。帝国軍は精強だ。今回の戦役で反乱者共を滅ぼす為に公爵家を調略で穴だらけにし、万全の軍勢と補給体制を以て雪崩れ込んだはずだった。万に一つも負けない準備をしてきていながら、勝利を重ねる度に違和感が膨らんでいたが……。


「我々は勝たせれていませんか?」

「……何が我々を勝たせている?」

「はい……私も大袈裟な噂や冗談の類と考えていましたが、彼の地には悪魔と契約した化物がいるとか」

「……」


 違和感が収束しつつある。瞑目して一呼吸おく。確認を続けよう。


「ふむ……捕虜の武装解除は万全だな?」

「はい、約三万人ですが、武装解除と管理は万全です」

「捕虜は反抗的な態度を示していても、降伏した指揮官……あの俗物は相変わらず従順か?」

「……はい、終始卑屈でした」


 そうだ。私も再三確認し、そして何度も計算した。


「兵站への悪影響はまだ出ていないな?」

「はい、直ちには影響ありません。帝国からの補給が途絶えても、ここを含めた集積基地の備蓄で二ヶ月は持ちます」

「そうだ。万が一の場合でも撤退は可能だ」


 撤退に十分な物資は揃っている。いや……揃いすぎている。あり得ないことだ。


「帝国からの定時連絡はまだ来ていないな」

「はい、5日前の『洪水で寸断した補給路を整備する為一週間ほど連絡が途絶する可能性がある』から更新されていません」

「後方に送った偵察部隊も戻ってきていないな」

「……はい、戻って来ていません。将軍、これはやはり」

「間違いない」


 覚悟を決め、目を開いた。我が参謀にして我が弟子、スヴェン皇子殿下が射抜くような眼差しで私を睨みつけている。殿下、震えている暇はありませぬぞ、この危急を一刻も早く持ち帰らねば帝国は滅ぶ。決意して重い口を開くと、呼応するように空気も重くなった。


「このままでは、我々は億に一つの負け筋を掴まされる」


 化物よ、先ずは見事と評しておこう。帝国軍の負け筋が億に一つならば、私の負け筋は億の億に一つ未満だ。対策を進めよう。貴様らがその気ならば、私は悪魔を統べる魔王に全てを差し出すまでだ。まずこの数手を以て反撃の狼煙とする。



 *****

 一方そのころ、シュタイナー伯爵領都にて、アレックス・シュタイナーは何とか捻り出したティータイムを、ささやかながら楽しんでいた。


 戦時でなければ楽団を呼んで気に入った曲を奏でてもらうのだけれど、さすがに贅沢がすぎると言うものだ。私も役目を果たすからな。セレナも頑張れよ?

「皆には申し訳ないが……私がぶっ倒れたら台無しだからな。休憩くらいは許してくれよ?」

「はい、まさしく伯爵代理を務めるのに相応しい振る舞いでいらっしゃいます」

「……いつになく殊勝だね」


 コイツはいつもは私に厳しいのだが、お腹の調子でも悪いのか?


「……殿が過剰に文官武官を連れて行きましたからな。家中の者共は文字通り家畜を羨むほど働いています。若様が死なないラインを見極めねば私が殺される」


 何やらぶつぶつ言っているが、彼も疲れているのだろうな。せめて私はもう少し頑張るか!……ん?玄関が騒がしいな。何かの知らせだろうか。


「伝令が到着しました。通して宜しいでしょうか?」

「早いな、通せ……父上からだな?」

「はい、御前からです。お通し致します」


 随分早いな。リヒター子爵家へ到着前に何かあったか?ヴォルフくんがそう不覚を取るとは思えないが、彼も何か見誤ったのかもしれない。ふっふっふ……大抵の事はやり切る準備は整っているさ。いざ!



 伝令を迎え入れて後、彼は白目を剥きながら采配を終え、まもなくぶっ倒れた。



 *****

 夜明けまであと一刻ほど。山中の林の中には戦闘集団が潜んでいた。帝国軍兵站責任者が違和感の正体を掴んで仕込むころ、少女は焦燥を抑え込もうと必死だった。


 ヴォルフは無事なのか。確かに彼は私を降すほど強いし、確かに彼は死んだ事がない。だが今も無事な保証などない。ましてや、今回の襲撃先は帝国軍最大の兵站拠点と目されているのだから。兵站拠点の灯り一つ見えない所に潜みながら、見送った先発隊を思うと……まるで彼と私の埋まらない距離を示しているようで、張り裂けるような思いだ。


「セレナ様、ご安心ください。まだ騒ぎになっていないのですから、ヴォルフガング様は生きておられます」

「すまないカーティス殿。指揮官が焦っていては話にもならないな……」

「いいえ、ご立派に務められていらっしゃいます。儂の若い頃など目も当てられませんぞ」

「そうなのか?」


 副官としてついて来て頂けているカーティス殿が見かねた様子で声をかけてくれる。いけない、失言だった。彼も生まれた時は赤子で幼い時は子どもなのだから、もちろん若い頃はより未熟よね。


「左様です。もっとも、ヴォルフガング様は物心ついた時にはあのような有様だった気がしますが……まぁ、滑って転んで死んでいたりしなければ、元気に作戦遂行しているでしょう」

「うん、大丈夫だ。おかげさまで落ち着けた。ありがとう」


 彼はその老練な目を細め、静かに頷いた。そうとも、ヴォルフは私を認め、私について来いと言ったんだ。私が彼を信じないでどうする。


「しかし、彼が雇い入れた公爵領の諜報組織残党は信用してよいのか?」

「儂はカケラほども信用出来ませぬが」


 そう。彼が信用したもの全てを信用するわけにもいかない。彼は確信していたようだが、私の不安は尽きない。同じ問いに、あの時彼はこう答えていた。



『彼らの信頼性にご懸念をお持ちなのですね』

『そうよ。この局面で作戦に組み込むのはどうして?当初の予定にはなかったのでしょう?』

『なんだかイケそうな気がしたので』

『ふざけているのかしら?』


 揶揄われているのかと思ったけれど、詰問したら『ただちにご説明しますから殺気をお収めくださいお願いします』と応え、語りはじめた。釈然としないわね。

 

『忠義や忠誠心には理由があります。なので、一時的にそれに近似したものを用意すれば、暫定ながら近似した効果が得られます』

『それは詐欺と呼ぶのではないの?』

『詐欺を働けば作戦中に裏切られますので、それは禁忌です』


 彼が意味のわからない話をするのは珍しくないが、あの時も大真面目に語っていたのだろう。


『ん??』

『つまり、彼らの忠義に近似した動機を用意すれば、その期間、その範囲内で忠誠心もどきを発生させられます。フーリエ解析的に各個人の忠誠心を推測してその集団の一貫性評価を行い、ウェーブレット変換的に時間毎の推定値を計算して効果期待値を算出します』

『???』

『忠誠心とは集まった波のようなものです。一時的にでも条件を整えれば、波形が揃い、集団としての一貫性が発揮されます。たまたま彼らと我々が目指す方向が近似していたので巻き込んでみました』

『わからないわ、今度教えて。それで、結局あなたは危険なのね?』

『ご安心を。危険がゼロとは申しませんが、手堅い上に効果も高いでしょう』

『それで納得出来ると思っているの?』


 その時も、いつものように彼は困ったように苦笑し、そして__。


 彼は彼我の距離を瞬く間もなくゼロに詰め、私の顎にそっと手を添えて私の視線を上げ、鼻が触れる距離で私を見据えた。


『俺を信じてくれ。俺はセレナを信じて、俺に着いて来いと言った」



 あれは完璧な奇襲攻撃よ。もう、こう、なんと言うか……良かった、とても。


「そろそろですな」


 カーティス殿の言葉が私を現実に引き戻し、思わず身体が跳ねる。もう、私は敵地で何を考えているのよ……よし、落ち着いた。私は大丈夫。ヴォルフは死なせない。この戦いを生き延びたら、私は結婚する。


「総員戦闘体制、合図と共に突貫する」



 張り詰めた弓のように、彼女らの闘志が引き絞られていた。そして彼女にも超弩級フラグがぶっ刺さっていた。

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